第十話 敗北、敗走、七転び八起き
騎士が一歩近付く。
論決に敗北した俺を連行するために。
だがその時、俺の前に影が差した。
「エル、よくやった。もう十分だ」
そう言いながら、ロルフは剣を抜きつつ、騎士に対峙するように立っていた。
レイチェルとエルシリアも、彼に追従して杖を構える。
「うん、本当に、よくがんばったわエル」
「一人でここまでやるとは、感心だよ」
二人とも俺に微笑んでいた。
今の俺の、どこに感心できる部分があるというのだろうか?
ひたすらに情けないだけではないか。
騎士は足を止め、歯を剥き出す。
「なんだ貴様ら。今の話を聞いていなかったのか? それともまだ、そこの人殺しのガキを庇うのか」
「ああ、当たり前だ。家族だからな」
にべもなくロルフは言った。
騎士はぴくりと頬を動かした。
「ふん、正義は我にあり。ガキ共々、貴様らも牢屋に送ってやる」
そして、騎士も剣を抜く。
剣士のロルフと、魔法使いのレイチェル、エルシリア。
騎士と二人の兵士。
もはや宿の客間に人はいない。
イーナもおやっさんもどこかに行った。
(戦う、のか……?)
孤児院の子は、優秀だ。
多勢に無勢ならともかく、この状況で遅れを取るような甘い鍛え方はしていない。
戦えば勝つだろう。
しかし___その後はどうなる。
ここで彼らが戦えば、前世でいう、公務執行妨害の罪に問われかねない。
俺のせいで、家族が罪人になってしまう。
シェイラは更に追求を逃れにくくなる。
事態は何ら好転しない。
刻一刻と、時間が過ぎる。
もう、状況が動き出しそうだ。
(……家族、か)
不意に、ロルフの言葉が頭の中でリピートした。
それから俺は、目の前に立つレイチェルとエルシリアの華奢な背中を見上げる。
最後にセレナを見る。
「……」
俺は瞼を閉じた。
思考が結論に至るのは早かった。
家族を罪人にするわけには、いかない。
ならば、全ての罪は、俺が引き受けよう。
覚悟を決め、俺は目を開けた。
***
騎士、兵士二人。
少年、少女二人。
宿屋『磊々落々』の中で、剣を抜き、杖を構えた双方。
最初に動いたのは二人の少女だ。
唱えるは魔法の詠唱。
それを合図とするかのように、騎士と兵士が走り、少年はその場で剣を構えた。
この瞬間で、勝負を決する要因となるのは魔法使いの少女たちだろう。
威力の高い中級魔法を発動できた時点で、孤児院側の勝ちだ。
それを止められれば、騎士側の勝利。
ロルフがどれだけ持ち堪えられるかが鍵となる。
命をかけた真っ向勝負であれば、孤児院の方が大きく不利な状況だ。
何しろ、前衛のロルフは一人で大人三人を食い止めねばならないのだから。
だが、この勝負。
双方共に、目的は殺し合いではない。流血沙汰は避けようとするだろう。
加えて、ここは宿の中。
障害物が多く、数の優位を活かしにくい空間であることも少なからず影響する。
そういった点を加味すれば、むしろ孤児院側が有利と言えよう。
机や椅子を跳ね除けながら突撃する騎士。
その場で迎え撃たんとする少年。
両者の剣が、宿の中心で撃ち合い、火花を散らす___その寸前を狙って、
俺は、右手を前に向けた。
「『我願う、火よ』」
火属性の下級三位魔法『照光』。
灯火魔法の上位互換のようなもので、強い光で周囲を照らし続ける魔法だが、これに俺が改変を加える。
効果時間は一瞬。熱を最小に。
代わりに効果範囲を限界まで広げる。
「ぐおっ!」
「っ!」
「きゃっ!?」
閃光が空間を満たした。
強い光が炸裂し、俺を除く、その場にいる全ての人間の視覚を一時的に奪った。
「『我願う、水よ』『風よ』『土よ』!」
続けて、流れるように魔法を発動。
