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勇者のスペア ー魔剣使いの人生譚ー  作者: 黒崎こっこ
エルフィア孤児院 少年期
15/41

第十二話 行っきたっくなーいなー




 ……太陽が黄色く見える。

 朝練、午前練、ほとんどぶっ通しで木剣を振り続けた。

 合わせて何回撃ち合いをしただろうか。


 今日も全敗だった。

 最近、セレナの剣の成長が止まるところを知らない。

 彼女は天才だ。

 マジで勝てる気がしない。

 いくら策を講じても、工夫をしても、全て真正面から跳ね返される。

 魔法を使えば、何とか持ち堪えられるとは思うが、それでも真っ向勝負では話にならんだろう。

 搦め手を大量に織り込んでようやく何とかなるレベルである。


 というか、前はそれで何とかなった。

 一度だけ魔法アリで試合をしたことがあるのだが、普通に勝てたのだ。

 一緒に水浴びしているうちに知ったことだが、彼女は耳に水が入るのを嫌がる。

 なので水を連射して動きを鈍らせ、そこを叩いた。

 卑怯とは言うまい。

 それから一週間くらい、セレナは俺と口をきかなかったが。


 今日は、その水浴び現場にシェイラ母さんが突撃してきて色々と怒られた。

 セレナは自分で髪を洗えない(獣耳に水が入るため)ので、俺が洗っていたのだが、他の女子に任せることになった。

 これによって俺が受けた衝撃たるや、またユークリッド大陸が分裂しそうなほどのものだった。

 俺の至福の時間は失われてしまった。

 もう、水に怯えてぷるぷるするケモミミを愛でることはできないのだ……。


 ……まあ。

 徐々に成長していく幼女の裸体を間近で観察させられるのも色々な意味で限界に近づいていたので、いい機会だったと言えよう。

 いや本当に色々とキツかった。

 この歳にして、第二次性徴が発起するかと思ったくらいだった。

 魔王大陸から何かが降臨せしめるところであった。

 ロリコンとか言うなぶっ飛ばすぞ。



 さておき、現在時刻は九時。


「える……準備、できた?」


「ん、もうちょっとで終わる」


 横からの声にせっつかれ、俺はのんびりと二振りの剣と他の荷物を身に付ける。

 白い毛並みに白い衣服をまとい、赤い瞳が際立つ姿の狼少女も、持ち物は大体俺と同じだ。二本の剣と、孤児院を『卒業』した年長たちのお下がりの防具一式。

 違うのは、俺は杖と魔法教本を束ねて剣と一緒に携帯しているのと、セレナは弓と矢筒を肩にかけている。

 まあいずれにせよ、ほとんどどれもこの前の誕生会で与えられたものだ。


 一ヶ月前に、俺とセレナは七歳になった。

 五歳の誕生会のときほど盛大でなかったにせよ、それなりに豪勢な食事と、プレゼントを頂いた。

 刃の付いた本物の剣を二振りずつ。

 そして俺に杖、セレナに弓と矢筒を。

 何とも実用的な……とも思うが、実はこの贈り物、大体がこれからの勉強や訓練で使う必需品でもあったりする。

 例えば、俺たちは五歳になった時、木刀や教本をもらったが、これはつまり、いよいよ木刀や教本を使った本格的な教育を施されるに足る年齢に達したという証左でもある。

 ランドセルをもらった小学生的な。

 大人になるための道に一歩脚を踏み入れたということだ。

 孤児院の指導方針で、授業や訓練を受けるのは五歳からとなっているのだ。


 同じように、七歳からは実戦的な訓練などが行われるようになる。

 また、オルレアンの街に出稼ぎに行く年長グループについて、本当の戦いを見たり体験したりする。

 実剣や弓はそのために必要なのだ。

 刃の手入れや矢の作り方など、実戦以外でも学ぶべきことは多く、そういうのは概して経験者から実物を使って教わった方が理解も早いし、分かりやすいものだ。


「……まだ?」

「あーうん、もうちょいで終わるよ」

「置いてかれちゃう……」


 まさに今、俺とセレナは年長たちと一緒に街へ出掛けようとしているところだった。

 俺とセレナは今回で三度目となる実戦演習だが、初めての七歳児も一人いる。


