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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

不愛想な男に恋した、あるギルド受付嬢の話

作者: 弥生紗和

 私の目の前に立つこの人は、どうしてこうも不愛想なんだろう。


「こんにちは! ダンケルさん。今日はどの依頼になさいますか?」


 私が精一杯の笑顔で話しかけても、当のダンケルさんはにこりともしない。ムスッとした表情のままで、私がカウンターテーブルの上にずらずらと並べた『魔物退治の依頼書』を見比べている。

 もちろん私は討伐者によって態度を変えるなんてことはしない。だって私は『討伐ギルド』の受付嬢だから。全ての討伐者に対して、平等に笑顔で接するのが決まり。他の受付嬢はお気に入りの討伐者にだけ笑顔で優しくして、冴えない討伐者には依頼書を投げるように置く……なんてことをする子もいるけれど、私はそんなことをしない。


 私は討伐者だった父親を尊敬している。周囲を塀で囲まれた街の中で育った私は、外がどれだけ危険なものか、いつも父に聞かされて育った。街の外には魔物が出るので、戦う(すべ)を持たない私のような人達は塀に囲まれたこの街で暮らす。討伐ギルドは危険な魔物を監視し、調査し、討伐する為に作られた組織だ。父のように討伐者になりたかったけれど、素質がなかった私はせめて討伐者を支える仕事をしようと思ってギルドに入った。


 だから私は、失礼な態度の討伐者がいても笑顔を忘れない。彼らのおかげで私達は安心して暮らしていけるのだから。


「あの……ダンケルさん。悩んでらっしゃるようでしたら、私からダンケルさんにお勧めの任務をご紹介しましょうか?」

「……いや、いい。これを頼む」


 ムスッとした顔のまま、ダンケルさんは依頼書の中で一番難しい任務を選んだ。


「これですか? ……失礼ですがダンケルさん。お一人での任務ですよね? できれば『黒の谷』での任務はパーティを組んでいただいた方が……」

「一人で平気だ。手続きを頼む」


 討伐者が実力以上の任務を受けようとしたら、受付嬢としては忠告せざるを得ない。でもダンケルという人は、私の忠告に耳を貸すことなどない。なんなら余計なことを言いやがって、みたいな顔で私を見ることすらある。


「……かしこまりました。それでは手続きいたしますので、こちらにサインをお願いします」


 ダンケルさんは私が差し出した依頼書に慣れた手つきで名前を書き、ぶっきらぼうに依頼書を返してきた。私はそれを確認してから彼の名前の下に受付嬢として自分の名前を書く。


「では、こちらで少しお待ちください」


 ダンケルさんを残して私はカウンターの奥にある別室へ行く。そこには受付担当官がいて、彼が依頼書を確認して許可を出せば、討伐者はようやく依頼を受けられる。


 担当官が許可を出すのを待つ間、私はなんとなくカウンターの向こうで待つダンケルさんのことを考えていた。彼は三十歳、独身(別に調べようと思って調べたわけじゃない、討伐者の登録情報を確認するのも仕事だから!)討伐者の中でも特に腕が立つ人だけが名乗ることを許される『上級討伐者』だ。でも彼に仲間がいる様子はない。うちのギルドに彼がやってきたのは半年ほど前のことで、いつも一人で来ては依頼だけ受けて消えていく。一見細身だけど、肩幅の広さと胸板の厚さが防具の上からでも分かる。無造作な黒髪の間からちらりと見える瞳は濃い青で、冷たそうな視線がちょっと怖い。


「ライラ、用意できたよ」


 担当官はギルドの紋章が描かれた判を勢いよく依頼書に押すと、私にそれを手渡した。


「ダンケルさん、一人で大丈夫でしょうか?」

「ダンケルなら平気だろう。あいつの技術はずば抜けている。それに、あいつは実力以上の依頼は決して受けない。自分の力を良く分かっている男さ」


 担当官はダンケルさんとは長い付き合いのようで、彼のことを良く知っている。彼の唯一と言っていい理解者かもしれない。




「ダンケルさん、お待たせしました。こちらが正式な依頼書となります。支給品は物品係からお受け取りください。黒の谷は常に霧がかかっていて視界が悪いですし、この後黒の谷辺りでは雨になりそうです。視界を良くする薬を持って行くことをお勧め……」

「分かっている」


 面倒臭そうな顔で言い捨て、ダンケルさんは依頼書をもぎ取るように受け取るとカウンターから離れた。


(……ほんと、不愛想なんだから!)


