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勇者のスペア ー魔剣使いの人生譚ー  作者: 黒崎こっこ
エルフィア孤児院 変革期編
31/41

第二十八話 無表情の一枚下に

…おや!?

セレナのようすが…!



というわけで、セレナ視点です。




 セレナは道無き道を走っていた。

 孤児院からもオルレアンの街からも離れた、名前もない前人未到の山の奥。


「はっ……はっ……はっ……」


 茂みを飛び越え、枝木を蹴り飛ばし、川を渡って土を蹴る。

 自分がどこに向かおうとしているのかは分からない。


 そう、分からなくなってしまった。

 どうすれば強くなれるのか。

 どうすれば守れるのか。

 どうすれば、あの少年に追いつけるのか。


 体を突き動かすような焦りが、彼女の身を焼いていた。




 ___いつからだろうか。

 あの少年のことを、親ではなく、兄でもなく、もっと別の、特別な存在として感じるようになったのは。

 

 そう、セレスティナという少女にとって、トゥエルという少年は親のようなものだった。

 人攫いの魔の手から救ってくれたからというだけではない。

 同じ背丈、同じ歳にしても、彼のまとう雰囲気や『匂い』は子供のそれとはまったく別物だった。常に色々なことを考えているように見えた。

 思考の流れ方が大人と同じだった。


 といっても、それだけと言えばそれだけである。

 エルはとても優しかった。

 頼ってもいいのだと思わせてくれた。

 仲間と居場所を、未来を与えてくれた。

 幼くして誘拐され、身を引き裂かれるような痛みを味わい、絶望と恐怖に閉ざされかけた心と体を救ってくれた。

 単純にそれだけだった___それだけで充分だった。

 セレナはエルに甘えた。



 だが、彼を親のように見ていたのは最初だけで、彼に対する認識は割と早い段階で変わっていた。

 はるか年上の騎士と言い争って追い詰められたり、年長の子達に剣や魔法でボコボコにされたりと、言わば『年相応に見える』部分があったからだ。

 とりわけ、エルに勝る要素をセレナが持ち合わせていたという点が大きかった。

 現時点までセレナは剣で彼に負けたことはない。

 セレナにはない知恵と経験を持ち、それは時に大人にも匹敵することこそあるけれど、それは絶対ではない。神さまのように何でもできるわけではないのだと、そう思うようになった。

 彼女の中でエルという存在は、頼りになるが、自分と同じ子供である、詰まるところ『兄』のようなポジションに落ち着いた。


 エルの優しさをより身近なものとして再認識したことで、彼女の甘えはむしろ加速することになる。

 必然的に、エルの甘やかしもエスカレートした。

 彼は何でも教えてくれたし、誰からでも守ってくれた。

 剣術稽古は、獣憑きの村でもやったことがあったので要領はすぐ掴めた。あれほど苦手だった勉強も、エルがそれこそ手取り足取り教えてくれたおかげで、文字の読み書きはおろか計算までマスターできてしまった。

 唯一、魔法は全く進歩の兆しが見えない。幼い頃の憧れであっただけにがっかりだが、贅沢は言えまい。

 

 箱入り娘だったセレナが、村とは違う未知の新天地で、不安なく環境に慣れることができたのはエルのおかげだ。

 今にして、それがどれほどありがたいことだったか分かる。

 感謝してもしきれないくらいだった。




 このまま続けばいいと思っていた日常。

 そこに二つの転機が訪れる。


 一つ目は、ディバインボアの統率する群れに翻弄されたあの日のことだ。

 エルはレイチェルを守るために、闇夜の中、一人で魔物の大群と戦い、その結果満身創痍になりながらも生還した。

 心配ではあったものの、必ず帰ってくるという確信があった。

 だから彼が無事に帰ってきたことも当然のことと思った。

 しかし、その後の夜、エルとエルシリアが屋根の上で話していたことをアンジェと一緒に盗み聞きしたとき、セレナは自分の考えの甘さに気付いた。

 

 エルが___帰ってこないかもしれない?

