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勇者のスペア ー魔剣使いの人生譚ー  作者: 黒崎こっこ
エルフィア孤児院 少年期
19/41

第十六話 やるべきこと




 ___三十分後。

 周囲の魔物を全て殲滅したエルシリアたちは、崖の下を見下ろしていた。


「エルと、レイ姉は?」


 返り血で全身真っ赤の剣士が、呟くように問うた。

 エルシリアは崖下を見つめたまま言う。


「……落ちた」

「二人ともか?」

「……」


 少女の表情は夜闇に紛れて見えない。

 トミーは顔を強張らせたまま、同じように崖の下を覗き込む。底知れない闇が広がっていた。

 高さは……十メートル以上あるだろうか。

 広がる森の枝葉がクッションになるとしても、おそらく下は魔物の魔窟。生存している可能性は限りなく低い。

 かくん、アンジェが膝をついた。


「エル……レイ姉さん……」


 いくら優秀な孤児院メンバーと言えども、戦いで死者が出たことはある。

 しかし、それを経験するには、アンジェはあまりに幼かった。

 年齢的にも、精神的にも。


「い、痛い痛い。ちょと、優しく……」

「すぐ終わるから我慢しろ」


 その傍らでは、襲い来る魔物たちと最前線で戦い、最も苛烈な攻撃に晒されたミシェルが治療を受けている。

 一つ一つの傷をクレイが丁寧に手当てしていた。

 短く言葉を交わす二人の顔も険しい。

 

 だが。

 誰もが力なく肩を落とす中で、ただ一人、狼少女だけが表情に変化がなかった。


「早く帰ろ」


 いつも通りの無表情のまま、自分の怪我を手早く処置してから、さっさと荷物を持って立ち上がる。

 みんなの目が彼女に向いた。


「帰ろって……エルとレイ姉が、落ちたんだよ? 置いていくの?」


 アンジェが泣きそうな顔で言った。

 セレナは小さく首を傾げると、パーティを見回した。


「ここにいて、何ができるの?」


「……」


「わたしは、やるべきことをやるだけ」


「やるべきことって、何よ」


 弱々しく問いかけるアンジェを、セレナはじっと見つめた。


「わたしのやるべきことは、えるしー姉と、あんじぇを守ること」


「え……?」


「そして、えるのやるべきことは、れい姉を守って、自分も生きて帰ること」


 淡々とした口調で、セレナは言った。

 それから、彼女は首を巡らして、一人一人の顔を順に眺めていった。


「みんなのやるべきことは……何?」


 エルシリアがゆっくりと顔を上げた。

 目尻から頬を伝って、いくつもの涙の跡が残っている。

 トミーはがしがしと髪を掻いた。血糊で固まった髪の毛先がパキパキと音を立てる。

 手当てを終えたクレイは、ミシェルに肩を貸して立ち上がった。

 ふらふらながらも二人は前を向いていた。

 アンジェは、迷いだらけの顔で、それでも自分がやらねばならない『何か』___それを見つけるために涙を拭いた。


 セレナの言葉に希望を見出そうとしているわけではない。

 ただ、絶望するだけでは、何も始まらないということを思い出しただけだ。


「エルシー姉」

「……うん」


 少女は強く歯を食い縛って立ち上がると、パーティに指示を出し始めた。




 ***




 星の光も届かぬ崖の下、辺り一面真っ暗闇の樹海。

 その最奥で小さな灯火が揺れていた。

 