 心の中で悪態をつきながら、私は笑顔で「お気をつけて」と頭を下げた。




 ――私は討伐ギルドの受付嬢、ライラ。日々こうして、討伐者を見送る仕事をしている。




 討伐ギルドは街の中心部にある。街外れにある小さな家から徒歩で毎日仕事場へ行く。朝食はいつも同じで、近所のパン屋で買ったパンと、殆ど具のないスープ。今は薬師の母と二人で暮らしている。

 私は手早く朝食を済ませると、家を出る前に父へ挨拶をする。棚の上に置かれた手のひらほどの額縁には、笑顔の父が描かれた絵。絵の周囲には数多くの勲章が飾られている。父に向かって私はいつも「行ってきます」と声を掛けることにしている。

 家は小さいけれど裏庭があって、薬師の母が沢山の薬草を育てている。母は裏庭にいるようで、私は裏庭に顔を出して母に声をかけた。


「行ってきます、お母さん」

「やだ! もうそんな時間なの? 私も支度をしないと。行ってらっしゃい、ライラ」


 焦る母に笑顔で手を振り、私は家を出た。

 街は朝から活気がある。いつも同じ道を歩いているから、すれ違う人の顔もいつもと同じだ。石畳が割れているところがあるから躓かないように気をつける。パン屋の看板がずっと取れかかったままなのを見る。荷馬車を引きながら言い争いしている商人達の声を聞く。いつもの道、いつもの出来事。そうこうしながら私は討伐ギルドに着く。


 ギルドに着いたら制服を着る。長いスカートとシャツの上にジャケットを羽織る。栗色の長い髪は邪魔なので後ろでまとめ、手鏡で確認する。鏡に映る薄い紫色の瞳も、ちょっと眠そうに見える表情もいつも通りだ。


「よし」


 誰に言うわけでもないけど、なんとなく自分に気合を入れて私は部屋を出る。真っ先に向かうのは討伐ギルド内にある『監視班』の部屋だ。ここには毎日多くの魔物に関する情報が入る。何か新しい話はないか確認し、周辺の変化や天気について調べておく。討伐者に何を聞かれてもすぐに答えられるようにする為だ。監視班に立ち寄ってから、ようやく私の持ち場となる受付へ向かう。

 ギルドが一番忙しいのはやっぱり朝だ。討伐者達は朝早くに依頼を受けて魔物討伐へと向かうので、朝が一番混雑する。

 優しい討伐者が殆どだけど、中には気性の荒い討伐者もいる。彼らは待たされるのが嫌いだ。できるだけテキパキと順番を捌かないと、酷い時にはギルド内で暴れ出す討伐者もいる。

 まあ、そういう時は大抵他の討伐者から徹底的にやり込められるんだけど。


 ようやく朝の混雑が過ぎて一息つくと、同じ受付嬢仲間のアイリーンが話しかけてきた。


「ライラ、昨日ダンケルさんが来ていたでしょ」

「そうだけど」

「あの人、別のギルドを追い出されてここに来たらしいわよ? だからいつも他の討伐者と絡もうとしないのね」


 確かに彼はギルド内でも浮いていた。彼は依頼を失敗したことはないし、仕事も早いからギルドからは重宝されているけど、別のギルドを追い出されたという話が本当なら、やっぱり彼は面倒な人なのかもしれない。