 考えたこともなかった。考えもしなかった。


 いや。

 それなら、ディバインボアの前で倒れていたエルを見つけた時、自分はなぜ泣いていたのか?

 急ぎに急いで見つけたエルが、息をしていない。

 ぐったりと四肢を横たえたまま動かない。

 そんな状態で見つかるのが怖かったからではないのか。


 彼だって死ぬ時は死ぬのだ。

 それを考えないようにしていただけだ。


 それに気付いたセレナは、ぼんやりと目標を持つようになった。

 いざというとき、エルのことを守れるように、強くなろうと。

 なんとなく必要な基準として、とりあえず彼よりかは強くなろうと思った。

 といっても、何か新しいことを始めたわけではない。

 この時点ですでに、セレナはエルより強かったからだ。

 強いて言えば、エルに負けないよう、日頃の訓練や稽古から鍛錬という意識を持つようになっただけだった。

 実力を維持するために、強く在るために必要なものなのだ、と。

 変わったのはそれだけなのだが、それだけでエルが追いつけないレベルまで剣の腕が上がってしまう辺り、セレナが天才なだけなのか、はたまたエルが非才すぎるのか。

 多分どっちもだ。


 転機となった二つ目の出来事は、研究だか何だかで、レイチェルやエルシリアがエルと四六時中くっつくようになったことだ。

 思い返せばこれがきっかけだった___エルとの繋がりを不安定に感じるようになったのは。

 そのことを自覚するでもなく、この時はまだ、セレナは心の中で暴れ始めた正体不明の『何か』を抑えつけていた。


 その『何か』が抑えられなくなってきたのは最近のことだ。

 シェイラが孤児院を発ち、その代理としての仕事を任されたエルに、セレナの相手に専念する余裕などない。

 これによって、彼女の中に溜まったフラストレーションがさらに密度を増した。


 イリスを始めとする小さい子の世話、年長組の統制、その他様々な仕事に従事する彼は、まるで遠い存在になってしまったかのように思えた。

 今まで導いてくれた手を、離されたような気分だった。

 不安とともに、苛立ちが募るようになった。

 自分を見てほしかった。

 仕事の次に優先するべきは自分だと思っていた。

 もっとも、彼女は生来感情の起伏が極端に表出しにくい表情筋の持ち主であったため、それが誰かに気付かれることはなかった。

 無論、エルにも気付かれなかった。


 最初は彼への恩義や感謝の念で抑え込んでいた負の感情は、徐々にセレナの内部を蝕んでいく。

 それは特に、エルが他の女の子と言葉を交わしたり触れ合ったりしている場面を見た時に大きく進行した。

 自分だけが後回しにされている気がしてならない。

 魔法だっていつもは付きっ切りで教えてくれたのに、今はシノンばかりを優先する。

 稽古でもアンジェと組まされるようになった。

 アンジェは水魔法を遠慮なくぶっ放してくるから嫌いだ。

 そんな思いを乗せてエルに視線を送ってみても、どうも思う通りに汲み取ってくれない___彼との繋がりが切れ始めていることをはっきり自覚したのはこの時だった。

 セレナのポーカーフェースが鉄壁すぎて、エルは意思疎通の齟齬に気付きもしない。


 今までエルにべったりだったせいで、周りの子供たちとの繋がりも薄い。

 エルを通して繋がっていたと言ってもいいほどだ。

 誰にも相談できないまま、彼女はすべてを溜め込んだ。


 そして、何の前触れもなく唐突に、クロウがやってきた。




 ___川岸の、藻が生えた石に足を取られ、セレナは転んだ。

 さしもの獣憑きでも、重心が正中から完全に外れた状態から態勢を立て直すのは至難の技だ。

 頭を庇って受け身を取りつつ、石の上を転がる。


「はっ、はっ、はっ……」


 体のあちこちに痣ができる感覚を得る。

 庇った腕からは出血の感覚があった。

 セレナは顔をしかめて、ゆっくりと立ち上がった。


 ここがどこかは分からない。

 だが方角は分かる。孤児院がある方向もだ。今すぐに帰るつもりはないが。

 それなら一体、自分は何しにここまで来たのだろうか。


「はっ、はっ、……ん」


 ぴくりと耳を動かす。

 血の匂いを嗅ぎつけたか、魔物が近付いてくる。

 片手に握ったままの剣、そしてもう一本、腰に収めたままの剣を抜こうとして___不意にセレナは、動きを止めた。


 脳裏に鳥の獣憑きの少年が浮かんだ。


(クロウの戦い方……)


