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勇者のスペア ー魔剣使いの人生譚ー  作者: 黒崎こっこ
エルフィア孤児院 幼少期
12/41

幕間 シェイラの教育論




 辰の月、上弦月の日。

 シェイラ・ドワ・エルフィアは、孤児院の前に置き去りにされていた赤子を拾った。

 雨の降りそうな空模様の下、小汚い毛布に包まれていた。

 男の子で、名をトゥエルといった。



 不可思議な子供だった。

 まず、泣かない。

 泣いたところを見たのは、シェイラが最初にエルを見つけたとき、それと本を取り上げたときだけだ。

 それ以外では、たとえ漏らしても転けても腹が減っても一切泣かなかった。


 代わりに、エルは身振り手振りでこちらに何らかの合図を送ってきた。

 それが意図的なものであると気付いた時、シェイラは彼が天才だと思った。

 恐るべき知能だ、と。

 それを裏付けるかのように、エルは半年もしないうちに言葉をほぼ完璧に理解するようになり、歩くこともできるようになった。


 エルはずっと本を読んでいた。

 ずっとだ。

 朝から晩まで延々と読み続けていた。

 たまに思い立ったように外を走ったり運動し出す姿も見たが。

 ご飯のときと寝るとき以外は、常に傍らに本を持ち歩いていた。


 これにもシェイラは感心した。

 天才と言われる子は、概して自尊心が強い傾向にある。通常より外部からの加圧に反発しやすいのだ。教師から『こうしろ』と言われれば、正反対の方向に進もうとする。

 それは本に対しても同じことだ。

 先人が残した効率的な正道を行こうとせずに、自分の道を開拓する。

 それが悪いこととは言わないが、柔軟性がない分、拓く道も歪みやすい。


 まず自分で考え、その後に他人に言われた言葉、本が示す方法を受け、一考し、その上で己が進む道を決める。

 それがシェイラの理想の教導方針だ。

 これはこういうものだからこうしろ、それはそういうものだからそうしろ。

 と、道筋を強制する今の騎士団の方針は、シェイラの考えに大いに反していた。

 もっとも、シェイラが術導院を離れたのはそれだけが原因ではないが。


 そして、エルの学習姿勢は、彼女の理想に極めて近い位置にある。

 あるいはこれも一種の才能なのだろう。

 この子は将来、歴史上に名を残すほどの優秀な人間になるに違いない。

 シェイラはそう確信していた。

 そんな子を、自分の孤児院で育てられる、そう思うと、彼女の教育魂にも火が付こうというものだった。

 適齢期に入ったらビシバシ鍛えてやろうと思った。

 ___そう思っていた。



 そんなトゥエルが、三歳を迎える頃だ。

 国の情勢が変わった。



 クラヴィウス共和国が、本格的な戦争の準備を始めていた。

 原因は隣国のラハラージ君主国。

 かの国は、ユークリッド大陸統一をうたう君主によって、しばしば他国にちょっかいを出し続けていたのだ。

 しかし、共和国と君主国の国境には山脈があり、それが天然の要塞となって侵攻を妨げていた。ここ数十年はラハラージもクラヴィウスに侵攻しようとはしなかった。

 だが数年前、ラハラージが南方の国を制圧して領土を拡大したことで状況は一変。

 南から回り込む形で、クラヴィウスに攻め込むことができるようになった。

 これを受けて、クラヴィウス共和国は軍備拡張を行った。

 また、術導院の指導方針を、戦争に向けたものへ変更させた。


 シェイラが術導院をやめた主原因は、これだ。

 自分は、子供を戦争に向かわせるために育てているわけではない。

 子供の未来は、無限に広がっているべきなのだ。

 未来は子供自身が選び取るべきものだ。

 それを院長に申し立てたところ、それじゃここから出て行って孤児院建ててそこらの子供でも集めてろと言われた。

 なので、昔の伝手を使って、敷地と施設を借りて孤児院を経営し始めたのだ。


 話を戻そう。

 その戦争の準備が本格化し始めたせいで、術導院からコネで得ていた経費が、孤児院に回り辛くなっていた。

 子供たちも懸命に依頼をこなして、何とか食費をまかなっていた。そんな状態では、とてもトゥエルの三歳のお祝いをできるものではない。

 結局そのまま記念日は過ぎた。