「追い出されたって、何があったのかな」

「詳しいことは知らないけど、彼のせいで他の討伐者が死んだらしいわ」


 死、と聞いた私は次の言葉が出なかった。恐ろしい魔物と戦う討伐者にとって死は身近なものだ。私の父も魔物と戦い、亡くなったのだから。


 私が浮かない顔をしているのに気づいたアイリーンは急に焦り出した。アイリーンは私の父のことを知っているから、口を滑らせたことに気づいたのだろう。


「ライラ、ごめんね。つい……」

「大丈夫よ。気にしないで」


 笑顔でごまかしたけど、その日はずっと「死」という言葉が私の頭の中に住み着いて離れなかった。


♢♢♢


 ダンケルさんが『黒の谷』から戻って来たのは、出発から七日経ってからだった。

 その日は昼から仕事で、深夜までギルドに残って働いていた。朝が依頼を受ける討伐者達で混めば、夜は帰って来た討伐者で混む。討伐者は依頼を終えるとギルドに戻ってきて、受付から報酬を受け取る。今日のギルドは珍しく空いていて、夜も更けるとギルドの扉が開く音もしなくなった。

 今日はもう誰も来ないかな、と思っていたら不意に扉が乱暴に開く音がした。カウンターの中から訪問者を見た私は、一人で中に入ってくるダンケルさんの姿を見た。

 ダンケルさんはいつものムスッとした顔で私の前に立つと、乱暴に依頼書をテーブルの上に置いた。


「確認してくれ」

「お……お帰りなさい! すぐに確認しますね」


 慌てて依頼書を確認する。依頼書には討伐ギルドの『回収班』によって書かれたサインがある。回収班は討伐現場に同行するのが決まりで、無事討伐が成功すると魔物をギルドまで持ち帰るのが役目だ。つまり回収班のサインがあれば、依頼は成功したことになる。


「はい、確かに。それでは報酬をお支払いしますので、そちらのテーブルでお待ちくださ……」


 私が言い終わる前に、ダンケルさんは近くのテーブルに向かうと椅子を引いてどかっと座った。私なら両手で持つのもきつそうな大きな盾と剣を椅子に立てかけ、テーブルの上で手を組むとダンケルさんは珍しく疲れたように大きなため息をついた。

 そう言えば、心なしか顔色も良くない気がする。いくら上級討伐者のダンケルさんでも、さすがに黒の谷で一人での討伐は大変だったのだろう。


 受付担当官にダンケルさんの依頼書を見せ、問題が無ければ次は報酬の支払いだ。部屋を出て長い廊下を歩いた先にあるのが金庫室で、金庫係から報酬を受け取る。今回は難しい任務だったこともあり、報酬も多い。私はずっしりと重い巾着袋をしっかりと両手で持ち、カウンターに戻ろうとした所でふとあることを思いついた。




 ダンケルさんは椅子に座ったまま、じっと待っていた。頭を落とし、今にも眠りに落ちそうだ。やはり、彼は疲れている。


「ダンケルさん、報酬をお持ちしました」


 私がダンケルさんの前に立って声を掛けると、ダンケルさんは驚いたように顔を上げて私を見た。いつものようにカウンターに呼ばれると思っていたようで、私がわざわざカウンターから出てきたことに驚いたのだろう。


 テーブルの上に置いた巾着袋を、ダンケルさんは開けて中を確認している。そこへ私はそっと湯気の立つカップを置いた。

 カップに気づいたダンケルさんは怪訝な顔をしている。


「私の母が調合したハーブティーです。良かったらどうぞ」


 私は精一杯の笑顔を作った。睨むような目つきのダンケルさんにじっと見られると、ちょっと怖い。こんなものいらん、と素っ気なく返されるかもしれない。私の母は薬師だから、討伐者の傷を癒す薬や疲れを取るハーブティーを沢山作っている。母が討伐者用に調合したハーブティーをギルドに持ち込んで、体力の消耗が激しい討伐者に淹れてあげることにしている。だから、あくまでこれは私のギルド受付嬢としての気遣いだ。


