第二十六話 術導院で腕試し
道中の魔物を蹴散らし、オルレアンの街に到着する。
ソロで魔物と戦ったのは久しぶりだが、考えてみれば何故か俺の戦いの想定状況は基本一対多、場合によっては後ろに戦えない人がいるという場面だった。
たぶんレイチェルを守ったあの日の戦いが影響している。
結果的に、余裕の戦果を収めることができたので良しとしよう。
「さてと……」
街も、二年前と打って変わって戦勝ムードだ。
最近は物価も下がりつつあるが、孤児院の資金難は相変わらずである。
数字に強い俺はいつも記帳に駆り出されてきたので、そこら辺は無駄に詳しくなった。
だから___今までは増える一方だった術導院への借金が、最近になって何故か減りだした、その理由も知っている。
術導院に入ってすぐ右に向かうと、いくつかの窓口のカウンターが見えてきた。
「受付さん」
「トゥエルちゃんじゃないの。早いわね」
依頼を受け付ける場にもなっている術導院の窓口の一つ、長身だが比較的若く見えるお姉さんに話しかける。
シェイラの友人であり、俺たちに割の良い依頼を斡旋してくれる顔なじみだ。
リットリアという名前だが、みんな受付さんと呼んでいる。
もちろん俺も親しみを込めてそう呼ばせて頂いている。
名前の響きから、生前大学に通っていた際に何度も食べに行った某ハンバーガー店の記憶が今更脳裏に蘇ってきてお腹が減ってくるとか、そんなことは決してない。
「適当に魔物を狩ってきたので引き取りお願いします。あといつものこれも」
「はいはい承りますよー」
差し出したのは、狩ってきた魔物の剥ぎ取り素材、そして銀貨の詰まった袋___俺のへそくりである。
「あら、まぁたこんなもの持ってきちゃって。今日こそ拒否れってお兄さんにも言われてるのにぃ」
「ダン兄が止めたら俺も止めます」
「それ前も聞いたー」
元はと言えばダンが始めたことである。
借金額がじりじりと減っていることに気付いた俺は、受付さんに詰め寄り、彼の給料から天引きされていることを知った。
つられるように俺も自分の稼ぎを借金返済に費すようになった。
九歳になると、実戦訓練の一環で一人でクエストを受ける訓練も行う。ひたすら数をこなしていたら、俺専用の貯金がいつの間にか金貨単位まで貯まっていたので、返済の手伝い程度なら痛くも痒くもなかったりする。
「ところで今日はお一人様? セレナちゃんとかは?」
「個人的な用なので俺だけです。他の子はまた後から来ます」
「ほほーう、個人的な用。私に恋愛相談かな」
「クソ面白くもない冗談は非常に不愉快なので止めて頂けますか? ダン兄呼んでお願いします」
「お、おおう……なんかごめんね。少々お待ちくださいね」
地雷を踏み抜いてしまったことを察した受付さんは、愛想笑いを引きつらせながら裏に引っ込んだ。
俺は一人頭を抱えて唸った。
(じ、自制が効かん……)
理性より先に感情が剥き出しになる。
自分の体ではないみたいだ。
偶然に乗り込んだモビルスーツだってこんなに操縦は難しくないだろう。なまじ中身が大人なだけに余計情けなくなる。
机に突っ伏してぐるぐる目を回していると、程なくして受付さんが戻ってきた。
「ごめんねー、お兄さん今授業中で抜けられないって……あらら、どうしたのトゥエルちゃん?」
「一人反省会中です」
「……こんな悩み込んでるトゥエルちゃんも珍しいわね」
受付さんは椅子に座ると、きりりとした仕事人の顔になって俺を見下ろしてきた。
なんとなく何を言われるかの予想がつく。
「私で良ければ事情を聞かせてくれない?」
こんな時に思い出すのは前世の記憶だ。
今まで読んできたSFやエンターテイメントにおいて、個性的な登場人物は数多くいた。しかしこと恋愛においても完璧超人を誇る主人公とか見たことがない。
当然だ。
男が女心を理解することは永遠に不可能___男が女性の心理を知るにはただ一つ、女性の視点が必要だからだ。
というお酒の入ったシェイラの語り草も思い出す。
「誰にも話さないでくれますか」
「どんと来い。これでも口は堅いのよ。今までにもエルシリアとかトミーとか相談受けた実績あるからねん」
「……ほう」
それは初耳だ。
もしかしてこの人、相談役としては頼りにされてる?
