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 「う、げほ、えほごほっ」


 けれど、堪えきれずに僕は嘔吐えずく。涙目になる。

口を覆うけれど、やっぱり咳はこみ上げてきて僕を苦しめる。

 (うう……)

 外の空気が入り込むのも良くないのだろう、先ほどから喉奥をじわじわとひっかいてくる。 

まるで芋虫のように、下段ベッドで丸まっている僕。そんなみすぼらしい孤児に、狼狽した男が近づいてきた。不審者だ。浮いた、僕よりも一回り大きな手の平が影になって迫ってくる。枕の上に辛うじて乗っけている頬が引きつる。滲む視界には、あの村での惨状がちらついていた。

 (ひ、)

 かつての恐怖を掻き立てる、見知らぬ他人の気配を纏う手。


 「や、嫌だ! っ、来るなぁ!」

 「んな警戒すんなって」

 「嫌!」


 癇癪を起した幼児のように、僕は男の手を振り払っていた。

 (怖い怖い怖い怖い!)

 脳裏に蘇ってきたのは、あのとき、のことだ。胸の奥底に沈めていたそれは、今まさに、蓋の底をガンガンと叩いて広がりを見せている。隙間から覗けば、いかに僕が諦めた顔で奴らに好き勝手してやられていたか分かるというもの。突き抜ける激痛は、無気力になった僕をとことん地べたへと縛りつけた。殴られることも、痛めつけられることも、馬鹿にされることも怖くて怖くてたまらない。蔑まれる視線に晒され足蹴にされ続けた僕は、兎のようにプルプルと震え、蹲り――――這い蹲るしかなかった。


 「ふ、うぅ……!」


 ぐず、ぐずと涙と鼻水がこみ上げてくる。

僕は芋虫のように身を丸め、嵐が去るのを待った。他者からしてみれば、それがいかに情けない姿であることか。僕は頭の片隅では分かっている。でも、こうしないと僕は自分の心を守ることができなかった。

 (何も聞きたくない、耳に入れたくない。喋りたくない、

  僕の唇はまだ切れていない、未だ殴られていない、でも、

  この人があいつらと違うなんて保証はどこにもない)

 哀れな子兎は、雲間から光が差し込むのを待つしかなかった。

祈りにも似た、哀れな気持ちは誰かに縋りたくて、でも助けにきてくれた金髪碧眼の騎士は、今、とても遠いところにいる。ぎゅっと両目を閉じる。


 「参ったな……」


 大きなため息が、僕のすする鼻声と混じったがそれは静寂な室内に、とてもとても、籠った。





 わいわい、がやがや。

誰かが叫ぶ。こらー、なんて。女の子が言うにははしたない、と母さん、妹と弟が喧嘩するたびに、そういってため息ついていたっけ。小さな子供の言い合いなんて可愛いもんじゃないか、なんて父さんは笑い、兄は弟妹の仲裁をしていた。早くとりなさないと、家の中がめちゃくちゃになるから。


 「おーい、アリス。目ぇ覚めたか?」

 「……あれ?」


 瞬けば、そこにラビトの顔が目いっぱいに広がっていた。


 「わ、なに?」

 「なんだ、驚かないのか?

  お前、本当ノンビリしてんな。

  ……熱、まだあるみたいだな」

 「うん……」


 呆れたような口ぶりではあったが、ラビトはそっと身を起こして遮っていた僕の視界を一瞬で明るくした。そこには、ついさっき居たはずの不審者の影はなく、相変わらずの孤児院の中身が騒がしく大賑わいであった。僕は、ぱちくりと瞬きを繰り返したり、目元を擦ったりもしたが。一向に、現状は変わらずである。孤児院の、いつもの景色だった。


 「……なんだ? まだ寝ぼけてるのか」


 もう夜だぞ、なんて言いながらお盆にいつもの食事が運ばれてきた。井戸からいくらでも汲んで良い水が、愛用のコップの中でちゃぷちゃぷと波打っている。

 ぽかん、と開いた口のままだった僕も、さすがに感謝の言葉を紡いだ。


 「あ、ありがとラビト」

 「ほら、まだ熱があると思って千切っといたぞ!

  ……こいつらが」


 ぴょこりと下段ベッドに乗り出してきた子供がいた。

……さらにひとり、ふたり。ぴょこぴょこと顔を覗かせた。どんなことにも興味を持つ、物怖じしない子供たちであった。騎士様にもぶら下がっていたっけ。泥だらけになって年長の女の子に引っぱたかれても、ぎゃん泣きしたあとすぐに立ち直るタフな子たち。その小さな指で、一生懸命、固くて噛みづらいパンを細かくしてくれたんだろう、屈託のない笑顔が眩しく明るい。


 「アリス、元気になってまたお話してね!」

 「オレも~」

 「あたしも!」


 まだ少し熱があるけれど、でもうつったらいけないから触れるのはやめた。けど、その幼いながらの優しさが嬉しくて、僕はうんと頷き、もぞもぞと布団の中に顔を入れ込んだ。





 孤児院に来て僕はだいぶ図太くなった、と思う。

どんなに五月蠅くても僕は眠れるようになった。

自然と、そうなるように躾けられた、といったことでもあるけれども。

 

 「……ん」


 にしては、今夜はとても静かだった。

 (外のお仕事、大変だったのかな)

