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 「アリス、どうだ?

  熱は引いてないか」


 乱れたベッドを整え、ゆっくりと僕の身体をかしぐ騎士様。

僕の後頭部が沈み、剣を使う人特有の固く太ましい指先が僕の額に触れる。


 「ふむ……」 


 落ちてくる声は、紛れもなく騎士様のものだった。

ひゅうひゅうと嬲るような痛みの渦中にありながら、僕の心中は大混乱である。

 (なななな、なんで騎士様が……!)

 それに、僕の! この、数日間洗っていない髪を撫でてる!

ベタついているであろう油っ毛の混じる前髪を気にもせず、剣ダコで凝り固まった指使いで優しく払ってくれている仕草は正直言ってサマになっていたが、申し訳なさと気恥ずかしさで僕は悶えた。

 略式だという騎士の制服の上に目立たない色合いの、地味な外套を纏っている金髪碧眼の副団長。

その騎士の上位の位にある彼が、粗末なベッドで息も絶え絶えの僕の為、心配そうに僕の顔色を窺っているのだから、本当、どうすればいいのか僕は前後不覚に陥ってしまっていて何がなんだか分からなくなってしまい体熱が急浮上、頬がさらに赤く染まっているのを自覚する。鼻水だってでてきた。両目だって潤んでる。

 だって、寂しいときに来てほしいって願っていた人が、わざわざ来てくれたんだもの……。

 

 「やっぱり子供の風邪は甘くみてはいかんな。

  ……マジョラム、だったか?」

 「良い名前だろ?」

 「それはともかく、

  冷えた少量の水をバケツに汲んできてくれないか。

  清潔な布を何枚か、代えの服、あとは……そうだな、それと薬を飲むための真水も必要か」

 「任せろ」


 今度はちゃんとドアから立ち去る侵入者を視線だけで見送った騎士様、どことなくその眉が八の字に下がっているように見えた。


 「アリス……すまなかったな、

  すぐに来ることができなくて」

 「ひ、き、しさま、」

 「無理して喋らなくていい。

  ……安静にしていなさい」


 腫れ上がった咽頭ゆえに喋ることができない僕のために、騎士様は優しく、僕の頭を撫でてくれた。

何度も、何度も。





 騎士様は、ぽつり、ぽつりとお使いに出かけた不審者に代わりに、あれこれと語ってくれた。

星空が幾度目かの頭上を巡る夜、ずっと起きて情報精査をしていた、と。

騎士様の暗闇に染みる穏やかな声色に滲む吐息がくすぐったくて、でも、僕は耳にも触れてくれた騎士様の心根を嬉しく思った。





 「リディ、これぐらいでいいか?」

 「ああ」


 マジョラム、という名前を持つらしいターバンの男はバケツに水と、清潔な布、肩には子供用と思わしき服、それとコップに入った水さえも器用に携えて持ってきた。騎士様に手渡している服は明らかに孤児院のものではない、どこぞから調達してきたんだろうが、ますます、この謎な人への疑問が深まるばかりだ。

 よいせ、とベッド脇の床に置いたバケツからはちゃぽん、と水が跳ねた音がした。

僕は横目で、彼らの会話を耳に入れることしかできないでいる。ぐったりとした四肢を寝汗を吸うばかりの真白いシーツに放り出していた。


 「んで、どうするんだ?

  オレ、子供の病気は面倒みたことないから、

  リディ頼みだぞ? オレは分からん」

 「まずは食事、といきたいところだが、

  あまり食欲はわかないようだ」


 さっき聞かれたので、僕はゆるく首を左右に動かし否定したばかりだ。


 「そうか。

  まぁ、オレだったらがっつり肉を食べたらあっさり治るんだがなあ」

 「お前は屋根から落ちても頑丈に育った男だからな」

 「まぁな! 

  って、リディは骨折したんだったな、ははっ」

 「あんな高いところから突き落とされたら、

  大人だって酷い目に遭うぞ、まったく……」

 

 ため息をつきながらも、騎士様は綺麗な布を絞り僕の顔をぬぐってくれた。

外気に触れる頬がすっとして心地良い。

 

 「目を閉じていなさい、アリス」

 「ふぁい」


 (気持ちいい……)

 閉じた瞼の裏で快さを楽しむ。首の裏を手で支えて安定させ、耳の後ろや首回りまで、へばりつく汗と熱を拭き取ってくれたのだ、この数日間の苦しみが幾分か緩和された。

 は、と息を零し、ぱちりと見上げた僕を待ち受ける、まんざらでもない様子を見下ろした騎士様の瞳も心なしが柔らかい。


 「よし。では次、上半身だな」

 

 きょとんとしている僕を不思議そうにしていたが、はっとし、事態をようやく把握してしまったがためにまごつく僕はただ出来る限りまごつくだけまごつき、ええと、否定する理由も根拠も見当たらなくて。


 「寝転んだまま両手を上げて。

  脇や背も拭いてやるから」

 