 ダンケルさんは無言でハーブティーを飲んだ。一口飲んで少し驚いたように目を見開き、続けて飲む。良かった、ダンケルさんの顔色がみるみる良くなっていく。やっぱり彼は疲れていたんだ。


「それでは、ごゆっくり」


 ハーブティーを飲んでくれたことにホッとした私は、彼に声をかけてカウンターに戻ろうと背を向ける。


「……助かった。ありがとう」


 その時、確かに彼の「ありがとう」という言葉を聞いた。私は思わず振り返って彼の顔を見る。ダンケルさんは相変わらずムスッとした顔のまま、カップを口に運んでいて私を見ない。


「どういたしまして!」


 どう返すか迷ったけど、結局ありきたりな言葉しか出なかった。カウンターに戻った後も、ダンケルさんのたった一言がなんだか嬉しくて、つい口元が緩みそうになるのを抑えるのに必死だった。


 ダンケルさんはしばらく滞在した後、無言のままギルドを出て行った。カップを片づけようとテーブルに向かうと、空になったカップで押さえるように立派な鳥の羽根が置かれていた。


「良かった、全部飲んでくれて……ん? 何これ?」


 持ち上げるとそれは『ケタケタ鳥』という魔物の羽根だった。文字通りケタケタと鳴く声が特徴で、艶のある青色の美しい羽根が特徴だ。


「わざわざ置いて行ったってことは、お礼のつもりなのかな……」


 これを売ればハーブティーどころか、食事も一緒につけられるほどのお金が手に入る。お礼にしては高すぎる……と困惑しながら羽根を観察していた私は、よく見ると青色の中にうっすらと赤い線が入っていることに気づき、さあっと青ざめた。


「違う、これは『赤のケタケタ鳥』の羽根だ!」


 赤のケタケタ鳥はとても珍しい魔物で、羽根の頑丈さは比べ物にならない。防具や武器素材としても重宝されているから、羽根一枚の値段は普通のケタケタ鳥の羽根の十倍はするはずだ。何年もここで働く私も、現物を見たのは数回しかない。


「こんな高いものを置いていくなんて……さすが上級討伐者ね」


 上級討伐者と呼ばれる彼らは討伐で莫大な報酬を得ていて、街の中に大きな屋敷を建てている。きっとダンケルさんも相当お金を稼いでいるはずだ。彼にとってはこの程度のことはなんでもないのかもしれない。


 私は少し迷ったけど、結局この羽根を受け取ることにした。この羽根が彼と仲良くなるきっかけになる予感がしていた。


♢♢♢


 次にダンケルさんがギルドに現れたのは、それから数日後のことだった。


 この間少し会話を交わしたからと言って、彼の態度が何か変わったわけではなかった。いつもと変わらぬ態度で、私の目を見ることもなくいくつかの依頼書をじっくりと見比べている。


「これを頼む」

「かしこまりました。それでは、こちらにサインをお願いします」


 私は彼に羽根ペンとインク壺を差し出した。ダンケルさんは無言で羽根ペンを受け取り、さらさらとサインを書いたところでふと羽根の模様に目をやった。


「……あんた、これを羽根ペンにしたのか?」


 驚いたというより呆れた顔で、初めてダンケルさんは私の顔を見た。


「はい。ちょうど羽根ペンの在庫が足りなくなったところだったので」

「あんた正気か? 消耗品の羽根ペンをこんな貴重な素材で……」

「でも、これは他の羽根よりも頑丈なので長持ちしそうですよ」


 ダンケルさんはポカンとしたまま、じっと私の顔を見るとため息をつき、ほんの少し口元を持ち上げた。


「あんたは欲がないな」


 いいえ、私は欲深いんです。この羽根をペンにすることで、あなたは羽根ペンを差し出す受付嬢の顔を覚えてくれるだろうから。

 私は曖昧な笑顔を作って彼に返すと、依頼書を受付担当官の所に持って行った。




 許可をもらい、ダンケルさんの所に戻った私は彼に依頼書を手渡した。これで彼は再び討伐へ出かける。今度の依頼は前回ほど厳しいものではないが、それでも私は心配だ。受付嬢として一人の討伐者に肩入れするのは良くないけど、ダンケルさんには無事に帰ってきて欲しいと思っていた。


