第三十二話 それぞれの一週間
久しぶりのエルのターンになります。
どうなっていることやら。
セレナが姿を消してから一週間が過ぎた。
エルは完全に木偶の坊と化した。
初日に副院長への丸投げを宣言していたのを良いことに、それを言質に取って孤児院での業務をサボっていた。
何度かセレナの捜索パーティが組まれ、そこに誘われたのにもかかわらず、いじけて卑屈になった彼は頑としてそれを受け付けることはなかった。
自分から出て行ったのだから放っておけとまで言った。
このままセレナがいなくなれば後悔すると分かっているのに。
が、それを咎める者はいない。
今までエルに負担をかけまくっていたことをほぼ全員が自覚していたからだ。
加えて、エルの半身とも言えるセレナが姿を消した。
投げやり気味になっても致し方なし。
サボった分の時間にしても、術導院で首席を争うような優等生を相手取って自己鍛錬に充てているというのだから文句の一つも出ない。
街の一角が吹き飛ぶような上級魔法を相殺したとかいう与太話は、術導院でももっぱらの噂になっている。
エルの魔力量を知る孤児院の子供たちからすると甚だ信じ難い話ではあるが、相応のことはやったのだろう。
と、エルに関してはその程度の認識だ。
どちらかと言うと、自分のことを自分でやらなければならなくなった孤児院は、エルのことなどあまり意識していられない。
まずはクロウの歓迎会が開かれた。
エルとセレナは欠席。
ノエルはシノンに引きずられる形で出席となった。
アンジェの言うところの『基盤』を作るための催しだ。
クロウへの質問は何でもあり。
聞きにくいことからあんなことやこんなこと、この機会に全部ぶちまけてしまおうというわけである。
一応、前の晩のうちに根掘り葉掘り聞いていた夜更かしグループは___エルが屋根上で落石事故を起こしたのを切りにお開きとなったのだが___大まかな事情を得ている。
逆に言えば、ノエルなどの懐疑的立場の面々は、早寝早起きの良い子グループだった。何の話も聞いていない彼女らからすれば、クロウはまだ『突然孤児院の柵をぶち破った不審者』という認識であって当然なのである。
クロウは自らの全てを吐露した。
自分とセレナの関係から、どのような経緯があって、自分がどのような行動をしたか。
その結果、自分が今どんな状況に置かれているか。
事実から推測までを自分なりの言葉で伝えた。
結果、懐疑一派は事情を吞み込み、クロウの滞在を認める運びとなった。
その際、仲直りの印にとノエルが満面の笑みと共に差し出したぬいぐるみが異様に重く、爆弾処理班が出動する羽目になったりしたが。
概ね平和的に解決したと言えよう。
孤児院側もまた色々なことを話した。
セレナがどのようにして孤児院に住むに至ったかは、事情を知る年長が語った。
エルがセレナの命の恩人であることを知ったクロウはいよいよ顔を青くした。
クロウはまだ、エルとまともに話したことがない。
敗北感や後ろめたさもあったが、一番の理由は彼が纏う雰囲気が不気味だったからだ。
エルには、獣憑きと正面から戦って圧倒する実力がある。
にもかかわらず、彼からは『強者』としての風格のようなものがまったくない。それこそ、今からでも再挑戦すれば勝ててしまうのではないかとさえ思えるほどに。
それがどうにも実力を上手く隠す工作に見えてならなかったのだ。
今更ながら、事はそんな『不気味だから』で済ませられるものではないと自覚して、クロウは慌てた。
エルは恩人だ。
白狼の末裔を守った救世主。
獣憑きの村に迎えて最上の感謝を捧げなければならないレベルである。
それを雑魚だの何だのと、思い出すのも憚かる悪態。
問答無用で斬りかかっておいて、手も足も出ない醜態。
戦士長にチクられればホークリティア家が追放されかねない。
反して、孤児院のみなは呑気なものだった。
そんなちっぽけなことでエルは怒ったりはしない。
というより___孤児院の誰もが、未だにエルが本気で怒ったところを見たことがない。
たぶん喜怒哀楽のうち『怒』の感情が抜け落ちて生まれてきたのだと冗談が飛んだ。
皆が笑った。
それにつられて、クロウも笑っていた。
危機感を共有することで、少しだけ気持ちが落ち着いた。
そして、クロウは孤児院の一員となった。
子供たちは自覚していないが、エルフィア孤児院は並みの術導院よりも規律正しく教育が充実しているという孤児院にあるまじき環境にある。
無論、全ての子供がそれについていける道理はない。
シェイラが片端から子供を引き取ることはせず、環境に順応できそうな子供を『厳選』しているからだ。
光るものを持っているかいないか。
