第八話 これまでと、これから
昼飯を食べたあと、セレナは俺のベッドで寝てしまった。
大人数と騒ぎまくって疲れたのだろう。
俺はむしろ寝過ぎていたぐらいなので眠気はないが、体は鉛をつけたように重い。
外に出て運動はしたくない。
なので、貸与された自室で、魔法の練習をすることにした。
「……『我、水の精霊に願う。大気に脈打つ水のうねりを束ねて雫と成せ』」
「『我、水の精霊に願う、宙舞う水の粒を一つに束ねよ』」
「『我、水の精に願う、水出でよ』」
練習内容はいつも通りである。
最初、一言一句をはっきり発音して呪文を唱え、それから徐々に呪文の節を減らして、詠唱を短縮していく。
変形しているように見える節は、日本語に最適化するとそうなるだけで、実際はさほど変化はない。
それと、詠唱の最後の一節『結唱』は唱えない。
あくまで魔力の流れを確認するだけだ。
間違えて最後まで魔力を通してしまったら床がびしょ濡れになるからだ。
「『我願う、竜渦よ』」
それが終わったら、右手と左手で反対属性になるように二つ作り出す。今回は水と風だ。
反対属性というのは、火と土、水と風といったような、一方が他方に対して有利にならない対になった属性同士のことをいう。
また火は水に、水は土に、土は風に、風は火に対して不利属性だ。
有利属性は、その逆となる。
で、その作り出した魔法と魔法とを衝突、相殺させる。
反対属性の魔法がぶつかったとき、魔力がほぼ同程度であれば、何も残らず消滅する。
これも物理的に考えると不思議だ。
なんで土と火、水と風同士を当てると消滅するんだろうか。
有利属性と不利属性がぶつかると大抵は前者が勝ち残るが、不利属性の威力が相応のものであればこれも相殺が起きる。
また、相殺が起きず、逆に有利属性が不利属性を吸収してしまうという現象も多分にある。
火を水で消すぐらいなら分からないでもないのだが……全く以て不思議だ。
魔法の残骸物質が残らないと楽なので、別にいいのだが。
一通り詠唱短縮を復習したら、次は魔法を再構築してみる。
励起させた魔力に、自分で曲がり角を加えたり交差させたりして魔法に変化を加えていくのだ。
この際、慣れた普通の魔法より多くの魔力を消費するため、失敗や暴発したときの規模も大きくなる。
なので、右手で魔力を操作している間は、常に左手に有利属性魔法を待機させる。
ちなみに、不利属性が有利属性に打ち勝つには、約三倍の魔力が必要になる。
今日は右手に火の魔法を待機させつつ、左手で風の魔法をいじってみた。
空を飛んでみたいという兼ねてからの願望がそうさせるのだ。
中々上手くいかないが。
それと、昨日人攫いに手も足も出なかったことを反省して、妨害や足止めの魔法改変にも挑戦した。
俺は、魔法が使えることを知られた時点で優位を失ったと考えた___魔法を使えると知られていない、それだけがアドバンテージだと思い込んでいた。
だがよく考えれば、手札を知られただけで失ったわけではなかった。
詠唱短縮も立派な切り札だ。
人攫いに見つかったときの間合いならば、がんばれば三回ほど魔法を使えた。
俺の魔法は、単発あたりの威力が低い。
また、速度も遅い。
だから直接的な攻撃には向かない。
ならばその三回で、より効果的に妨害する手段があれば……五感を潰して、足を止めて方向感覚を狂わせれば。
あるいは、俺一人でもどうにかできたかもしれない。
そんなわけで、魔法を組み合わせ、または今までに考え出した魔法改変を応用できないかと試行錯誤を繰り返した。
結果、全属性に渡っていくつか妨害の手を思いついた。
妨害というか嫌がらせである。
俺が妨害される立場なら、どんな魔法が、どんなことが嫌か。
それを基準に考えた結果であった。
一年ほど前までは、ここらへんで魔力が底を尽いた。
が、魔力が切れるまで魔法を使うことを毎日のように繰り返してきたからか、今現在も俺の魔力は増え続けており、最近はほとんど魔力切れが起きない。
直近で魔力切れを起こしたのは、つい昨日___正体不明の魔法を使ったときだ。
残った魔力を持て余す手はない。
そんなわけで、いつもの魔法特訓内容に、新しい項目が加わった。
すなわち、例の『白魔法』の練習だ。
未だに何がどうなってあんな意味不明の魔法が発動できたのかは分からないが、きっかけは間違いなく『詠唱なし』の部分だと考えられる。
なぜそう思うのか。
この三年間で分かったことだが、属性魔法は、どうやら詠唱なしでは絶対発動できないようだからだ。
地水火風の四属性を魔法で発現する場合、必ず一言、その魔力を体内から呼び起こすための言葉がいる。そのキーワードがないと、まず魔力の操作自体ができない。
呪文は回路であると同時に、スイッチなのだ。
生み出したい属性の呪文を唱えて、そのための魔力を引き出し、回路に沿って腕を伝わせ、初めて魔法という形になる。
完全な詠唱破棄はおそらく不可能だ。
これからも練習はするが。
白魔法は、この魔法の根底を覆す___というより、そもそもが全く別の仕組みで発起する現象のようだ。
今まで培ってきた魔法の知識が全く通用しない。
魔力を使った現象なのかどうかも分からないから、再現のしようがない。
……いや待てよ?