「ねーぇ、本当に私も行くの? 行かなきゃダメ? 留守番ダメ?」


「まだ言ってんのかアンジェ。そんなにイヤならレイ姉に言えよ、行きたくないって」


「ええー、じゃあやっぱり行くー」


 などと言いつつ、完全フル装備の準備万端でにこにこしながら体を揺らす女の子。

 彼女の名前はアンジェリカ。

 一年前に、孤児院に新しくやってきた少女だ。

 孤児院には、五ヶ月に一人の割合で子供がやってくる___俺やセレナを除き、みんな街中で餓死しかけていたところをシェイラに保護された者ばかりである。

 彼女もまた、そんな哀れな子の一人だ。

 もっとも、腐り切った国の教育に己の将来を委ねるよりは、シェイラに鍛えられた方が自分の為になるだろうが。


 その点で言えば、アンジェはむしろ幸運なのかもしれない。

 実際、今の彼女は幸福そうだ。

 ご覧のように、言動をわざと一致させない困ったちゃんではあるが、それも愛嬌である。


 アンジェの他に、この二年で孤児院に来た子供は五人ほどいる。

 代わりに、卒業した子は四名。バイロン、ケイリー、ヒルデガルト、コナリー……俺も世話になった年長さんたちであり、孤児院が創設されたとき、最初に引き取られた子供の中の最年少メンバーでもあったりする。

 十二歳、つまり成人となった者は、孤児院を出て思い思いの道を選び、世の中に出て、歩き出すのだ。

 今ではもう二十人近い子供が孤児院の世話になっているが、最初期の孤児院は、彼らを含めて十人に満たない規模だったという。


 出立の日、バイロンたちはシェイラに感謝の意を込めて超高価な髪飾りを贈呈し、彼女が感極まって号泣したりでまたパーティ騒ぎになったりもした。

 誕生会、歓迎会にお別れ会まで、事ある毎に祝い行事が開かれる習慣は、二年経っても変わりはない。

 祭り好きの文化でもあるのかこの国は。

 そろそろ世界の果てまでイッテくる番組のお祭り男がアップを始めそうだ。

 ……あれはちょっと規模が違うか。


 ともあれ、孤児院の面子も入れ替わったが、それは後々紹介するとしよう。

 玄関の外からレイチェルの声がする。


「エル、セレナ、アンジェ! 早く来ないと置いてっちゃうよーっ!」


「はーい、今行きます!」


 大声で応じながら立ち上がる。

 もう少し時間を稼いで、朝練で極度に消耗した体を休めたかったのだが、仕方ない。

 セレナはジト目で俺を睨んでいる。


「……えるのせいで怒られた」


「行っきたっくなーいなー」


 早足に進むセレナと、スキップしつつ鼻歌を歌うアンジェの後を追うように、俺もまた玄関を出た。




 ***




 さて、そんなこんなでお出かけだ。

 今日街に向かうのは、男子三名、女子五名の計八人である。


 目的は、最近激増している魔物たちの駆除と、依頼を受けて金を稼ぎつつ、七歳前後の子供に戦闘といった『社会経験』を積ませることだ。

 端的に言えば、魔物をぶっ倒すだけの簡単なお仕事……ってわけでもないが。

 とにかく今日のメインは戦闘だ。


 割と死と隣り合わせなミッションなので、メンバーもガチ構成である。

 まず男子だが、二年前はスカートめくりでお馴染みだったトミーと、その親友クレイの二名。

 以前はいたずらっ子の化身であった二人だが、実は恐ろしく剣の腕が立つ。

 何しろセレナより強い。

 現在は、トミーが赤火流と蒼風流五の太刀全段、クレイが黒水流四の太刀と白土流五の太刀を全段習得している。これが一体どれ程の実力かというと、二年前の逃走劇にて、俺が放った妨害魔法のことごとくを跳ね返したルクという中級騎士とタイマンを張れるほどのものである。

 魔獣級魔物なら余裕で倒せるだろう。

 いつもはふざけても、戦いでは前衛としてやることはやる心強い存在なのだ。

 もっとも、いたずら癖は今を以て直ってはいないのだが……。


 女子の顔触れも昵懇の間柄となるが、今やすっかり姉御肌が板についてきたレイチェルと、ケイリーの後継ぎで孤児院チルドレンのまとめ役となったエルシリア、種族的体質で見た目完全に幼女のミシェルの三人。