「っ……いてて。はぁ……」


 一分の隙もなく痛む身体を動かして、俺は枝の幹に座り直した。

 俺の隣には気を失ってぐったりとしたレイチェルがいる。仄かな光を放つ火魔法が、彼女の青白い顔を照らしていた。


 俺たちは、崖から転落したらしい。

 つい先ほど、レイチェルの無事を確認したところだ。

 ……無事とは言っても、今のところ呼吸と脈拍に異常がなかっただけで、頭を強打したようで意識はなく、また落下の衝撃で右膝と左足首が折れていた。

 骨折した箇所は枝で補強し、布で縛ったが、それでも応急処置にすぎない。

 早急な治療が必要なことに変わりはない。

 十メートルの崖から落ちた割に幸運だったというだけだ。


 俺はというと……まあ、動くのに支障ない程度には無事だった。

 肋骨数本にヒビが入ったくらいだと思う。

 各種土の硬化魔法が功を奏した。

 腕や脚の自由が利かなくなったり、五感の何れかが麻痺したりといった症状がないのは不幸中の幸いと言える。


「さてと……」

 

 それで、今どこにいるのかというと。

 端的に言えば、木の上である。

 落下した際、俺たちは樹枝に引っかかって地面への墜落を免れていた。

 レイチェルはいくつかに枝分かれした樹枝の上に寝かせている。

 俺の服を敷いてクッションにしているが、バランスが悪くて今にも落ちそうだ。

 できる限り揺れは少なくしたいところなのだが……


「うおっ」


 そのとき一際大きく枝が揺れ、俺は冷や汗を掻きながら下を見た。

 木の下には、十数体ものトカゲがこちらを見上げ、ガジガジと根元をかじっている。

 時たま体当たりもしてくる。

 俺たちを落とそうとしているのだ。


(どうするか……)


 指先の炎を周囲に向け、照らしてみる。

 俺の掲げている火明かりが怖いのか、近くの木にいる鳥の魔物数匹は枝に止まったまま動こうとしなかった。

 確か、夜行性のエアーオウルだ。

 風魔法を操る魔獣級で、獰猛だが、火魔法さえ使えれば撃退は容易な魔物である。

 幸いにも、他に脅威となり得そうな魔物は見当たらない。

 問題なのはトカゲだけだ。


 フォレストリザード。

 昼行性のはずだが、日が完全に沈んだ今になっても活発に俺たちを狙っている。

 俺たちと諸共崖から転落した石ころ頭のトカゲは、枝木を突き抜けて地面に墜落し、絶命していた。

 だがおそらく、転落しなくともそのうち土の中で死んでいただろう。そのトカゲは全身土まみれで、皮膚呼吸を助ける体表の粘液が乾き切っていた。

 まるで、最初から死ぬ運命にあった捨て駒のようにあっさりと死んでいた。


「……捨て駒、か」


 まあ、一匹死んだところで何が変わるわけでもない。

 ここに立て籠もって三十分ほど経ったが、現状を打破できる気がしなかった。

 レイチェルを背負い、足元も見えない夜の密林の中、次々と襲い来る魔物の波状攻撃に休む暇などあるはずもない。

 孤児院に辿り着くことはまず不可能だ。


 ……もっとも、だからこそ、俺のやるべきことなど決まっているようなものだが。

 場合によっては森全体の魔物を相手にする可能性もある。

 今は、とにかく回復に専念だ。

 びびってなんかねえし。


 そういうわけで。

 先刻まで、その『やるべきこと』についてと、不気味とすら思える魔物たちの組織的な行動について考えていたところだ。


 初回以降激減したトカゲとの遭遇率。

 誘い込みからの要撃。

 明らかに捨て駒として使い捨てられた石頭のトカゲ。


(人為的……ではない、のか?)


 もし魔物の指揮官的存在がいたとして、俺たちをどうやってここまで陥れたか?