才能があるかないか。
それは最低の行いだと揶揄する者もいるだろう。
人間は平等であるべきなのに、人を天秤にかけて価値を決めるのかと。
実際にそんなことを言われれば、シェイラも金と時間が無限に使えるならとっくにやっていると噛みつき返すだろうが。
無責任な立場にある者ほど言葉も軽いものだ。
体制こそ違えど、クロウもまた同じく厳しい教育を受けてきた身だ。
粒揃いの孤児院の中にも、比較的すぐに『順応』できた。
稽古の時間帯、食事の当番や授業の時間割など。
アンジェがほとんど付きっ切りで教え込み、後はみんなの中に混じって実践し、体で覚えた。
シェイラからもエルからも離れて、孤児院は非常に不安定な営みを呈するようになった。
食後すぐに稽古しなければ間に合わず、みんなが吐く一歩手前にまで行った。
日中は宿題をする時間もなく、徹夜で終わらせて、睡眠不足が蔓延した。
短縮詠唱の訓練はまったく進展しなくなった。
孤児院は拙い足取りで___しかし自分の足で歩き出していた。
そう、残るは二人。
少年と少女は、互いに背を向けて立ち止まっている。
振り返ろうとはしない。
少年は、自らの努力に意味を見出せなくなり、気の抜けた炭酸のようになっている。人の心の機微が分からないまま。
少女は、ただ自分の想いを少年に叩き込むために己が牙と爪を研いでいる。他に想いの伝え方を知らないまま。
双方共に問題は大有りだった。
だが、二人はその問題を解決するどころか、自覚なしにむしろ悪化させつつある。
誰も止めることはできず、二人はやがて交錯するだろう。
或いはそれは___一番子供らしい衝突なのかもしれない。
***
教壇の上から見下ろす光景を見て、俺はぼんやりと考えた。
なんで俺はここに立っているんだろうか。
そうだ。
ダンに頼まれて、術導教師の真似事をやらされているのだった。
いわゆる教育実習という奴だ。
「……それでは今日は、ダン先生に代わってこのちびっこ先生が授業を担当します。拍手ー」
ぱちぱちと、俺の手だけが空しく教室に響く。
しかし生徒たちの目に軽蔑の色はない。
自尊心の塊のようだった彼らも、一週間でちびっこ先生の実力は身に染みて理解したらしい。
白い石を動かし、適当な魔法基礎の概要を黒板に綴る。
俺の語れることと言えば基礎だけだ。
基礎の上に基礎を塗り固めて、できることを少しずつ強く、多くしていった。
堅実な基礎ありきで成り立っているが故に、基礎無くして今の俺にできることはない。
ここの生徒たちはどいつもこいつも基礎がなっていない。
ただ魔法剣や上級魔法に憧れるだけで、必要な技術を何も身につけておらず、そのくせわがままだけは一人前___いっそ前世の俺の移し身でも見ているような気分だった。
「魔力を引き出すための詠唱を『起唱』と言います。これは魔法を使う上で必須のもので、欠かすことはできません」
「つまり逆説的に、起唱さえ唱えればあらゆる魔法を使うことは可能です」
「それではなぜ、君たちは長ったらしい詠唱を覚えて、いつ死ぬかも分からない戦場で呑気にそれを唱えているのでしょうか?」
別に、術導教師になるつもりはない。
人に教えるのは好きだが、教師ってのは教える以外の仕事の方が多い。そしてそれは、徹頭徹尾が人のためにやることだ。
副次的に、人の心理や、語学数学の基礎知識が身につくことはあるだろうが。
根底にあるのは『奉仕の心』だ。
他人のために力を尽くして、燃え尽きるまで働く。
それは教師という仕事だけでなく、全ての職業に通ずる。
一年間、院長代理をやってきたが、結論から言おう。
俺は『人のため』とか、そんな高尚な心構えなんぞ持ち合わせていない。
転生する前に、俺は自らの人生を悔いた。
もっと努力すれば良かったと。そうすればもっと___もっと何かできたはずだと。
そこに具体性はなかった。
ただぼんやりと『もっとやっておけば』と過去を責めた。
何のことはない。
俺は『将来の自分のために力を尽くさなかった』自分に対して後悔した。
他の人が介在する余地など皆無。
徹頭徹尾、自分のことしか考えていない人間。
「……つまり皆さんは、詠唱を覚えただけで『できた気になっている』だけです」
人のために動こうとしない人間が世界に必要か必要でないか。
多数決を取らずとも分かる。
だからこそ___俺は今まで、自分という人間に価値を見出そうとはしなかった。
努力が報われなくても、天才が数多いても、それを僻むこともせず、自分が満足するまでやるだけやって終わり。
俺がこれまで努力を続けてきたのは、その時点の自分に満足を覚えていなかったから。
何ができたら満足するのか?