 クロウは小さい頃から遊んでいた仲だが、稽古でもかけっこでも彼女の敵ではなかった。

 久しぶりに会ってみれば、さすがに獣憑きの村でしごかれたのか相当に強くなっていたが___エルはそれを、容赦なく、圧倒的な強さで、いとも容易く排除して見せた。

 そのまま殺してしまいそうで、咄嗟に飛び出てしまった。

 いつもの優しいエルは、そこにはいなかった。


 そうだ。いつも優しかったのだ、エルは。

 彼の真の実力は、本当の危険な時にのみ表出する。怒りや悲しみといった感情の奔流とともに。


(……獣憑きとしての、戦い方。参考にはなったけれど、クロウは相変わらず意気地がない……それに比べて)


 ここまで来た理由なんて決まっている。

 強く、なるためだ。エルよりも強く。

 いつの間にか、はるか雲の上へと行ってしまった彼の手を、再び掴むために。

 シェイラは戦争へ出立する間際、子供たちにこう言っていた。

 

《エルはね、本気を出すとけっこう凄いのよ?》


 シェイラにそう言わしめるだけのことはある。

 クロウが襲って来たとき、セレナが連れ去られると言われたからエルは本気を出した。

 ちょっと嬉しい自分がいる。

 違うそうじゃなくて。

 そう、だからこそシェイラは孤児院をエルに預けたのだ。

 自分の命より大事と公言して憚らない大切な孤児院を、エルなら必ず守り切ってくれると信じているから。


(そんな重い信頼に、エルは堂々と応えてる)


 いつの間にこんなにも差が開いたのか。


 数年前、エルが寝る前に話してくれた昔話を思い出した。

 細かい設定は忘れたが、確か、ウサギとカメが競争する話だ。


 なぜカメが勝ったのかが分からなかったので質問すると、エルはこう答えた。

 つまりは目的の違いだと。

 ウサギはカメを追い抜くことを目的とし、カメはゴールすることを目的とした。

 先に目的を達したウサギは油断したが、カメは最後まで気を抜くことはなかった。

 だからウサギは負けたのだと。

 当時はこの説明も理解不能だった。

 エルは「ちょっと難しかったな」と笑って撫でてくれた。


 例えるなら、セレナはウサギでエルはカメだ。

 名前もちょうど三文字と二文字。

 カメに勝っていればいいと思っていたばかりに、ウサギは自分を高めることを疎かにした。

 だが、そのカメは、よたよたと歩きながら、どうしたらゴールに早く辿り着けるかを考えていた。

 考えて考えて、考えて考えて考えて考えて考えて考えた。

 そして、カメは二人の姉の力を借り、空を飛んだ。

 ウサギは追い抜かれたことに気付かず、カメが遥か前方に進んだころになって、ようやく自分の遅れを悟ったのだ。


 後塵を拝してばかりもいられない。

 エルに追いつく方法はただ一つ___彼を上回る速さで走ることだ。それがどんな無茶でもやるしかない。

 やるしかないのだ。


(エルに……追いつかなきゃ)


 もし、このまま追いつけなかったら。

 彼はきっと___永遠に離れていってしまう。

 そんな気がする。


「……はー……すー……はー……ふむっ」


 剣の柄を両顎の歯で挟み、がちりと咥える。

 そして身を屈め、狼少女はクラウチングスタートさながらに両手を地面に触れた。



Bボタン連打。


進化しても変わりそうもないですが笑。

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