 ……言われるがまま、されるがままだった。

 孤児院で身に着けていた上着がすぽんと脱がされる。

外気に触れた僕の肌がぶるりと震えたが、しかしそれ以上に参るのは騎士様から与えられる微弱な拭き方だった。生白く、寝込んでばかりの肌に冷えた布でやんわりと拭かれるたび、悲鳴が喉から飛び上がりそうになる。勿論、羞恥として、だ。女の子に身を清められるのも御免だったが、恩人に丁寧にされる所業というのも、いくらなんでも気恥ずかしいにもほどがある。試練のごとき時間だった。

 うつ伏せになり肩甲骨の隙間さえも処置されている間、僕は息も絶え絶えになる。

 (孤児院での病の対処は、ただひたすらに寝ることだけだったから)

 半死半生に陥ったものの、あらかた満足したものか騎士様はようやくその手を止めた。

清潔な上着を頭から被せられつつ病人なのだから仕方のないことだと思うが、恩人とはいえ騎士様に世話してもらうのは緊張に緊張を重ねる行為だった。怯えた。心臓の音が聞こえてしまうのではないか、と。 結局それは杞憂ではあったのだが、ほっと一息をついた。ようやく嵐のような手当が終わったのだ。


 「アリス、この薬は苦みはあるが即効性がある。

  眠気を催すだろうが、眠っている間に熱が下がるだろう」

 

 そして、騎士様はその手の平に粒状態の薬をのせ、見せてくれた。

了承の意をこめて口をあければ、ひょいと舌の上にのせてくれ、コップに入った水を飲みやすいようにと甲斐甲斐しく首の裏を支えてくれた。

 マジョラムという人は、ほお、と感嘆の声を上げる。

実際、騎士様の動きはあらかじめ決まっていたかのように滑らかであったから。

騎士様は僕の額に仕上げとばかりに、引き絞った布をのせてくれた。布団を肩口までしっかりとかけられ、ポン、ポンと幼子をあやすように胸のあたりを布団の上から軽く叩いた。

 

 「さすが赤ん坊を育てた経験のある男は一味違う」

 「かのお方は私の子ではないが、

  まぁ、結果的にそうなってしまっただけだ……」

 「いつ産んだと大層言われ放題だったなリディ」

 「……未だ結婚もしていないのにな」

 

 そして、それはさらに僕の予想外のことにまで発展する。

 (騎士様、結婚してないんだ……)

どうもこの二人、仲が良いにもほどがあるほど仲が良いらしいのだ。……ぼんやりとした頭ではあるが、命の恩人に関する気になる話題だ、彼らの気安い会話にここぞとばかりに耳をそばだてる。


 「リディ、ところで昨日は寝たのか?」

 「寝てない」

 「それで今日も2徹か、ははは。あの方の我儘に振り回されでもしたのか?

  十分に休息する時間を与えられていただろうに」

 「情報が錯そうしすぎて、取捨選択に時間がかかり過ぎた。

  というのもあるが、……そうかもしれんな。

  もしかすると思春期、かもしれん」

 「ほほお」

 

 騎士様とマジョラムには”主”と呼ばれる存在がいて、金髪碧眼の騎士様は特に振り回され気味であるらしかった。


 「朝から晩まで、寝る手前まで呼ばれるもんなあ、

  下手したら家族よりも一緒に過ごしてるんじゃねぇか?」

 「そうか?」

 「夜中に夜泣きしてても、お前はすっ飛んでって宥めてたからなあ。

  ずいぶんと甘えられてるな、リディ」


 マジョラムの言から察するに騎士様の”主”は騎士様の身内よりも近い存在で、


 「若さゆえの力の加減ができんのだろうと思い、

  剣技の指導ができる同僚を紹介して頼んでみたのだが、

  いくらセンスがあるとはいえ呑み込みが早すぎると、翌日ぼやかれた」


 天才であるらしい。


 「ぶはっ、まぁ早熟すぎるのも問題だな」

 「王城の図書館にある蔵書はすべて読み飽きてしまわれた。

  審議中の貴族院をご覧になっても暇そうにしておられる。

  剣もあの年齢ならば必要なことは教えてしまった、

  座学は教師のほうが勉強しなければ追いつかないほどでな、

  ……すなわち、私の回りに常にいることになる。暇だと」

 「なんだかんだ文句言いつつ、リディ大好きだよな我らが主は」

 「生まれたての頃からお守りをしているからな」

 

 彼らはそれ以上、”主”についての話題は出さなかったけれど僕には分かっていた。

なんとはなく、だけれど。でも、間違いない。間違いなく面白くない話題だった。

 騎士様が”彼”のことを口にするたび、腹の底に広がっていく鉛のような重苦しい苦みは、成長してもなお僕の中に巣食うことになるけれど。

 ――――騎士様に縋りついていた、赤毛の子。

僕の、嫌いな子だ。


 「アリス?」


 うとうととした目裏に、鮮烈な赤毛が踊る。

あの青い瞳は、僕とは真逆の色だった。僕の目は茶色だとよくいわれるが、本当は赤い瞳をしている。

 鮮やかな空の色を写し取った目を持つ少年と、朽ち果てた村を燃やし尽くした昏い炎を目に閉じ込めた僕。僕たちは、互いに互いを嫌悪している。

 面と顔を付き合わせた時、命の短さを感じたあの瞬間に、無言のうちに理解しあったのだ。


 同族嫌悪である、と。

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