可愛い、おもしろ猫
猫のメル
一、
メルは、私の無二の友であり、妹である。
メルも自分を猫だと思って居ない様子だ。
他の猫が近付いて来ると、毛を逆立て尻尾をえっ?こんなに
太くなるのという位に膨らませて威嚇する。
私の腕に抱かれて恐怖で震えている。鏡に映る自分も怖がる。
姿見用鏡の自分に唸る、そして突進。
何度も繰り返し勝てないと解ると私の許へ助けを求めに来る。
鏡の前へ連れて行き、「これはメル、自分だよ」と前足で触
らせるが足を引っ込めヘタリ込む。
私も一緒に映っているのだが、メルの目は恐怖で引き攣り、
私を確認していない。
私、律子十六歳、雌猫メルは三歳、人間でいえば十八歳位か。
自分が猫だという自覚が無いメルは、繁殖期が来るのを恐れ慄く、
外で雄猫の雄叫びが怖いようだ。
私にしがみ付くか家具(箪笥、書棚、食器棚)の上でジッと硬直
して、雄猫の声が遠のくのを待つ。
この家は築年数新しくはないが、ボロ屋では無い、メルのトイレ
は縁の下なので、廊下の隅に「メル専用出入り口が作られている。
勿論、猫トイレも廊下の隅に置いてあって、
屋内だけで用は済む。この繁殖期、外からどうやって縁の下に侵
入するのか、外回り点検したが解らない。
廊下の隅の穴から入って来るので、コンクリートブロック一つで
塞ぐ。メルが開けての仕種をするまで。
床下換気口にもネットを張ってもらった。
「メル、あなたは猫よ子供産まないの?高齢出産って大変らしい
よ、若いうちに産めば?」
首を傾げて、恨めしそうに私を睨む。
「解ったわよ、その気になるまで人間のつもりで居なさい」
「ニャン(そうする)」
「ニャン、ニャン、ニャーン」(思いを込めて私が鳴き真似)。
通じたのか、喉をゴロゴロ鳴らして私に纏わり付く。
母が「あなた達、本当に会話しているみたいね、通じるの?」
「私が念じながら喋ると通じているかも、私の方は、メルの言葉
はっきりとは解らないから、声の調子等で想像だけどね」。
「まるで姉妹ね」
「どっちがお姉さんに見える?」
「んー、メルかな」
「どうしてよ?」
「メルに振り回されてるし、命令されてる」
「思い当たるだけに悔しいなァ」
「仲良くして頂戴」。
猫は本来、夜行性だがメルは違うような気がしてならない。
夜、私が勉強していると、始めは「遊んでェ」の行動で机上の
文房具を床に落としたり、ノートの上で大の字に寝たりするが、
その度に叱られ、構ってやらないでいると諦めて、メルちゃん
ベッドから私を眺めている。勉強が終り、布団に入ると待って
ましたとばかり、枕元に喉を鳴らしながら来る、だが、布団に
潜り込みはしない。夏は枕の横側から半身乗せて、冬は私と一
緒に下半身は布団の中、上半身は枕の上で眠る。
四肢で突っ張り、少しずつ中央でメルが寝て、私は隅で居候の
ように寝る、深夜目覚めた時に押しやったが、四肢で突っ張る
力に私が諦めた。枕の大きいのを使ってみたが、やはり真ん中
はメルが陣取る、枕が大きくなった分、私のスペースが少し広
くなった。私が寝返りして方向を変えると、メルも移動して来
て顔の前で寝る。
私が眠っている間に、グイグイ押されて、また枕の真ん中にメ
ルの頭。決して背後では寝ない、潰されると思うのだろうか?
就寝中、私は何度寝返りするのか解らないが、その都度メルは
移動しているようだ。
ある晩、母が私の部屋を覗いたらしい。
「姉妹、全く同じ姿で眠っていて、吹き出したわよ」。
メルの習性を話したら「不思議ねえ」と母。
トイレ意外は、私と一緒に眠っている、時に寝言や鼾をかきな
がら、夜間外出は少ない。
私が学校から帰宅すると、玄関に着く前から鳴き声がする、
扉を開けると飛び付いて、「ニャ~ン(お帰りなさい)」
喉を鳴らす。門から玄関までは数メートルだ、足音で解るらし
い、他の人には反応しない。
母の所へも「ただいま」を言いに行く時も、私の前後を歩き回
るので、躓きそうになって危ない。抱き上げるしかないのかしら。
「玄関が開く前に、律子が帰って来たこと解るわ、メルの行動の
せいでね」
一度帰宅した後は、どこへでも付き纏う。
ストーカー並み?
庭掃除は飛び跳ねて居る、一緒に遣っているつもりらしいが、集
めたゴミが散らばるだけ。玄関掃除は、上り框に座って見ている。
洗濯物取り入れ、畳むのはジャレようか迷いながら見ている。
トイレに入る時は、ひと悶着、扉の外へ出すと大騒ぎ。
母が「入れてあげれば?この世の終りみたいに鳴いてるわよ」私が
折れて、入れてやると、足元でジッとして私を見つめるが、私が落
ち着かないのだ、出る物も出なくなる。
入浴も付いて浴室に入る、これも脱衣室で待ってくれないからだ。
檜の浴槽のフチに座ってジィーと眺めている。フチは三センチ位し
かないのに爪を立てて落ちないよう頑張っている、飛沫が飛んで体
毛に着くが舐めながら必死の形相だ。バランスを崩し、浴槽にドボン。
さほど慌てず、浴槽のフチに爪を立て、掴まって浮いている。
頑張れば上がれる筈なのに浮いたまま私を見て鳴く。
「なんだ温かくて気持ち良いんだ」の表情で浮いている。
猫の蚤取りシャンプーで洗ってやる、大人しくされるがままで居る。
体毛が貼り付いて貧弱な姿に笑ってしまう。
良く濯いでタオルで拭き取り、私の入浴が終わるまで、再び浴槽の
フチに乗せる。自分で舐めているけど、虐効果だと思うのだが。
脱衣室で私が身支度終わるのを神妙に待つ。
タオルに包んで茶の間に連れて行くと、母が大笑いする。
「ついに、遣っちゃったのね?」
ドライヤーで乾かすが猫毛って乾きにくい。
半乾きになると、自分で舐めるがまたも逆効果。
ほぼ乾き、フワフワに戻るとやっとメルだ。
此れに懲りて、脱衣室と浴室の間の扉を少し開けておけば大人しく
待てるようになったがたまに侵入して来る、侵入した日はシャンプー
することにした。嫌がらずに居るという事は湯船に入りたいのかしら、
浴槽フチに爪を立て揺ら揺ら浮いている。
猿やカピパラのように、入浴好きの動物も居るので同じ物かな?
