第十五話 綻び
一行は探索を再開した。
レイチェルとエルシリアが掲げる灯の下、慎重な足取りで索敵が進められる。
索敵陣形は、俺とセレナとアンジェを中心に、前にトミーとクレイ、左にレイチェル、右にエルシリア、後ろにミシェルだ。
男子二人はパーティを少し離れて、前方の探索を行っている。
完全に俺たちの守りを念頭に置いた陣形である。
夜間での戦闘はさすがに荷が重いので、俺とセレナは剣を納め、アンジェを気遣いつつ大人しく守られることにした。
「ねえ、エル」
「うん?」
「エルって……すごく体力あるんだね」
アンジェはふうふう言いながら俺を見た。
顔色がやや悪く、疲労の色が濃い。
対して、俺はやや息切れしながらも自分のペースを保っているが……
「別に普通だと思うけど」
これに関しては体力のあるなしは関係ないだろう。
単純に慣れただけだ。
アンジェは今日が初めての実戦訓練だし、疲れるのは当たり前である。
しかし、彼女は首を横に降ると、左を歩く少女に話を振った。
「そんなことないよ。ね、レイ姉さん」
「……正直化け物だと思ってたわ」
「ええ?」
そんな馬鹿な。
化け物ってのはセレナみたいな規格外に使うべき言葉だろう。
彼女は俺の全力疾走並みの速度でフルマラソンを走破し、素振り四桁は余裕、食事の腹ごなしに逆立ち腕立て伏せをする本物の猛者だ。
体力おばけである。
「わたし、おばけじゃない」
「いやセレナもすごいけどさ、獣憑きだし、まあ納得じゃん。エルは意味分かんない」
「意味分かんないってなんだよ」
意味不明なのはセレナだ。
食後に逆立ち腕立て伏せとか正気の沙汰ではない。
俺なら数秒と保たずキャッチアンドリリースならぬリバースする自信がある。
じゃなくて。
「アンジェは実戦訓練初日だし、それくらい疲れるもんだ。俺たちの時だってな……」
「……わたしが倒れて……帰るとき、えるがだっこしてくれた」
何を思い出しているのか、セレナがにへらと笑う。
そう、あの時は大変だった。
初陣だからか、やたらと張り切って先陣に切り込み魔物を千切っては投げ、千切っては投げ、ペース配分を考えず爆進したセレナは帰り際にぶっ倒れてしまったのだった。
フォローにひた走る羽目になったあの時は色々とキツかった。
……いやだからそうじゃなくて。
「まあ確かに、俺はぶっ倒れなかったけど、疲れたのに変わりはなくて……」
「でも、帰ったあとも『復習しないと』とか言いながら一人で剣振ってたじゃない」
「そうそう。その次の朝の稽古も、セレナは疲れ切って寝過ごしてたのに、エルは普通に起きてきたしね」
「えるは体力おばけ」
「……い、いや、ちょっと待とうぜ」
褒められているのだろうかこれは。
そんなこと言われたって何も出せやしないのだが。
確かに、俺は今までぶっ倒れるほど極端に体力を消耗したことはない。既に言ったが、ペース配分の問題だ。
十数体もの魔物をノンストップで倒し続けたセレナと、主にセレナのカバーをしていた俺とで、体力消費に差が出るのは当然だ。
今日もそうだが、俺は全ての行動で節約を心掛けている。
魔力総量が少ない上、剣士として周囲の索敵、退路の確保などのために体力も残しておかなければならないのだ。
体力が残っているのは俺が優れているからではなく、そう努めているからだ。
うん。そうだ。
決して俺が優れているわけではない。
そう簡単にデレたりしないんだからね。
俺はちょろくない男を目指す。
「あ、顔赤い。照れてるー」
「えるかわいい」
分かってないな二人とも。
これは火魔法による体温保持の練習だ。
冷え切った体に効果的な補助魔法だ。
別段寒いとかそういうわけではないのだが。
ふぅ、暑い暑い。
などと頭の中で言い訳を並べつつ二人から視線を逸らすと、その先でエルシリアと目が合った。
なぜかジト目で俺を見ている。
「え、エルシー姉さん……?」
「何でもない」
そっぽを向かれた。
はい、基本的に私語は禁止でした。
無駄口叩いてごめんなさい。
「……そろそろ行き止まりかな」
エルシリアは、手に灯した明かりで地図を見回しながらそう言った。
俺の脳内地図が正しければ、この先は崖だ。崖下には未開拓の森が広がっており、近くに川が流れている。
事前の予想では、この辺りでトカゲの巣が見つかるはずだ。
フォレストリザードは『川から近からず、遠からず』という微妙な場所に巣を作る性質がある。
もともと川辺に巣を作っていたのが、国外からやってきた魔物に住処を追われたという一因に帰するらしい。
しかし……
「ないねぇ、トカゲの巣」
ミシェルがのんびり呟く。
ある程度の目星をつけて巣を探してきたのだが、どうやらここもハズレのようだ。
……ここで五つ目。
「うーん……」
俺は腕を組んで唸った。
こんなにも見つからないと、何かしら原因かあるのではと勘繰ってしまう。
というか、山に入ってすぐ会敵した数体の他に、トカゲの姿がまったく見当たらないのもおかしいことだ。
依頼は『中規模の群れ』だったはず。
森の奥へ進むほど、遭遇率は上がるはずなのに……
いや。
それを言うなら、そも『山に入ってすぐ』トカゲがいること自体が変だ。
川辺を住処とする魔物が、巣を遠く離れて人里近くにまで下りてくる理由は?
