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勇者のスペア ー魔剣使いの人生譚ー  作者: 黒崎こっこ
エルフィア孤児院 変革期編
37/41

第三十四話 『バーサーカー』

どこまでも天才な少女のお話。

 セレナは今、全身が弾け飛びそうな喜びに満ちていた。


 強い。

 とてつもなく強い。

 これが、エルの本気。

 誰も見たことがなかった彼の本領。


 初撃を防がれて、反撃の一撃。

 脱臼した腕は無理やり元に戻したが、あれも手心を加えた一撃だったのだろう。直後に彼は比較にならないような威力の魔法を連発し、地形ごと変えてしまった。

 その実力は、凄まじいの一言に尽きる。

 そして自分は___それを引き出すに値すると認められた。


 すでに全身の至る所が痛みで軋んでいた。

 今までのエルとの戦いで、ここまでの激痛を得たことはない。

 だから嬉しい。


 やっとだ。

 やっと追いついた。

 血にまみれ血を吐き血を食らい、身を削り骨を砕き肉を裂いてようやく、彼と同じ場所に立つことができた。

 このまま戦えば、エルはすべての力を出し尽くす。

 後はそれを超えるだけだ。

 そうすればエルと自分は結ばれる。

 ずっと一緒になれる。


「ふーっ」


 口の端から息を吐いて、身を屈める。

 いつでも獲物に飛び掛かれるよう備える獣のように。


 飛行中のエルを倒すことは不可能だった。

 こちらの攻撃が限定的になる上、彼はその対処を抜かるような人間ではない。

 一方的な攻撃が続くだけだ。

 故に、彼を地上に引きずり下ろす必要があった。

 反撃で少なからずダメージを食らうだろうことは先刻承知。虚をつくことができれば、引きずり下ろした上で落下の衝撃を与えて決着をつけることもできたかもしれない。

 しかしやはり、エルもただで落とされるようなヤワな人間ではなかった。


(……着地寸前で突き放された。大したダメージにはなってない)


 顔面に水をぶっかけられて思わず手を離してしまった。

 耳をピコピコ動かして水を払う。

 腹にもしこたま一撃をもらってしまった。

 だが、これでようやく、セレナもまともに戦える舞台に立てた。


 地上戦はセレナの土俵だ。

 大魔法の嵐に晒された地表はクレーターだらけ……というよりはもはや地盤が沈降したかのような有様だった。

 ちょっとした谷間みたいになっているのだ。

 セレナであれば、このでこぼことした地形を利用して変則的な機動を行うことができる。

 その超人的な身体能力の真髄が発揮されるといっても差し支えなかろう。


 とはいえ、それはエルも分かっている。

 その上でどんな手を打つか?

 一つ、空へ再びの上昇。

 だがエルなら、同じ手が二度も通用するなどという甘い考えはしないはずだ。実際、セレナが最も警戒しているのはそれであり、こうしていつでも飛び掛かれるように身構えている。