水に濡れることを嫌がらないメルは、金魚鉢に前足を突っ込んで、掻
き回していた。二匹の赤い金魚は縁日で漉くって来た物だ、時々餌を
パラパラ落とすとパク付くのを眺めるのが私は好きだ。
動く物に反応するメルは外側から前足で触ろうとしたが、ぐるぐると
回遊してしまうので捕まえられない、で直接足を突っ込んだのだ。
それでも捕まえられない。
数日後、金魚鉢の周囲がびしょ濡れだ。メルの顔もびしょ濡れだが足
は濡れて居ないのはどういう事?
暫らくして解った、メルが金魚鉢の水を飲んでいるのだ、干上がり作
戦に変更したのか?
「メル、あんたね飲み干すのは無理よ」。
猫は体が柔らかいので、ほぼ全身舐めて毛繕いが出来るが、唯一、
自分の顔と顎の下だけは舐められない。
メルは「猫の顔洗い」をしないのだ。
ゴロニャンしながら顔を擦り付けていたのだが、濡れ布巾に擦り付け
ているのを発見。以降、メルちゃんタオルを作り、一日一回、湯で絞
って顔を拭いてやるようにした。それが終わってから、自分で毛繕い。
まったくう、「猫の顔洗い」で天気占いが有るっていうのに・・・。
近所の八百屋さん、肉屋さん、魚屋さん、雑貨店などのお使いに付
いて来る。店には入らないよう躾けた。入り口横でチョコンと大人しい、
「りっちゃん、またお供連れてお使い?」と声掛けられる。
私の後ろ一メートル位の所を付いて回る光景は近所では普通の事だ。
病気で診療所へ行く時には「びょういん」と言えば付いてこない、診
療所の先生のお父さんは獣医師で、入り口は二つ。
診療スペースも二つ、奥と二階三階は先生方のご自宅だ。
人間も、小動物も診て頂けるので便利だ。
メルが消化不良を起こした時に動物用入り口から入って診察を受け、
注射して頂いた事がある。「びょういん」に反応して後退る。
言葉が通じているのだと思う。
付いて来るのは構わないが、交通量の多い道路が有り心配だが、抱かれ
ないので困る。なるべく交通量の少ない道を通るようにしている。
抱こうと近付くと逃げるので、かえって危険なのだ。
後ろを振り返りながら歩く。
家に帰ると、メルは母の所へ行って何やら報告している、母「私には、
メルの言葉解らないのよ」と諭され「ムニュムニュ(なんで解らないのよ)」。
私の所へ戻って来る。
学校病欠して昼間寝ていると、心配(?)そうに傍で見つめる。机の上から
暫らく見つめ、飽きると横たわり目だけは私の方を。
薬の成分のせいで眠ってしまうと、前足で触りに来て「大丈夫?」。
のつもりか?「メル、大丈夫だから寝かせてよ、一緒に寝る?」。
私が病気の時は一緒に寝ようとしない。
部屋を歩くのも、抜き足差し足そーっと歩くのが可笑しい、元々足音しないのに。
気を使ってくれているの?
目覚めて、始めにメルを探すのが習慣だ。
「メル、メル」に飛んで来るのが嬉しい。
何処にでも付いて来るメルだが、登校と通院は解るらしいが、自転車かバスで外
出する時が問題なのだ、メルの前で外出準備は出来ない、察知して外で待って
いる、もう捕まえるのは不可能だ「びょういん」と嘘も見破る。
勉強する振りをして机の前に座り、本を読み暫らく待つ、メルベッドに落ち着い
たのを確認してからサッと部屋を出て扉を閉める。その勢いで外出してしまうの
だ。私に出し抜かれたと知ると、家中駆け回り探す「ニャゴーニャゴー」と怒り
狂い、「フワーンフワーン」と悲嘆に暮れるという。
「文句も泣き言も有る、キャリーバッグ買ってやるから連れて行ってくれ」と父。
二、
メルが私の許へやって来たのは、私が十三歳の時、生後三週間目位の二月末、
目が開いたばかりの頃。見えては居なかったと思う。ヨタヨタ歩きコロンと転ぶ。
可愛い。
東北の二月はまだ冬だ、猫ベッドは作ったものの寝る時は抱いて布団に入った。
私は寝相が良い方ではない。潰してしまいそうなので胸の上で眠らせた。
「名前何が良いかな?キャラメルみたいな色だねェ?」
「んー、キャラ?」
「ニャ」
「メル?」
「アン」
メルが呼び易いのでメルと名付けた。
「メル、メル、名前はメルだよ解った?」
「ニャン(はい解った)」
気のせいかなニャンの声の高さが違って聞こえた。私は、眠ってしまえば胸の上
のメルのことを忘れる。寝返りした時だろう、メルは布団から頭だけ出して眠る
ようになり、大きくなってから上半身を枕に乗せて、下半身は布団の中、という
形態に落ち着いた。布団の中に潜り込むことをしない、
コタツでも頭だけ出している。
鳥だったかな、初めに目にした動く者を親だと覚えるとか聞いたことがある。
メルにとっては、私が親かな?だから猫の自覚が無い?