 侮るなかれ、彼女らも男子顔負けの優れた才気の持ち主である。

 レイチェルは、恐るべきことにシェイラをも凌ぐほどの圧倒的な魔力量を誇り、弾幕はパワー系魔法使いに大成。

 魔力量・制御技術ともに秀でるエルシリアは、魔法面においてほぼ完全に俺の上位互換となった。

 小人族特有の怪力と器用さがフィーチャーのミシェルは、時に自分の数百倍もある大物を仕留めて平然と孤児院に帰って、みんなの度肝を抜いたりする。


 以上、俺たちに同行する護衛組五名。


 彼ら彼女らをバックアップに、俺とセレナとアンジェは実戦に挑むことになる。

 頼もしい限りだが、油断は禁物だ。

 と言うのも、最近はとある事情で街周辺に出没する魔物の数が尋常でなく多いのだ。

 いくら優秀でも、不測の事態はいつだって起こり得る。

 気をつけねばなるまい。


 

 午前中の鍛錬を終えた一行の面々は身支度を整え、孤児院を出て街へ続く道を歩いていく。

 大体一時間ほどの道のりであるが、その間にも多くの魔物と遭遇する。大半を護衛五人が殲滅して、残りの数体を俺たちがえっちらおっちら倒していく、といった流れだ。

 さして強い魔物は出ないものの、今日は初戦のアンジェがいる。

 魔物の特徴や立ち回りを教えながら進んだため、いつもより街に着くのは遅くなった。


 そんなこんなで、午前十時半。

 俺たちはオルレアンの街に現着した。


 街に向かう途中の戦闘は、ほぼ準備体操のようなものだ。

 本題は、術導院の依頼に張り出されている少々手強い魔物との戦いである。

 という次第で、俺たちはまっすぐ術導院へ向かう。


 術導院に入って、真っ先に飛び込んできたのは『志願兵求む!』と書かれた紙だった。

 この張り紙、オルレアンの街中に貼られている。目を開けていれば必ず視界に入ってくるほどで、読み込んでもいないのに、内容が頭の中で思い浮かぶ。


《友人を、家族を、大切な人を守ろう___悪しき帝国ラハラージを打ち倒せ!》


 まあ、そういうことだ。

 昨年のことだが、隣国のラハラージ君主国が、ついにクラヴィウス共和国へ侵攻を開始したらしい。

 シェイラが言うに、共和国はかなりの苦戦を強いられているとのことだ。この大量に貼られた志願兵募集の紙からも切羽詰まった感じが滲み出ているように見える。


(戦争ねぇ……)


 魔物が増える一方なのも、国中の騎士が都に収集されているのが原因なのだ。

 もっとも、そのおかげで、こうして孤児院の少年少女が術導院に来ても難癖を付けてくる騎士はおらず、実に快適に依頼をこなせるのだが。


 しかし……戦争状態にある割に、街の人や風景に変化がない。

 こんなものかと拍子抜けするほどに。

 変わったのは張り紙だけである。


「何やってんだエル? 置いてっちゃうぞ」

「あ、はい、ごめんなさい」


 クレイが手招きして俺を呼んでいた。

 明るい茶髪の少年に返事をし、張り紙から視線を外して歩き出しながらも、俺は戦争のことを考える。


 何しろ、魔法がある世界だ。

 特級魔法の大規模爆撃で、街が焼け野原になる可能性も十分にあると思うが、避難訓練は必要ないのか?

 それとも、俺が生きていた日本のように、平和ボケしているだけなのか?