 もちろん、門の前に置き去りにされていた以上、エルの正確な年齢は分からないが、それは他の子も同じだ。

 引き取った日を、その子の誕生日として、シェイラは今まで祝ってきたのだ。

 この国で、節目の誕生日というのはとても大切な日である。

 その習慣を、トゥエルにだけしてあげられなかったことは心に引っかかっていたが、忙しい毎日に流され、いつしか忘れていた。



 ……そう。

 思い返してみれば。



 トゥエルに変化が起きたのは、この頃だった。


 最初に、口調が変わった。

 どこで学んだのか、巧みな敬語で話すようになり、年上の子供たちやシェイラに対しては『様』などと大仰な尊称を付けた。

 距離感を感じる言い方だった。

 言葉の端々に、人の顔色を窺うような感じが覗いていた。


 次に変わったのは、態度だ。

 それまでは年相応に無邪気な行動を見せていたエルだったが、この頃を境に、ほとんど遊ばなくなった。

 代わりに、孤児院の仕事を積極的に手伝うようになっていた。

 度が過ぎるくらいの積極性だった。

 そして、その仕事でたまにミスをすると、謝り、謝って、謝り倒してきた。

 それこそ過剰なほどに。

 桶から水を零したくらいで、洗濯物を落としたくらいで、怒ったりはしないのに。


 他にも、変わったところを挙げると枚挙に暇がないほどだった。

 掃除で言えば、汚い場所を進んで洗おうと申し出たり。

 配膳を受け取るのは必ず一番最後。

 トレーニングをした後の子に、水につけた布を渡していたこともある。


 明らかに異常だ。

 そして、術導教師として突出した才を持つシェイラはその原因に見当がついていた。


 『嫌われたくない』、という。

 そういった心理が働いているのだろうと。


 そんな難しい話ではない。

 常ににこにこと笑顔を絶やさずに、人から怒られることはせず、盲目的にひたすら良い行いを続けようとする。

 喧嘩もしない、迷惑もかけない。

 一貫して、他人が不快に思ったり嫌悪したりしないように心掛けた行動だ。


 シェイラは、こうした子供を今までも何人か見たことがある。

 この場合、子供に『迷惑をかけてもいい』と教え込むのが最善策だ。

 無論、それが行き過ぎて無法者になっては意味がないので、そこら辺の調整は教師の腕の見せどころである。

 長年の経験から、大人が上からあれこれと言うよりは、より身近にいる存在から触れ合わせた方がいい。

 まず年長たちに指示をして、シェイラはエルの心の表層を溶かそうとした。



 ___だが。

 彼の心は、シェイラの予想を遥かに超えて冷たく凍りついていた。



 エルは聡い。

 いつも色んなことを考えている。

 年長の子がさりげなく心に近寄ろうとすると、それを機敏に察する。

 そして距離を取る。

 ごめんなさい、何か心配してくれたようだけど、俺は全然元気ですよ、と。

 屈託のない笑顔で笑うのだ。


 誰も近付けなかった。

 その幼い見た目から想像もつかないほど、彼の心は固く閉ざされてしまっていた。



 間違ったことをしない良い子なら、それでいいじゃないかと言う者もいるだろう。

 シェイラはそうは思わない。

 たくさん挑戦して、たくさん失敗するべきなのだ。人との触れ合い方や社会での生き方は、そうして学んでいくものだから。

 失敗したら、次はそれを修正して違うやり方に挑戦し、失敗したら、何が悪かったのかを考えてまた修正する。

 子供というのは、そうして成長していくものなのだ。

 そして、その上で。

 そうして成長していく過程で、心を許せる相手を作ることが、子供にとって最も大切なことであると、シェイラは考えている。

 エルは、その一番大切なことを、自分から遠ざけてしまっているのだ。



 シェイラは毎日ノイローゼ寸前になるまで考えた。

 エルは頭のいい子だ。

 いつも人の顔色を窺い、機嫌を損ねまいと努めている。敬語まで身につけて、注がれる愛情を懇切丁寧に拒絶している。

 頭がいいから、生半可な策では突破できないほどのガードだ。

 なぜエルは、ここまで人を拒絶するようになってしまったのだろうか。


 本人は、おそらく自覚していない。

 一度ストレートに、なぜそんなに距離を置こうとするのか聞いてみたら、きょとんとした顔をしていた。


 だが……そう、変わったのには、何らかのきっかけがあるはずだ。

 

