第三十話 オトシゴロの少女たち
前話と同じくアンジェ視点。
アンジェとミシェルは居間に戻った。
真っ赤に泣き腫らした目のアンジェだが、そのことでからかおうものならどんな憂き目に遭うかはアレクの尻が証明済みである。
そこに、数刻前の憔悴し切った表情はどこにもない。
自信を取り戻し、怖いものなしの足取りで副院長に復職した少女であったが___
「……何これ、どういう状況?」
早くも難題にぶち当たることとなった。
居間には、床に座り込んで泣き喚くシノンと、それを蛇のような目で睨むノエルがいた。
シノンの周りを、布を持ったドリスタンがおろおろしている。
あれは……イリスが持っていた布ではなかろうか。
「ちょっとした喧嘩だ」
傍からの声。
見ると、壁に寄せた椅子にローランドが座っていた。困り果てた顔でアンジェを見上げる。
「ケンカ? 何やったのよ」
「ノエルがな……」
ローランドが言いかけたところで、ウォルターが階段から降りてきた。のそのそとこちらにやってきて首を振る。
「ダメだった」
「何がよ」
「エルが院長室に引きこもっちまった」
聞いて、アンジェは少し意外に思った。
エル本人は知らないが、孤児院内における彼のあだ名は『鉄人』である。バイタリティが半端ではないからだ。
そんな彼が、引きこもったと。
ライザーが死んだ次の日も、いつも通り努力に打ち込んでいた彼が。
……なんとなく、彼も人間なんだなと再認識。
別段異次元の存在として認識していたわけではないのだが。
ともあれ、これで彼には頼れない。
エルの言葉を借りるなら背水の陣である。
アンジェは自分を追い込んで実力を発揮するタイプだ。
「エルはほっといていいわ。クレイとトミーは?」
「ルクとクロウの手当てをしていたが……」
「ミミ姉、手当てが終わり次第、そっちでセレナ探してきて」
「心得たよー」
ミシェルはスキップしながらシノンとノエルの間を通り、窓からぴょんと外に出た。
と、窓枠からぴょこんと顔を出す。
「この場は任せておっけ?」
「うん、がんばる」
「そっかそっか。ふふ、がんばれ」
ミシェルはにこりと笑って、顔を引っ込めた。
事情を知らない若干数名が固まる中、アンジェはぐぐっと全身に力を込めて、しゃきーんと腕を突き上げた。
孤児院で流行りの鉄腕ポーズ。発祥は言うまでもなくエルだ。
気分を切り替えたいときにこれをすると良いのだとか。
甚だ胡散臭いが……。
「じゃあ話を聞こうかな。この副院長に事の顛末を説明なさい」
シノンとノエルを射抜くような目で見ながら、アンジェは真顔でそう言い放った。
___ノエルは、クロウが孤児院に住むことに納得がいかなかった。
彼女が持つ固有の価値観が許さなかった。
彼女は小人族と人間族のハーフだが、両親は父母ともに人間族である。母から生まれたことは確かであるから、ルーツを辿れば父親が小人族であるべきなのだが___結論から言うと、ノエルは母の不倫相手との間にできた子供だった。
父親はノエルを我が子と扱おうとはしなかった。
暴力といった過激なものではないにせよ、ネグレクトや食事抜きといった虐待が続いた。
特に両親に好かれたいとも思っていなかったノエルは、その日常が当たり前のものだと受け止めて、毎日好きなぬいぐるみを作って過ごしていた。
ある日、母と一緒に街を歩くノエルに話しかけた女性がいた。
誰あろうシェイラである。
ガリガリに痩せたノエルの栄養状態を心配してのことだ。
母から事情を聞いたシェイラは家にまで押し掛け、父親に説教をした。自分の身勝手を子供に押し付けるな、子供に何の罪があるというのかと。
父親は、突如家のドアをぶち抜いて怒涛の説教を開始した女性に茶を出す甲斐性など持ち上げていなかった。
家を揺らすほどの舌戦の末、ノエルは孤児院に引き取られることになった。
孤児院にやってきて、ノエルの価値観は一変した。