鉄砲水を騎士たちに放ち、その質量で遠くに吹っ飛ばす。
もがくように立ち上がろうとする彼らに、真上から突風を叩き込んで押さえつけ、最後に大量の砂をぶっかける。
その連携攻撃は、俺が昼間に考えていた対人妨害手段の一環であった。
俺だったら、視界をいきなり奪われた上に吹っ飛ばされてびしょ濡れにされて砂だらけにされたらめちゃくちゃ不快に思う。
思い出すのは前世の記憶だ。
雨の中での泥試合。
目、鼻や耳とか、体中至るところの穴に、泥水が流れ込んでくるのは色々キツイ。
周りが見えない状態では尚更だ。
同じ人間の俺がそう思うなら、騎士だって少なからずそう思うはずだ。
俺も見て気の毒に思える惨状になった。
「ロルフ兄さま、レイ姉さま、エルシー姉さま。今までお世話になりました」
「おい、待て。何する気だ、エル!」
「どこかに逃げます。追わないでください。セレナをお願いしますね」
未だ視力が回復しない彼らを置いて、俺は走り出し、宿屋から出た。
「え、える……どこ……どこ……」
泣きながら俺を探す狼少女の声に、後ろ髪を引かれながら。
こうして逃げ出すことで、かえって状況は悪くなるかもしれない。
だが、少なくともこれで騎士たちのヘイトは完全に俺に向いたはずである。
ロルフたちは、抜剣しただけで攻撃はしていない。
よしんば罪に問われたとしても、俺より上手く切り抜けられるだろう。
みんな優秀だ。
こんな後先考えない手しか考えつけない俺と違って、ずっと才気に溢れている。
「何の騒ぎだ……んっ!?」
「っと!」
宿から出てすぐに、いきなり数人の騎士と出くわした。
騒ぎを聞きつけてきたのか。
それともゴミ騎士の増援だろうか。
考えるより先に体が動く。
「『我願う、火よ!』」
再度、目眩ましの閃光を放つ。
我ながらワンパターンだが、地味なだけに初見の相手に対しては非常に有効な手であることは間違いない。
効果のほどは先ほど見た通りだ。
今のうちに早く逃げ___
「___魔法使いか!」
俺は足に急ブレーキをかけた。
中央にいた騎士が気炎を上げている。
今の不意打ちじみた目眩ましを、回避したとでもいうのか。
凄まじい反射神経だ。
だが、回避できたのはその騎士一人だけのようである。
ひときわ煌びやかな鎧を身につけているところを見ると、中級騎士だろうか。
他数名は目を抑えて転げ回っていた。
俺はさっきと同じ魔法連撃を次々と唱え、騎士に撃ち込んだ。
「むっ!」
だが、騎士はそれを全て避けていた。
水の大砲をサイドステップで躱し、上から叩きつける突風に素の足腰で耐え切って、砂の散弾はマントで防ぐ。
全部完璧に見切られている。
息つく間もなく放った魔法が。
(なんだこいつ……!)
「速く多彩な魔法だが、軽いな!」
騎士は剣を抜くと、風のような速さで接近してきた。同じ人間かと疑うような脚力だ。
直接攻撃が効かないのなら、と俺は思考を次の段階にシフトする。
「く……『我願う、土よ!』『水よ!』」
「ぬ、おおうっ!?」
足元の土を隆起させ転倒を狙うが、これも躱される。
その先の地面を液状化させてもダメだ。
とんでもない反応速度で足を踏み替えたりジャンプしたり。
化け物かこいつは!?
俺は迷わず最後の手段に出た。
「『我願う、風よ!』」
某亀仙流の必殺技の構えを取り、多重魔法で暴風を発生させる。
ただし、騎士に向かってではない。
本来は前に放出される風を、俺は百八十度逆に向けて発射されるよう書き換えていた。
さらに今、俺は魔法の起点となる両手を下に向けている。
両肩が外れそうな衝撃。
俺の体が真上に吹っ飛んだ。
(もういっちょ……!)