 そして、それはきっと、変化が起きた三歳の頃にある。




 さらに二年が経った。

 シェイラは、一つの仮説に辿り着いた。

 エルの頭の良さから鑑みて、さして問題がなさそうで、しかし彼の精神に最も影響を与えたであろう出来事。


 三歳の誕生会をやらなかったことだ。


 賢いエルなら___いや、別に賢くなくとも、その行事が誰のどんな時に行われるかが分かっただろう。

 今までみんなが祝福されてきた中、自分はされないとなると、自分だけが仲間外れにされた、と考えてしまうだろう。


 さりとて、もしわがままを言えば孤児院を追い出されるかもしれない。

 一度捨てられたという事実を自覚するようになると、その子供は、よくそうした思考に陥ってしまうのだ。

 また捨てられたらどうしよう、と。

 エルの場合、それが最悪の状況で起きた。

 除け者にされていると錯覚した中で、捨てられるかもという恐怖に囚われた。

 仲間外れである以上、周りの人間はもはや信用できなかったのだろう。だから、誰にも心の内を打ち明けずに一人で抱え込んだ。


 良い子にしなければならない。

 嫌われないように、自分ができることを、ただ必死にやろうとしてきたのだろう。

 

 だとすれば。

 エルが心を閉ざしたのは、シェイラのせいだ。

 孤児院だって、立て直すまでにはそれほど時間もかからなかった。

 安定したお金が確保できたら祝ってやれば良かった。


 子供というのは、繊細だ。

 ほんの一つの出来事で、潰れたり、素行が悪化したりする。教師として一番気をつけなければならないところなのだ。

 無論、気付けないことだってある。

 その時はその時だ。


 しかし、今回ばかりはシェイラが悪い。

 気付けたし、直せたはずだ。


 悔いても時は戻らない。

 だから彼女は、エルの五歳の誕生日に狙いを定めた。

 ここで盛大にパーティをしよう。

 三歳の分まで含めた誕生会。

 金に糸目はつけず、思いっきり祝おう。

 みんなで、エルのことがどれだけ好きか、ぶちまけてやろう。

 いつも真面目で勤勉なエルを嫌う子供など孤児院に一人もいない。

 それをはっきり伝えてみよう。

 きっと彼も、心を開いてくれるはずだ。



 そして、迎えた五歳の誕生会の日。



 トゥエルは帰ってこなかった。




 ***




 その日、エルを街に連れて行ったダンたちが、予定より大分早く帰ってきた。

 まだパーティの飾り付けの最中だったシェイラは、彼らの言葉を聞いた時、底なしの穴に落ちたかのような衝撃に見舞われた。


『エルが攫われた』


 目眩がした。

 シェイラは激しく自分を責めた。


 戦争に備える中で、クラヴィウス共和国では人攫いが増え続けていた。

 共和国の徴兵制度は志願制だ。

 兵士になれば、その者には様々な権利や、報酬が与えられるようになっているわけだが、クラヴィウス共和国においてはさほど魅力的な条件とは言えない。

 肥沃な大地を持つこの国は、そんな権利がなくても、十分に豊かな暮らしを送ることができるからだ。

 命を賭してまで富を求めようとする貪欲な者は、そう多くはない。


 戦えるだけの兵士を確保できなくなった国は、汚れ仕事を請け負ういくつかの組織に取引を持ちかけた。

 単純な話、人が集まらないのなら、奴隷を使うことにしようというのだ。

 人権なき奴隷ならば、兵士だろうが何だろうが、駒として自由に使うことができる。

 戦闘力が低く、戦争に参加できない者たちが集う、掃き溜めの集団に、とにかく多くの人を攫わせて兵士にするという___およそ国家を舵取る人間が思いつく策とは思えないが、国の腐敗具合を如実に反映しているとも言えよう。

 

