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さくら―――表


桜木綾(サクラギリョウ)


桜木綾が自殺した。


そんな噂が、朝の教室を駆け巡った。顔面蒼白になってその知らせを運んできたクラスメートは、廊下で教師の会話を盗み聞いたらしい。普段面倒なだけの地獄耳が役に立ったなと、冗談を言える空気ではない。なにせ、一年間同じ教室で過ごした友人が死んだのだ。しかも、事故などではない、自殺。


睡眠薬の過剰摂取が原因みたいだと呟くクラスメートを尻目に、僕はそっと、強く握り締めたままだった紙に視線を落とす。


手のひらに、じわりと汗が滲んだ。





桜に捧ぐ





“―――……勝手なことをした私を、許してくれとは言いません。親からもらった大事な命を、自ら絶つと言うことの罪深さは、けれど分かっているつもりです。世間一般から見れば、死ぬほどに絶望するような状況ではなかったくせに、現実から逃げた私をどうか責めてください。私自身が糾弾したくて仕方のない私を、どうか”





「――村井くん、」


振り向くと、同じクラスの桜木が立っていた。微妙な距離でにっこりと微笑まれて、どうしたらいいか分からず、とにかく軽く会釈する。

なんとなく若干の気まずさを覚えながら、黙ったままの桜木の脇を通り抜けようとして、――がしりと腕を掴まれた。

見た目に反して力が強いな、と、振り向きざまどうでも良いことを考えるほど、この時僕は戸惑っていた。そうして向かい合った桜木は、少し異様なほど真剣な瞳をしていた。


「ちょっと、頼みがあるんだけど、」

「…頼み?」

「うん、そう。――いいかな?」

一瞬躊躇して、内容によってはと頷いた僕に、桜木はどこかほっとしたように笑った。



桜木と僕は、特に親しかった訳ではない。

だからあの日、放課後の図書室で……――なぜ彼女が僕に「頼み事」をしたのか、今となっては誰にも分からないし、もしかしたら特に理由などなかったのかもしれない。

それでもあの出来事が、僕の脳裏を離れないのだ。






“私は、人が嫌い。人はみんな、等しく、すべからく、嫌い。―――――そう思わなければ、やっていけませんでした。誰のことも信じられなかったし、信じたくはなかった。自分を演じて、嘘をついて。偽善者ばかりの世界。……私がその筆頭だからこそ、私は人を信じられなかった。例え真実がそうでなかったとしても、もう………耐えられなかった。ずっと信じてきた母でさえそうだと知ったとき、私の心は折れ、目の前が真っ暗になりました。


何も出来ない自分が嫌で、誰にも求められず必要とされないことが怖くて。逃げただけ。そう、逃げただけ。たった一つ、人よりも優れていたはずのソレすら否定されて、拒まれて。……――、”






『耐えられなかったの』


ひらひらと、散る桜。窓の外を静かに見詰めたまま、彼女は独り言のように呟いた。

同じ国なのに、北ではまだ雪が溶け残っているらしい。中途半端に溶けた雪は夜の間に凍ってしまって、朝は滑って大変なんだと従兄弟が愚痴っていたのを思い出す。


『逃げ出したかったんだ、色んなことから。たったそれだけ』


伏せた睫毛がうっすらと桜色に染まる。半透明に透けているのは、他殺や事故でなく自ら命を絶った証なのだと彼女は言った。なぜ分かるのかと聞いたら、本能みたいなもので、気付いたら自然と理解してたんだと言っていたけれど、当然ながら僕にはよく分からない。そして、虐められていた訳でもない、家庭内不和があった訳でもない、そんな彼女が自殺した理由も、僕にはさっぱり理解できなかった。彼女の残した遺書を読んだ今でも、分からない。


だけど正直にそう言ったら、彼女はそうだろうねと少しだけ寂しそうな顔をして、でもだからこそ村井くんを選んだんだと笑った。


村井くんは、変に同調したりしないでしょと言った彼女に、桜木は僕のことを過大評価し過ぎじゃないかと言おうとしたけれど。そう言った彼女が余りにも晴れやかな表情をするから、吐き出されるはずだった言葉は喉の奥に消えた。