入退院を繰り返す母、私は一人っ子なので寂しいだろうと父が知り合いから貰い
受けて来てくれたのだ。私にとっては一番の贈り物となった。
母が退院して来て初めて会った時、メルは生後半年位だったか、私の後ろに隠れ
そっと顔を出し「アーン」と鳴いた。
母に「メルおいで」と呼ばれ、躊躇いがちに近付いて母の回りを巡り、鼻をクン
クンしてから膝に乗った。
「メル、可愛いね、宜しくね」撫でられて安心したようだ。
メルはお皿からミルクや水等飲むのが下手くそだ。顔中ベチャベチャに飛び
散らす。初めてのミルクをスポイトで飲ませたからだろうか。親猫から育児放
棄され、教わるべきことを教わっていない為かもしれない。
ビショビショ顔の始末が出来ないので拭いてやる。
だから「猫の顔洗い」をしないで、私に拭かせるのだ。
メルは興味を示した物は、クンクンし前足でチョンチョン突いてジッと観察
して、敵じゃないことを確認してから自分のベッドに運び溜め込む。
ハンドタオル、スポンジ、私の文房具等を集めた。何かが見つからない時、メ
ルのベッド回りを探せば見つかる。メルが居ない時に取り返して来る。メルが
居ない時なら問題ない、忘れているからだが目の前で取り上げると一騒ぎだ。
月に一度、我が家では「お刺身」の日がある、父の給料日だ。
「お疲れ様でした」の慰労の夕食になる。
鮪、鰹、鯵、帆立、烏賊等だが、父の好物は鰯の刺身。
鰯は本当に新鮮じゃないと刺身で食べられない、魚屋さんの入荷次第だ。
それを肴に日本酒を呑むのが楽しみなのだ。
強い方ではなく、ぬる燗を一合程で満足して床に着く。
晩酌は毎晩だがこの日は格別と。
メルも刺身が大好物だ、焼き魚も好きだが、刺身を食べる時は歯軋りしなが
ら喉を鳴らして(賑やかなことだ)美味しそうに食べる。
父は「これで『あたしにも、いっぱいくださいな』なら化け猫だな」。
メルに睨まれ「ゴメンゴメンお前の心は人間だったな」と。
メルが尋常で無く好きな物は他にも有る。
【ミルクチョコレート】丁度離乳時期、欲しがるので、小さな欠片を与えた。
気に入ったようで、アルミ箔の音に反応するようになった。
ある晩、私が寝てから父が帰宅した。パチンコの景品のチョコレートを枕の下
に入れたのが災いした、寝返りする度にアルミ箔の音が出た、メルは引っ張り
出すことに成功。包装を破り、凸凹の凸の上の方だけ齧った。
それを見た私はガッカリ。
父は入院中の母に、過大に報告した、私はメルに泣かされた事になっていて母
に笑われた。「姉妹喧嘩は、妹の勝ちで、お姉ちゃんが泣いたわけね?」
父には「戸棚に仕舞って」と頼んだ。残りのチョコレートは、少しずつ躾ける
時やご褒美に与えた、戸棚を開けそうなので冷蔵庫に入れた、ここは開けられ
ないだろう冷蔵庫の上をウロウロしている。
【かぼちゃ、サツマイモ、スイカ、キウイ】も好物だ。
父は女の好物「芋、栗、ナンキン」だと言う。
私は特に嫌いでは無いが好きでも無い。
かぼちゃは味付け前の物を与える「冷めてから食べなよ」。猫舌はメルではなく私だ。
「ハフハフ」言いながら夢中で食べる。
サツマイモが好きな事を知ったのは、八百屋さんに付いて来た時だ。
晩秋、店先で焼き芋を作るのは毎年の恒例だ。
「今年の初芋、りっちゃん甘いよ」と半本、試食用にくださった。
折った時に零れ落ちた物を「ハフハフ」食べているのを見て、おじさんが驚いた。
「『猫も喜ぶ甘~い芋だよ』と売り文句が出来たァ」。
八百屋さんに行く度に焼き芋買って貰えるので、店が近付くと先に走り込んで
「ニャン」と訴えている。「ハイよ、お得意さん」と与えてくれる。
一本買う破目になる。
「焼き芋」は春先で終わってしまう、おじさん「ごめんよ、秋まで待っててくれよ」。
生が有る時は、買って帰る。母が大学芋を作ってくれるのを楽しむようになった。
その時に食べたせいか、胡麻和えも食べるようになった。
スイカの食べ方はズルイ。三角に切った先端の一番甘いところを食べるのだ。
テーブルには乗らないよう躾けてあるが、背伸びして前足を目一杯伸ばし、先端を
掻き取る「嗚呼一番甘い所、捕られたー」。
チョコレートの仕返し「メル相手に本気で怒っている?」メルが引っ掻いた所を包
丁で切り、メルにやってボヤキながら食べて居るのが可笑しい。
意外だったのはキウイ。体を捩って「ニャアアアン(頂戴)」と鳴く、ゴロゴロ
喉を鳴らしキウイを転がして遊ぶ。
完熟し軟らかくなってから剥いて緑の外側の実を切り分けてやった。
少しクンクンしただけで食べない。どうしてかしら?