そんなのは決まっている。好きな子に好かれることだ。
男たるもの、力の根源になるのは大体そこだ。
「もともと呪文というのは、魔力の道筋を示す模範解答のようなものです」
「答えを見ながらテストを解答していくなんて非合理的とか以前の問題だ。いっそ滑稽ですらある」
……と言っても、もう努力を続ける意味はない。
もういい。
考えるのも疲れた。
そろそろ孤児院を出ようかとふと思う。
一足早い卒業。
考えてみれば悪くない。
今の俺は井の中の蛙である。
このオルレアンの街以外は全て伝聞の場所であり、物事であり、人物だ。
孤児院も俺抜きでよくやっているようだし。
ふらりと消えても誰も気にすまい。
「皆さんの歳でまだおしゃぶり咥えてるようじゃ、いつまで経っても俺を出し抜くことなんてできませんよ」
そうと決まればさっさと出て行こう。
ちょうど授業終了の鐘が鳴った。
機械的に締めくくり、俺はぺこりとお辞儀して教室を去った。
その授業で何を話したのかすら記憶に定かではなかった。
……ここ一年、脳みそが休まる時間がほとんどなかったからか、どうにも思考がふんわりする。
気がつけば孤児院の玄関だ。
日が暮れ始めている。
いつの間にか抜いた剣には血が付着していた。
何の魔物を討伐したのかも覚えていない。
(この歳でボケるとか……)
口の端を歪めながら、俺は鞘と剣を外して玄関脇の靴棚ならぬ剣棚に置く。
本当は水魔法で血糊を落とさなければならないが、どうせすぐにこの剣と一緒に孤児院を出るのだ。
後でもいいだろう。
「あっ!」
屈んで靴紐を解いていると、ドタバタと廊下を走る男。
アレクが俺の方に走ってきた。
イリスの手を引いている。
「エル兄エル兄、おかえりなさい」
「ああ」
「イリスが待ち兼ねてたよ」
「そうか」
その割に、イリスはアレクに引っ付いたままだ。
ふむ……俺がいない間に乗り換えられたか。
まあ、好都合だ。
「みんなは?」
「えっと、パーティの準備中」
一瞬動きを止める。
「またパーティか」
今、心の中を過ぎった感情を俺は知っている。
俺がこんな状態なのに、なんでお前らはそんな楽しそうなんだ、という……自分だけが不幸だと思い込んでいる状態。
厄介なものだが、こうして分かっていれば自制は比較的容易い。
にしても、何のパーティだろうか。
「今日、エルとセレナの、誕生日だよ?」
また動きを止める。
「……そうだっけか」
「そうだよっ。忘れちゃったの?」
小説なんかで自分の誕生日を忘れて『……今日だったか』なんて呟くイケメンがいたもんだが、まさか同じ立場になろうとは。
知らぬ間にボケが割と致命的なレベルにまで進行しているような気がしてきた。
靴を脱ぎ、立ち上がる。
と、アレクとイリスがびくりと体を強張らせた。
「……お、怒ってる、の?」
首を傾げると、アレクはびくびくしながらそう言った。
俺はまじまじと二人を見つめる。
まあ、確かに最近の俺は無表情で口数が少ない。
一週間前までは、声を嗄らして指示を飛ばしまくっていたのだ。それと比べてみれば怒っているようにも見えよう。
とはいえ、俺にとっては院長代理の方が借り物の姿だ。
元々俺は黙って指示に従う方が好きだ。重い責任が付いて回るキャストなんて勘弁願いたい。
「別に……怒っちゃいないさ」
そう考えると、俺は中々頑張った方だろう。
有給休暇を取っても文句を言われる筋合いはない。
俺はアレクの頭にぽんと手を置き、少しだけ笑みを浮かべる。
「盛り上がってるところ悪いが、俺は今日でここを卒業するよ。パーティはセレナの分だけやってくれ」
そう言って、俺は男子室のある二階へと上がっていった。
完全に腑抜けになってますね。
しかし、不発弾ほど危険なものもまた存在しないとも言えます(意味深