 まず、森全体に偵察と伝達役を展開。

 偵察を瞬殺した俺たちの戦力から、無駄な犠牲を抑えるべきと判断、森中の魔物たちを奥に引っ込める。

 そのまま俺たちが帰ったら、それはそれでよし。

 今日のように獲物を探してのこのこ奥までやってきたら、崖へ誘導し、一気に仕掛けて俺たちの分断を計った。


 あくまで俺の想像だが。

 この予想が当たっているにせよ外れているにせよ、このトカゲ軍団には、普通ではない何かがあるとしか思えない。

 常套手段は通用しないと考えるべきだ。

 だからこそ、俺は待っている。

 その『普通ではない何か』が、現れるのを。


「……ふう、やっぱ分からん。色々厄介そうだな」


 色々考えたが、思考は迷走するばかりだ。

 普通の遭難であったなら、やるべきことは変わってくる。

 周囲の魔物を掃討し、ここよりも安全そうな場所へ移動する。それから火を熾し、煙を上げてここの位置を知らせる。

 安全そうな場所……というのは、その時々によって違うものだ。そこに何の魔物が生息しているか、どんな地形か、天候は晴れか雨か。

 この山では、魔物の性質上、水辺や木上は危険だが土の中が比較的安全である。

 本来、崖の側面に小さなほら穴でも掘って隠れるべきなのだ。


 だが、今は。

 得体の知れない敵が、正体を隠したままでいる以上、下手な行動には出ない方がいい。

 それが俺の出した結論だった。

 トカゲの死体に突き刺さっている剣も取りに行かず放置しているのもそのためだ。

 落下した際に魔法用の杖は折れてしまったので、今の俺の武装は剥ぎ取り用の鋭い小刀と、予備用の剣一本だけだ。


「……う、く……んぅ」

「レイ姉さん、がんばって」


 時間だけが過ぎていく。

 レイチェルは、骨折の痛みからか、発汗がひどく呼吸も荒くなっている。

 応急処置は学んだが、骨折後の体の変調や対処法は知らない。もしこれで、助かる命が助からないなんてことになったら、死んでも死に切れない。

 学ぶべきことだった。

 無知な俺は、ただ汗を拭って、励ますことくらいしかできない。

 帰ったら、外科的な負傷についての書物を読まなければ。

 念のため病気や薬草の本も読んでおこう……


「……ん?」


 その時だった。

 俺は、下のトカゲたちの姿がいつの間にか消えていることに気付いた。

 木の揺れがなくなったと思ったら、どこに行ったのか。

 周囲を見回してみると、木々の隙間にちらりと何かが見えた。


(白い、猪?)


 その魔物はこちらをじっと見据えていた。

 白銀に輝く毛並みは、どこか神聖で。

 赤く血走った深紅の双眸は、どこか邪悪な雰囲気がある。

 相反した気配をまとったその魔物は、ふいと顔を背けると、一声鳴いた。


 直後。

 地鳴りのような音がして、大量のトカゲが一斉に姿を現し、こちらに突撃してきた。


「……マジかよ」


 なんとなくだが、直感する。

 奴が魔物たちを統率している主だ。


 一瞬遅れて、頭からディバイン・ボアという魔物の知識がこぼれ落ちてくる。

 統率力の強さで知られる魔物。ランクは仙獣級。

 それ以外のことは何も知らない。

 当然だ、仙獣級の魔物などそこらの山で出会せるものではない。

 身につけておこうなどとは露ほども思わなかった。

 しかしそんな言い訳は通用しない。目の前の現実からは逃れようがない。


 なぜ、どうすれば、と焦燥に頭が焼かれそうだった。

 あんな猪がいるなんてフォレストリザード駆除の依頼書には一言も書かれていなかった。

 逃げるしかない。

 逃げられるのか?

 俺だけなら逃げられる、何のための飛行練習だ。


 だがレイチェルは連れて行けない。

 安定して飛べる保証はなく、何より着地で死んでしまう。

 レイチェルを見捨てるか?

 二人とも死ぬよりは俺だけでも生き残った方がいい。

 飛ぼう。

 迷ってる暇はない。


「___くそ」


 ……ダメだ、できない。

 見捨てるなんて論外すぎる。

 ならばどうする?