 であれば___取るのは二つ目。

 いつもと同じく、距離を取って魔法で反撃する。

 セレナへの直接攻撃から、周囲の環境を利用した罠。

 一見してこちらに有利に見えるこのでこぼことした地形も利用される。

 少なくとも時間を与えれば与えるほどこちらが不利になるのは間違いない。

 最短最速で最大を叩き込む。

 エルに勝つためにはそれしかない。


「がぁっ!!」


 考えを巡らす一瞬すら惜しい。

 裂帛を呼気に込め、セレナは立ち籠める土埃の中へ突撃する。


 視界に頼らずとも嗅覚や聴覚でエルの居場所が分かる。

 この一週間、ずっと触れられなかったその匂い___今すぐに彼の胸元に飛び込んで胸いっぱい吸い込みたい。

 違うそうじゃなくて。

 やはりエルはセレナから距離を取ろうとしていた。

 バックステップしながら手を掲げ、その身に風をまとう。

 逃がすわけにはいかない。


 しかし。

 脚のギアを上げて猛然と加速した瞬間、ビリリと頭の中で鋭く警報が鳴った。

 咄嗟に腕を交差させて防御の姿勢を取る。


「___ぐっ!!」


 弾丸のように飛んできたのは、エルの頭突きだった。

 途方もない衝撃。

 土魔法による即席のヘルメットで頭を覆い、自らの体を風魔法で撃ち出す人間砲弾。

 何とか見切ったものの、先ほど脱臼した肩が悲鳴を上げる。


 それほど速い一撃ではない。

 人体が一気に加速すると、慣性によって脳の血液が前か後ろに偏り、ブラックアウトやレッドアウトなどの諸症状が出る。重度だと即失神の危険な現象。

 故にエルは風魔法の出力を調節し、肉体の耐え切れる加速度を推進力とする。

 しかしこの近距離では加速が及ばず、棒立ちのセレナでも躱せる程度の速度にしかならないはずだ。


 ただ___トップスピードに入った瞬間を狙われた。

 最短を行こうとしていたが故に回避は間に合わず、最速で行こうとしていたが故に相対速度が牙を剥いた。

 普通の弾丸ならまだしも、砲弾並みの重さともなると受け流せない。自らの体を弾体としたのは、単純に魔力に余裕がないからだろう。

 全速力で走って壁にぶつかりに行ったようなものである。

 セレナの速さを利用した反撃。


 そう、これがエルの戦い方。

 たとえ敵の手札であれ、使える物は何でも使う。


「ちっ」

「るぁっ!」


 一瞬怯んだ隙をつき、エルが素早く剣を投擲。

 それを歯で嚙み砕くように受け止め、セレナは体勢を立て直す。

 向かってくるのならばむしろ望むところだ。

 不意を突かれたが、寄ってきてくれるならやりやすい。


 セレナは少年の剣を左手に持ち、二刀を交差させて構えた。

 対するエルは丸腰の素手。

 その実、彼は誰よりも凶悪な武器を内包している。

 故にこの状態で、エルが頼りにするのはやはり魔法___


(……!)


 そう、さっきも同じように思い込んだ。

 その結果が、あの手痛い反撃。


 セレナは構わず斬り込んだ。

 右手の剣を振りかぶっての逆袈裟。

 そしてエルは、あろうことかその斬撃に突っ込んできた。

 振るわれる剣の軌道の、さらにその内側へ。


「っ……!」


 打ち出されるのは拳。

 何らかの仕掛けを警戒していたセレナは紙一重のタイミングで反応した。

 セレナの剣に先んじて懐を穿ったエルの拳を、左の肘で迎撃。

 アッパー気味に放たれたそれを上方へ弾き飛ばす。

 さらにセレナはそのまま体を反らし、後ろ宙返りと同時に下段蹴りを放つ。 格闘技のサマーソルトキック。

 流石のエルも想定外の方向からの攻撃で対応できず、ついに顎へ痛烈な一撃を許した。


「___ぉおァ!!」

「ふっ!」


 両者、怯むことを知らず。

 超近距離の肉弾戦が始まる。


 いつの間に魔法を使ったのか、周囲は泥沼と化していた。

 踏ん張りが効かず、セレナの機動力が大幅に削がれる。

 その一方で、エルはまるで泥沼の影響を受けていないかのような立ち回りを見せていた。

 足裏をしっかりとグリップさせ、腰の回転を利用した重い拳が左右から降り注ぐ。

 彼の踏んだ地面だけが元の状態に戻っているかのようだ___よく見れば靴に土魔法の痕跡がある、どんな仕掛けだろうか。


 拳には石の籠手を嵌め、威力の底上げと共に受け太刀も可能にする。軽量化のためか籠手自体は脆いが、破損した端から魔法で修復される。

 これがいつもの石剣であればセレナも攻めに転ずるチャンスがあっただろうが、格闘戦では突ける隙も少ない。

 速さに秀でるセレナを倒すための徹底した対策だ。


 泥沼地帯はエルの土俵だ。

 範囲はそれほど広くはない。谷のでこぼこ地帯に抜け出したいところだが、エルは泥沼地帯から出ようとしないだろう。距離を置けば大出力の魔法の餌食になる。

 同時に、対処に迷っているセレナを逃すほど甘くもない。


「うっ、ぁぅ!?」


 腹を抉る右拳、次いで側頭部へラリアット。

 踏鞴を踏んだところを暴風が襲った。

 セレナは泥を跳ね飛ばしながら数メートル吹っ飛んだ。


 近距離では泥沼で有利に立ち回り。

 遠距離になれば大魔法。

 嵌っている。

 エルの勝利への構図が出来上がっている。


(……ふ、ふふ)