獣医さんに尋ねたら、キウイは【またたび】の仲間なのだと仰る。
「でも果実まで食べないだろ?、枝とか葉に反応するのが普通だ、メルの嗜好は変わ
っているからな、葱類は食べさせないように」と。
その年の秋、園芸店に頼んで苗木を取り寄せて植えた。「温かい地域で育つ植物だか
ら、この東北では結実しないかもな」と言われた。
「それでも、良いんです」と返事して受粉樹と併せて二本植えた。
葡萄棚のような物に這わせることも教わったので、父に頼んで南側の縁側の端に低目
に作ってもらった。来春、新芽が出れば成功だ。
グングン育ち、枝を棚に這わせるまでになった。教えた訳でもないのに、メルの遊
び場となるが、他所の猫が集まってしまい棚の上で大喧嘩が始まる、手が付けられない。
猫嫌いのメル、どうしたら良いか父に相談した。
色々考えてくれ、結果、棚の外側に一回り大きなネット囲いを設置し、棚にはお母屋
内からしか登れないよう工夫してくれた。
メル独り占めで棚の上を転がって遊んでいる。
他所の猫も近寄ったり、爪を掛けてよじ登るが枝葉には触れず諦めて帰って行く。
蜂などの昆虫は入れるネットだ。
家に戻って来ると酔っぱらいのように、フラ付いて歩くのが面白い、匂いで酔うらしい。
キウイ、結実はするが大きく生らないのが残念。落ちた実を咥えて来て転がして遊んで
いる「うちのは食べられないよ」、秋に葉が落ちるまで、メル専用棚だ。
キャラメルのメルじゃなくて、メルヘンのメルだったかもしれないね。
三、
雌猫メルの、やんちゃに振り回されのも面白い。
私を震え上がらせる仕業が有る。
本人は得意気な表情で、私への贈り物を持って来る、困ったァ。
朝起きてメルが不在の時は危険信号点滅だ。
私の布団の横に、整然と並べられている物体が怖い。
蜥蜴の尻尾、鼠、雀、土竜等々が並べてある。
いつもは、夜グッスリ眠っているのに、トイレであろうか?音であろうか?
深夜に縁の下に行き動く物を目にしたのだろう、捕まえて持ち帰るのだ。
メルの目は輝いている。
「キャー、メル来ないでェ」大声で、何事だと父が来る。
「アハハハ、メルからのプレゼントだよ」
「イヤー、要らないよう」
私一人が大騒ぎするのを「どうよ」顔でメルは見上げる。猫の自覚は無くても、
何かの拍子に野生が目覚めるのだ。
捕食するのでは無い、メルにとってはゲームだろうか?
ティッシュペーパー一枚咥えて、箪笥の上に上り口で千切って上から散らす、
ヒラヒラ落ちて行くのを目を輝かせて眺める。また千切って落とすのを繰り返す。
ペーパーが無くなると下へ降り、一枚咥えて行く。飽きるまで続ける、特に誰に
も構って貰えない時の独り遊びだ。母が入院中、父と私が不在の時にやるので、
初めは何故千切られたペーパーが多量に散らばっているのか解らなかった。
私が帰宅した事にも気付かず夢中になってやっているのを見て納得した。
叱るのも可哀相なので、ペーパー二枚だけのボックスを作り、遊びを黙認した。
暫らくして飽きて止めた。
メルは動く物に興味が有る、猫だから当然。それに、私にヘバリ付いて居たい
猫である。冬、鈎針編み物をするのに、着なくなったセーターを解き、カセ繰り
機に巻き付け、湯通しをして伸ばし、乾いたら再びカセ繰り機に掛け、手に巻き
付け毛糸玉にするのだ。
そのカセ繰り機が回るのを見たい飛び付きたいと茶の間に入りたくて大騒ぎだ。
「煩いから入れてやりなさいよ」
「駄目よ、飛び付かれたら毛糸がグチャグチャになって解けなくなるわ、実証済みよ」
笑いながら母が指差す。見ると雪見障子の外から伸び上がって、目をクリクリさせ
てカセ繰り機の動きに合わせて首を動かしている。
寒い廊下では可哀相になった。
母が考えだしたのは、みかんのダンボール、「持ち手の穴から覗けるようにメルの
毛布を敷いて、中に閉じ込めたら?」
蓋をガムテープで留め、高さ調節に椅子に乗せた。始めはダンボール箱の中で
「ニャァ(出してよー)」と騒いで居たが、穴に指を入れ「メル、ここから見なさい」
メルも解ったようで、大人しくなった。
キラキラの目が二つ、カセ繰り機を見つめている。「猫のとと混じりね?」。
木登り、電柱、屋根の上など高い所を好む習性が猫には有る。
自力で登った所は、降りて来られるのが道理。
古い木製の電柱の天辺で「アーゴ、アーゴ」
助けて落ちたら死んじゃうよ的な鳴き方。
下から「メル、ゆっくり降りておいでー」
「アーゴ(降りられないの)」悲しそうに鳴く。
家に有る梯子では長さが足りない、父の会社から持って来てもらい、父が登って
行くと、父の肩に掴まり震えながら一緒に降りて来て、私に飛び付く、喉を鳴ら
して「ニャン(怖かった、ありがと)」と。呆れる父。
一度で懲りて、電柱は天辺までは登らない。
勝手口の前に、石榴の木が植わっているのたが、花が咲くと上の方まで登って、枝を揺
するのがメルの遊びとなる。元々、花が落ち易く、収穫は十個位だ。
枝から赤い花が落ちて行くのを眺めて楽しんでいる。掃除している上からボトボト花が
落ちて来る「コラーッ」アチコチの枝に移り、花落しをする。叱っても効き目がなく、
私の関心を引いて居るのは解っているので、放って家に入り様子見。
夕食作りを始めた頃、ドスンと鈍い音。
窓から覗いたら、メルが地面に横たわっている、着地に失敗したらしい。
「メル!」
「ニャッ(どうして落ちたんだろう)」
あちこち体を調べて気が付いた、お腹が膨らんでいる、なんと妊娠していた。
そのせいでバランス崩して樹から落ちたのだ。
起き上がろうとしないので、獣医さんに診て頂いた「母子共に元気です、律子さんに
甘えているのです」と。ひと安心。
それから一ヶ月後、私にお腹を擦らせながら出産した。四匹の三毛猫が生まれた。
数日すると、毛がフサフサして、綺麗な柄だ。メルは赤茶一色の縞だ、きっと父親は
黒のブチ猫だろう、混じって三毛猫となったか?
