17.これで御役目ごめんですわ!のはずが・・・・。
サラサの腕は人差し指ほどの一本の傷が付いていたが、血の量の割には機能を損ねるほど深くなかった。
そのことにその場にいたもの全てが安堵の息を吐く。フローレ王女は顔面蒼白になりながら侍女に手を引かれて自分の居室に戻ったようだ。
殿下は手当てが終わると、その場にいた者に労い言葉と共に、部屋からの退出を指示する。それによってこの部屋にはサラサと殿下とヤトレイの三人だけとなった。
「さて。まずはお礼を言おう。フローレを救ってくれてありがとう。あれでも俺にとって大切な妹なんでね」
殿下の口調と表情が一転して変わる。すこし眉をひそめながら座っているサラサをじっと見下ろしている。今まで私と言っていたのに、俺になっていた。
救ってくれたと言うからにはやはりサラサが何かをしたと確信持って言っているのだろう。こうなったら当初の予定通りにペンダントで誤魔化すしかない。そう考えて慎重に説明することにした。胸の中から例のペンダントを取りだす。
「いえ。わたくしも無我夢中のことでございました。幸いこちらのペンダントを身につけていたので・・・」
「恵輝石か。なるほど。使用したところは初めてみたぞ。一度使えばもう使い物にならないのに、こんなことに使用させてしまって申し訳ない」
こんなこと?!
サラサは殿下が謝ってくださっているにもかかわらずに、思わず熱く反論してしまった。
「こんなことですって?あれほど可愛らしい王女様を御救いすることは、他のどんな場合より大切なことですわ!あの愛くるしい頬を傷つけてしまうなんて想像もしたくございません!髪の毛一本だって傷つけたくないですもの」
ここまで言ってしまって我に返る。
やばい。つい洩らす必要もない本音を言ってしまった。
それも殿下の前で。
サラサは慌てて自分の口をふさぐが、もう出てしまった言葉は無かったことにできない。殿下もヤトレイも楽しそうな表情でサラサのほうを見ている。ヤトレイがからかうようにどんでもないことを聞いてくる。
「・・・サラサ嬢。もしかしてそういう趣味があるのですか?」
「しゅ・・趣味ってなんですか?」
「だから小さな女の子が好きってことですよ。だからディランの求愛を受けないのかと」
「ち、ちがいます!ただ、純粋に子供が好きなだけです。恋愛は今のところ考えていないだけです」
サラサは年頃の令嬢に訊ねるべきでは到底ないようなことを言われて、思わず本気で全否定をした。貴婦人の仮面など被ってられない。
すると、目の前の男二人は少し驚いた表情を浮かべていたが、堪え切れないとばかりに肩を震わせながら笑いだした。
「稀代の悪女とも言われているレッドスターの素顔がまさかこのように可愛らしいとは・・・」
「やはりこの茶番は正解だったな。俺は人を見る目があったっていい証明になるだろ?」
「ええ。本当に。ディランとガイヤ殿は意図的に彼女のこの性格を隠していたのでしょうね。私が出席するような社交界にはほとんど欠席されていましたしね」
自分の失態を取り繕うこともできないサラサは、結果として二人の突っ込みどころ満載な会話を耳に入れる羽目になる。
稀代の悪女って・・・。そこまで言われてしまっているのか。
それに茶番と言うことはやはりこの舞踏練習は殿下によるただの嫌がらせと言うわけだ。
本当に人間不信になりそうだ。やはり家でジュリアンと一緒にいるのが一番だわ。
サラサは心の中で泣いた。
「お前、あの二人に危険視されているのか?」
「間違えないそうだと思いますね。ガイヤ殿はともかく、ディランには嫌われている自信がありますから。愛しいこちらの令嬢に近寄らさないようしていたのでしょうね。殿下のおかげでその努力も無駄になりましたけど。今度ディランと会うのが本当に楽しみになりました」
殿下の問いに対して、ヤトレイは片眼鏡に手を当てながら心底性格の悪そうな笑みを浮かべている。
サラサはその笑みを見て、ディランとの血のつながりを改めて実感した。
ディランも大概だけど、そのディランのはるか上をいきそうな腹黒さ・・・。
そりゃあこんな方に教育されていたらソージュケル殿下も腹黒になるわね。
「ともかくだ。サラサ。その恵輝石は弁償することにしよう。まったく同じモノとはいかないが、俺もいくつかは持っているからな」
殿下はヤトレイとの会話を終えて座っているサラサの顔を覗き込みながら手を差し伸べてくる。
ペンダントを受け取ろうとしているのだ。
しかし、素直に渡すわけにはいかない。じっくり見られたらこれがフェイクであるとばれる可能性があるからだ。
それにほとんど無意識でやったわけだし、サラサにしたら正直殿下からなにかを頂いたりしたくない。
だから丁重にお断りすることにした。
「いえ。それには及びません。さきほども言いましたけど、王女が無事であっただけでわたくしは満足ですわ」
「だが・・・」
まだ食い下がろうとしていた殿下に、サラサはチャンスとばかりに口を開いた。
「それよりこのような状態になってしまったので、殿下のお相手を務めることはできなくなってしまいました。ですから、今後の練習は辞退させてください」
腕に決して小さくはない傷が残っているので、手をそれなりに動かす舞踏をするのは医者からも止められるだろう。
嫌々しているサラサにとってはまさに渡りに船の状態であった。
いい口実になったとサラサはまだ痛みのある腕を愛おしそうに押さえる。
「そう言われてしまっては許可するしかないな。残念だがそうしよう」
殿下は不本意と大きく顔に書いてそう言う。
今まで舞踏練習や王妃の前で見せていた笑顔満載の顔が、猫かぶりで鉄の仮面であったと嫌でも分かってしまう。
この顔をみるのもこれで最後だわ!これでお役御免なんだから。あとはジュリアンと楽しく過ごすのだから!
サラサは早くもこれからの楽しいジュリアンタイムを思い浮かべていたが、次の殿下の言葉によってその空想は一掃されてしまう。
「近々見舞いに伺わせてもらおう」
「いえ。お気遣いなく・・・」
思わず考えもしないうちに、サラサの口から遠慮とは名ばかりの拒絶がでる。つまりは本能的に拒否しているのだ。
「妹の命の恩人に対して見舞いの一つもしないほど無作法ではいられないからな」
「さすが殿下です。私も殿下の教育係として同行させていただきます」
大した傷ではないのでとか、殿下自らして頂くなどとんでもないとか、散々遠慮をしたのだが、殿下だけでなく教育係のヤトレイにまでいとも簡単に聞き流されてしまった。
この調子だと絶対来るわね。二人とお兄様との関係はよくわからないけど、ディランと二人とは会わせないほうがいいよう感じるわ。
サラサは今回のことを兄やディランに報告するだけでも重荷になっている。力を使ってしまったのでそのことを咎められるだろう。さらにこの二人が家に来る羽目になったことまで報告すると、彼らの機嫌は超降下してますます説教されるような予感がする。あれほど帰りたいと思っていたのに帰ることが気が重くなって、サラサは一つ大きくため息を吐いた。殿下の前でため息を付くなど無作法と通り越して無礼だが、そんなことを構っていられないほどサラサは気落ちしている。
殿下はそんなサラサを咎めるどころか、珍しいモノを見るように笑みをうかべて見下ろしていたが、当のサラサはため息とともに頭を下げていたので気付かなかった。