 まさか接近戦で競られようとは。

 思ってもいなかった。

 エルを覆っていた硬い殻が一枚一枚剥がれていき、本当の姿が見えてくる。

 もっと見たい。

 まだエルは手の内の全てを見せていない。

 セレナは___笑っていた。


「んふ、ふふっ」


 右手の剣を投擲。エルが裏拳で弾く。


 そうだった。

 エルはこんな人だった。

 彼の強さはハリボテみたいなものだったのだ。

 少ない魔力を節約し、低い身体能力を鍛えて補い、弱い意思を捨身の度胸で塗り潰している。

 魔法を奪われても剣を失っても、彼は刹那すら諦めることなく拳を握る。

 後悔を残さないように最後まで死力を尽くすだろう。

 だから何というか、この徒手空拳の戦い方は何とも彼らしい。


「はむっ」


 がちりと剣の柄を咥え、セレナは四つん這いになった。

 冷たい泥の感触が手のひらに馴染む。

 エルは警戒し、大きくバックステップしながら魔法陣を構えた。


 この世界の剣術は、剣を扱う技……というよりは、むしろ剣を使う『戦闘術』として発達した。

 何よりも重きを置いているのは『戦闘の勝利』。

 剣はそのための一介の道具にすぎない。

 別に剣でなくともいい。ただ剣がポピュラーであるというだけだ。

 故に、その基礎にある動きや技は往々にして単純であり、模範的なものが多い。剣士はそれらを元に自らのアレンジを加え、自分の戦い方に昇華させる。


 ___とはいえ。

 四足で高速移動するなんて荒技は、流石に獣憑きにしかできない芸当だろう。


「ふるるぅっ!」


 白狼の尻尾が爆発せんばかりに逆立つ。

 腕力と脚力の力技で、ぬかるみの極端に低い摩擦係数を捕らえて加速する。

 エルは魔法を掃射して牽制。

 水の弾丸が雨のように降り注ぐ。


「……!」


 わずかに瞠目し、エルは自らの判断ミスを悟った。

 まるで壊れたメリーゴーランドのように螺旋を描いて駆け抜ける狼に、魔法の弾速がまったく追いつかなかった。

 水弾が地面を吹き飛ばした頃には、セレナはエルの側面に肉薄する距離にいた。


 二足歩行に特化した生物である人間という種の中で、唯一魔物の血を引く獣憑きならではの魔技。

 肉体と強く結合した魔力を介する、骨格変形にも近い身体強化である。

 獣憑きの村では『獣化』と呼ばれる、覚醒と並ぶ奥義。

 完璧とは言えないものの、その領域に自らの才のみで辿り着く天稟たるや、はるか昔の英雄の懐刀に勝とも劣らず。


「せぁっ!!」

「らあぁ!!」


 セレナの爪とエルの拳が衝突する。

 突進の推進力を乗せた勢いに、エルとセレナは組み合ったまま泥の中に突っ込んだ。

 黒色の泥が巻き上がる。

 再びの接近戦。ただし今度は泥にまみれた泥仕合だ。

 少年と少女は全身真っ黒になりながら戦い続けた。




 ___二人とも、なんとなく勝負の結末が分かっていた。


 セレナは今まで身につけた剣術や体術、魔法に、獣憑きとしての動きを加えることで己が戦術として昇華させた。

 エルは違う。

 身につけた技術を、蓄えた知恵を、自分の戦い方に昇華できていなかった。

 どこまでも基本に忠実であるが故に読みやすく……繰り出した技は、然るべき武器を使えば、誰よりも重い。