(こんなこと、絶対に本人には言えないけどね)


「それでは、お気をつけていってらっしゃいませ」

「ああ」


 ダンケルさんは初めて私に返事をしてくれた。重そうな荷物を持ち、大きな盾を背中に背負い、腰に剣を携えてダンケルさんはギルドを出て行った。


♢♢♢


 それから、ダンケルさんと私は少しずつ会話を交わすようになった。会話と言っても、私が何か話して彼が「ああ」とか「そうか」などの簡単な返事をするくらいだけど、それでも今までの彼を思えば十分過ぎる進歩だ。

 ある時、ふとダンケルさんは私に『黒の谷』へ行く前の話をした。


「そう言えば……あの時は助かった」

「あの時? ……すみません、どの時ですか?」


 それはダンケルさんが依頼書を選んでいる時だった。私は彼が何のことを言っているのか分からず、首を傾げる。


「黒の谷へ行く前……あんた、俺に雨が降ると話していただろ。谷へ行ったら本当に大雨が降った。あんたは天気のことも全て把握しているのか?」

「ああ、あの時ですね! あれはうちの『気象調査員』が調べたことをお伝えしただけで、私は何も」

「……あんたは何でも調べているんだな。あんたみたいな受付嬢は初めてだ。あんたがいてくれると助かる」


「そ……そんなこと、ありません……」


 いつもならお世辞を言われても軽く受け流す。討伐者に何を言われても動揺しないように、私は気をつけている。

 でも、ダンケルさんと話すと私は冷静でいられなくなる。今だって多分私は顔が赤くなっている。もしかしたら耳も赤くなっているかもしれない。つまり、凄く恥ずかしい。


 私が動揺していることに気づいたのか、ダンケルさんも急に落ち着きがなくなった。やけに大きな音を立てて依頼書を持ち上げ、大げさに見比べた後その中の一枚をぐいっと私に差し出した。


「……これを頼む」

「か、かしこまりました。それではこちらにサインを……」


 ダンケルさんに羽根ペンを渡すとき、少し私の指が震えていたことに彼が気づかないことを祈った。


♢♢♢


 ダンケルさんと話すようになってから、私はどうやら浮かれていたらしい。毎日やっている情報収集にも更に力が入り、仕事が終わってからも資料室に籠って魔物について勉強していた。

 そんな私に、アイリーンは心配そうに話しかけてきた。


「ライラ。余計なお世話かもしれないけど、ダンケルさんとあまり仲良くしない方がいいわよ」

「え? 仲良くって私は別に……」


 二人で一緒に昼食を取っていた時、アイリーンは声を潜めて私に言って来た。昼休みはギルドの食堂で食事が出るので、そこでみんな食事を取るのが決まりだ。内容は大体いつも一緒で、豆の煮込みとか赤カブの煮込みとか……とにかく煮込み料理が多い。美味しいからいいけど。


「彼の噂、詳しく聞いたのよ……前のギルドでは仲間とパーティを組んでいたらしいわ。でもある討伐で彼以外全員死んだらしいの。彼が仲間を裏切って逃げたから、彼だけが助かったんですって」