「―――……でもだからって、」


読み終えた紙をくしゃりと潰して、胸ポケットに突っ込んで。僕は唸るように窓の外を眺める彼女―――…そう、自殺したはずの桜木綾を睨み付けた。


「化けて出ること、ないだろ…!」

『―――化けて出るって、ひどいなぁ。わたしだって、好きでこうしてるわけじゃないよ』


不満げにムッと唇を尖らせた桜木は軽やかに動いて、頭を抱える僕の前の席にふわりと腰を下ろす。そして憂いるように悲しげな声で言った。


嘘だ、絶対嘘だ。

少々笑いを含んだ声といい、絶対100%楽しんでないとは言えないと思う。その証拠に、うっすらと透けた自分の指を興味深げにいじったり、ふわふわ浮いて遊んでいる桜木に呆れた視線をやりながら、僕は溜め息をついた。大体にして、なぜ僕の前ピンポイントで現れるんだ。心当たりがないとは言わないが、もっと姿を見せるべき人間くらいいるはずだろう。


実は友達いないのかと可哀想な人を見る目で見ていると、一通り興味を発散したらしき桜木が急に顔を上げた。


『……っていうか、ソレ。ちゃーんと律儀に()()読んだんだねぇ』


やっぱり村井くんは真面目だ、と楽しそうに笑う彼女に口元がひきつる。人が読んどけばよかったと後悔してるときに、と思ったが、口には出さなかった。……それも見越して、僕に渡したのかもしれないと思ったからだ。誰かに止めて欲しくて、だけどやっぱり死にたくて。無意識下の行動かもしれないが、あまり、人のディープな部分に土足で踏み入る真似はしたくない。


「―……約束したからな」

けらけらと飽きずに笑う彼女を無視して無難にそう告げると、ピタリと笑い声が止む。どうかしたのかと視線を戻すと、桜木は唾棄するように、しかし柔らかく言う。


『こんなのさぁ、死ぬのに失敗したも同然だよね』


「………」

『先のこととか、あたしが死んだらどうなるのかとか。―――考えたく、なかったんだけどなぁ』


桜木の死にざわめく教室を睥睨する瞳には、淋しさと苛立ちが浮かんでいた。考えたくなかったというその気持ちは、少しだけ理解出来る気がする。知らずに終わるはずだった“その先”を知ってしまった彼女は一体どんな気持ちなのか、考えて眉を寄せた。

桜木の苛立ちの根源――噂が真実か確かめもせずに、同じ話題を繰り返す彼らにぼんやりと目をやりながら、僕もまた呟く。


「…………どうせ、いつか忘れるなら、」


最初から騒がなければいいのにな、と嘯いた声は思ったよりも小さかった。自分でも思うところがないでもない言葉に視線を落としてから、僕はそっと横目で桜木の反応を窺う。


『…あんまり喋らない方がいいよ。多分、あたしの声周りに聞こえてないし。独り言みたいになっちゃう』


それだけ言って、彼女は口を閉じた。散々自分の方から話しかけておいて、よく言う。きっともう触れてくるなという意味なのだろうけれど、なんだか随分と勝手なものに感じて、だから真意には気付かない振りをして。


「桜木、」

『……………なぁに』


たっぷりと間をおいて、振り向いた桜木が答える。拒絶なのかただのマイペースか掴めなかったが、それはまぁどうでもいいだろう。

僅かに灰色がかった大きな瞳が、じっとこちらを見据えていた。


「僕は、約束を守ったけど。………君は、破ったままいくわけか」



“これをね、明日の朝、読んで欲しいの。”

“明日?”

“うん、そう……明日。その後どうするかは、村井くんに任せるから。…頼める?”

“まぁ、その位なら”

“ありがとう。―――あ、そうだ、その代わり、”



「“アイスでも奢る”…んじゃ」


なかったのか。


ざあ、と、言おうとした言葉を遮るように風が吹いた。凄いでしょうと呟いた桜木は、いつの間にか窓の向こうに視線を戻していて、横顔では表情はよく分からなかった。



“―――…わたしが死んだのが、誰かの所為だと思わないでください。責任を負わせないでください。わたしはわたし自身の所為で、死を選んだから。”




「……後悔はね、してないんだ」


淡々とした声。真実かなど知るべくもなく、僕はただ耳を傾けることしか出来ない。


「迷惑はきっと…、たくさん掛けたんだろうなあって、思うけど。――…後悔は、死ぬって決めたときに、もうしないことにしたの。………ね、ほら、」




桜が綺麗と笑う彼女に、僕はただああ、と頷いて。ずっと散り続ける花びらを目で追っていた。



―――本当に桜木が後悔していないのか、泣きそうな顔で一瞬唇を噛んだのは僕の見間違いだったのか。それらを僕が知る必要はない。



他人の事情心情に、深入りしたくはないのだから。





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