色々なことを学べるという幸せを知った。
本当の家族というものを知った。
世界はこんなにも広いことを知った。
孤児院はノエルの家になった。
シェイラという母の下、個性あふれる子供たちとの共同生活。
生まれてこの方、友達がいたことのないノエルだが、どちらかと言うと対人欲求の強い子供だ。自作のぬいぐるみと毎晩おしゃべりしていたから、コミュニケーションにおける問題は皆無。
彼女はすぐに孤児院に溶け込んで、見た目も心も見違えるように生まれ変わった。
つまり、孤児院はノエルのテリトリーなのだ。
暖かな家庭がある、自分を脅かす存在のない世界。
そんな認識が彼女の中に在った。
だからノエルは言ったのだ。
私は、クロウが孤児院に住むのは反対だと。
何を起こすか分からない不確定要素は、ノエルの『世界』の中で歓迎されざる存在だった。
何しろ、前触れも無しに『世界』を守る孤児院の柵を破壊されたのだ。セレナが見張るといっても恐怖は消えてくれない。というか肝心の狼少女が先ほどどこかに消えてしまった。
小難しいことを抜きで言うと、部外者はどっか行けということだ。
ノエルの過去を知らない他の子供からすれば、身勝手な振る舞いに見えるのも仕方のないことだった。
___だから、それを聞いたシノンは、エルが決めたことなのだから、ちゃんと従わなきゃダメだとたしなめた。
ノエルと違って人並みに生きてきたシノンは、人並みの価値観と人並みの常識がある。
特に、母親の仕事を見てきたことで大人の事情を察する洞察力も身につけており、エルからすると接しやすい存在だった。
シノンは仕事の苦労というものを知っているため、母に劣らない働きぶりを見せるエルを尊敬し、機会があれば自ら進んで手伝いをした。
エルもまた、勉強や稽古に真面目に取り組むシノンを妹のように可愛がった。
自分が教えたことをひたむきに身に付けようと努力してくれるというのは、中々心地よいものである。
二人の時間が長くなり、シノンの心境も変化していった。
察しの良い子供は薄々気付いているのだが、シノンはエルに好意を抱いている。
そして、その察しの良い子供の一人であるノエルの視点から言うなら、シノンはエルの前では『良い子ちゃんを演じている』ようにしか見えなかったのだ。
これはかねてよりノエルが気に入らないことだった。
そのことでノエルが毒突いたところ、もちろんシノン本人は自分の想いが露見していることは知らなかったわけで、激しく動揺し、感情の均衡が崩れた結果、泣いてしまったというわけだ。
というような事の次第を、アンジェは正確に把握した。
事態を俯瞰することに関しては、彼女はエルより優れている。
エルはしばしば客観性に欠けることがあり、自分の意図と他人のそれとを勘違いしたりするのだ。
その結果がセレナの家出なのだが。
「……シノンが正しいとは思うんだが、俺の意見としてはノエルに賛成だ。クロウは危険だ。エルと戦ってた時、雑魚だとか何だとか色々喚いてたし。怒らせたら何するか分からない」
事情を説明したローランドはそう締めくくった。
話をしている間も、ノエルとシノンはぎゃんと喚き合い、二人を取り持とうとするドリスタンはそろそろ鼓膜がイカれそうで涙目になっていた。
時間稼ぎしてくれて助かった。
アンジェが口論の場に踏み込むと、ドリスタンが気付いた。
「あ、アン姉……もう俺じゃ無理っす」
「お疲れ。ベビールームにでも行って休んできな」
「はいぃ……」
後は私の仕事だ、とアンジェはドリスタンの肩を叩く。
喧嘩を止められなかったことに落ち込んだのか、ドリスタンはとぼとぼと部屋から出て行った。
「あと、ウォル兄ランド兄、クロウを連れてきて」
「さっきミミにセレナ探させるとか言ってなかったか?」
「うん言っちゃったから急いで」
「マジか」