 先頃の人攫い増加の原因には、そんな背景がある、と、シェイラは術導院の友人から話を聞かされていた。

 子供にも話して聞かせた。

 攫われないよう注意しなさいと。


 贔屓目なしに見ても、孤児院の子供たちは優秀である。

 年長であれば、たとえ街中に一人でいたとしても、人攫いに遅れを取ることはない。


 しかし、背後に守らなければならないものがいるとなれば話は別だ。


 自分の身は自分で守れるが、他の誰かまで守り切るとなると、格段に難しくなる。

 シェイラもよく知っている。

 なのに___五人の護衛をつけさせたとはいえ、人攫いが跋扈する街中に、幼いエルを行かせるなど。

 自分は何を考えていたのか。



 混乱するシェイラを尻目に、年長たちは頼りになった。

 すぐさま人数を集めて捜索隊を作り出し、エルを探そうと街に行こうとした。

 だが、シェイラが辛うじて取り戻した冷静さが彼らを引き止めていた。

 もう日が暮れる。

 そして、夜闇は人攫いに味方する。

 エルを探すことに意識を裂けば、それだけ自身に対する害意の警戒も疎かになる。

 二次災害は避けるべきだった。

 街に数人を繰り出し、捜索願を出すだけに止めた。

 パーティの食事はすっかり冷えていた。


 翌日になり、術導院が受付を開始する時刻ぴったりに孤児院組がやってきた。

 戦闘可能な年長の子が全員。

 彼らは、シェイラから騎士団に出動を願う一封を預かっていた。彼女には騎士団の中にも友人がいた。エルを探す前に、その騎士に文を渡すために術導院へ立ち寄ったのだ。


 シェイラ自身は、孤児院に留まった。

 戦える年長が全て出てしまえば、自分以外に孤児院を守れる者はいない。

 自分でも探しに行きたくて仕方がなかったが、人を探すときに重要なのは、質ではなく数だ。

 できるだけ多く人数を繰り出したほうが、シェイラ一人で探すより効率がいい。

 みんなを信じて、シェイラは孤児院を守ることに専念する。


 見つかるまで何日掛かるか分からない。

 ひょっとしたら昨晩の間に国境を渡って今は海の上かもしれない。

 奴隷商人は、奴隷を躾けるために鞭を使うと聞く。

 調整という暗語も言われている。

 シェイラは見たことがある。全身傷だらけで、虚ろな目をした奴隷。

 彼女の頭の中で___その奴隷はエルの姿をしていた。

 そんな想像をしては打ち消すを繰り返し、昨晩は一睡もできなかった。

 シェイラはただひたすら祈り続けた。



 それから一日が経って、エルが見つかったと聞かされたとき、シェイラはまた底なし穴に落っこちた気がした。

 安堵。

 安心。

 そんな感情が体の芯を突き抜けると同時に、あまりにも早すぎる発見に対しての疑心も芽生えた。

 怪我はしてないのか。

 本当に無事なのか。


 自分の目で確認したかった。

 どうしようもなく会いたくなった。


 シェイラは街に行くことにした。


 シェイラと、エルと多少仲の良いロルフとエルシリア、それからどうしても付いて行きたいと駄々を捏ねたレイチェルを加えた四人で孤児院を出た。

 他のみんなは留守番である。

 バイロンが術導院にいるというので、四人は彼と合流してからエルがいる宿屋に向かうことにした。


 術導院に着くと、ロビーである大広間で、一人の少年と大勢の騎士が何やら言い争っていた。

 バイロンと、銀ピカの鎧に身を包んだ騎士団の連中だった。


 シェイラが来ると、一人の尊大な態度の男が前に出てきて何やら喚き始めた。

 大まかに話をまとめるとこんな感じだ。


『うちの団員が一人殺された、お前の孤児院の子供が犯人だ』

『こちらで身柄を拘束させてもらう』


 何を言ってるんだこいつは。

 そんな言い分でエルを連れて行くなど到底容認できるものではない。

 口論が始まった。


 極めて優秀な元術導教師であるシェイラに対し、騎士も中々見事な舌鋒を見せた。

 これぐらい舌が回らないと、腐った政界の中を生き残るのは難しいのだろう。

 話の誘導や揚げ足取りが実に上手い。

 もっとも、そんな姑息な手管に引っかかるほどシェイラも甘くなく、状況を不利と見た騎士は、不意を突いて下っ端の騎士と兵士を数人外に出した。

 先にエルを捕らえてしまえば是非もない、という短絡的な策だ。

 ロルフたちがそれを追った。

 シェイラとバイロンは術導院に残り、騎士たちに睨みをきかせていた。


 しばらく膠着状態が続いた後、一人の中級騎士がやってきた。

 捜索願の文を渡したシェイラの友人だ。

 元シェイラの生徒でもあり、名前はルクという。

 エルはすでに見つかっていたが、バイロンがそれを術導院に言って捜索願を取り消そうとした時に、エルを捕らえようとする騎士団の連中が出張ってきたのだった。

