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勇者のスペア ー魔剣使いの人生譚ー  作者: 黒崎こっこ
エルフィア孤児院 少年期
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第十八話 七歳児の死闘




 どれくらい長く戦い続けているか分からない。

 時間の感覚は皆無。ただ今までで最長の戦闘時間であることだけは間違いない。

 ただ、一つだけ分かるのは、体はまだ動くということだけだ。


「『火よ』!」


 閉じた瞼を光が貫き、視界が白く染まる。

 詠唱するたびに、じくじくとした鈍い痛みが脳髄を苛む。

 魔力とは、言わば酸素のようなものだ。それが底をつけば肉体や脳に異常を来し、行き過ぎれば後遺症も残るらしい。

 この頭痛はその警告だ。

 これ以上魔法を使えばどうなるか分からないという、警告。

 しかし、体を動かし続けているからか、思考は熱を帯び、疲労も頭痛も奇妙に鈍く感じられる。


「『火よ』……はぁっ!」


 地面を蹴り飛ばして突進してくる猪の目の前で、左手から閃光を放つ。眩んだ一瞬の隙を突いて、俺は地を這うような低姿勢で疾走しながら剣を構える。

 狙うは猪の足。

 青風流二の太刀『足狩』___今日一日で何回この技を使ったか分からない。敵の脚に斬撃を加えて機動力を奪う技。

 対人戦では邪道とされ、禁止されている、対魔物専用の技。


 目標を見失った猪の脚に、すれ違いざまに斬撃を加える。

 しかし、鱗がなくとも皮膚そのものが硬質な猪の足に、俺の剣は食い込みさえしなかった。ガヅ、という鈍い音と共に剣は根元からぽきりと折れた。


「うへっ……『火よ』!」


 再び閃光。俺は近くに転がるトカゲの巨体の影に滑り込む。

 大の大人ならばこうはいかないだろうが、小柄な俺の体はトカゲサイズの障害物で十分隠れられる。

 ついでに言えば、別段狙っていたわけではないのだが、置き石のように転がるトカゲの巨体は猪の突進を遮る障害物のような役割を果たしていた。さらにこの上を足場にして跳び回り、俺は効率よく猪の攻撃を捌くことができていた……のだが。

 俺は折れた剣を見た。


(……武器が無いと、さすがに、やばいな)


 ガタが来ていた部分を土魔法で補いながら使ってきたが、ついに限界が来てしまった。

 ついでに魔力も本当に無くなりそうだ。

 魔力が完全なゼロになったら、どうなるのだろうか。

 意識は保つのか。頭痛はどれほど酷くなるのか。

 ただ、剣もなく魔法も使えない状態では、レイチェルを守ることができない。それだけは確かだった。


「はあ、はあっ、はぁ……」


 戦いは流動的で。

 最適解など存在しない。

 故に戦場で求められるのは、判断の速さと、目的を達成せしめる手段の『引き出し』の多さだと俺は考えていた。


 頭の中で残り火のように燻り続ける、あの騎士の言葉。

 この言葉が、今の俺の戦い方の主軸となっている。


「はっ、はぁ……よし」


 迷いの鎖を断ち切るのは早かった。

 俺は剣を鞘に納めて、手のひらに意識を集中させる。

 目を閉じ、頭の中で脈打っている熱した鉄のような感情を、思いを、外へ押し出すような感覚。

 