これまでの魔法練習で、どの程度の高さに浮き上がるのかは分かっている。
だから慌てない。
上向きの力が重力と釣り合ってゼロになり、体が静止した瞬間を狙って、再び右手から風を生み出して近くの屋根を目指す。
左手からも風を生み出すが、こちらは勢いの減衰と体を安定化させるためのものだ。
両の手でバランスを保ちつつ、俺は無事に屋根へと降り立った。
「なんと……」
下を見ると、あの中級騎士がぽかんと口を開けてこちらを見上げていた。
俺は逃走を再開した。
日が暮れたあとも、俺は逃げ続けた。
消音魔法や白霧魔法を駆使し、隠れながら建物の間を縫うように走り、時には風魔法でまた宙を飛んだ。
途中で人攫いらしき集団に遭遇して、撃退がてら誘拐されかけていた子供を助けた。
だがやはり、分は騎士にあった。
まず、俺はここらの地理に明るくない。
地の利に勝る騎士は、包囲網を縮めて徐々に俺の逃げ道を狭めていた。
手の内も見せすぎてしまったようだ。
考えておいた妨害手段もあまり通用しなくなってきた。
魔力の方は問題なさそうだが、体の方はそうもいかない。長時間走り続けるには体力が回復し切っていない。
そんな不利な状況でなお逃げ続けることができているのは、やはり、人攫いとの戦いで学んだ反省が活きてるからだろう。
あの時、俺が負けたのは。
自分が持つ手札の使い方を、知らなかったからだ。
使い方といっても、考えたのは搦め手とも言えないようなセコい手ばかりだが、実際にそれが活きている。
敵を翻弄できている。
あの中級騎士クラスの相手にも何度か遭遇したが、逃亡に成功した。
子供でも、大人相手に立ち回れている。
切羽詰まった状況の中で、
ささやかな全能感が芽生えていた。
それは或いは、現実逃避のようなものだったのかもしれない。
***
「……よぉクソガキ」
息を整えつつ、路地裏に隠れていたとき、背後から声があった。
今まで騎士は大通りを主な移動経路としていたので、路地裏の奥から響いた声に、俺は背筋が粟立つような感覚を覚えた。
だが、振り返ってすぐ、恐怖は消えた。
泥だらけの鎧を着た騎士___ゴミ騎士がそこに立っていた。
「誰かと思えば、あんたですか……懲りないですね」
「……チッ」
騎士は、忌々しそうに唾を吐いた。
「ここらは、俺が昔住んでいた場所だ。お前が逃げそうな道は把握してる」
「それで? 今から他の騎士のとこに戻って報告でもしますか」
「するわけねえだろ。お前は俺の獲物だ」
「……ふ」
俺は、小さく笑った。
騎士の言葉が、どうにも強がっているようにしか聞こえなかったからだ。
「獲物なのはあんたの方だ」
「……なんだと?」
「狩人は俺の方、ってことだよ!」
そう言って、俺は走り出していた。
泥まみれの騎士に向かって。
正面の大通りには大量の騎士がうろついている。
だから、一人でのこのこやってきたこいつを叩きのめして奥に逃げた方が良策だ。
そう考えたのだ。
___もっと、よく考えれば。
路地裏の奥、影になっている部分に二人目が潜んでいるかもとか。
罠が仕掛けられているかもとか。
考えられたはずだったのだ。
この時この瞬間、俺は、冷静に思考を回すことができなかった。
俺は、油断していた。
つけあがっていたと言い換えてもいい。
この騎士なら、俺でも倒せる、そう思ったからこそ迷わず突っ込んでいけた。
泥に濡れ、言動も存在も何もかもが小物なこいつであれば。
きっと、倒すことができると。
こいつより優秀な騎士を大勢相手にして、今もなお逃げ続けている俺ならば、倒すことなど訳無いと。
口論に勝っただけでいい気になるなよ、と知らしめてやれる、と。
そんな風に考えていたから、俺はこうして走り出せたのだろう。
走りつつ、右手で石の棒を作り出し、左手から火の玉を飛ばす___構想だけは半端に出来上がっていた、剣と魔法を駆使した戦闘に、挑戦しようと思えたのだろう。
もう一度言おう。
俺は、つけあがっていた。
(___あ?)