 結局、今も捜索願は取り消されず、掲示板に張り出されたまま。

 ルクは日がな一日少年を探し回ったあと、夕暮れ時になって捜索を引き上げて術導院に戻ってきた。

 要するに彼は、もう探す必要がないことを知らないまま街を歩き回っていたのだ。


 帰ってくるや術導院を満たしていた剣呑な雰囲気に、目を瞬かせるルク。

 やたらと巧みな騎士の口八丁を前に、この時には既にして最高に気分が悪くなっていたシェイラは、八つ当たりのようにルクへ詰め寄り、


 今までどこに行っていたのか。

 エルならとっくのとうに見つかった。

 お散歩してる暇があったら少しぐらい建設的なことに時間を割け。

 まったく使えないわこの唐変木。

 昼がこんな調子じゃ夜の方も知れたようなものね。


 エトセトラ。

 余程苛立っていたのか、普段子供の前では言わないような言葉まで吐いていた。

 ルクは目を白黒させつつ、なんとか状況を呑み込むと、言い訳を始めた。

 というより、シェイラからすれば言い訳にしか聞こえなかった。

 早くエルに会いたいのに邪魔ばかり。

 彼女のボルテージは溜まる一方だった。


 だが、ルクの並べた言い訳の中に少し看過できない事案があったので、シェイラはまた彼に詰め寄った。


『変態みたいな速さで魔法を繰り出してきた少年と戦い、逃した』


 間違いなくエルだと直感した。

 子供たちからの話で、エルがどのようにして人攫いから逃げてきたのか、いかに巧みに魔法を操っていたかを聞かされていたのだ。


 もっとも、シェイラはエルが魔法を使えることに薄々勘付いていた。

 でなければ『魔法って呪文なしで使うことはできないのですか?』とか『傷を一瞬で治す薬や呪文はないのですか?』だとか尋ねてこないだろう。


 だが、ルクの優秀さをよく知るシェイラにしてみれば、エルがルクから逃げ切ったことの方がよほど驚いた。

 最近の中身すっからかんな騎士と違って、ルクは正真正銘実力派中級騎士だ。

 その追撃を凌ぎ切ったのだ。

 エルは天才だと、また一つ確信した。


 ルクは、その少年が探していた人物その人だと気付いていなかった。

 年の若い小人族か何かだと思っていたらしい。

 まだ五歳になったばかりの子供だと聞いたときの彼は、まさしく開いた口が塞がらないという様子だった。

 その顎にアッパーカットを打ち込んで鬱憤を晴らしたシェイラは、自分もエルを探しに行くことにした。エルはどうやら、ロルフやエルシリアたちも撒いたようだからだ。

 このとき、エルがなぜ、たった一人で逃げ出そうとしたのか___シェイラには考える由もなかった。

 

 そう。

 考えようともしなかったのだ。


 日はすでに暮れていた。

 探しても探しても見つからず、高い塔の上から遠視魔法で街の隅々を見渡して。

 路地裏から転がり出てきた小さな少年が、騎士に暴力を振るわれているのを見て、その場に急行し。

 特級魔法を使って、その騎士を土の牢獄に閉じ込めたあと、ぼろぼろになったエルを胸に掻き抱いたそのときまで。

 シェイラは、考えようともしなかった。

 エルが、何を背負って、何を守ろうとして戦っていたのかを。

 彼が気を失う寸前にこぼした言葉を聞いた時、シェイラは泣きそうになった。


『どうすれば……勝てます、か……?』


 まただ。

 またエルは、孤児院に迷惑をかけまいと、みんなを遠ざけて一人で戦おうとした。


 エルの体は軽かった。

 まだ成長期の骨があちこち折れていた。

 こんなにも小さな体で、なぜ無理をおしてまで重荷を背負おうとするのか?

 考えてみれば単純なことだ。


 嫌われたくないからだ。


 自分のせいだ。

 この子がこんなボロボロになったのは。

 エルが、ここまで追い詰められているとは思いもしなかったのだ。

 嫌われたくないがために、ボロボロになるまで体を張って、死にかけて……尚も一人で戦おうとする、歪んだ精神力。

 命まで投げ捨てんとする自己犠牲。

 人の在り方から逸脱していた。

 異常だった。



 ルクが呼んできた医療術師にエルが運ばれていくのを見ながら、シェイラは考えた。

 自分が進む道を選ぶのは子供だが、それが間違っていたり、或いは険しい道であったりする時にはそれを教える。迷った子供の道を照らし、導くことこそが教師の務めだ。


 シェイラはひとつ、心に決めた。


 術導教師を辞めて久しいが、

 今こそ、その本文を果たすべきときだ。



基本、今回のシェイラのお話のように、エル以外の登場人物をメインに据えた話は第三者視点での話になります。

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