7.お茶会開始です
サブタイトル・・・前公爵の哀愁
「サ~ラ。だっこ~」
ジュリアンが小さな紅葉のような手を広げてだっこを要求してくる。
ああ、抱きしめたい。
でも、タイミングが悪いことにばっちり化粧を施され、ドレスアップした状態であるのでだっこしてあげることは無理だった。
帰ってきたところであればいいが、今からこの国一番の女性のところに行くのにドレスに皺や汚れがついては、さすがに1時間かけてメイクアップしたメイドたちに申し訳ない。それにドレスには小さな飾りが散りばめられているので、万が一それがジュリアンの柔肌を傷つけてしまう危険があった。そんな危険をサラサが冒せるわけがない。
「ごめんなさいね、ジュリアン。今日はナンシーにお願いしてもらえるかしら。サラサは今から戦いに行かないといけないの」
サラサはジュリアンの頭を何度もなでる。この形でできることはそれぐらいだ。
「やだ~。だっこ~」
ジュリアンが目に涙をためながらそう訴えてくる。サラサはその表情を見てもらい泣きしそうになるのをぐっとこらえた。化粧ばっちりで涙をためるわけにもいかない。普段はそれほどしないのだけど、さすがに社交界にいくときはそれなりに化粧させられる。
「ジュリアン。おじい様がだっこしてあげるからこっちにおいで」
娘であるサラサを見送りに来ていた前公爵が、駄々をこねる孫を見かねて両手を広げてジュリアンに優しく声かける。しかし、それに対してジュリアンの反応は冷たいものであった。
「や!サーラ!」
孫の拒絶に面白いほどショックを受けている初老の前公爵。その姿に病弱だが有能で冷酷ともいわれたアルンバルト前公爵の面影はない。ただの孫ばかなおじい様だ。
「ジュリアン、帰ってきたら一緒におねむりしましょうね」
そう言うと分かっているのか何回も頷いてくれた。ジュリアンはサラサがだっこできないのが分かったのか、大人しく乳母であるナンシーに抱かれている。
早く今日のこのやっかいなお誘いをなんとか終わらせて、ジュリアンと仲良く過ごしたいわ。
サラサは扇で口元を隠しながら小さくため息をついた。
「それではお父様。行ってまいりますわ。お見送りまでしていただいてありがとうございます」
病弱な身でありながら、わざわざ玄関まで見送りにきてくれた父にお礼を言う。それだけ今日の王妃主催のお茶会が気になるのだろう。私がひとつでも誤ればお家存続の危機になる危険性もあるからだ。
従者にエスコートしてもらいながら馬車に乗り込んで王宮に向かうことになった。
サラサはメイドたちに会場である王宮の庭園に案内された。天気がとてもいい。心地よい風を感じる。庭園の真中には屋根のついた大きな広場があり、そこにテーブルといくつかの椅子がおかれている。
美しくガーデニングされた庭園のなかでひときわ目立つ薔薇の匂いがそこら中に漂っている。
格調高い作りのテーブルの上には、様々な色彩豊かな花と美しい湾曲の持ち手がついたティーカップや、きれいに盛りつけられた焼き菓子が置かれている。すこしテーブルから離れたところで3人ほどのメイドが控えている。さすがに王妃のお茶会だ。センスがとびっきり良い。
サラサはゆっくりとその広場に足を踏み入れる。
10数人ほどの貴婦人たちがいるのだろうとサラサの予想に反して1人しか席に座っていない。
早すぎたのかしら?
思わずそう思ってしまうが、まったく表情には出さない。これは貴婦人としてのたしなみとして、鍛えられているので考えなくてもできる技だ。
「本日はようこそ。急なお誘いをして申し訳なかったですわね。レッドスターと誉れ高い我が国の美姫と、じっくりお話がしたくなったものですから」
一番奥にある上等な椅子に腰かけている妙齢の美女が、こちらに気がついてそう声をかけてくれる。口元には微笑みをしっかりと浮かべていたけれど、目はまったく笑っていない。
「なにかと至らぬ身であるわたくしをこのような場に呼んでいただき、身に余る光栄でございます」
サラサはその場で頭を下げて、短いが失礼に値しない程度の挨拶を述べる。自分を王妃に売り出してもっとお近づきになるつもりなら、もっときちんと口上すればいいだろうけどサラサにしたらそんな気はさらさらない。
「さぁ。堅苦しいことはここまでにして席に座って頂戴。今日はあと一人のちに姿を見せるだけなので、わたくしとあなた二人でじっくりお話できるわ」
サラサは王妃に促がされるまま彼女のそばの席に腰かけた。
さすがに表情には出さないが、内心では王妃の言葉に疑問と驚きで頭がいっぱいだ。
周りの取り巻きたちのご婦人方はいないの?