しかし、これは他の子も相談しに来たとき「あのトゥエルちゃんも私を頼ったのよ」と言われる可能性があるのか……。
ええい形振りなんぞ構っていられるか。
「実は___」
長く掛かりそうだと思ったのか、受付さんは親切にも『締切』の立て札を立ててくれた。
受付さんは聞き上手だった。
俺が言いにくい場所をさりげなく流したり、話が逸れたら本題にそれとなく戻したり。
孤児院の子供から信頼を得ているのもよく分かる。
説明していて分かったことだが、自分の中にはまだ整理がついていない感情や思考がそこら中に散らばっていた。
なので、話す内容も時系列がめちゃくちゃだったり、支離滅裂な言い方になったりと、精神本当に大人ですかと自分で問いたくなるような惨憺たるものになった。おかげで散らかりっぱなしの脳みそは何とかまとまりがついたものの、リットリアさんには大変面倒をかけてしまった。
そんなこんなで説明終了。
「___なーるほーどねー」
話したのはアンジェのこと、クロウのこと、セレナのこと、俺のことだ。
院長代理の仕事がしんどすぎて自分の勉強や訓練がままならないので、他の子にも負担してもらおうと考えていたこと。
昨日返り討ちにしたクロウの孤児院入り___獣憑きの解放隊については他言することではないと判断し、黙っておいたが。
そして、セレナが俺から離れていったこと。
言わなくていいことまで吐露してしまった今の俺は、現在耳まで赤くなっている。
「トゥエルちゃんは……相変わらず自分を過小評価しすぎね」
さして考える間もなく、受付さんはそう断定した。
というより、何を言おうかすでに決めていた感じだった。
「どこがですか」
「自覚してると思うけど、あなた色々と化け物よ? 今の時点で騎士団の文官試験通れるくらい頭がいいし」
「そんなの知識量の問題です。やろうと思えばみんなにだって」
「できないのよ。もう一つの問題はそこ。みんなのことを過大評価しすぎ」
相対的な価値の差が必要以上に大きくなってるの、と受付さんは俺の目を見ながら言った。
「もうねーアンジェちゃんに院長代理の代理を任せたとか言ってる時点で色々とアレよ。悪口を言うわけじゃないけど、あの子が孤児院をまとられるって本当に思ってる?」
「それは……副リーダーの経験も兼ねて、と」
「いきなり二十人近くを統制しろったって無理な話でしょう。逆に言えば、シェイラにそんな無茶振りをされても一人で順応しちゃうトゥエルちゃんは規格外よ。シェイラもそんなあなただから仕事を任したのだと思うけれど?」
そんなことは知っている。
俺は確かに規格外だ。転生者というアドバンテージを持っている時点で規格に収まる方がおかしい。
分かっている。
分かってはいるが___納得がいかない。
しかし受付さんは、俺の不満そうな顔を見た上で、さらに挑発を塗り重ねるように言葉を連ねていく。
「セレナちゃんだってそうよ。幼馴染を圧倒するトゥエルちゃんを見て、焦らないわけがないでしょう」
「……確かに、初見の相手はほぼ確実に勝てるってくらいの自信を身につけるまでにはなりました。でもそれ全部、手の内が分かれば容易く対処できるものばかりなんです。俺と戦い慣れているセレナなら簡単に___」
「できないのよ。もう一回言うわ。あなたはあの子たちを過大評価しすぎ」
受付さんは繰り返す。俺の目を見て何度も言う。
認めない、受け入れない、頑固な子供に言い聞かせるように。
俺はじろりと上目で睨みつける。
「普段の訓練とかも見てないあなたが、なぜそう言い切れるんですか?」
「そこ、あなた自身の過小評価にも繋がってるわよ。あなたのことだから相手が傷つきそうな魔法だったり対処の難しい攻撃だったりは控えてるんでしょう。あなたはそのハンデを当たり前のものだと思ってるかもしれないけど、セレナちゃんからしたら相当ショックなことよ? 互角だと思ってた相手が、手加減してたなんてね」
ちゃぶ台返しでも受けたような気分だった。
俺の言い訳は片っ端からひっくり返され、受付さんの筋の通った理屈が波状攻撃のように押し寄せて反論すら封じる。