 今までエルは剣を使っていたが、有り体に言えば、彼は武器に振り回されていた。自分よりも速い相手に当てようとし、結果的に最適な姿勢が崩れていた。

 そこで、この徒手空拳を思いついたのだろう。

 戦術を剣術から格闘術に変えたことで、相手を迎え撃つ余裕ができた。

 相変わらず見切るのは容易い。

 しかし当たれば即戦闘不能になりかねない重さを秘めている。


 逆に言えば、ただそれだけのことだ。

 ただそれだけの、凡才の工夫だけでは、獣憑きと人間の実力差は埋め難い。

 エルが本当に勝ちたいなら、腕の一本を失ってでももう一度空に戻るべきだった。

 自分の得意な魔法で勝負するべきなのだ。

 それが彼の真髄であり、戦い方なのだから。

 接近戦が続く限り、絶対的な才能の差は覆らず、エルがセレナを勝ち越すことはありえない。


 それは超えられない壁だった。

 頂上の存在しない山を延々と登り続けるに等しい愚行___。




 そう。絶対に超えられない壁への挑戦。

 だからこそ意味があった。

 少なくともエルにとっては。


「《風の精霊よ》!」

「が……っ!?」


 獣化により機動力を取り戻したセレナは、少しずつエルを圧倒し始めていた。

 彼の付け焼き刃の格闘術に慣れてきたのもある。

 逆にエルは、人と魔物を織り交ぜたような変則的な機動に対応し切れず、後手に回りつつあった。

 隙をついてガードを崩し、空いた土手っ腹に暴風を放つ。

 手加減なしに魔力を込めた風魔法は泥だらけの少年を木っ端のように巻き上げ、吹き飛ばした。


(はぁ、はぁっ……チャン、ス……)


 崖に叩きつけられ、少年の足がふらつく。

 体力お化けのスタミナにも限界はある。

 ダメージは確実に蓄積している。


 もっとも、それはセレナも同じだ。不完全な獣化による甚大な負担で体力は底をつく寸前である。

 だが……厄介な沼地から、エルを弾き出せた。

 ここで畳み掛ければ勝てる。

 荒く呼吸しながらも、勝利への一歩をセレナが踏み出したその時、



 ___体の芯を貫くような悪寒が彼女を襲った。



 今すぐこの場から逃げろと生存本能が全力で叫んでいる。

 何か……凄まじいのが、来る。


「遅い」


 エルは右手を掲げていた。

 セレナは咄嗟に飛び退こうとしたが、その時には既に、台風を凝縮させたような暴風が彼女を中心に渦を巻き、逃げ場の一切を封じ込めていた。

 視界の全てが黒く塗り潰される。

 逆巻く風が、沼地の泥をも巻き上げ___漆黒の牢獄と化す。


(私の動きを止める魔法……!)


 ならば、すぐに本命の一撃が来る。

 だからと言って、視界も嗅覚も聴覚も封じられてはどんな攻撃なのか分からない。

 逃げ場はある。だが、この体では届かない。


 袋の鼠だ。


「___《紫電よ》」


 少年の呟く声が聞こえた。

 瞬間、黒い竜巻が破壊的な雷鳴を纏い、両顎の中に閉じ込めた獲物に電光の牙で襲いかかった。




 ***




 俺は右手を下ろし、後ろの崖に背中を預けた。


(……終わった)


 荒く呼吸しながら空を見上げる。

 体力と、魔力の消耗が……キツイ。

 まだ動けはするものの、魔力の方はもう空っ穴である。

 