メル一生に一度だけの出産であった。
母性本能も目覚め、付ききりで甲斐甲斐しく育てた。子猫も綺麗で可愛い。
メルは子猫から片時も離れない、心配でならないのだろう。
トイレも縁の下には行かずに猫トイレで済ませ、すぐに子猫の許へ戻る。食事は摂らない、
私が心配になりミルクをスポイトで飲ませた。メルが子猫の時以来で、懐かしかった。
内心では反動を心配した、メルは熱中するが暫らくすると飽きるからだ。
メルが飽きる前に、仔猫達は嫁入りしていった。
三匹は親類へ一匹は私の友人の所へ其々貰われて行ったのだ。
案の定、メルは目の前で子猫が連れて行かれてもケロッとしていた。飽き始めて居たのだ。
父は「可愛いから一匹残そう」と言ったが、私が反対した。今はメルの母性が勝っているが、
親離れした子猫にヤキモチ焼いて大変な事になると思ったからだ。
その年の石榴、七個の収穫であった。
メルの収集癖はとてもマニアックである。
衣類交換で押入れの片付けをしていて気付いたのだが、押入れ箪笥と布団の間に何か挟まっ
ている、何だろう?
手を突っ込んで、引き出してみたら手袋の片方だけが出てくる出てくる、五十個ほど出て来た、
軍手も有ればお洒落な物、子供物も有り、私達家族の物も有った。
私達は「片方だけ無い、何処で落としたんだろ?」残った片手を処分してしまっていた。
今更、見つかってもしょうがないので処分した。
見覚えの無い片手で、まだ使えそうな物は、箱に入れてご近所回りをした「うちの猫が持って
来てしまいました、ゴメンナサイ、お宅の物は有りますか?」
「なあんだ、メルちゃんか?何で手袋なんだろうな?」
「たぶん、咥えて首を振ると指がバラバラに動くのが面白いんだと思います。また来ますので、
残った片方は処分しないでおいてください、それと干す時は洗濯挟みで吊るしてくださいね、
飛び付いてまで捕らないと思うのでお願いします」とお詫びして廻った。
メルも付いて来て神妙にしている。
「メルちゃんじゃ怒れないね」に頭を下げた。
「メルってオモシロい趣味だなァ、玩具か?」
どのお宅でも好意的に対応してくださった。叱ってもメルには理解出来ないだろう、飽きるのを
待つしかない。見つけたら返しに行こう、廻れるのは休日だけだ、五、六個になったら持ち主を
探しに行く事にした。メルの行動半径が解らない、三十軒位しか廻れないので、商店街の方達に
事情を話し、片方だけ手袋が無くなったらメルを疑ってくださいと伝えた。
「何故か両手は持って来ないんですよ、おじさんも気を付けてね」
「高級な軍手使って無いから心配しないで」
ご近所の手袋収集は一年程で飽きたようだが我が家では続いていた。
帰宅して手袋外したら、すぐに物干しピンチに吊るす、湿気も取れるので丁度良いが、それを忘
れる事の多い父が被害者だ。
その代わり、靴下は大嫌いだ。新品でも洗濯してあっても、メルの顔先にぶら下げると全身の
毛を逆立て「ギャー」と威嚇鳴き。
私に覚えは無いが、足で踏まれたり蹴られたりしたことがあるのだろうか。
メルだからこそ気が付いたのだろう、板張りの廊下の木に節が有り、そこから床下の風が吹き
込んで来る事に。
その節に爪を立て引っ張ったら、節が抜けた。
そこまでで止めておけば良いものを、空いた穴に右前足をチョンチョンしたらしい。覗き見はメル
の癖だ、そのうちに足を突っ込んで何か居るのかと探って、グルグル回った。
回り過ぎたのだろう、足首が腫れてしまい、穴から抜けなくなってしまった。
「ンガー、ギャン、ウー」と騒いでいる、いつもの関心引く鳴き方と、ちょっと違うので行ってみた、
私を見て「フニャー(どうしよう?)」「え?抜けないの?」「ニャッ」。
私が足を引くと痛がって鳴く、向きを変えてみたが駄目だった。母は入院中、父はまだ帰っていない、
こんな事を獣医さんに聞いても返答に困るだろう。
帰宅した父に様子を報告した。
「またメル事件か?」と呆れるが放っておく訳にもいかないと、現場を見に来た。
父が足を引いたら「ギャー」。どうすれば良いか二人で考えた。
床板外して、割るか切るしかなさそうだ。
「腹減ってる、おにぎり作ってくれ」
「解った」。急いでタラコと梅干のおにぎりをラップに包んで、味噌汁と現場に運んだ。
父は、おにぎりを頬張りながらどうするのが最善か考え、道具箱から釘抜きを使って隣の一枚をまず
外し、当該板も外し、鉈を使って割り、鋸で慎重に節穴を壊した。
「メル、やっと抜けたね、お父さんに感謝だよ」
救出作業の間メルは鳴きもせず震えていた。
私がずっと抱いていたので、床に降ろしたら三本足歩行。患部が腫れている、触ると
「ギャー(痛いの)」と鳴く。人間用塗布薬を付け包帯を巻いた、舐めてしまうからだ。
父は、ご飯のおかずで晩酌呑みながら「メルの好奇心どうにかならんか、律子の妹だろ」
「えェ、私のせいなの?メルは猫だもん」と抗議した、「貰って来たのお父さんよ」。
当のメルは包帯が気に入ったようで取ろうとはしない。三本足歩行で歩き回る。
父の傍で「ニャーン(ありがとう)」と甘え声。
「調子のいい奴だなあ」
十日経っても、三本足歩行だ、包帯を取ってもだ。私はイタズラを思い付いた、
左に包帯巻いたらどうするだろう?左足を上げての歩行をした。それでは、四本全部巻い
てみよう、父も「どうするかな?」と覗いている。
四本共巻き終わり、床に降ろした。
メルは「アン(どうして?)」と鳴いて硬直して歩けない。暫らくフリーズして、
横にドタッと倒れてしまった。もう一度立たせたが、横に倒れてしまう。
父と二人、涙が出るほど笑った。母が発病以来こんなに笑ったのは初めてだろう。
笑ってゴメンネ、全部包帯を外したらスタスタ自分のベッドに隠れて丸くなった。
メルにとって、包帯イコール怪我なのね?