頭の中に渦巻く対抗心はひたすら燃え上がるばかりだった。
しかし、ここは受付さんの言葉を認めずに言い返す方が無様だと判断した理性が盛る感情を制し、俺は何とか平常心を保持したまま言葉を返した。
「……よくお分かりのようで」
「伊達に毎日受付やってないのよー? 日常を眺めているからこそ、見えてくることもあるってもんよ」
ふふーん、と受付さんは得意げに笑った。
ぶりっ子に見せかけた策士め。
他にも色々と弱味を握られていると考えた方が良さそうか。
煮え滾る腹の虫を諌めていると、受付さんが俺の後ろを指差してにこりと笑った。
「トゥエルちゃん後ろ。来たわよー」
白地に金の刺繍で装飾が施された術導正装を着込んだ青年。
いまやすっかり術導教師が板についたダンがそこにいた。
いつの間に授業の終わりの鐘が鳴ったのか。
「遅れてすまない……と謝る前に一つ言わせてもらうが、来るなら前もって言ってくれ」
「それは申し訳ない。ところで相変わらずイケメンですねダン兄」
ダンはしばらく俺を眺めると、受付さんを睨んだ。
「……リティ、エルに何した?」
「やーねーお兄さま。ちょっと口論でコテンパンにしただけよぅ」
「大人気ないぞ四十路」
ピシリと受付さんの表情が固まった。
四十過ぎてたのかこの人……。
その間にダンが手招きし、俺はむくりと席を立つ。
「忙しいところお呼び立てしてすいません」
「気にするな。色々とちょうど良かったし……」
ダンは言葉尻を濁した。
正直今日は会えないかもと予想していたのでありがたいと思っていたが、彼も何か事情を抱えている様子だ。
ちょくちょく迷ったような目を俺に送ってくるのも気になる。
「話を聞いてくれてありがとうございました。失礼します」
受付さんは何も聞かなかったことにしたらしく、まもなく再起動して俺に手を振った。
「とにかく、一度立ち止まってみなさい、トゥエルちゃん。見えてないものが見えてくるはずよ」
「そうですか。頭の片隅にでも留めておきます」
「応援してるわよー」
ばちこーんとウインクが飛んできた。
何を応援するのかは言われるまでもなく分かったので、そっぽを向いたまま毒を吐いておいた。
徹頭徹尾に論破された分の小さな仕返しだ。
若作りしてることバラしちゃうぞー?
***
術導院の学舎内では、昼休み中なのか制服を着た生徒が出歩いていた。
学校に通っているということは、クソ高い学費を毎度払える成金か、学費を免除された優秀な特待生のどちらかだ。
そんな方々から見て、全身オンボロ装備の俺が学舎を歩いている光景は実に物珍しく映るらしい。まじまじと浴びせられる視線が実に煩わしかった。
六歳から二十歳くらいまで、生徒の年齢層は割と幅があるように見えた。しかし流石に、術導正装を着込んでいる十四歳は、俺の隣にいる天才殿以外には見当たらない。一番若そうな教師でも二十代後半の男を一人見かけたくらいだった。
最難関就職先なだけあって、教師も生徒も全員賢しそうな面持ちの者ばかり。
こういう人たちを見ると、俺が自分自身を過小評価してるという受付さんの言葉が胡散臭く思えてきてならない。
獣憑きの子供一人を軽く捻ったからなんだというのか。
俺より有能な人間なんて掃いて捨てるほど居るじゃないか。
もう考えるのが嫌になってきた。
「……今日は何の用で来たんだ?」
受付さんに言われたことを頭の中から追い出そうとしていると、ダンが尋ねてきた。
「以前お話しした件で」
「ん、やっぱりアレか。ちょうど良かった」
「ちょうど良かった? なんかあったんですか」
アレ、というのは、俺が今日ここに来た目的___『対人訓練』の一件である。
俺が考えていたのは一対多の模擬戦、孤児院では中々機会がないのでダンのクラスの生徒を拝借しようということだったが、先日にダンから非常に面白そうな計画を聞かされた。
オルレアン術導院では、定期的にクラス毎で遠征に行くイベントがある。そこで俺に妨害役を務めさせようというのだ。
俺は構想中の大規模魔法を実戦で試すことができ、生徒は突発的事態への対処方法が身につく。