 思考は振り出しに戻った。

 馬鹿が。


 思考は空回りするばかりで何の妙案も寄越してはくれない。

 目を閉じて思考を停止させる。

 ふと、誰かの姿が瞼の裏に浮かんできた。

 それは白い狼少女の姿をしていた。



《やるべきことは何?》



 思考が一本の道になった。

 今という現実から、達成すべき目的を結ぶ道。


 これはいわば、防衛ミッションだ。

 防衛対象はレイチェル・エルフィア。

 クリア条件は援軍の到着までレイチェルを死守すること。

 無論、俺が死んだらレイチェルも死ぬので、副次的に俺の生還もクリア条件に入るだろう。

 ただそれだけでいい。

 それができれば他はどうでもいいのだ。


 俺は目を開けた。

 凄まじい数のフォレストリザード。

 一糸乱れぬ総員突撃の様相はいっそ壮観だが、少々安直な攻撃にも思える。

 緻密な作戦で見事に俺たちを分断してみせたのはまぐれだったのか。

 それとも……手負いの少女と、ただの子供一人に、戦力を傾けるまでもないということか。

 いやはや―――舐められたものである。


 俺はおもむろに手を掲げた。

 タイミングを見計らって唱える。


「『土よ』」


 発動するのは下級十位土魔法『盛土』。

 ただの土を作り出す魔法。

 弾丸として撃ち出したり、硬化魔法などの特殊な効果を付与するものではない分、魔力消費は非常に少ない。

 故に、バリケードの原料にもってこいだ。


 ただし、いちいち『土よ』と唱えて魔力を操作し直すのでは遅すぎる。

 だから俺は魔力回路を改変する。

 回路の出口、言わば『魔法を具現化させる場所』とも言うべき部分。その手前に一本の回路を書き加える。

 もう一端をどこに繋げるかというと、回路の入り口だ。

 これによって、出口から魔法が発現する前に、一部の魔力が入り口に戻る。魔力回路はそのまま循環され、俺がその回路を切り離す命令をしない限り魔力は流され続ける。

 俺の独自技術『加速回路』。


 連続して土が作り出され、ぼこぼこと地面が盛り上がる。

 およそ一メートルの壁がいきなり目の前に出現し、トカゲたちは目を剥いた。

 泡を食って回避しようとするが___ここで、どこからか奇妙な鳴き声が響いた。

 あの白い猪の声だ。


「……!」


 途端に、トカゲは乱れつつも隊列を直してまっすぐにこちらへ突っ込んできた。

 そのまま進め、という指示だろうか?

 そう、即席バリケードなんて所詮土の塊にすぎない。耐久性は極めて低く、飽和攻撃を受ければ崩壊は早い。

 俺がすぐに防壁を張らず、少し引きつけてからにしたのは、足止めではなく『驚き』の要素で敵を混乱させるためだ。

 あの猪は、そんな俺の意図を一瞬で容易く見破ったのだ。


「あーなるほど……常套手段は通用しないんだったか。こりゃしんどいな」


 バリケードに次々と突撃するトカゲの大群を眺めつつ、俺は考える。

 残魔力はだいたい四割弱。

 中途半端なバリケードに意味はないので、派手に魔力を使ってしまった。

 まあ、問題はない。

 崩れたバリケードも使いようだ。


 俺は立ち上がる。

 そうだ___『やるべきこと』は結局何も変わらない。


 あらゆる戦いは流動的で、最適解は存在しない。

 俺はただ、使える物は何でも使い、考えられる手段は全て実行し、目的を達成する。

 レイチェルを守り抜き、俺も生還する。

 それを達成できるだけの下地はできている。

 ……はずだ。


「よし」


 俺は一言呟いた。

 それから、指先に灯した炎を鳥魔物の方へ適当に放り投げる。俺の制御から離れた火種は一秒と経たずに爆発。

 鳥の魔物は蜘蛛の子を散らすように逃げていった。

 爆発から生じた閃光を背中に浴びながら、俺は木の上から飛び降りていた。


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