第四話 お持ち帰りされた五歳児
昼ご飯は、切れ目を入れたバゲットに肉の串焼きを挟み込んだ、ホットドッグみたいなものだった。
孤児院ではもっぱら、野菜と肉(比率9:1)の鍋とかスープばかりだったので、その反動もあって超絶美味しく感じた。
そう、肉の話のついでに、少しこの世界の食事情について補足しよう。
食べられているのは主に『百獣』に分類される魔物と、様々な野菜類である。
野菜はともかく、魔物の分類というのは、言わば個体ごとに定められた強さの隔てりのようなものだ。上から順に『神獣』『霊獣』『王獣』『仙獣』『聖獣』『魔獣』『百獣』ときて、最後に『獣』とくる。
獣級の魔物、と言えば、そこらの子供でも狩れるような小さい虫たちのことを言う。
百獣級の魔物はそこらの一般男性が普通に狩れる程度の強さであり、魔獣級、聖獣級になると騎士や開拓者といった専門職が駆り出される。
王獣級ともなると、魔法剣無しでは歯が立たないぐらいに強いらしい。
孤児院から街にかけて続く道で姿を現した魔物は、全部百獣級だったようだ。
さらに深く切り込むと、高位の魔物と人とが交わったことで生まれた種族について話が発展していくのだが。
まあ、この辺りについては俺もまだ詳しくないので、次の機会に譲ることにしよう。
昼飯も食い終わったところで、俺たちは街をぶらついて色々なものを見て回った。
もっとも、この辺りは賑やかな街の喧騒に混じって奴隷商人やスリ師などろくでもない人間も徘徊しているらしく、俺の前後左右をみんなが警護した。
何だか有名人にでもなった気分だ。
苦労をかけるね君たち。
まず最初に、本屋に行った。
本は孤児院に山ほどあったのだが、どうもあれは全て中古品だったらしい___というのも、新品だと目玉が飛び出るくらい超高価なものだったのだ。
通貨は『リン』という単位の、青銅や銅、鉄、聖鉄、銀、金で作られたコインや板状のものを使う。
青銅〜聖鉄までは七枚で両替することができるが、銀は聖鉄十四枚、金は銀二十一枚の価値となるらしい。七の倍数なのは、絵本に語られた英雄の数にちなんでいるようだ。
数に入れてすらもらえないとは、哀れ、火の英雄のお弟子さん。
で、具体例を示すと、ホットドッグもどきが銅一枚。
俺も世話になっている魔法の教科書は一冊で銀一枚だといっていた。
銀は銅の七の三乗かける二倍の価値であるから、パンを百円とすると、教科書は七万円近い計算となる。
クソ高い。
立ち読みしようとした俺の手をエルシリアが慌てて押し止めたのも分かる。
本の生産は、術導院という教育施設が行っており、版権を独占しているらしい。日本では女性の化粧品とかがメチャ高いが、あれと同じようなものか。
ちなみに、本屋の次に行ったのは、その術導院というところだった。
街のかなり奥のところにあった。
前世でいうところの学園と冒険者ギルドを合体させたような感じの施設だ。
かなり広大な敷地に、グランドや特別な設備を備えた国会議事堂みたいなのがずどんと腰を据えている。満五歳、かつ金さえ払えれば種族によらず入学できるのだとか。
推薦制度もあるらしい。
魔法や剣術から、算術、文法、天文学など多岐に渡る授業項目がある。
また同時に、一般から様々な依頼を受け付け、それらをまた公共に公開して、解決のための仲介を行っている。
依頼を無事達成した人には、依頼人から報酬が渡される。その途上で発生した手数料が術導院の利益となるわけだ。
先ほどちらりと記述したが、開拓者というのは、この依頼達成を主な収入源としている者たちのことを言う。
本の版権といい、中々あこぎな商売をしているようだ。
実際、この街の経済は術導院を中心に回っているようで、至るところで術導院の名を目にすることになった。
オルレアン術導院というらしい。
聞いてみれば、街の名前も『オルレアン』と術導院にあやかっていた。
いや、逆か?