母の入院は寂しいがメルのやんちゃに救われている、妹のように可愛いメス猫メル。
メルは来客が好きだ、本当は男性は嫌いなのだが、相手の反応を楽しむ為に誰に
でも近付き、お客さんの左膝に座り自分の左前足はテーブルに乗せ、お客さんを見上
げる、気に入った人には、右前足でお客さんの胸当りをタッチするのが定番スタイルだ。
頭を撫でられ目を細めてジッとしている。
中には猫嫌いな方もいらっしゃるのだが、メルはお構いなしに膝に乗る。猫や動物嫌い
の方は触ることも、動くことも出来ず怯えているだけだ。
「コラッ降りなさい」「ニャ(オモシロいんだもん)」私が抱き降ろすが、再び乗って
しまう。「わざとやって困らせているでしょ、止めなさい」「フンニャ(解ったよ)」。
お客さんが帰られる時も要注意だ。抱いていないと、その方が背を向けた瞬間を狙って
飛び乗るのだ。不意を突かれるので「ワア」となるのを楽しむメル。
玄関には、靴べらとエチケットブラシを常備してある。黒っぽい服の方に付いたメルの
毛を取る為である。
私が宿題に集中している時は、メルは少し離れて大人しくしていて邪魔はして来ない。
宿題が終わって、予習を始めると一度机に乗って来て「ニャー(まだなの)」
「まだ勉強中、遊ばないよ」諦めて机から降りる。それが、雑誌やコミック本だと解る
らしくて、遊んで攻撃が始まる。机の上で大の字に寝たり、雑誌を齧ったり、いつも最
後は辞典カバーに無理やり頭を突っ込んで大騒ぎ。
まったくう!
私のお使いに付いて来る事は前述の通りだが、どの店に行くかは解らないので、私の
後ろ一メートルをトコトコ付いて来る。
私は、メルを【お使い犬】のようにならない物か訓練してみようとチャレンジした。
赤茶の毛色に合うよう、黄緑のギンガムチェックに赤いファスナー、濃い緑の背負い
ベルトを手作りした。大きさは『焼き芋』半本が入るようにした、火傷すると可哀相な
ので、厚手のハンドタオルを入れた。私が八百屋さんに行く時は必ず背負わせて連れて
行き、おじさんに半本匂いだけ嗅がせてリュックに入れて貰う。帰宅したら三分の一を
餌皿に乗せてやる。八百屋のおじさんもノリの良い人で協力してくださった。
四、五回繰り返したら、メルは覚えた。パブロフの猫?
リュックの有る日は、私より先に八百屋さんに着いていて、おじさんに焼き芋半本入れ
て貰っている。他の野菜や肉屋さんに寄って買い物をしている間にサッサと帰宅している。
他の店にも知れ渡っていて、メルが居ないと「焼き芋買ってやったね?肉屋に来ないなん
て寂しいよ、何かあげようかな?」
「おばさん、それが無理なのよ、人間と同じ味付けじゃ駄目、葱類は駄目って獣医さん」
「そうなの?コロッケにもメンチにも玉葱入れてるしねー、残念だわよ」
「すみません」
「謝ることないよゥ、じゃ魚屋はどうしてるの?」
「入荷によるでしょ?買う物決めないで行くし、干物類の塩分が駄目だし、幾つもはメル
が混乱するわ」
「一番、縁の無さそうな八百屋の客かあ?」
「リュック背負わせると、先に行ってるの」
「可愛いねー、うちの猫も犬も面白味がないわ、どうやって育てると、ああなるんだい?」
「やだ、おばさん、私何も教えていないわ、ユニークな性格だから、焼き芋だけ躾けてみたの」
包帯イコール怪我だから、リュックイコール焼き芋って刷り込んでみたのだ。
家に着いたら、メルがリュックと格闘していた。ファスナーの開け方は教えて居ないのだ。
「ンニャッ(出て来ないよ)」
「はいはい、今出してあげるわよ」。
母が在宅なら、遅れて戻る私が着いた頃には既に食べ始めている。残りは明日ね。
私が持ち帰った半本は、母と分け合って食べる、人間のおやつだ。
何度もやったので、メルだけで出来るかしら。リュックにお金とメモを入れ玄関から出すが
戻って来てしまう。
「ニャーン(独りじゃ嫌だよ)」
犬じゃないから無理か?諦めた。
メルが焼き芋が食べたいサイン、リュックを探しだして咥えて来るようになった。
「ニャアアン(行こうよ)」
八百屋のおじさん「ッらっしゃいメル様!」
メルは人懐こいが、嫌いな人も居る。雄猫も嫌いだが、人間の男性も嫌い気味だ。
例外は父と、八百屋のおじさんだ。
「ファーッ」と毛を逆立て嫌うのが、従兄弟の裕一お兄さんだ。
私に抱かれていても、裕一お兄さんが玄関入っただけで勢い良く逃げ出す。
縁の下へ潜り込んで、裕一お兄さんが帰るまで姿を見せない。食べ物で釣ろうにも姿が無いの
で無理だ。相性が悪いのだろう。
四、
私に付ききりで離れず、外出にまで付いて来るメル。普通の登校には付いて来ない、
玄関の上がり框で、「ニャン(行ってらっしゃい)」
「行って来まあす」母不在の時は施錠。
遠足で校庭集合の朝は付いて来る、追い返しても無駄だ、校庭を一走りして私の後ろに整列、
同学年の子、先生は私の飼い猫だと知っているし、追い返しも無駄な事も知っている。
冗談の通じる先生は点呼の後、「三十八名と一匹、シュッパーツ!」と言ってくださる。
徒歩遠足は付いて来る、テリトリー際で戻って行く、ホッとすると同時に可哀相にもなる。