ウォルターとローランドは互いに顔を見合わせて、ドリスタンの後を追うように走って行った。
部屋に残ったのは、シノンとノエル、アンジェの三人。
喧嘩中の二人は赤く充血した目でアンジェを見上げている。
(さてと……)
二人の間で何が拗れているかは把握したものの、どうすれば解決するのか、皆目見当もつかない。
こうではないかと結論したことが的外れな可能性だってある。
答えのない問題。解くにはどうしたら良いだろう。
……なるほど、それが『基盤』なのかな、とアンジェはぼんやり納得した。
ミシェルが言ったエルの言葉。
こうした難題に直面した時、答えを導くための要素として、皆のことを知っておくべきだという意味か。
一つ息を吐いてから、アンジェはノエルの方を向いた。
「ノエルは、エルのことどう思う?」
「嫌い」
即答だった。
まあ、これも半ば予想していた答えである。
アンジェは苦笑いしながらノエルに先を促す。
「なんで?」
「いつも偉そうに命令するし、私ばっかり怒られる。なんでみんなあんな奴の言うこと聞いてるの?」
「シェイラ母さんがそう言ったじゃない」
「母さんのことは好き。でもあいつの言うことを聞けっていうのは理解できない。エルは別に大人でも何でもないじゃない。ちょっと頭良いだけで我が物顔で院長室に居座ってさ」
後半はほとんど愚痴になっていたが、ノエルが何に対して不満を覚えているのかはわかる。
ノエルは優秀である。
魔法も勉学も剣術もエルより要領よくこなしている。宿題忘れもない。怒られる要素は見当たらないように見える。
シェイラも、彼女を褒めることこそすれ叱ったことは少ない。
だがエルが教師になって、ノエルはよく怒られるようになった。
宿題も忘れない、稽古も授業も真面目に受けているのに、何故に叱られるのか___彼女からすれば理不尽な仕打ちにも感じるかもしれない。
アンジェも同じ思いをしたことがあるから、分かる。
同時に、人を導かなければならないという立場に立った今なら、エルの視点から彼女を見ることもできる。
何が問題なのかが分かる。
「エルは、誰よりも努力してるでしょう」
「……だからって」
「うん、分かるわよ。ノエルも同じくらい努力しろなんて言われたって無理よね。それを押し付けてくるから嫌いなんでしょ」
図星を指され、ノエルは仏頂面になった。
エルは自分に厳しいが、他人にも厳しいのだ。
とりわけ___自分より優れた才能を持つ者に対しては。
「ノエルはいつも、やることやったらハイおしまいって感じだからねぇ」
「それの何が悪いの?」
「悪いことではないけれど、良いことでもないわね」
「私は良い子になりたいわけじゃない!」
「それならエルにそう言えばいいじゃない。私は頭が良くなりたいわけでも、剣が上手くなりたくないわけでもないんだよって」
ノエルはぐっと詰まった。
聡い彼女なら言われなくたって分かっていることだ。
ならばなぜ、指摘されただけでこうも苦い顔をするのか。
誰もが強さを求めているわけではない。
この子は決して間違ってはいない。
平和に平穏に、みんなと暮らせたらそれでいい。
そう思うのは普通だ。
しかし、本当はノエルも理解している。
これはどちらが悪いかという問題ではなく、やるかやらないかという二つに一つの選択の問題であって、エルはそれを提示しているだけにすぎない。
エルは彼女を叱りはするが、テンション的にはいたって穏やかなものだ。
ノエルが反抗する余裕を残しているということは、転じて選択の余地を与えられているということでもある。
そこで彼女は迷っているのだ。
何もかも突っぱねて、好きなように生きるか。
言われたことを受け入れ、まだ見えもしない自分の未来のために努力するか。
或いは___別の選択を見つけ出すか。
「ほら、エルんとこに行ってきな」
「え……今!?」
