25.わたくしでよろしければ、ぜひ!(下)
サラサは横からなんとも言えない重圧を、肌でビシビシと感じ取っていた。
お・・お兄様が本気で怒っている・・・。
そのオーラに圧されながらも、貴婦人の仮面を必死にかぶりつづけてお食事を続ける。
眼の前では仮面をかぶった魔物たちの、うすら寒い会話が続いているが耳に入れど、頭に入ってこない。
「これ以上この妹のことで世間を騒がせるわけにはいきません。ただでさえ、ソージュケル様の舞踏練習のお相手という大変過分なお役目を頂きました。そのうえで、フローレさまの教育係の1人となれば王家がわが公爵家を贔屓されていると、あらぬ推測をするものも現れるでしょう。サラサにはあまりにも過ぎる申し出だと思われます」
非の打ちどころのない笑顔の仮面をかぶったガイヤが殿下に辞退の申し出を言うが、殿下だけでなくヤトレイまでそれを真っ向から否定する。
「私もフローレも王族と言うだけで、王位を継承するわけではない。兄上が王位を継承しお世継ぎが誕生したら、私も一臣下になるだけだ。フローレもどこに嫁ぐことになるか分からないが、いまの立場はそれまでのものなのだから、なんの心配もないと思うが?」
「そうですね。アルンバルト公爵令嬢であるサラサ嬢ならばなに一つ心配はないでしょう」
ガイヤにしても、こうなると断ることは難しいこともわかっている。王族の総教育係であるヤトレイが是非といい、本人のフローレ王女までサラサを望んでいるのだ。ましてやフローレ王女がはるばるこちらに足を運ばれるとまで言われているのだ。
だが、サラサをこれ以上王家に近づけたくないガイヤとしては、悪あがきと分かっていても言わずにいられなかった。
当の本人であるサラサはただ、大人しく聞いているという姿勢を保ち続けていた。
そんなサラサにわざわざ殿下はもう一度言質をとる。
「サラサ。ぜひともフローレの為に引き受けてほしい」
殿下から直々に言われてしまってはサラサの意思で断ることはできない。兄のガイヤでも無理だったのだから。
それに・・・と眼の前の王女を見る。
小さな王女は食事を楽しみながらも、こちらをちらりちらりと窺っている。
なんの心境の変化があったのかしら?フローレ様の私を見る眼から怯えが無くなったわ。
サラサは王女の心変わりが分からなくて頭をひねる。
「・・・わたくしで本当によろしいのでしょうか?フローレ様」
まだ怖いと思われているなら、あえて我慢して頂こうとは思わない。だから殿下に返事する前に確認することにした。
フローレは手を止めてこちらをジッと見つめながら何かを言おうとしたが、言葉にならなかったようで最終的に頭をこくりと一つ下げることで意思表示する。
「フローレ様が異存がないのであれば、わたくしは僭越ながらその大役を引き受けさせて頂きます」
そう答える他にサラサに術はなかった。
殿下の方に頭をさげるサラサに合わせて、ガイヤも同じように首を垂れる。ガイヤもサラサにだけ分かる機嫌の悪さを隠しつつ、臣下の礼をとったのだ。
これでこの話題は終了となる。
やがて食事が進み、話題が領地についてに移った。
「さすがにこの国の第一等貴族のアルンバルト公爵家の屋敷だな。こうして訪問できて思わず役得だった。怪我をしてしまったサラサ嬢には申し訳ないが・・・」
「ありがとうございます。王宮と違って田舎で自然しかございませんが、そう言ってくださると助かります。サラサの怪我については幸い、支障の残るものではございませんでしたし、お気になさらないでください」
殿下とガイヤがしばらくこの領地についての様々な話を続けていたが、話の流れでサラサの怪我のことになる。
すると、ヤトレイがすこし軽い口調でこう言う。
「だが、あれでは傷が残ってしまうでしょう。この国が誇るレッドスターに傷を負わしてしまったとなると、サラサ嬢の羨望者たちに闇討ちにされるかもしれませんね。殿下やわたしが」
闇討ち。
他は知らないけど、サラサ至上主義を自他ともに認めているディランならするかもしれない。だが、それはサラサが望めばである。サラサがそれを望まないことをよく知っている彼はしないだろう。すくなくてもサラサにばれる方法では。
サラサは扇を口に当てて乾いた笑いをしながらそれを否定した。
「御冗談を。それに、わたくしはこの傷をあえて表にさらけ出すつもりはございませんわ。幸い、ドレスなり手袋で隠すことができるところですので。つまりはここにいるみなさんが、あの出来事をあえて公表しなければなんの心配もいらなくなります」
大事にしないでくださいますよね?
と、脅しを含んだ口調でそう言う。眼も笑っていないサラサの微笑みは、威圧感がすさまじく、彼女の内面を知らないものはびびって固まってしまいそうになるほどのモノである。
だが、ヤトレイはそれを平然と受け止めてサラサに優しい微笑みを投げ返していた。
「それはよかったです。こちらとしても公表するわけにはいきませんから。サラサ嬢の勇姿を公で称えることができないのはたいへん申し訳ないですが」
いらないです!まったくもって必要ありません。
言われた途端に、サラサの頭の中でそうつぶやく声が木霊する。
「気になさらないでくださいませ。わたくしはただたまたま恵輝石を持っていた為に、大惨事になることを防げただけでございます。ですから、称賛を受けるほどのことではないのですわ」
こんな感じでサラサにとってまったくといっていいほど、楽しくないひと時は過ぎていった。
お食事がおわると、殿下とヤトレイと王女は早々とアルンバルト公爵領を後にした。
「では、フローレ王女のスケジュールに週1回ほど、こちらへの訪問を加えさせていただきますね」
とは、ヤトレイがガイヤとサラサに残していった言葉だ。
3人が乗る馬車が見えないところまで遠ざかったところで、隣からのドロドロとしたオーラが一気に膨張する。
ま、まずいわ!
「お・・お兄様。ちょっと私、めまい・・」
「サラサ。お話を聞かせて頂きましょうか」
「あ・・はい」
仮病をつかって自室にこもろうとしたサラサの言葉を、地を這うような低音のガイヤの声がさえぎる。
「本当にいろいろと話をしなければいけないですからね。ジュリアンには今日は自分の部屋でナンシーとお食事をしてもらうことにしましょう」
ガイヤはそう言うとサラサに背を向けて、さっさと自分の執務室である部屋へと足を運んだ。
説教は夕餉までかかるのですか・・・。
早々に逃がしてくれないことを悟って、サラサは額に手をあてて大きなため息を吐いた。
ああ・・・足が重い。ジュリアン。お願い。いまこそ、お兄様の執務室に現れてサラサを救い出して!
などと、現実逃避なことを考えながら、サラサはガイヤの後をついて行った。