 セレナは、強くなっていた。

 どこがというか、全能力が五割増しになっていた。定石通りに鉄剣で戦っていたら間違いなく瞬殺されていただろう。

 泥沼で動きを阻害しつつ、俺の足裏に水魔法を相殺する土魔法を巡らして戦う。格闘術で徹底的に隙を潰し、一撃必殺は狙わず、ひたすらジャブで削る。

 最後は意味不明な魔獣モードでひっくり返されたが。

 体力を奪い、最後の仕掛けまで『通す』ことには成功した。


 とはいえ最後のアレも正直賭けだった。

 彼女の脚力であれば、竜巻に囲まれても、渦の中心から跳んで逃げることもできた。

 だから、沼地に水魔法を加えて液状化させ、底なしの沼に変えて雷撃を撃ち込もうとした。

 しかし寸前で再び考えを変えた。

 思うにあの魔獣モードは地上における機動力を強化するものであり、沼地を突破される可能性とが紙一重だった。それこそ彼女なら水面を走るとか色々やりかねない。

 逆に、真上へのジャンプにむしろ制限がかかる。

 結果的に竜巻で閉じ込めたのは正解だったと言えよう。


 そう。

 俺は勝ったのだ。


 あの才能の塊のような狼少女に。

 超えられない壁___永遠に続く断崖絶壁を超えた。


 おそらく、セレナはすぐに俺を超える。

 そこから俺は再び壁を登り続けなければならない。

 が、きっとまた超えられる。

 それを今日、証明できた。

 天性の才能は超えることができる。


 努力と思考と判断と、鍛えた身体と少ない魔力と拙い戦術。

 俺が今までやってきたことは、無駄ではなかっ___



「……?」


 違和感を覚え、俺は我に返った。

 目の前には雷を帯びた竜巻が渦を巻いている。

 ゴロゴロと腹の底が震えるような轟音を帯びて。



 ___おかしい。



 もう魔力制御はしていない。

 風は止み、泥水が雨のように地に落ちて、狼少女の倒れ伏す姿が見えて然るべきである。

 なのに……むしろ加速し始めているように見えるのはどういうことだ?


(魔法の暴走? いや……)


 この世界の魔法は、ひとりでに暴れ始めるものではない。

 そういう魔力回路の素子は作れるかもしれないが、少なくとも俺は知らないし、組んでみたこともない。

 なら、この現象は何が原因なのか。


 それが俺でないのなら、有り得るのは残る一人。


「……ないわー」


 竜巻が急激に収束し、その正体が姿を現わす。


 狼少女。

 その手に掲げるのは___真黒とも金色ともつかぬ無疆の魔力を湛えた、竜。

 否。

 それは泥水と暴風と稲妻を束ねた一本の魔法剣だ。


 ……うん。

 なんだあれは。

 才能とか努力とか全部まとめて飛び越えてないか?


「がっ、ぅぁああああああああああああっ!!!」


 餓狼と見紛う壮絶な咆哮。

 同時に放たれた斬撃は、闇と光が互いを互いに喰らい嚙み砕き出力を倍加させる永久機関じみた矛盾の塊と化し、一瞬にして俺を丸呑みにした。

 そこに音はない。

 あるのは、ただただ圧倒的な力の奔流。




 いつの間にか___俺は白い世界にいた。


 死んだのだろうか。

 また。

 けっこう頑張ったんだけどな。

 俺らしいしょぼくせえ最期だった。


「ぐ……はっ、ぜえっ、はあっ」


 まあ冗談だが。

 俺が力尽きたように両腕を下ろすと、その白い世界はパキパキと音を立てて崩れ始めた。


 そうだ。

 紫電魔法はまだしも、白魔法は……絶対に使いたくはなかった。

 断じて出し惜しみしているわけではない。

 ちょうど一年ほど前に、白魔法が何をエネルギー源にしているのか、知ってしまったからだ。

 火力を補おうとして四苦八苦した挙句に編み出したのが、多重魔法だったわけだ。


(……負けた、か)


 一応、白魔法の実験で、俺一人を覆う盾程度の現出なら影響はほとんどないことは実証済みだ。

 が、できれば金輪際使うのは控えたかった。

 白魔法というのは、それくらい悪魔的な代物だ。

 実験と称して面白半分に使ってきたことを心底後悔している。


 もっとも、そんなことはもはやどうでもいい。

 俺は負けたのだ。


 何というか、もう満足だった。

 煮るなり焼くなり自由にしろ……いや、やっぱり痛いのは嫌なのでそこまで言わないが、これ以上何かをしようという気はなかった。

 壁は確かに超えた。

 その手応えもあった。

 ただ、セレナもまた自分という壁を超えたのだ。


 俺はばたりと後ろに倒れて仰向けになった。

 知らぬ間に日は沈み、墨を流したような夜空が広がっていた。


「立って」


 赤いお星様が二つ、ふらりと天に現れて俺を見下ろした。

 無茶を言うなと目を瞑る。

 もう指一本動かしたくない。


「終わり?」


 悪いか。

 これが限界だ。

 期待にも応えられなくて悪かったなこんちくしょう。


「私の、勝ち?」


 なぜに疑問系?