術導院が街の名前にあやかってるのか。
いやまあどうでもいいが。
いずれにせよ、フランスの聖女が微妙な顔をしてそうだ。
と、一日の大半はほとんど本屋と術導院で時間を消費してしまった。
お金に余裕があるわけではないので、何か買ったわけではない。
だが、個人的には大満足の一日だった。
ご飯も美味しかったし、見るもの聞くもの全て新鮮で、狭い世界に埋もれていた頭と心が外に解放されたかのような。
この後に誕生日会があることだって、ほぼ忘れていた。
今日のお出かけで十分すぎるほど幸せなのに、この上みんなからお祝いされるとなれば涙腺崩壊待ったなしだ。
そう___何事もなく、全て平和に終わってくれれば、良かったのだが。
***
帰路に着こうと、オルレアンの街の門前に戻ってきたところだった。
時刻は夕方で、街の賑わいも落ち着き、人の往来も減少してきた頃合いだ。
「……しっ」
俺はレイチェルに肩車されてご機嫌だったのだが、ダンの警戒の声で急停止した彼女の上でつんのめり、転げ落ちそうになった。
「エル、ちょっと隠れて。私の後ろに」
「あ、はい」
レイチェルがしゃがみ込み、俺はいそいそと降りた。
なんだろうか。
周囲を見回してみても、妙なものや危険そうな人などは見当たらないのだが。
「……ダン兄?」
「分からん。だけど、待ち伏せにしちゃ様子が変だ」
どうやら要撃を目論む誰かさんが隠れているらしい。
感知や索敵、といった魔法はこの世界には存在しないそうだが、ある程度経験を積んだ剣士は気配___汗の匂いや足跡、風の乱れを察知し、敵を見つけることができる。
ダンたちがそういう訓練をしているところを、何度か見たことがあった。
体を動かして戦いに意識を特化させていくと、段々野生的な方向に本能が傾いていき、そういう能力を得る。
これを習得するのは、大体十五歳くらいだという。
ダンは環境的に、通常より魔物と戦う機会が多かったため、早く習得できたらしい。
必要に迫られると体の覚えも早いというのは、俺も知るところだが……俺も覚えられるんだろうか。
「剣は抜かなくていい……けど、警戒はしといてくれ」
ダンはそう言って、剣に手を添えたまま、前門へ歩き出す。
年齢十代とは思えない甲斐性だ。
俺はレイチェルの後ろに隠れつつ、小走りにしんがりを進んでいた。
異世界バトル小説などでは、人が新幹線みたいな速度で走って剣を打ち合ったりしているが、こちらではそうでもない。
一時的に身体を強化する魔法はあるようだが、肉体的に長時間耐え得るものではなく、瞬間的に使うものであるらしい。種族によっては、体が頑丈だったりで長く使うこともできるようだが。
あくまで常識の範疇の動きで、走り、剣を振り、ステップを踏んで、戦うのだ。
その分、この世界の戦闘は、より身近で、より現実味のあるものに見える。
「……」
ダンが立ち止まり、進行を手で制した。
さすがの俺も、ここまで来れば、まもなく差し掛かる裏路地からきな臭い空気を感じ取らないわけにはいかない。
たぶん、ダンが警戒しろと言わなければ気付きもせず進んでいただろうが。
「誰だ! 隠れてないで出てこい!」
トミーが威勢良く叫ぶ。
潜んでいる相手が子供にせよ大人にせよ、相手を刺激しすぎると痛い目を見るのではと思うだろうが、それは間違いだ。
日本と違って武器が手に入りやすく、また身体能力が魔法や魔力で大きく左右されたりしないとなれば、俺たちのように武装した子供を大人がねじ伏せるのは前世のそれ以上に難しい。
よしんば前線を突破しても、その後ろにはレイチェルとエルシリアが控えている。
降り注ぐ魔法の雨。
敵は丸焦げになって終わりだ。
魔法剣でも使えるのなら話は別だが、そんなちゃんとした剣士なら、わざわざ姿を隠して子供を狙ったりはしない。
だから、この場において下手に出るのは、むしろ愚策なのだ。
トミー君がんばってくれたまへ。
「……斬っていい?」
「おいガス、まだ剣は抜くなって」
「撃っていい?」
「ダメだっての、エルシー」
「あそこ更地にしちゃダメ?」
「自重しろ爆撃女」
ガストンはすでに剣を抜き、エルシリアもレイチェルも、手に魔力を集中させながら、路地裏を睨んでいた。
それを諌める冷静なダン兄様。
……いや、他が好戦的すぎなのか。
「このまま動きがなかったら、いったん退いて、騎士を呼ぶ。それでい___ッ!?」
何を感じ取ったのか、ダンが急に俺の方を振り返った。
違う、俺ではない。
俺のさらに後ろの方を見ている。
と同時、俺は裏路地からフードをかぶった黒い影が飛び出すのを見た。
咄嗟に『前っ!』と叫ぼうとするが、それを上書きするようにダンが叫ぶ。
「馬車だ、避けろ!」
次の瞬間、今まで何故気付かなかったのか不思議なほど大きな音が背後に響く。
反応できない俺をダンとトミーが突き飛ばし、女子二人も転がるように道の横に倒れ込んでいた。
同じく転んだガストンの手から、鈍色の剣がすっぽ抜けて地面に落ちた。
鼻っ面をしたたかに打ち付けた俺は涙目になりつつ、顔を上げようとしたところで、
「___わぷ!?」
埃っぽい麻布みたいなものが視界を遮り、そして全身が浮かんだ。
どういうわけか、俺はその状態のまま移動し始めていた。
じたばたと暴れてみるが、すぐに誰かから殴り付けられたので大人しくする。
その辺りになって、俺は自分が何かしらの袋のようなものに押し込められ、現在進行形でお持ち帰りされているのだと気付いた。
誰が?
