21.稀代の悪女に会いに行く理由
フローレ王女視点です。
動く馬車の中。
フローレは絶えることない揺れを感じ、隣に座る兄の袖を強く握り締めていた。実際はそれなりに舗装された道を進んでいるし、膨らんだクッションの上に座っているので大したことないのだが、めったに外出することのないフローレにとってはすこし怖く感じるものだ。隣に座っているソージュケルは平然と、教育係のヤトレイと難しい話をしている。理解できないフローレはつまらなくなって、掴んでいた兄の袖を力をこめてひっぱった。
「フローレ。どうしたんだい?」
「お兄様。どうしてこんなに早く行くことになったの?」
フローレはこちらを向いてくれた兄と話をしたくて、思いついたことを聞いてみる。
「私に午後に緊急の予定が入ってしまったからね。アルンバルト公爵には申し訳ないが、少しばかり早めに伺わせてもらっているんだよ」
そう言いながらも、兄はひどく嬉しそうな笑みを浮かべている。フローレは初めてみる兄の表情に驚きを隠せない。
どうして、そんなに楽しそうなの?やっぱり彼女に特別な気持ちをもっているの?
そう思ったフローレは気が付いたらその疑問を口にしていた。
「どうして、彼女なの?」
突如ぽつりとつぶやくように出された疑問に、ソージュケルはどう答えるべきか少しの間考える。結局質問に対して質問で返すことになった。
「どうしてフローレはサラサに会いに行くんだい?」
「そ、それは・・・」
今から、三日前に会ったサラサ嬢に会いに行くのだ。
本来なら兄とヤトレイだけで行く予定だったところを、無理行って同行させてもらった。
鋭い真っ赤な眼と大きな紅い口の美貌の令嬢。彼女を見た者は個々に様々な強い印象を与えるだろう。
フローレ自身、真正面から対峙したとき、怖くて逃げ出してしまった。実際、フローレが彼女から逃げようとしたせいでこうなったのだ。
だが、そんな彼女に今は自ら会いに行こうとしている。それはひとえに、自分のせいで彼女が怪我したことが理由だ。
「わ、わたくしのせいだからですわ」
「それなら私たちが行くから、わざわざフローレまで付いて来る必要はないと言っただろ?それなのになぜ強引に同行するのかな?あんなに怖がっていたのに」
そう言われて返答に困って口をつぐむ。たしかにそれだけではない。
決して口にできないけど、最後に見せた満面の笑顔の理由を知りたいのだ。いや、正確にはもう一度彼女のあの笑顔が見たいのだ。
あの笑顔を持つサラサが、稀代の悪女とまでいわれている令嬢と、ほんとうに同一人物なのかとどうしても思ってしまう。
黙っていろいろ考えているフローレに、ソージュケルはやさしく頭をなでてこう言う。
「君はまだ幼いし純粋すぎるから、うわさや外見に惑わされることになる。今はいいけど、これからはきちんとその者の本質を見極める力を付けるべきだ。君にとって味方になる者か敵になる者かをね」
それが王族に生まれた者には必要な能力である。そうソージュケルはフローレに諭す。フローレは兄の言葉を理解することはできても、言葉の意味まで汲み取ることはできなかった。
わたくしだって、そばにいる者の言葉をそのまま信じるようなバカな真似はしませんわ。
つい、そう反論したくなる。だが、ソージュケルはこれ以上フローレに口で説明するつもりもないようで、話を今日のことに戻した。
「むずかしい話はともかく、今日は怖がらずにもっとサラサと接してごらん。そうすればなぜ、私が彼女を気にするのか理解できるはずだよ。おそらく盾になる二人は不在だからね」
「そうですね。ディランは兄に呼ばれて領地に戻っているはずですし、アルンバルト公爵は今朝早くに王宮に来ていましたからね。サラサ嬢が我々をお持て成ししてくれることになるでしょう。本当に楽しみです」
そう言うソージュケルとヤトレイは、口元を小さく吊り上げながら笑い合っている。