 ぱきぱきと、小さな音を立てて両手から白い物体が構築される。

 それは棒のように伸びて、二振りの剣を形作る。


 詠唱も、魔力消費すらもなく生み出されたその剣は、羽のように軽く、業物のように鋭い。

 腕の神経はぴりぴりと張り詰めたまま、剣の形状を維持するため熱した鉄を二刀へ注ぎ続けている。


「……ふぅっ!」


 呼気に気合を込め、俺はトカゲの影から飛び出した。




 ***




 レイチェルはシェイラの言葉を思い出していた。


《戦いの勝敗を決めるのは、魔力の多さと、剣の技術と、頭の良さだけではないの。なんだと思う?》


 かなり昔のことだ。

 自身の魔力総量に絶対の自信を持っていた頃、シェイラにそんな話をされた。

 当時はつっぱねてしまったが、今ではその意味が分かる。

 経験から磨かれる勘の良さ、判断力、地形や天候……その時その瞬間におけるあらゆる要素が勝敗を分ける。


 だから、例え格上の魔法使いや剣士と戦うことになったとしても、諦める必要などまったくない。

 その時その瞬間におけるあらゆる要素。

 それを活かせる手札さえ思いつけばいくらでも逆転できる。

 シェイラはそう言ったのだ。



 レイチェルは、今のエルの姿を見て理解した。

 戦える少年と戦えない少女___彼我を分けた違いはただ一つ、手札の多さだ。

 エルは確かに重傷を負っていた、にもかかわらず魔法を自由自在に操れる。それはおそらく『怪我をした状態』という条件下で魔法を使う練習をしていたからに違いない。

 魔物の数は確かに多い。にもかかわらずエルが単身食い止めることができているのは、『一対多』の条件下での戦い方を知っていたからに違いない。

 いつでもどこでも稽古と同じような環境で戦えるわけがない。

 シェイラの言った通り、あらゆる要素が勝敗を分ける。


 そして死ぬ時は一瞬だ。


 魔力がもう少しあれば。

 体力が尽きなければ。

 怪我をしていなければ。

 雨が降っていなければ。

 剣が折れたりしなければ。

 相手が一人なら。

 体調が良かったら。

 万全な状態であれば。


 自分の都合の良い条件下であれば勝っていたなどという言い訳は通用しない。運が悪かったからといって、死は、鎌を振り下ろす手を止めてくれたりはしないのだ。

 その死の鎌を、魔力が尽き、剣が折れてもなお退け続ける少年の姿。レイチェルは食い入るように彼を見つめていた。


「はぁっ、はあ、あぁああッ!」


 エルの荒い呼吸が木の上にまで聞こえてくる。

 奥の手の一つなのか、レイチェルも初めて見る『白い剣』。

 それを両手に構えたエルは、トカゲの上を次から次へと跳躍して猪を撹乱する。円を描くようなその軌道は、猪の直線的は突進では捉えられないものだ。

 が、猪とて馬鹿ではないらしい。

 一体がエルの先にあるトカゲに突進をぶちかます。唐突に足場が無くなったエルは地面へ転がり落ちた。

 砂嵐で薄く降り積もった土埃が薄く舞った。


 直後、エルの姿が消えた。

 エルに轢き倒そうと加速していたもう一体の猪は目標を見失い、緩やかに減速しつつ少年がいたはずの場所を通り過ぎる。

 次の瞬間、脇に転がっていた石ころから白い閃光が瞬いた。猪の左脚から血を噴き出す___泥だらけの体を利用、また『動き回る物体を見つけようとする』ように猪の意識をミスリードし、土埃に紛れて石のように身を潜めてからの奇襲。

 レイチェルを昏倒させたトカゲの襲撃の意趣返しとも取れる攻撃だった。

 