バス遠足なら諦めが早い、バスの扉が締まると同時に家の方に一目散だ、轢かれる心配無。
修学旅行は駅のロータリー集合、駅まではバスなのだが、メルと擂ったもんだで遅刻しそう
になり、父の車で送ってもらった。
以降、父の車で外出する時は諦めて、門柱の上から見送ってくれるようになった。
私は十八歳となった、メルとの生活は六年目だが、進学の為上京することとなった。
前日、ダンボール箱三つ宅配便で送ってある。東京までの指定券は父が買って渡してくれた。
後は、メルとの別れをどうするか。
夕食はいつもと違う雰囲気だが、贅沢な食卓。
鯛、鮪、ハマチ、海老、帆立、イカ、タコの盛り合わせ刺身だった。両親が奮発してくれた。
父は一杯呑みながら「病気、怪我に気を付けなさい」と『家内安全』の御守をくれた。
「ありがとう、頑張って来るね」と受け取る。
母も在宅していた「お母さんが心配」。
「それよりもメルが心配だ」と父。
修学旅行で二泊留守にした間、落ち着きをなくしたようだ。
長期、夏休みまで帰省しないのだ、どうなるのだろう。
メルにも好物の刺身を与えたが、気のせいかいつもの勢いだは無いよう感じる。
いつもなら「ニャー(もっと頂戴)」なのだが催促して来ない。何かを感じているのだろう
ウロウロもせずに神妙だ。
「夏休み帰って来るからね、悪戯しないで」。
どこまで伝わっただろうか。
朝起きたら既に、居なかった。どこ行ったのかしら?食卓の片付け済ませても、メルは
戻って来ない。
出発の時間、母が玄関で「行ってらっしゃい」。
車が門を出る時、父が指差した、門柱の上にメルが居たが、敢えて窓を開けなかった。
無事着いたと報告電話した後、一ヶ月位して母から電話が入った。
「慣れた?ホームシックになってない?」と。
「どうにか慣れて来たわ、友達も出来たし、アパートの近くにお店も有って不自由なし」。
「それは良かった。こちらはね、メルが臍を曲げたままで手をやいているわよ」
「え?一ヶ月も経つのに?」
「そうなの、ムニャムニャ文句言ってる」
「慣れるの待つしかないわね」
「そうね、元気でね、またね」
夏休みに帰ったら一日目は「ムニャムニャ(何処行ってたのよ、待ったわよ)」と煩い。
素直に近着いて来なかったのだが、夜、布団に横になってから枕元で丸まりゴロゴロ喉を
鳴らして煩くて寝付けない程だった。
翌朝からベタベタに大甘えで纏わり付き歩きにくくてしょうがない。
終日、付き纏い離れようとしない。浴室にまで・・・。
久し振りに、シャンプーしてやった。
お土産に持って来た猫缶、ネコクッキーも気に入ってくれた。
近所に買い物に出ると、以前のように付いて来る。八百屋さんに寄ったら、サッと私を追
い抜いて入って行き「ニャーン(焼き芋くださーい)」とねだる。
真夏だ、店頭で焼き芋は作って居ない。
「おや、りっちゃんお帰り夏休みかい?残念だなあ、お得意様のメル様の注文に答えら
れねえよ」
「おじさん、解っているわ、メルの好物、他にも有るのよ、かぼちゃならあるでしょ?」
「あァそうだったな、メルちゃんかぼちゃにしておくれ」
「アン(解った)」
他の野菜も買い、次は魚屋さんに行く、メルは入り口の端で神妙に座って待つよう躾けてある。
「ッらっしゃい!りっちゃん夏休みだね?暫らくこっちだろ?」
「二週間位しか居られないの、アルバイトで家庭教師してるからね」
「家庭教師?」
「夏休みの宿題、中々自分でやらないから」
「そうか、アルバイトの掻き入れ時だ」
「はい」
「生活費の足しになるもんな、頑張れ」
「ありがとう、焼き魚に何が良いかしら?」
「鮎が一押し、天然物だよ」
「鮎?美味しいけど高いでしょ?悩むわ」
「久し振りのりっちゃんだ、マケておくよ」
「じゃ、鮎にします。香りも良いもんね」
「まいどっ、お母さん居るのかい?」
「はい、自宅療養しています」
「それは良かった、一尾おまけだっ、お父さんのおかず用と肴だ」
「嬉しい、ありがとう」
塩焼きして頭も食べられる魚だが、一つか二つはメルが食べるのだろう。
メルが珍しく私の歩道側をトコトコ歩く。
家に戻って、献立を母と相談。モチロン鮎は塩焼きだが、かぼちゃ、なす、
シシトウ、玉葱人参三つ葉のかき揚げ、オクラの味噌汁。
「天ぷらは、大根おろし、天つゆで食べましょう、天ぷら久し振りだわ、
病院のは不味くてね。真夏の揚げ物大丈夫?」
「よし、頑張る」
「ニャ~ン(頂戴よう)」に根負けして、少し冷ましたかぼちゃの天ぷらをメルの皿に
乗せた。前両足で立てに挟んで「ハフハフ、ゴロゴロ」なんとも賑やかなメルである。
「煩いから、どっちかにしなさい」
暫らくして父が帰宅した「暑かったからな、ビール冷えているか?」
「勿論よ、先に汗流して来て、その間に出来上がるから」
「今日はご馳走だな?」
「そうよ、魚屋さんで鮎、おまけしてもらったの、お父さんだけ二尾よ。野菜天ぷらも
揚げてる最中よ」
「楽しみだ、天ぷら久振りだぞ」
「すみませんね、二人分揚げるの大変なの、余ってしまうもの」
「そうか、文句言ってる訳じゃない」