 ……後者がないとも言い切れない。

 頭の片隅に『戦争対策』とメモしてからみんなの所に戻る。


「あ、来た。遅いよエル。もうあたしが依頼決めちゃったよ?」


「ミミ姉、何の依頼にしたんですか?」


「山の中でフォレストリザードが繁殖してんだって。巣を叩きに行くよー」


 ピンク色という珍しい髪色が人目を引く小人族の少女・ミシェルは、そう言いながらぶんぶんと腕を振り回していた。

 俺は思考を切り替え、脳内から魔物の知識を引っ張り出す。


 フォレストリザード。

 ありきたりなトカゲ系の魔物だが、かなりの巨体、その上群れを作る。繁殖力が比較的強く、木を食べる害獣の類なので、定期的に騎士に駆除されている。

 一個体では魔獣級だが、一定数以上の大群は聖獣級に匹敵するという話だ。

 また忠誠心が強いことでも知られており、飼い慣らせば主人に忠実な走獣になる。その反面、頭のいいリーダーに率いられた群れは時に狡猾な戦い方を見せる。


 今は騎士がいないので、駆除が間に合っていないのだろう。

 今回受けた依頼は、群れとしては中規模でそれほど脅威ではないようだが、放っておけば瞬く間に肥大化する。

 今のうちに叩くべきというのは至極まともな意見だ。

 このメンバーで戦えない相手でもない。

 むしろ余裕があるぐらいだろう。


「アンジェの相手にも良さそうですね」


「でしょ? 私ナイスチョイス!」


「えー、でもリザードってキモい。近寄るのも嫌なんだけど私。依頼変えてよミミ姉」


「毎日ご機嫌でライザー乗り回してるくせに何言ってんのー」


「ご機嫌じゃないもーん」


 ちなみに、孤児院でもライザーという名前のランドリザードを飼っている。

 文字通りフォレストリザードの亜種だ。

 とりわけ女子に懐っこい、孤児院で唯一のペットだ。ちなみに俺は乗るどころか触れることさえできない。

 完璧に避けられているのだ。

 あの魔物、絶対むっつりな野郎だ。


 などと目の敵のように思っていたが、つい先日、メスであることを知った。

 そりゃトカゲだって、十歳年下の女の子のパンツに鼻の下を伸ばすような変態を背中に乗せるのは願い下げだろう。

 俺が無遠慮でした。


 もう一つ付け加えれば、ライザーの名付け親はアンジェである。

 彼女は生き物が大好きなのだった。


「おーいそこ、いつまでも話さない。今日は遅れ気味だからきびきびゃっ!? ……ああもうトミー! 今度こそぶっ飛ばす!」


「うっひひ、隙だらけだったからついな!」


 脇腹を突かれたエルシリアが、顔を真っ赤にしてトミーを追いかける。

 それを横目に、やれやれと首を振ったレイチェルがお姉さんっぽく俺たちを引率しようとした所もやはり、


「まったく仕方ないわね。私が___」

「はい皆さんちゅうもーく」

「ひゃ……ゴラァああああクレイぶっ飛ばすこっち来いやぁあああああ!!」

「うっほこっわ!」


 クレイにオープンザスカートされ、こちらもかけっこを始めていた。


 ……最近は、洗濯時に女子の衣服をたたむことも年齢的に厳しくなってきた。

 なので、今日のレイ姉のパンツは白地に水玉かとありがたく眼福に預かりつつ、俺はため息をつく。


(戦力的には申し分ないんだけどな……)


 いつもは生真面目優等生のダンがいるので、今よりはまとまるのだが。

 彼は今、ロルフ・ガストンやハリエットと共に早朝から大量の依頼をこなしている。

 金を稼ぐためだ。

 レイチェルと彼ら四人が、まもなく孤児院を卒業する予定だった。

 そのための資金を集めているのだ。


 ダンはエルシリアをリーダーに置いて班をまとめさせようとしたらしいが、その目論見は物の見事に外れたようだ。

 年長がこれでは、先が思いやられるというものである。

 ここは一つ、準リーダーとして俺もパンツめくりに参加……じゃなくて。


「こほん。皆さ___」

「くぉら! あんたたちが暴走してどうすんのよ、このお馬鹿さんたち!」


 目の前に薄桃色の髪が踊り、小さな幼女が男子二人の顔面に両拳を打ち込んだ。

 鼻先を捉える正確無比なテレフォンパンチに、トミーとクレイは数メートル吹っ飛んでくしゃくしゃになった。


「ふん!」


 パンパンと手を叩く幼女。

 メキョとか恐ろしい音が聞こえたが、あの二人、顔面は原型を保っているのか……。


 ……いや。

 彼女の方が肉体的に年上だということを、忘れてたわけではないよ?