 虚を突かれた猪の群れに、今度は正面から突っ込むエル。

 疾走する少年の後塵に旋風が巻き起こり、全身から噴き出す蒸気が渦を巻く。

 低い姿勢のまま、続けざまに二体の足を削る。三体目は白い斬撃を回避しざま、牙を捻るように動かして少年に反撃。

 牙の先端がエルの懐を掠めた。


「っ……く!!」


 服が千切れ、態勢が大きく崩れる。

 なまじ子供でまだ体が小さいだけに、少し攻撃が掠っただけでも致命傷になりかねない。

 枝を握ったレイチェルの手に力がこもる。


 何か、何かできることはないか。

 魔法はダメだ。痛みで上手く魔力制御できない中、無理に使おうとしても、暴発して逆に大怪我してしまう。

 放散置換の術を習得しておくべきだったと後悔する。

 他に何か……


「あ」


 必死で辺りを見回していた時、レイチェルはそれを見た。

 残念ながら、それは現状を打破するための手段を見つけたというわけではなかった。


 白い、巨大な猪が、猛烈な勢いでこちらへ向かってきていた。

 あれがエルの言っていた仙獣級の魔物だと直感した。


 あまりにも唐突な出現。だが奇襲はそうあってこそだ。

 おそらく、あの猪の群れは陽動なのだろう。

 エルは態勢を立て直すことで精一杯で、まだあの猪に気付いていないようだった。


「……」


 その巨猪はエルを狙ってはいなかった。

 レイチェルのいる木を狙っていた。


 高位の魔物は、より強力な子孫を残すために魔力を多く持つ人間を襲う。血肉を食らって魔力を奪うか、苗床にして子孫を産ませるか、それは魔物の種類や気質にもよるらしいが。

 どうでもいいことだが、この瞬間にレイチェルが考えたのはそのことだった。

 エルに助けを求めるという選択肢は浮かばなかった。

 これ以上、エルに負担をかけたくなかった。


 巨猪の突撃は容易く木をへし折った。

 木の葉のようにレイチェルの体が吹き飛ばされ、衝撃で足に激痛が走り、頭の中が真っ白になった。

 結局最後まで、何もできなかったなと、レイチェルは涙を零した。




 ***




 切り札の『白魔法』が手の中で砕け散るのを見ながら、ここまでか、と俺は考えた。



 白魔法を発現してから二年間___一日足りとも欠かさずに練習をしていたが、一向に使うことさえできない日々が続いた。

 操るためのコツを掴んだのは、一ヶ月前、七歳になったその日のことだ。

 興奮覚め遣らぬままはしゃぎ疲れたみんなが寝静まった頃、俺は夜の日課となった白魔法の訓練をした。みんなと同じように楽しいパーティを過ごし、感情が高ぶった状態だった。

 そのとき、俺の手は再びこの白い謎の物体を生み出したのだ。


 二度目となる白魔法の行使では、気を失うほどの目眩や吐き気が襲ってくることはなく、俺はよく観察することができた。

 重さはない。そして俺の思うままに形を変える。

 厚みのある部分は白色で、薄くなるにつれ半透明へ変わり、刃の部分などは向こう側が透けて見えた。手から離れても消滅したりはしなかった。

 白い形状を維持している間、腕の神経には張り詰めたような感覚が続いた。その神経の張り詰めた感覚を緩めると白魔法はポリゴン状の欠片となって砕けた。

 それから何度か再現しようとしてみたが、その日のうちに再発現することは叶わず、その後も成功したのは数回だけだった。

 だが、大まかな法則を理解するには十分だ。

 おそらく白魔法は、俺の『心の昂り』___強い意志や感情を糧にして発現する。

 そこまでは、いつも通りだった。

 魔法の魔力回路の原理を解明するときと似たような手順で、同じような感覚で白魔法の性質を理解し、研究していった。


 しかし、何度か白魔法を使ううちに気付いたのだ。

 魔力がまったく消費されないことに。


 それではいったい、この白い塊は何でできているのだろうか。

 地水火風、魔力でないのなら、この魔法は一体何なのか?

 何を源泉にして生み出されるものなのか?


 そう考え至って以来、俺は白魔法の練習を最小限に留め、他人に相談しようという考えを捨てた。

 いざという時に使えるよう、感情の制御と、白魔法発現時の感覚を体に刷り込む。ただし、この魔法の実態や副作用を解明するまでは、他人に見せたり使わせたりしてはならない。