「ほら、早くシャワー入って」
「解ったよ」
「サクサク揚げたて、焼きたて食べましょうね、メルは先にかぼちゃの天ぷら一つ食べて
いるから、ねだられても鮎の頭一つよ」
メルに甘い父に話しておいた。
一日おいて、夕食の味噌汁の具に、中途半端に残ったかぼちゃと玉葱にした。かぼちゃに
先に火を通し、二切れをメルのお皿に。
二週間はアッという間に過ぎ、帰京する日がやって来た。
一昨日からメルの様子が変だった、落ち着きがない。
寝ていてメルを抱き締め「ゴメンネ、今度は暮に帰って来るからね、お土産楽しみにして
いてね」に大きく喉を鳴らした。
朝からメルが居ない、父の車で駅まで送ってもらう時、また門柱の上で寂しそうにして
いる姿を見つけた。
そのような事を数回繰り返したが、別れにメルは慣れてくれなかった。
母に電話した時、用件を話し終わろうとした瞬間「ミャーゴ、アァン」の大きな声がした。
母が「この所、メル落ち着かないの、寝るのも自分のベッドじゃなくて、押入れに侵入して
律子の布団の上で寝てるわ、布団がメルの毛だらけになるので、大判の風呂敷で包んだのよ、
電話替わるからね」
「メル、メル、寂しがらないで。お母さん困らせないで、もうすぐ帰るからね」
「ニャァン」受話器から聞こえた。
以降、落ち着いたが、電話が鳴ると部屋中駆け回って大騒ぎだという。受話器を取り、相手の
確認をして「律子じゃないよ」と手を振ると静まるらしい。
「貴女の様子も知りたいし、メルが寂しがっているから、もっと電話して来てよ。
夜の八時に決めない?電話を通しても、律子の声は解るのよ」
「解ったわ、八時ね?」
私は大学卒業後も東京で就職し、帰らなかった。Uターンしたかったが、四年制大学卒の女
子の就ける所が無いのだ。
幾つか資格取得して、男社会で頑張った。
その資格を活かして転職することにした。報告に帰省した。メルは狂喜乱舞して歓迎してくれる。
帰省して良かった。
メル十三歳、老猫の部類かな、でも元気だ。
猫缶も老猫用の物を買って来た。
私にとって、メルの存在は大きい、母の居ない寂しさを埋めてくれた、イタズラして笑わせて
くれた、一緒に暮らしたのは五年だが・・・。
「メル、長生きしてね」
「ニャ(モチロンだよ)」
転職の報告の後、父から「俺も今年秋、停年だ、次の仕事は関連会社に行く事になってる。
その勤務先とお母さんの病院は近いんだよ、考えたんだが、この家売って、通勤通院に便利なところ
に引っ越そうと考えている、家は古くなって価値はないが、土地は二百坪も有るし、場所柄も良い。」
「良いんじゃない?便利が一番よ、引越しの日が決まったら、教えて、手伝いに来るわ」
「手は足りる、非力な女に用はない、転職して、一年はなるべく休まない方が良いんだ」
お盆休みに帰省し、段ボール箱詰めをして帰京した。
二ヵ月後、無事引越し終わったとの電話を受け安堵した。
暮に、両親とメルのお土産を買って帰省。
駅に迎えに来てくれた父と、転居先に初めて行く。少し前に退院していた母の様子も聞いたが芳しく
ないらしい、心配だ。
夕食を作る私の傍に母が来て、ソワソワ落ち着かない様子、具合悪いのかな?
「どうしたの?」
「ご飯の時、お父さんが話すわ」
「メルー、あれ、メルは?」
「それも、お父さんが・・・」
父は「今夜は呑まない」珍しい事を言う。
「あら、一緒に呑もうと思って少し高目のウイスキー奮発して来たのに、呑もうよー」。
「話が終わってから頂くよ」
「話って何?メルーメルー」
「済まん、メルは居ないんだ」母の目に涙。
事情を問うたら、引越し当日、母が抱いて居る処に、従兄弟の裕一がやって来た、逃げようとする
ので、ギュッと抱き締めたが、母に抵抗し爪を立て、外へ飛び出したきり戻って来ないと。
「頼んでも居ないのに裕一が来たのが悪い、元々、メルは裕一を嫌って居たんだ」
「良かれと思って、手伝いに来たんですよ」叔父、甥の諍いだ、本当は母が一番怒っていたのだが、
夫の親類関係が拗れると思って、宥め役に回っている。
当日の夜、父は元の家に行ったが、戻って居なかったと。
「近所の人や、商店街の人に、見掛けたら教えてくれるよう頼んで来た、時々俺も行って呼ぶんだけ
ど現れない」
「じゃ、私明日行って呼んでみるわ、メルの行きそうなところも」
私も、裕一とは反りが合わない。
翌日から三日続けて探しに行った。私の声が届けば必ず出て来てくれる筈。
「メルー、メルー(出ておいで迎えに来たよ)」。
商店街も回った、皆さん気の毒そうに、声を掛けてくださる。
父が「諦めてくれ、三ヶ月経つんだ、どこかの家で飼われていれば、それで良い。
おそらく亡くなっていると思う。メルも老猫だ寿命だったと思ってくれ」
十二月三十日、形ばかりの通夜と告別式を行った。私に抱かれたメル三歳位の写真。
母が洟をすする、父も涙目だ。
お土産の猫缶、またたびの瓶詰、ミルクを供えて、思い出話をした。
メル、十四年間ありがとう、メルのおかげで私は救われたよ、楽しかったね。
天国と話せる電話が有れば良いのに。
メル以外の猫を飼おうとは思わない。 合掌。