というような一石二鳥だったのが、俺が院長代理になったことで忙殺、遠征どころか模擬戦もままならなかった。
今日はその計画の再開に、ダンのクラスと顔合わせでもしようと思って来たわけだが、
「前にも話したと思うが……」
「ああ、天狗が増えてきてるとか何とか」
「そうだ。実力が伸びてきた一部の生徒が、ちょっとな」
「どんな子ですか?」
「見れば分かる」
とはいえ、目を合わせようとしないダンの態度から、察しはつくというものだ。
ダンは『初導部・三』と書かれたクラスの前で止まった。
なんかもう既に中から女の子の大声がガンガン聞こえてくる。
扉を開けると、一瞬声が止んで、
「___ちょっとぉ、昼休みまだ終わってないでしょうが! なんで戻ってきてんのよッ!!」
大音響が教室を揺らす。
その女の子は教室の最後尾の席にいるのに、最前列の俺の鼓膜をぶち抜きそうなレベルの大声だった。
同じ人間の声帯の持ち主とは思えない。
「……帰るか?」
「いえ。やることは把握しました」
ダンの声が気まずそうだ。
しかし俺は無表情に、ハイパーボイス少女を見据えていた。
ちょっと、頭を空っぽにしたかったところだ。
いまや頭を悩ます度に心が掻き乱される。相談を持ちかけたのが逆に仇になっていた。
なんでもいいから何かに集中して、一時的にでも孤児院のことを忘れたかった。
震源地中央の少女の名はフレアといった。
前世でもこんなのいたなと思うような典型的不良だった。制服を着崩し、机の上に座って傲岸不遜な物言いをする。
ダンは俺のことを生徒に紹介する際、フレアと正反対の子と表現していたが、言い得て妙だ。
その言い方から彼女を煽る意図もあることも分かったが、案の定彼女はブチ切れた。
いかにも育ちの良さそうな見た目に服装、更に腰に吊るしている超巨大な魔石を嵌め込んだ高級そうな杖から見るに、いいところのお嬢様なのだろうか。
取り巻きの連中にはアスリート体型のイケメンが多く、さながら親衛隊みたいな印象を受けた。
同じように、まとまったグループもいくつか見受けられる。
派閥とかそういうしがらみもあったりするんだろうか。
次の授業は実技演習ということで、クラスは校庭に移動し、演習準備を終えたところだ。
ダンの煽り効果もあり、俺と、フレアを始めとする「実力者」のパーティが模擬戦をすることになった。
俺の目的そのままであるし、むしろ望むところなのだが、煽りが効きすぎて、ダンの弟分をぶちのめして憂さを晴らそうとかそんな雰囲気になってるのはちょっと予定と違ったりする。
まあ、やることは変わらんが。
「ちょっとアンタ。魔力総量は何ランク?」
「……俺ですか?」
「他に誰がいんのよアホ」
模擬戦の直前、フレアとそのパーティ、しめて四人が仁王立ちになって俺と対峙していた。
アホと言われただけでこめかみがぴくりとなる。
また感情が暴発しそうだが、何とか我慢する。
理性という枷で抑え込むのだ。
「Eランクですが」
「ふはっ。嘘でしょ?」
小馬鹿にしたような笑い声が降ってきた。
術導院では魔力総量ランクという基準値が定められている。単純に、最高のAから最低のEまでに分けられる。
孤児院では基本的に測定は行わないし、一般化された基準というわけでもない。さも常識のように振りかざすのは誤りだ。
世間をご存知ないようで。
「……」
「ちょっと。何とか言いなさいよ」
「何を言えと」
……まったく関係ないが、思考に余裕があるうちは挑発されても感情の沸点が暴走し難いらしいことに今気づいた。
よし、この状態の安定を心掛けよう。
ちなみに魔力総量ランクだが、俺の知る範囲では、レイチェルがA、シェイラがA+だった。
フレアは俺が聞き返してくることを期待していたようだが、聞くだけ無駄なので無視する。
どうせ最低ランクの俺からすれば全員格上。
術導院の生徒様もさぞ優秀なのだろう。
「ちっ。……もういいわ。さっさと終わらせましょう」
不機嫌にそう言い捨てて、フレアは杖を抜いた。
俺はぼそりと『万象』の詠唱を呟き、両手の木刀を構えた。