魔法が暴発した。
詠唱短縮を行うことで、魔法の発動速度は飛躍的に上昇する。
だが、代わりに魔力を通すべき道筋は記憶頼りになる。精密な魔力操作技術がなければ成り立つことすら難しい技だ。
そんなものを、俺が今まで連射できていたのは、努力のおかげだ。
その精密な魔力操作技術を身につけていたからだ。
しかしもちろん、身につけたからといっていつでも手足のように操れるわけではない。
簡単な話だった。
俺は集中力を欠いてしまった。
走りながら、右手から剣に見立てた石棒を作り出し、頭では剣と魔法を併用した戦術を考え始めたところに、油断が重なった。
魔力は俺の制御を離れ、主人に向かって、牙を剥いた。
凄まじい熱量が手を焼いた。
「づ、ぁっ!?」
激痛が走った。
石の棒を放り投げ、火傷した手を抑えて、走る勢いのまま地面に転がった。
そこに、上から声が降り掛かる。
「なんだお前……勝手に自爆しやがって」
考える時間はなかった。
気付けば騎士は、俺の目の前にいた。
彼は、俺の作った石の棒を拾って、力任せに振り抜いていた。
俺の顔面が鈍い音を立てた。
「あらゆる戦いは流動的で、最適解なんぞ存在しねえ。うちの上官の受け売りだ。俺を舐めてかかった時点でお前の負けなんだよ」
その言葉は、奇妙に俺の頭の中で反響した。
声も出ない俺に、騎士は諭すような言葉をかけ、今度は腹を蹴り飛ばした。
ぐしゃり、と体の中で音が潰れた。
俺は裏路地から吹っ飛び、街の大通りまで転がっていた。
「う……く……」
「なんだっけか? 狩られるのは弱い者とか言ってたな」
顔が、腹が、痛い。
息ができない。
周りがよく見えない。
魔法を……
「誰が弱い者なんだろうな、おい」
どこを蹴られたのかは分からなかった。
ただ脳に、激痛だけが伝わった。
「おら、答えろよ___ガキッ!!」
騎士が、いきなり豹変したかのような声を上げて暴れ出した。
暴力は全て俺に向けられた。
殴られ、蹴られて、抵抗しようと伸ばした手は折られた。
俺は体を丸めることしかできなかった。
何もできなかった。
「はあ……はあ……おい、こら、なんか言えよ。誰が弱い? 俺とお前、どっちが弱いんだ? え? 答えろよ」
最後に騎士は、俺の頭を掴んでそんなことを言った。
もはや痛みを通り越して体中が熱い。
痛くて痛くて涙が止まらない。
もう一度殴られた。
痛すぎて、一瞬、意識が飛んだ。
―――……。
人に殴られたのは、中学以来か。
原因は些細なことだった……と思う。
今となっては記憶の彼方だ。
あの時は確か、一発こめかみを殴られただけで泣いてしまった。
クラスのみんなの前で。
たまらなく悔しかったのは覚えている。
だが、そのとき俺は殴り返そうとする自分を必死で自制した。
母から『殴り返したら負け、そいつと同類だ』と常日頃言われていたから。
だからなんだという話だ。
そりゃそうだ、なんとなく思い出しただけなのだから。
痛覚が麻痺したついでに、頭もどうかしてしまったのだろうか。
だが___
「なんだ、その目は」
だが、
俺は腫れ上がった目を開いて、騎士を睨む程度の気力を取り戻していた。
「……ははっ」
騎士が、へらりと笑う。
自分でも不思議だ。
前世でこんなにボッコボコに殴られたら、泣いて喚いて許しを請うていただろう。
ある時に父親から猛烈な怒りを受けたせいで、人から怒鳴られると竦み上がるトラウマもあった。
けど、何故か今は心が折れない。
なんだろうか。
少しくらい強くなったってことなんだろうか……よく分からない。
ゴミ騎士に口論で負けたり、
油断して魔法で自爆したり、
まるで成長している気がしないのだが。
「よし、よし。お前殺すわ」
騎士は朗らかに笑って俺を離した。
笑いながら殺すとか言ってるところを見ると、テンションが一周回っているようだ。
俺はぼそぼそと呪文を唱え、全身にかけて土魔法『硬化』を施した。
気休めだろうが、俺だって死にたくない。
やれるだけのことはやってやる。
騎士は剣を抜いた。
俺は折れた手に魔力を込めた。
そして___
「___大いなる土の精霊王ノームよ」
どこからか声が聞こえた。
と同時に、凄まじい地鳴りが始まり、騎士が逃げ出していた。
怒りを含んだ声は構わず唱える。
「そこの醜い汚物を、天高くそびえし牢獄に未来永劫閉じ込めなさい___《摩天楼大獄》」
なんか歪すぎる呪文が聞こえた。
直後、突き上げるような地震が起こった。
あまりの震動に、うつ伏せに転がった俺の体が跳ねて仰向けになっていた。
何が起こったのか分からなかった。
ただ、空が見える。
とっぷりと夜の更けた空だ。
その夜を人影が遮った。
「遅くなって、ごめんなさいね」
「……はは、さま」
亜麻色の髪、鳶色の目。
シェイラ・ドワ・エルフィア。
聖母だ。
「後は私に任せて……」
「ははさま」
助けに来てくれたのだろうか。
暖かな腕に抱かれ、消失しそうになる意識を、しかし俺は必死で保とうとした。
何が自分をそうさせるのか分からない。
ただ俺は、シェイラに縋りつき、崩れそうな足を踏ん張った。
「エル……?」
「…………、………」
自分でも何と言ったのか分からなかった。
そこで、俺の意識は消失した。