昨日の、白魔法を使った直後の魔力切れ。あれは本当に魔力切れだったのか?
確か魔力切れの症状は、主に頭痛だ。
それが行き過ぎるために起こるのが失神である。
他に、体温の急上昇などがあったと思うが。
吐き気やめまいは、ありそうだが、魔力切れの症状としては適切ではなかったはずだ。
となると、あれは魔力切れではない?
魔力を使った現象ではない……というのは、あながち的外れな予想というわけでもないのか?
「……ふぅ」
などと考えつつ、いつもの魔法訓練に三時間、更に白魔法の挑戦に二時間を費やした。
あれこれ試したが、結局再現できなかった。
まず、白魔法を魔力を使った現象と考えた上で、呪文なしで魔力を引っ張り出そうとしてみたが、さっぱりだった。
あのときはどうやったんだかと思い出そうとしても、手に甦るのは血と肉の生々しい嫌な感触ばかり。
まったく、あの人攫いも厄介な置き土産を残してくれたものである。
「疲れた……もふもふ」
「……ふみゅ」
セレナの尻尾や獣耳をもふもふして疲れを癒していると、彼女が半目を開けた。
起こしてしまったようだ。
「眠れた?」
「……ん」
口の中に髪の毛が入り込んでいたので取り払ってやると、セレナは俺の手にすりすりと頬を擦り寄せてきた。
好感度の上昇が天井知らず過ぎて、ちょっと焦る。
転生したというだけで、俺自身そんな良物件であるという自信は全く無い。
懐かれるのは全然構わないんだが。
俺でいいんだろうか。
「……んんー」
「ん?」
「すきー」
ふにゃふにゃ笑いながら、寝ぼけた声でそう言うと、セレナはもぞもぞと俺の股間に顔を突っ込んできた。
すきーって、俺の股間がか。
そこに何を求めているのだろうか。
もちろんナニ___とか言わせねえよ、と勝手に起動しかけた小説脳を即座にシャットダウンさせる俺。
ひどい一人芝居である。
兎角、あらぬ誤解を招きそうな絵面だが、いかに相手がかわいいケモミミ幼女でも流石にこの歳で性的に興奮したりはしない。
将来有望そうなので唾付けとこうとは思っているが。
いくらなんでもこの歳で……
(……ちょっと待て)
なぜ無駄に踏ん張ろうとしているのだ息子よ。
前の世界では確かに、お姉さんより年下の画像を好んで夜のお供に選んでいたが、年齢一桁は問答無用のイエローカードだ。
また、セレナの純粋な好意を仇で返すので加えてもう一枚。
合わせてレッドカード。
俺はこの世から退場すべきか。
孤児院では、九歳以下は大体みんなまとめて同じ風呂に入るし、レイチェルのパンツが突然目の前に現れるなんてことも日常茶飯事なのだが。
全て仏の如き顔で見守っていた。
涅槃にいた。
完全に菩薩だった。
しかしそれはまやかしだった。
ここに来て、解脱し切れていない自分の心が露呈してしまったのだ。
なんてことだ。
だから俺は輪廻転生で人間道からこの世界に、修羅道に落とされたのか。
なんてことだ……。
……いやだから黙っててくれ小説脳。
六道の知識とか引き出さんでいい。
(汚れた大人でごめんな……)
節操なしの下半身を鎮めながら、俺は心の中で泣きながらセレナに謝っていた。
***
と、そんな阿呆らしい思考も。
魔法の練習をしている間に、色々と難しく頭を働かせた反動なのかもしれない。
並行して考えていたのだ。
みんなに魔法を見せ、賞賛を浴び、しかしつまらなそうな顔をする心の中の自分。
その違和感の輪郭がぼんやりと掴めたような気がした。
同時、今まで俺が無意識に魔法を見せまいとしていた理由も理解できた。
前世と同じだ。
これでは、俺は『伸びない』。
前の世界で、幼少期では割と何でもできた俺は甘やかされて育った。
中学高校大学と進学してきて、勉強しろと言われたこともない。自ら進んで始めてきたからだ。
成績もそれなりに取れた。
すると両親は、言われなくてもやるだろうと思い込み、何も言わなくなった。
自分で継続できる力を持っている人なら、それでも着実に実力をつけていくだろう。
だが俺には、その力がなかった。
だから、言われなくなると、やることから徐々に中身が抜けて、最終的にはやっている格好だけを保つようになる。
そんな自分を自覚しながらも、下には下がいる、まだ巻き返せる、と無理やりに自分を納得させた。