 俺は今のところ無事だが、他の人が使っても問題ないという保証はないからだ。



 やはり、その予想は正しかったようだ。

 ひどい目眩と、吐き気……覚えのあるこの感覚は、白魔法の反動のようなものなのだろう。

 魔力切れの症状と混濁していて、正確なところはよく分からん。

 苦痛の渦に溺れないよう俺は必死で意識を保つ。


 凄まじい轟音と共に倒れる木___空中を飛ぶレイチェルを見た瞬間、俺は全力で白魔法を行使した。

 まさしく一瞬の出来事だった。

 ワイヤー状の白い刃を数十本飛翔させて木を輪切りにし、魔物をまとめて斬り伏せて、魔法で土を泥沼化させ、レイチェルを落下の衝撃から守る。

 我ながら相当素早い状況判断の賜物だったと思う。


 だがもう限界だ。

 魔力は完全に底をついた。頭の中で鉄球が跳ね回っているような頭痛でそれが分かる。

 こんなになっても気を失わないのは、魔力の枯渇に耐性が付いた証拠だろうか。

 ここ一年、魔力を使い切った状態での戦闘訓練を自主的に行っていたが……そのおかげかもしれない。

 また、これは白魔法過剰行使の影響か、腕の神経に雷に撃たれたような痺れが残っている。

 様々な苦痛がまぜこぜになって、意識を保つので精一杯だ。


「……」


 泥と血と汗が乾いて干物のようになった前髪の向こうに、白い猪の姿が見えた。

 白魔法の鋼線斬撃を、浴びせたはずだが。

 こうも当たり前のように凌がれるとショックだ。


(レイ姉は……)


 泥沼に落ちたレイチェルが起き上がる様子はない。

 少ない魔力での水魔法だったので、沼自体の底は浅く溺れることはないが、このままでは猪に襲われかねない。

 何とか猪の気を引かなければ。

 そう思って口を開くも、胃袋がひっくり返るような気持ち悪さと共に胃酸が込み上げてくるだけで、声を出すどころではなかった。


 気付けば、俺は地面にうつ伏せに倒れていた。

 荒く呼吸を繰り返す口元に土の味が忍び込んでくる。


「……げほっ、ごほ」


 ここまでか。

 やるべきことはやった。やり尽くした。

 正直、自分でも大健闘だったと思うくらいには。

 あとは……任せるしかない。


 早く来てくれ。

 俺なりの最善は尽くしたはずだ。

 出来得る限りの時間は稼いだ。

 ギリギリで間に合ってくれるという、ご都合主義に期待するしかない。



 ……ダメか。

 間に合わないだろうか。

 俺はアニメやゲームではお決まりの『どうせ死なないだろ』的な展開が嫌いだ。

 そんな俺に神様が微笑んでくれるわけもない。


 全力は出し切った。

 もしこのまま死んだとしても悔いはない。

 ……嘘だ。やっぱり悔しい。

 色々やりたいことがあったのに。

 咄嗟に思い浮かんだのはセレナへのセクハラだった。

 この七年で俺はロリコンに染まり切ったらしい。


 もっと他に……何かやりたいこと。

 なんだっけか?

 もう少しで思い出せそうな気がするのだが___。

 






「……?」


 ふと頬の辺りに、何か暖かいものを感じた。

 渾身の力を振り絞って瞼を開ける。


「えるっ!!」

「……ゆらすな」


 白いぼんやりしたものが見えたと思ったらぐわんぐわんと視界が揺れて、俺は呻いた。

 怪我人は安静にするのが基本だろう、まったく……。

 おかげで頭痛が酷くなった。


「エルは見つけた、ひどい状態だ! レイチェルは!?」

「今探してる……あっ、いた、いた、そこ! 泥んとこっ!」


 騒がしく飛び交う声に、俺の意識が再び浮上する。

 指先の感覚が微かに戻る。

 生きている。

 俺は目の前の狼少女に焦点を合わせた。


「セレナ、か」

「ん……間に合って、よかった……よかった……」


 ぐずぐずと鼻を鳴らす白い少女。俺の頬に涙がポタポタ落ちる。

 じわりとした温かみがそこから広がっていくようだった。

 正直もっと早く来て欲しかったが、結果として助かったのだから文句は言うまい。

 ていうか、ほっとしたら……また眠くなってきた。


「……寝る」

「える? える、まって」


 待てと言われても困る。

 今は、もう眠らせてほしい。

 もう大丈夫だろう。頼れる家族が来てくれたのだから。




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