 誰が見たって俺の負けだろう。つまりセレナの勝ちだ。

 煮るなり焼くなり……とはやっぱり言えないが、そのなんだ、できるだけ優しくしてね?


 と、腑抜けた冗談を考えた所で気付く。

 今の自分は、投げやりなどではなく、いつもの自分の思考回路に戻っただけなのだと。

 なんで戻ったかというのもなんとなく分かる。

 全力で、本気で、思いっ切り暴れてすっきりしたからだ。

 自分で言うのもなんだが単純すぎて困る。


「……エル」


 元に戻ったと分かると、死にたくなくなってきた。

 できれば家出も撤回して孤児院に戻りたい。

 受け入れてくれるだろうか。

 ていうか、それより先にセレナにも一応謝っとかないと___と、目を開けた直後。



 零距離にセレナの顔があった。

 口に柔らかいものが押し当てられ、息ができなくなった。

 


 反射的に鼻で息を吸うと、むわりとした熱気が鼻腔をついた。

 知っている匂い。

 毎朝、朝練が終わって水浴びに行こうとする彼女がまとう汗の匂いだった。

 今日は数倍強烈だが。

 嫌いな匂いというわけではない。

 むしろ逆に……じゃなくて。

 口の中にぬるりと柔らかいものが入ってきた。


(え、いや待て、ななな何が起きてんむむっ……)


 セレナの顔は変わらず俺の鼻先にある。

 何これ、何だこれ、どうなってんだ。

 刺激的な匂いと感触が直接脳を侵食するかのようで、金縛りにあったように体が硬直する。

 鼻が呼吸することを放棄した。

 段々と全身がふわふわ浮かび上がるような夢見心地に囚われていく。


 この感覚も知っている。

 ……酸欠で気を失う寸前の症状だ。


「んぐぅ」


「んぅ……エル? ねぇ、エル___」


 そこから先は覚えていない。

 俺のファーストキスは、よく分からないうちに息が詰まって失神するという何とも不恰好なものとなった。

……はい。


トゥエルvsセレスティナのガチバトル回でした。

どうでしたでしょうか。

いくつか補足説明をしておこうと思います。

読まなくても大丈夫な部分ですので、興味のある方はご覧ください。



補足①

最後のエルの切り札・紫電魔法は、ダン先生に術導院で教えてもらったものです。

エルは「水属性」魔法として雷を発生させようとしたために大量の魔力が必要となりましたが、ダンが開発したのは「雷属性」の魔法です。

世の中に初めて「雷属性魔力」をもたらした術導教師として、ダンの立場は世界的に見ても相当やばいことになってます。


補足②

白魔法についても伏線を置きました。

少しくらい使っても良さそうな…でも二度と使いたくないような「反動」が存在します。

いつ明らかにしようかとにやにやしつつ書きました。

楽しいですねこういうの。


補足③

セレナの使った獣化について。

マジモンの狼になったと思って頂ければ。

普通の成人男性は、格闘戦では中型犬にすら勝てないそうなので、エルはめちゃくちゃ善戦しました。


補足④

こちらは本文で少し触れましたが、沼地を自由に動く原理について。

二年前のレイチェル防衛戦においても、彼は砂嵐の中を自由に動き回ってました。顔全体に軽い風を纏って砂粒を「相殺」し消滅させていたのです。

沼地の「水魔法」を有利属性の「土魔法」で相殺することで、自分の足の踏み場だけ元の土に戻していた訳です。

魔法の相殺現象については第八話参照です。




長くなりましたが以上です。

そのほか、何か質問がございましたら、感想に書いて頂けると幸いです。

ここまでお読みくださりありがとうございます。

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