結果、勉強も部活も中途半端に終わる。
最後に残るのは、劣等感と後悔だ。
「……」
両手に目を落としてみる。
俺は『五歳で自在に魔法を操る』という、優秀な一面をみんなに見せた。
精神年齢が二十年を回っているのだから、当然のことをしただけだが、もちろん周りはそうは思わない。
多分、色々と期待されるかもしれない。
同年代の子供と比べ、現時点で俺は一線を画するレベルで優れているから。
同時に、それはほぼ常に他人の実力の上を行くということでもある。
もし前世の記憶を持ち越さずにこれだけのことができていたら、他者を上回っていると自覚する度に、俺は増長しただろう。
そして前以上に努力を怠り、瞬く間に下へ落ちていったろう。
要するに、ここからは。
他の誰でもない、自分との勝負になる。
褒められても、貶されても、絶えず自分を磨き続けられるかどうかなのだ。
力をどこまで伸ばせるか。
それはどれだけ意識の高さを維持できるかに直結する。
俺は転生者というアドバンテージを有しているが、才能ある子供はその優位をひっくり返す勢いで成長する。
そんな存在が身近にいればいいが、やはり現実はそう上手くできていないものだ。
俺は常に自身を謙虚に保ち、上を見ず下を見て油断しようとする自分を超えていかねばならない。
おそらくは、そうして成長した先に、俺が思い描く理想があるのだ。
どんな形なのかは自分でも分からんが。
思ったより道のりは遠そうだ。
ともあれ、こうして自分の中で結論付けることができたので、喉に引っかかっていた魚の骨が取れたような気分である。
てか、人を殺したことをあまり引きずっていない自分がちょっと不思議だった。
あれから一日しか経っていないというのに、呑気に自分の将来を心配していられるほど俺はドライな人間だったのだろうか。
白魔法の練習もそうだ、もうちょい抵抗があるかと思っていたが……存外気にならないものだ。
気付けば夕方である。
にしても、みんなの帰りが遅い。
術導院への報告が手間取っていると考えれば、バイロンが中々戻ってこないのは分かるのだが、昼飯を食いに行った連中はどうしたのだろうか。
何かあったのかもしれない。
それこそ誰かが攫われたりだとか。
ちょっと心配だ。
まあでも大丈夫だろ、と楽観しつつセレナに魔法を教えたりして遊んでいると、不意に彼女の狼耳がぴぴんと動いた。
「……える、外」
「うん?」
セレナレーダーに何か引っかかったらしい。
孤児院のみんなが帰ってきたのかと思ったが、どうも様子が違う。狼少女を連れ立って部屋を出て、階下に降りてみる。
早めに仕事を終えた人や、夕飯を食い始めている客が散見されるが、特に異常はないように見える。
しかし、何かしら変なのが近くにいるのは間違いなさそうだ。
狼少女の耳がへにょりと萎れている。
「なんだ……?」
予想は過たず的中し、まもなく宿の外から騒がしい音が聞こえてきた。
イーナが不思議そうな顔をして窓から外を覗いている。
次の瞬間だった。
本日二度目の大砲のような音がして、宿の入り口が開けられた。
セレナが飛び上がって俺に縋り付いた。
イーナも飛び上がって窓枠に頭をぶつけていた。
ドガッと非常に痛そうな音が響く。
「……」
俺は新手の闖入者を見ていた。
入ってきたのは、やたら目立つ銀色の鎧に赤マントを羽織った騎士の男だった。
それと、その後ろから、やや鈍い色の鎧を着た兵士が二人。
まだ成人に満たないレイチェルはともかくとして、いい大人が今みたいなドアの開け方をするのはどうかと思うが。
凍りついたような静寂に包まれた宿の中を見回して、男は俺に目を留めた。
そしてこちらにズンズンと歩いてきた。
面倒事な予感がする。
「トゥエル・エルフィアだな?」
俺の姓はいつからエルフィアになったんだろうか。
シェイラの孤児院にいるからか。
「……はい」
孤児院のみんなが帰ってこないのと、何か関連しているかもしれない。
一応正直に答えると、男は猛禽のように目を細めた。
「術導院まで来てもらおう。貴様には殺人罪の容疑がかかっている」
ほらやっぱり変なことになってる。
俺は床に目を落とし、ため息を吐いた。