 孤児院育ちの子供たちはすぐに眠るのが特徴的だが、外からやってきた親無し子の孤児、いわゆる僕みたいな流れ着いた孤児などは、なかなかこの境遇に慣れるのが大変だった。なんせ見知らぬ他人の間で寝起きをせねばならない。まあ、他人というほどの間柄ではない。兄弟にしては近くもないし、家族にしては遠いような関係。要は、未だ彼らとの間に線引きがなされていて、だからこそ、眠るのが一等遅い僕みたいな孤児たちまでもがあっさりと静かな寝息を立てているのが不思議だと僕は思ったのである。

 だからこそ、外での虫取り作業が大変だったのだ、なんて。

見当違いなことを視野にいれ、そっとため息をついていたのだ。

 しん、とした静かな自室にひしめき合う二段ベッド。

その数ほどに孤児たちが横たわり、その日の疲れを癒すために眠りについている。むにゃむにゃと誰かの歯ぎしりも混じりながらの日々。初めは僕も、この他人の寝息にさえ目が冴えてしまっていたものだが、今となってはもう本当に耳慣れてしまった、そのはずだ。そのはずなのに。

 (あまりにも、物静か過ぎやしないか?)

 気のせい、だろうか。心がざわつく静寂さだった。

奥のほうにある女の子たちの部屋から幼児たちの泣き声がしない。毎日のように、母を求めて誰か彼かが泣き叫ぶので誰かがあやす声が一晩中聞こえたりもするものだが。

昼間嫌になるほど眠りを享受していたので、眠気の訪れがない。

 どうにも、目が冴えてしまった。 


 「お、やっとお目覚めか、お姫様?」


 ばっと布団から体を起こした。

額に置いてあった布きれが落ちたが、それでも僕は暗闇に潜む人影に目を凝らす。


 「うーん、やっぱオレって天才だな。

  狙った通りだ」


 この声。

憶えがある。

 心臓が、ドク、ドクと激しく脈打った。


 「……あなたは、今日……、

  勝手に入ってきた怪しい人ですね」

 「おうとも、侵入者様よ!」


 しーん、とした静けさが響く室内。

僕としては、どう答えていいのやら分からずじっとしているばかりだ。


 「うーん、外したか?

  オレってば、子供相手にする仕事したことないからなあ」

 

 ぶつぶつと呟いているけれど、彼は一体何者なんだろうか。

わざわざ僕に会いに来る、ってほど、僕に知り合いはいないし。かといって、そこまで凄い血筋の人間でもない。というか、農民の子である。

 でも、だからといって、見知らぬ他人にあれこれとされるわけにもいかない。

ここには、沢山の孤児がいる。そう、僕と同じ親のいない子供たちだ。

 (どうする……)

 もしかすると、人さらいの類だろうか?

孤児を売買するような行為は犯罪である。王国の騎士に頼めば、この男は即座に捕まるが、ここは孤児院。司祭様を除けば大人のいない、身を守る術のない子供たちが寄り添って暮らす国教教会の一角。

 宝物なんて何もないこんな殺風景な部屋に何故、こんな男が二度も侵入するのか。

少しずつ目が明るくなると、男の姿形が分かってきた。

 男はなんとも王都の人間らしい、垢抜けた恰好をしていた。ぐるぐる巻きの布を頭に巻き、おどけた態度で僕の真向いにある二段ベッドにその身を寄しかからせているようだった。幸いにして距離がある。

 ぐっと、僕は苦い唾液を呑み込む。

現状、僕の上段ベッドにラビトが眠っている。やつを起こせばこんな奴を伸すぐらい、なんとかなるかも、しれない。あとは他の孤児たちを起こし、みんなでやっつければ。

 けれど、僕はもうひとつの可能性を視野に入れていなかったことに絶望する。


 「う……」

 

 あの侵入者の影に、もうひとり。いたのだ。一人、だけじゃなかった。

たちまちに、日中の出来事が蘇る。

そして、また、地獄の蓋がガタガタと悲鳴を上げる。

 (……あ、)

 今にも震えだしそうな我が身。歯の音が合わない。

しかし、と。僕は叱咤した。(叫ばなければ!、) 皆を起こし、この現状を打破せねばならない。それなのに、だのに、僕の声は。

 ――――全身に、油汗がにじみ出た。

声を放つ前に、絡みつく刺すような激痛に背筋が凍る。ひゅ、とさも刃物の切っ先が、喉元を軽く掠ったような感覚。あまりにも激しい痛みに、その場で身を捩った。僕の汗を吸った布団がぐちゃぐちゃになる。

 

 「ひ、ぐ、ふっ、げほ」


 (苦し、) 

 声を荒げることは、僕の現状には即したやり方ではなかった。

引きつる喉は腫れ上がっている。 

 顔を布団にうつ伏せ状態となり、何度も何度も咳込む僕の背を、誰かの手が。

 (ひぃ……!)

 恐怖に身が竦む。明らかにそれは、男の手の平だったから。ごつごつとした、凹凸のある固い指先が僕の背をゆるりと上下して撫でてきたではないか。

 ぎょっとしたが、しかし、あまりにも温かな仕草で。

ゆっくりと、しかし僕の様子を探りながらの手の内側の動きは、背骨の隙間にも這うけれど丁寧過ぎて何故か拒絶反応が出ない。不思議に思うが少しずつ柔らかになった咳の症状から目を離し、僕はのろのろと顔を上げる。


 「おいチビ!」

 「……馬鹿、静かにしろ、夜だぞ」

 「平気だって、リディ、このオレだぞ?

  このオレが頑張ってチビどもの動きを読んだんだぜ?

  褒めてくれよ、褒めろ! あ、勿論奢りな」

 「ああ」


 は、と吐く息の熱が少し、上がった気がした。

覚えのある穏やかな声に目を向ければ、ずっと焦がれていた碧眼が傍らで輝いている。

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