見張りか、狩りか?
……考えすぎか。
いくら集団戦が得意な魔物といえど、流石に人間の予想を超えた意図を以て行動してるとは思えない。
最初の数体ははぐれトカゲだろう。
俺がそう結論付けた時、エルシリアが肩を落としつつパーティを見渡した。
「それじゃ……もう少し進んで、男子陣と合流しよう。今日はこれで___」
「おい、エルシー姉!」
エルシリアの言葉を遮る声。
パーティから先行し、前方の索敵を行っていたトミーとクレイが戻ってきていた。
二人は焦りを滲ませた顔でエルシリアを見る。
「やばいやばいぞ、早く引き上げた方がいい」
「こっから先の茂みに三十匹近く隠れてた。崖の下にはもっと濃い気配がある。中規模どころじゃねえぞ」
「な……!?」
パーティ全員が絶句した。
待ち伏せでもされていたというのか?
何の冗談だ。
みんなの視線がエルシリアに集まる。
「……一度撤退しよう。明らかに異常だ。敵が寄ってこないうちにできるだけ静かに引くんだ」
小さな声でパーティに指示し、エルシリアは後方のミシェルに合図を送った。レイチェルとトミーとクレイは素早く持ち場に戻る。
そんな中、俺はめまぐるしく思考を巡らしていた。
こういう時はまず何を考えるべきか。
二年前の事件から得た教訓として、最初に『何が原因なのか』は考えるべきではない。
確固たる事実、すなわち現在という『結果』から問題を辿るべきだ。洞察力の鋭い人ならともかく、原因から推測を立てるのは俺のような鈍い人間が取っていい手段ではない。
それを踏まえた上で現在を考える。
ここまで極端に低かった魔物との遭遇率。
そして魔物の待ち伏せ。
撤退が困難な森奥深くまで姿を現さなかった辺り、よほど頭のいい魔物がトカゲを統括していると分かる。
俺たちは誘い込まれたというわけだ。
であれば……ここまで深く入り込んでしまった以上、相手もそう簡単には逃してくれないはず。
というか、俺なら逃さないための次善の手を打っておく。
まだ見つかっていない、と考えるのは少々温すぎる。
むしろ、知らず識らず懐深くへ踏み込んだ俺たちは敵の手中にいると考え___
「___下!!」
セレナの警報。
俺は思考を中断し即座に詠唱準備をする。
幸か不幸か、敵方の狙いは俺ではなかった。
ゴッ、と左方から鈍い音がした。
レイチェルが倒れていた。
巨大な石ころが彼女の右脚に噛み付いている___いや、あれは石ころなどではない。
土を被って擬態していたトカゲの頭部だ。
全く想定外の場所から奇襲され、レイチェルは何が起こったのかも分からないまま引きずり倒されていた。側頭部を強く打ち、昏倒している。
トミーやクレイはおろか、鋭い嗅覚を持つセレナですら直前まで気付けなかった位置からの襲撃。
パーティが硬直する間にも時間は進む。
体をうねらせて土から這い出た石ころ頭のトカゲは、少女を口に咥えたまま、凄まじい勢いで森の中へ引っ込んでいく。
崖のある方向。森の奥へと。
「レイ姉っ!!」
エルシリアが動揺し、アンジェが立ち竦んでいる。
すでに退路を開くべく後退し始めていたトミーとクレイは、やや遠いところからこちらへ向かっている。
ミシェルは木の上から降ってきた魔物を叩き潰している。
そしてセレナは___
彼女は、俺をまっすぐに見つめていた。
なぜだか俺の脳みそは冷静だった。
今、この状況が、細部までよく見える気がする。
「セレナ」
おそらく俺たちは包囲されている。
その上で考える。