 どう見ても五歳児にしか見えないが、ミシェルはこの間、九歳になった。

 ちなみにレイチェルは十二、エルシリアは十一、トミーとクレイは十歳である。


 しかしながら、危ないところだった。

 ミシェルは、自分の見た目を割と気にしている一面があったりする。

 もし誤解を招くような言動をしていれば、俺も顔の形が修羅場なことになっていたかも分からない。

 考えるだに恐ろしいことだ。


「さー、気を取り直して行くよ。フォレストリザードちゃんのお家へ!」


「……おー」

「おーぅ!」


 ミシェルの掛け声に元気よく返事をしたのは、まだ穢れを知らない純粋無垢な七歳二名だけだった。

 前途多難な男子陣である。




 ***




 一行は術導院を出た。

 さっきのコントみたいな一面を衆人環視のど真ん中でやっていたのかというツッコミは受け付けない。

 毎日あんな感じである。


 さて、依頼の方だが、フォレストリザードの巣は街の北側の森にあるようだ。

 オルレアンの街周辺の地理はきちんと勉強した。

 孤児院は街の南側にあり、東からは首都に続く道が伸びている。

 北から西にかけては、山と谷の渓谷地帯が広がっている。

 俺やセレナを攫った盗賊のアジトがあったのは、確か西側だったか。

 もう死んだ男の顔も思い出せないが。


「じゃあ、再確認するよ」


 オルレアンの街北門にて、エルシリアが手を鳴らして一行に呼びかけた。

 ミーティングだ。

 サッカーなど、集団スポーツをやっていた者なら、その重要性は誰しも身に染みているものだろう。

 俺だって例外ではない。

 思考回路を真面目路線にシフトする。


「まず前衛。前方の魔物の撃退と進路確保の担当が、トミーとクレイね」


「はひ」

「ふへ」


 素直に手を挙げる二人。

 幸いにも顔にグーパンの陥没跡が残ったりはしなかったが、心はぽっきり折られたようだ。

 神妙な顔つきで大人しくしている。


「中衛が私とレイで、魔物の殲滅掃討を担当。しんがりにはミミが当たって、背後の魔物の排除、および退路確保担当」


「いつも通りね」

「ほーい」


「エルとセレナ、アンジェは、私が合図するまで私たちの側にいて。決して前には出ないこと……アンジェ、話聞いてる?」


「聞いてるーぅ」


 楽しげに体を揺らすアンジェ。

 短槍をくるくる弄びながらきょろきょろと周りを見ていたし、聞いてないのだろう。

 彼女は、今日の実戦演習をずっと心待ちにしていた。そわそわする気持ちも分からないではないが……。


「ね、アンジェ」

「んっんー?」

「アンジェ、私の目を見て」

「ん……」


 エルシリアの声が硬質なものに変わったのを感じたのか、アンジェは手遊びを止めて顔から笑みを引っ込めた。


「シェイラ母さんになんて教わった?」

「……」

「こういうときに、人の話を聞かないでいいって言われたのかな?」


 棘はないが、やや威圧を含んだ声色。

 アンジェは少し目を泳がせながら首を横に振った。

 若干怯えの混じった仕草だった。

 自分が悪いことをし、これから叱られると気付いた子供は、大体あんな感じになる。


「これから私たちは戦いに行く。生きて帰るために必要なことを、私はさっき言ったんだよ。アンジェはここに何しに来たの?」


「……」


「何しに来たの?」


 エルシリアの突き放すような冷たい声に、アンジェは俯いた。

 明るい赤毛の髪が垂れ下がり、アンジェの顔を覆った。肩がふるふると震えて、今にも泣き出しそうな雰囲気だ。


 まあ、俺やセレナなどは特殊だが。

 普通の七歳児などは、こんなものだろう。


 今、俺とセレナは、エルシリアの呼びかけで『空気の変化』を感じ取り、すでに意識を切り替えていた。

 アンジェはそこの認識が甘い。

 まだ社会規範が曖昧だから当たり前なのだが、ふざけていい時と真面目な時の境界線が分からず、空気を読めてないことがしばしばある。

 実戦演習は、そういう世の中の道理の学習も内包しているのだった。


 だからこれは、アンジェが大人になるための通過儀礼のようなものだ。


「アンジェ?」


「……ごめんなさい」


「そう。戦いっていうのは、いつでも危険と隣り合わせだから。切り替えを大事にね」


「はい」


「よろしい」


 にこりと微笑みかけて、エルシリアは話を仕切り直した。

 アンジェはおどおどと頷いていた。


 俺はエルシリアを見る。

 ……アンジェはもちろんだが、今のは多分エルシリアにとっての壁でもあったろう。

 何せ、初めて務めるリーダーだ。

 昨日の夜、ダンに今日の班の取りまとめ役を任せる話をされた時から、肩に力が入っているように見える。


「える」


「ん?」


「……」


 セレナは無言のままアンジェとエルシリアの二人を指差し、首を傾げて、それから耳をぴくぴくと動かした。


「……そだな、気をつけとこうか」

「ん」


 セレナはこくりと頷くと、弓を取り出して弦の点検を始めた。

 以心伝心とはこの事だなと思いつつ、俺も剣と杖を抜いて戦闘に備えた。



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