「そうだよ今。良いことなんてしたくないんでしょ? 今言えば明日から怒られなくなるよ?」
「……」
「迷ってるなら」
アンジェは息を吸って、吐いた。
ノエルは泣きそうな顔になっていた。
ここまであえて追い詰めるような言い方をしてきたが、そろそろ緩めてやろう。
「一週間。エルとかシノンとか、私とか、みんなをよく見て、自分がどうしたいか決めな。そしてエルに言うのよ。自分がどうしたいかってのを」
「……決めらんなかったら?」
「そしたらまたずーっとエルに叱られる毎日ね」
「そんなの嫌」
「それなら頑張って決めることよ」
すまし顔で言うと、ノエルはふくれっ面になった。
事あるごとにノエルはエルに突っかかる。
どうやら彼女はエルを問題児に仕立て上げようと試みているようだが、何回階段でスカートを覗かれたと叫んだところで、アンジェたちにとっては今更である。
エルがむっつりすけべな人間であることは孤児院内では知られたことだからだ。
ノエルはそういう話に加わることがないから知らないだけだ。
「ふん。分かった。どうせあいつとは決着つけようと思ってたし」
「決着って……」
彼女は不機嫌そうな顔でそっぽを向いていた。
アンジェは思わず苦笑いする。
姉もまた、こんな気持ちで私を相手していたのだろうか。
まあそこはそれ、あの時の自分があってこその今。
その場で足踏みするより前へ進むのだ。
「で……本題はクロウだったわね」
「あいつも嫌い」
「いきなり孤児院の柵ぶっ壊してくるようなヤツを好きになれとは言わないわよ。実際、シノンも怖がってたし。ね?」
若干放置気味にされて行き場を無くしていたシノンは、びくりと肩を震わせ、顔を上げる。
幾筋もの涙の跡が乾きかけているが、目は真っ赤に充血したままだ。
「こ、こわい……けど。エル兄が、言ってたから、わたし……」
また声が震え出す。
突き上げるように湧いた涙がシノンの目尻をこぼれ落ちる。
そう、彼女はクロウを怖がっていたのだ。
昼食のあと、エルがクロウを引き取ると告げたときから、シノンの様子がおかしくなっていた。
様子と言えば、いきなり副院長を押し付けられたアンジェの方がよほどおかしくなっていたであろうが、今は持ち直したのでそれは無かったこととして考える。
都合の悪い記憶はさっさと忘却してしまうに限る。
現実逃避では無い。ポジティブシンキングだ。
「怖かったならちゃんと言わなきゃダメじゃない。エルの言うことなら全部聞くの?」
「だって……」
「今すぐシノンのパンツよこせって言われたらあげちゃうの?」
「……」
シノンの頬が引きつった。
お兄ちゃんはそんな変態みたいなことしない、と反論しない辺りに、エルに対する内心の本音が窺える。
「なんでもかんでも受け入れちゃダメよ」
「なら、アン姉があの人追い出すの? できるの?」
「そうは言ってないわ。クロウはうちで預かるわよ」
「は!?」
シノンは何が言いたいのか分からないといった顔をし、ノエルは色を作して口を開きかける。
アンジェはそれを制しながら、頭の中では、次に何をするべきかと目まぐるしく思考を回転させ始めていた。
と同時に、頭の片隅で思う。
シェイラに院長代理を任せられてから、エルはいつも以上にあれこれと忙しなく動くようになった。
正直、生き急いでいるようにしか見えなかったが、こうして直に体験してみると分かる。やることが多すぎて時間が足りない。体が追いつかない。
遠回りをしているとあっという間に日が暮れそうだ。
故に最短距離を見極め、止まることなく突っ走る必要がある。
今日だけで学んだことが山ほどある。
忘れないように、今日から日記でも付けようと、アンジェは脳裏に一つ決め事をした。
この年頃の女の子が何考えてるのかまったく分からない件。
全力で妄想膨らませて書いたつもりです。
とりあえずトゥエルはしばらく引きこもって出てきませんね、きっと。




