第4話 秋が扉を叩いた日
いつの間にか、秋が静かに降りてきていた。
風は静かに、変化の兆しを感じ取っていた。
その風の中を──
一人の魔女が歩いてきていた。
肩まで流れる長い黒髪。
夜空を思わせる、硬質な紫の瞳。
彫刻のように整った顔立ちと、しなやかに伸びた手足。
彼女は、ひとつの完成された作品のような、静かな美しさを湛えていた。
村を歩けば、行き交う人々の視線が自然と集まる。
そこには羨望と嫉妬が入り混じっていたが、彼女はただ、柔らかく微笑むだけだった。
やがて足を止め、彼女は空を仰ぐ。
風と陽射し、秋の空気が、静かに染み込んでくる光景。
一見すれば、ただの観光客と何ら変わらない。
──だが、今日は遊びに来たのではない。
守るべき約束。
それは──
誰かの願いと、確かにつながっていた。
「ここね。あの大柄な男性に聞いて正解だったわ。これがなかったら、一日中探し回っていたかもしれないもの」
庭を抜け、ヘラは一度息を整えながら、古びた二階建ての家を見上げた。
片手には、×印の描かれた小さな紙。
それはただの紙切れではなく、
まるで──
「見つけに来て」と語りかけてくる招待状のようだった。
――トン、トン。
小さなノックの音が、家をそっと揺らす。
水面に広がる波紋のように、ゆっくりと響いていった。
だが、返事はない。
まるで外来者を警戒するかのように、家は沈黙を守り続けている。
そのとき、風が吹いた。
庭が震え、空気が揺らぐ。
その風には、言葉では言い表せない気配が、低く溶け込んでいた。
そして、風が止んだとき──
扉は、開いていた。
「……ルカリン様?」
家の中へ足を踏み入れ、ヘラは名を呼ぶ。
だが、応える声はない。
彼女の声は、虚空に溶けて消えた。
静寂は、まるで生き物のように、家全体を抱きしめていた。
室内は、驚くほど静かだった。
埃ひとつなく、古い家具は新品のように磨かれている。
食卓と木の椅子。
窓から差し込む陽射し。
そして、至るところに積み上げられた膨大な量の歴史書。
だが、一階のどこにも、人の姿は見当たらない。
それは、人の住んでいない家の空気ではなかった。
窓の隙間から忍び込んだ光が、床に細い線を描いている。
その光は動かず、まるで家が引き留めているかのように、そこに留まっていた。
ヘラは無意識に歩みを遅めた。
自分の足音が、この空間にふさわしくない気がしたからだ。
家は空いている。
だが、放置された気配はない。
整えられた空間と、きちんと並んだ本の間には、人が残した温もりが、まだ消えずに息づいているようだった。
「……まさか」
その瞬間、頭をよぎったひとつの光景。
ヘラは思わず、最悪の可能性を想像してしまう。
──この家には、もう誰もいないのではないか。
その考えは一瞬だったが、背筋を撫でるような冷たさを残した。
「……違うわ」
彼女は強く首を振り、思考を追い払う。
ルカリンは、去ってなどいない。
それは、わざわざ確かめるまでもなく、この家を見れば分かることだった。
埃ひとつない部屋。
光を宿す家具。
整えられた食卓と、きちんと並べられた椅子。
――すべてが語っている。
誰かが、今もここで生きているのだと。
ヘラは静かに息を整え、顔を上げた。
そして自然と、視線は上へと向かう。
答えは、きっと──
あそこが知っている。
二階へと続く、あの階段が。
「……はあ」
ヘラは、地面が沈むほどの大きな溜め息をついた。
考えてみれば、答えはあまりにも単純だった。
机に突っ伏し、ぐっすりと眠り込んでいるルカリン。
扉が開いたことも、
ヘラが入ってきたことも気づかないほど、深い眠りだった。
机の右には、山のように積まれた本。
左には、金色の眼鏡が静かに置かれている。
その光景を前に、ヘラは眉をひそめた。
一見すれば、童話の中のシンデレラのような場面。
誰かは「美しい」と感嘆したかもしれない。
──だが。
ヘラにとっては、どうしてもそうは見えなかった。
魔女は足音を殺し、静かに近づく。これだけ心配させてくれた代償だ。
軽く──
だが確実に、返してやるつもりだった。
耳元に顔を近づけ、思いきり声を張り上げて、驚かせてやる。
……はずだった。
だが──
その計画は、実行されなかった。
まるで心の内を見透かしたかのように、ルカリンが勢いよく身を起こしたのだ。
ヘラは驚いて後ずさる。
そして、部屋に声が響き渡った。
「ど、泥棒――ッ!」
ヘラは、ぎゅっと目を閉じた。
かろうじて繋ぎ止めていた忍耐の糸が、ぷつりと切れる音がした気がした。
そして、家の中に、もう一度、大きな声が響く。
「……そうよ。私が泥棒よ、この、大バカ!」