どこへ、何のために?
嫌な予感がし、腹の底に冷水を放り込まれたかのような悪寒が走った。
ダメ元でまた暴れてみるが、今度はさらに強く殴られた。
気付いたところで何もできやしない。
がさごそと耳障りな音の中に、ダンたちの声が遠くで聞こえた気がした。
***
袋詰めにされ、場所も方角も分からないまましばらくの時間が過ぎた。
途中、馬車のようなものに放り込まれて、また小一時間。
突然乱暴に地面へ降ろされ、外から何やら男の声が聞こえた。
「ふう、着いたか」
「今日の獲物はどうだ?」
「見ての通り、ガキ一匹だ」
「……おい、ちっさすぎねぇか?」
「ああ、まあ活きは悪そうだが、調整すりゃ売りモンにはなる」
誰が活きの悪そうなガキだって?
魔法で燃してやろうかこの野郎、と幾分冷静になった頭で思っていると、頭上の袋の開け口が開いた。
下卑た笑みを浮かべた男の顔が覗く。
「大人しくしてろよ? 痛いのが嫌ならな」
男は俺の首根っこを掴み上げ、手近な鉄格子の扉を開けて、俺を放り込んだ。
しこたま尻を打った。
痛いのは嫌です。
その場で悶絶する俺を尻目に、男は檻の鍵をがちゃりとかけていた。
「ほーれ、獣憑きのお嬢ちゃんと一つ屋根の下だ。へっへ……仲良くしな」
総毛立つような気持ち悪い笑い声を残し、男は天幕をくぐって消えた。
ここに来るまでの間に整理ができたので、思考は落ち着いている。
絶対に逃げられない状況ではない。
俺は五歳だが、魔法が使える。相手はそれを知らない。戦闘は避けたいが、ここから脱出することぐらいはできる。
アドバンテージは俺の方にある。
だから大丈夫なはずだ。……たぶん。
決して肝が据わっているわけではない。開き直っているだけだ。
本当は不安で体内から何かが生まれてきそうな気分である。
と、とりあえず状況把握だ。
俺は鉄格子に掴まり、顔を突き出して外を見回してみた。
布張りのテントのようなものの中か。
部屋の端に置かれたランプが、ぼんやりと室内を照らしている。
妙ちきりんな道具や紙切れ、雑多なものが散らばっており、それらの真ん中にでかい檻が鎮座している状態だ。
その中に俺は放り込まれていた。
続けて……と後ろを振り返る。
そこには、紅玉のような赤い光点が二つ、宙に浮かんでいた。
「うわあ!?」
一瞬、猛獣でもいるのかと思った。
俺はエサだったのか。
前世で読んだ漫画の一コマ___人が生きたまま食われるというシーンが生々しく脳裏に浮かび、本気で漏らしそうになった。
その直後に、男たちが俺を『売りモン』と言っていたことを思い出した。
何とか心を落ち着かせ、改めて前を見る。
赤い瞳は、動かないまま瞬き一つせず、俺を見つめていた。
「えーっと……?」
近付こうとすると、赤眼はびくりと震えて身を引いた。
近付かない方がいいだろうか。
俺はその何かの一歩手前で、何をするでもなく、じっと待った。
段々暗さに目が慣れてきた。
まず目に入ったのは、その子の頭。
の、上に生えているとんがった耳だった。
獣耳だ。白い毛に覆われている。
次に、顔が見えてきた。
俺と同じぐらいの、幼い女の子。
「……痛い、する?」
びくびくと暗がりで身を縮めながら、その女の子は呟くように言った。
言葉の意味は……なんとなく分かった。
伊達に幼児を四年もやっていない。
「ううん、しない」
痛いことする?ってとこだろう。
よく見れば、その子の唇の端にはわずかな血がにじんでいるし、腕や足にもミミズ腫れみたいなのが浮かんでいる。
見るだけで痛々しい。
これが男たちの言う『調整』なのか。
「やだ……やだ……」
しかし、少女はいやいやと首を振りながらさらに縮こまってしまった。
俺は頭を掻き、その場に座り込む。
(……ヒロイン来たー!とか言ってる場合じゃねえ)
ヒロインを助けていいのは主人公だけだ。
聖剣を振りかざし、大量の魔力を惜しげもなく使える、チート的存在のあいつだけなのだ。
未だ実力的に量産型汎用モブの域を出ない俺みたいなのがが挑戦していいことではない。
セーブポイントからやり直しってできないか。
もっと平和なシチュエーションでエンカウントしたい。
望むらくは街角でパン咥えた女の子と正面衝突するレベル。
戦闘とか画面越しだけで十分だ。
「うーん……」
ついでに言えば俺は無類のケモミミ好きなのだが。
主人公とか関係なくもはやこの子助ける気満々なのだが。
それ以前に、実際に助けられるのかが問題だ。
俺は頭を抱えた。
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