サラサがもしその場にいて彼らの表情をみれば、悪巧みをする悪人の顔だと感じただろう。さらに、やはりそれが目的で到着時刻を大幅に早めてきたと確信するはずである。
しかし、そこまで読み取ることのできないフローレは、
サラサに会えることを、二人は心から楽しみにしているのだわ。
としか、思うことはできなかった。
そしてアルンバルト公爵家に到着する。馬車でいけばそれほど遠くはない。半刻もかからないだろう。
馬車の御者が門番に到着を告げると、門はすぐに開門ししばらくそのまま馬車が動く。
やがて、御者の掛け声と共に馬の鳴き声が聞えて、ひずめの音小さくなっていった。
「到着いたしました」
外からの御者の声を合図に馬車の扉が開いて、ヤトレイがまず外に出て次にソージュケルが出る。
最後にヤトレイが手を伸ばしてくれてフローレを抱き上げてくれる。踏み台はあるが段差が激しいために、まだ小さなフローレは危険だからだ。
「まぁ~。すてき・・・」
フローレは出た瞬間、視界に広がる壮大な屋敷に思わず感嘆の声をあげる。大きさから言えばフローレの住んでいる王宮の方が何倍も大きく豪華絢爛である。オリエンデーン国の城下町へ初めて来た者はみなその美しさを称える。
だが、それとはまた次元の違う美しさがここに存在していた。
自然との調和した格調高い屋敷。
どこか品のようなものを感じる。
屋敷の大扉が開くと数人がこちらに向かってきている。兄の姿を見て一同は礼儀正しく頭を下げた。
ソージュケルとヤトレイが彼らに声をかける。だが、その内容に興味のないフローレは、目の前に広がる景色を思う存分堪能することにした。
噴水も庭園もいきいきとしているわ。どうしてかしら。王宮のほうがきちんと手入れされているはずなのに、こちらのほうがわたくしは好きだわ。
フローレがそんなことを思っている間に話は終わったようで、兄に手を取られながら屋敷の中へと案内された。
まだ出迎える準備が整っていないと、申し訳なさそうにおそらく執事である青年が頭を下げる。
だがかれらに非があるわけではない。約束の時間よりだいぶ早く到着しているのだから。
ソージュケルが労いと詫びの言葉を言う。
すると執事は、
「とんでもございません。いますぐサラサ様がこちらに向かわれますので、しばらくこちらでお待ちください」
と言いながら玄関からそれほど離れていない部屋に案内した。
そこは屋敷と同様に格調高く品のいい家具が置かれている。
「さすが、アルンバルト公爵家だな。我が国随一の名家であるだけに趣味がいい」
フローレが部屋をしげしげと眺めていると、ソージュケルも同じように感じたようでそうつぶやいた。
「そうですね。同じ公爵とは言え、ウイデリー公爵家よりアルンバルト公爵家のほうがはるかに歴史はありますからね」
へえ。そうなんだ。一つ勉強になりましたわ。
ヤトレイの返事にフローレは内心そうつぶやく。あえて口に出さないのは勉強不足を指摘されるからだ。
「さて、フローレ。サラサが来たらきちんとお礼を言うんだよ」
少しの間部屋を眺めていたソージュケルは、椅子に座ったまま、まだ周りを興味深そうに見渡している彼女にひとつ忠告をする。
そ、そうですわ。とうとう彼女と会うんだわ。きちんとお礼を言わないと。
フローレは今日の本来の目的を思い出して、きゅっと眼を閉じる。
彼女なりに気合を入れなおしているのだ。
大丈夫。お兄様もそばにいてくださっているし、今度は怖がらずに言えるわ。
フローレは緊張しながらも必死に自己暗示をかけていた。
しばらくすると小さな足音が近づいてくる。
「ソージュケル殿下。失礼いたします」
先日聞いた女性にしては低めだがよく響く声が聞えてくる。
きた!サラサだわ。
フローレは小さな手をぎゅっと握り締めながら、ゆっくりと開く扉のほうに顔を向けることにした。