2人っきりで話したいほどのことって何?
もしかしてそれほど王子にたかる悪い虫だと思われてしまったのだろうか?
内心では慄いているものの、サラサは扇を口元に当てながら小さく笑みを王妃に返す。サラサは自分から何か言うより王妃の質問に答える姿勢のほうがいいことを知っていた。
「本当にあなたは美しいわね、さすが社交界の華の一つと呼ばれるだけあるわ。でもあまり社交の場に姿を現さないのはなぜかしら?」
自分自身が連日連夜、自宅に男を呼んで侍らかしてるとまで噂をされていることを、サラサは知っていた。
まだ未婚でそれなりに立場がある公爵令嬢が、どこかの未亡人や欲求不満な婦人みたいなことをするわけがないし、公爵や前公爵のそばでそんなことができないことが分かっていながら、そういう噂を立てる令嬢たちの性格の悪さを感じる。
この前の孔雀令嬢などはまだ正面から立ち向かってきたので許すことができる。叩きつぶすことも容易だったし。とはいえ、あんなトラブルはうんざりだけど。それ以上にどうしようもないのは、根も葉もない噂を陰で広める方々だ。
ディランがよく公爵家に来ることも要因だろう。だが、小さいころからずっと入り浸っていたし、兄のガイヤに用事があってくる場合も多いのだ。来ないでと私に言う資格もなければ、いまさら言う気もない。
「甥である兄の息子の母代わりをしているからですわ」
どうせ信じてもらえないだろうなと思いながらも、サラサは本当のことを言う。6割はそれが理由だ。あとの4割はただめんどくさいだけなんだけど。
「そういえば、セーラ嬢の訃報ほんとうに残念でしたね。あれほど若く美しい方だったのに」
ジュリアンの母である伯爵令嬢だったセーラは、サラサより3つ年上の金色の髪が印象的な可憐な少女だった。唯一サラサの内面を見てくれた親友。兄と婚約したのは驚きもあったけど、嬉しさのほうが強かった。だが、ジュリアンを産んで息を引き取ってしまった。
出産で命を落とすのは悲しいがけっこうあることだ。現にサラサの母も次の子を産むこともできずに、その子とともにあの世に去ってしまった。
さすがに公爵家の嫁だったし、それなりに評判だったセーラのことは王妃の耳にも入っているようだ。
サラサは彼女が亡くなった時のことを思い出して、思わず涙がたまりそうになる。セーラのことを言われると未だに涙が出そうになるのだ。しかしこんなところで泣くわけにはいかない。出来る限り無表情を心がけた。
「はい。2年になります」
サラサは努めて淡々とそれだけを告げる。王妃はそんな彼女をじっと観察するように見ていた。
「美しく若い令嬢が姿を消してしまうのは残念だわ。あなたも十分健康には気をつけてね」
王妃は本当に優しげに声をかけてくださる。しかし眼は鋭いままだ。サラサはそういう仮面をつけたお付き合いに幼いころから慣れ親しんできたのと、持って生まれた直感で持って初対面でも相手の本質を見破る能力が備わっていた。だから王妃の表面上の優しさに、サラサも同じように切り返す。
「はい。王妃様こそ我が国にとってなくてはならないお方でございます。十分ご自愛くださいませ」
そう言いながらサラサは軽く頭を下げた。下の者としては申し分ない教科書通りの回答だろう。王妃はそんなサラサにもうひとつ話題を出してくる。
「そうそう。息子のソージュの手の怪我の手当てをしてくれたのですね?今日はそのお礼をと思ってこうして呼ばせていただいたのですわ」
きた!本命の話題。
これこそが王妃が聞きたいことであろう。しかし、ここで頷いてはだめだ。王子の素性を知らないふりをする予定だったんだから。
「申し訳ございません。わたくしにはなんのことだか・・・。おそらく人違いではございませんでしょうか?」
可能ならこういうことにしてしまいたい。これならこのお茶会も意味がなくなって、今後呼ばれたりすることもなくなるだろう。幸いなことにまだ私は名乗っていないし、王子に対しても名前で呼んだりしてないのだから。
しかし、その安易な考えは次の瞬間にあっけなく敗れ去ることになる。
王妃の席の右側に見える庭園に続く道から、金色の髪の少年が、颯爽と歩いて近づいてきたからだ。
ああ。彼が姿を現しちゃったら、ごまかしきれないわよね・・・。
これから王妃と王子がサラサに対してなにを言ってくるのか内心ではびくびくしながらも、貴婦人としての仮面を必死に被って、こちらに来る彼に対して頭をさげるためにサラサは椅子からゆっくりと立ち上がった。
汀雲さんが、またまたすばらしいイラストで今度はジュリアンを描いてくれました。感謝です。