レイチェルを助けるために、何が必要なのか。パーティ全員が生きて帰るために、何が必要なのか。
判断は一瞬だった。
俺はセレナに一言告げた。
「後は頼む」
「ん」
狼少女の姿がその場から掻き消える。
次の瞬間、頭上からエルシリアとアンジェに襲い掛かろうとしていた猿のような魔物の首が飛んでいた。
目にも留まらぬセレナの剣撃。
「___『塵風よ』」
二つの頭部が宙を舞っているうちに、俺もやるべき準備を終えていた。
風の魔力を脚部に集中、一気に解き放つ。
スラスターじみた推進力が足の裏から噴射され、体が弾丸のようにぶっ飛んだ。
「うおっ、とっと!」
目の前に迫る巨木。右手から風を噴射し、間一髪で回避。
俺は空中を突っ切ってトカゲを追う。
今日の実験で失敗し、散々な目にあった『分掌技法』。
俺だってただで転んだわけではない。速度制御も方向転換もままならないが、逆に言えば、それ以外は成功したのだ。
曲がることはできなくとも、目の前の障害物くらいなら、こうして右か左の掌から真横に風を噴射することで進路変更をして避けることができる。減速はできないが、高速で空中を飛ぶ分には何の支障もない。むしろバランスが取れて飛びやすい。
後は度胸さえあればなんのそのである。
ただし困り者なのが、ゴールドとチタンの合金でできたパワードスーツをまとっているわけでもなし、この勢いのまま障害物にでも衝突したら確実に死ぬということだ。
逆噴射の魔法はまだ不安定で着地もできない。
まさしく鉄砲玉だ。
というわけで、風制御のミスは死を意味しているのだが、そんな間抜けな形で人生の幕を閉じるつもりはない。
視界の悪い森を低空飛行で一直線に滑空しながら、俺は並行して魔法を発動させる。
全身硬化、部分硬化、局所硬化。
気休め程度の土魔法。
塵風の詠唱は、風と土の魔力を同時に呼び出す呪文だ。
飛行中に硬化の魔法を使うなど、坂道を下る自転車のハンドルを両方放してスマホをいじるような芸当だが、ほとんど一瞬で済むのでさして問題はない。良い子は真似しちゃいけません。
目の前にトカゲが見えた。
今回は、減速に失敗して地面へダイブする羽目にはならない。
両手で着地点を微調整してから、風魔法の制御を切り離して剣を抜く。
俺はまっすぐにトカゲの背へ突撃し、飛ぶ勢いもそのままに剣を突き立てた。
「ふっぐ!!」
半ば体当たりのような格好で放つ全体重をかけた一撃。
その反動が全身に重く伸し掛かる。
だが、肺が潰れたようなその感覚に苦しむ間もなかった。
剣は鱗を貫き、深々と肉を穿っている。
なのにトカゲが止まらない。
「レイ、姉を、離せ___クソトカゲ!」
腰から剥ぎ取り用の短剣を抜いて、何度も突き刺す。
だが止まらない。
俺を振り落とそうともしない。
こいつは、何なんだ。
どこに向かって進んでる?
突然、全身を浮遊感が包み込んだ。
「っ?」
周囲は暗い。
自分がどこにいるのか分からない。
上下左右前後の感覚すらおぼつかない。
ただ、腹が底冷えするような感覚で、自分が空中にいることだけは分かった。
停止する思考の端で、何か柔らかいものが腕に当たった。
覚えのある香りが一瞬だけ鼻腔を掠め、俺はトカゲの体に突き刺した剣から手を離して反射的にその柔らかいものを引っ掴んだ。
それを胸に抱き寄せた直後、想像を絶する衝撃が全身を襲った。
や、やばい
忙しすぎて筆が進まねえ…
今月で少年期の完走を目標にします( `・ω・´)