 アイリーンの話は、すぐには信じられないものだった。彼が仲間を裏切って逃げた? 私には彼がそういう人には見えない。だけど私は彼のことを何も知らないのだ。


「アイリーン、その話は本当なの?」

「兄さんが言っていたもの。本当だと思う」


 アイリーンの兄は討伐者だ。討伐者同士は様々な交流があるので、当然事件があれば彼らの間で噂は広まる。


「ありがとう、アイリーン。でも私は、ダンケルさんとは本当に何でもないから」


 私はアイリーンに心配させないよう、笑顔を見せた。その後はいつも通りにお喋りをしながら食事をしたけど、豆の煮込みがちっとも喉を通らなかった。


♢♢♢


 ある日、ダンケルさんはまた依頼を受けて討伐へと出かけることになった。今回の依頼はアドレア海岸での魔物退治で、それほど難しいものじゃないようだ。ただ魔物の数が多いので、一人でも多くの討伐者が必要らしい。

 私はこの依頼に少し引っかかるものを感じていた。調査班の情報によると、元々生息地じゃない場所に魔物が次々と現れているのだという。


「ダンケルさん、調査班の情報も気になります。大げさかもしれないですけど、くれぐれも気をつけてください」

「俺もその情報は知っている。大丈夫だ」

「それなら良かったです。では、お気をつけていってらっしゃいませ」

「ああ」


 ダンケルさんは笑顔を作る私に軽く頷くと、いつものように背を向けてギルドを出て行った。


♢♢♢


 ――その知らせを聞いたのは、ダンケルさんが出発してから五日ほど経った時のことだった。


 朝、いつものように私はギルドまでの道を行く。石畳が割れているところがあるから、躓かないようにいつも気をつけていたのに、今日に限って躓いた。傾いたパン屋の看板を見るのを忘れた。いつも言い争いしている商人達の姿はなかった。


 なんだかいつもと違うと思いながらギルドに着き、着替えをして監視班の部屋に行くと、中にいた人たちが一斉に駆け寄って来た。彼らから聞いた話は、信じられないものだった。


「壊滅!?」


 私はふっと目の前が暗くなりそうな感じを覚え、なんとか踏ん張って彼らの話を聞いた。


「アドレア海岸に、巨大なドラゴンが現れたようだ」

「集まっていた魔物は、ドラゴンから逃げていたのかもな。ドラゴンはそれを追いかけてきてたんだ! クソッ」

「ドラゴンが炎を噴いて周囲を焼き払ったらしい。現地は壊滅状態で、近くの漁師町にも被害が出ている。討伐者だけでなく、回収班とも連絡が取れないんだ」


「連絡が取れないんですか? 誰とも?」


 私はようやく彼らに質問をした。そんなはずがない。きっとどこかへ避難して隠れているだけなんだ。


「ああ、誰とも連絡がつかない。緊急事態を知らせる信号も出ていない。恐らく不意打ちを食らったんだ」

「そんな……」


 私はとうとうぐらりと揺れる体を支えきれず、近くの机に掴まった。


「今、救出班をアドレア海岸に向かわせている。各地のギルドにも連絡して、討伐者を集めている。ライラ、心配するな。まだみんな死んだと決まったわけじゃない」

「……ありがとう。そうですよね、きっと生きてますよね」


 慰めてくれる言葉に、私は笑顔で応えるしかない。長くギルドで働いていると、時々こういうことは起こる。私の脳裏に過去の思い出が蘇る。自宅にいた母の所に、父が亡くなったとギルドの人がやってきた時のことを。

 あの時の母の表情は、今でも忘れることができない。全てを覚悟していた母は、父の死を静かに受け入れた。父が亡くなった後は、誰とも再婚せずに私を育て上げた。普段は明るい母だけど、きっと娘の私には気持ちを隠していたんだろう。


 母は強い人だ。私は彼女の娘だから、私も強くあるべきだ。


 私はいつも通り、その日の仕事を始めた。カウンターに立って、笑顔で討伐者を出迎えた。ドラゴンの事件は既に討伐者の間にも広まっていて、中には動揺している人もいた。私はそんな彼らを励まし、送り出した。


 そんな日を繰り返した。一日、また一日と。


 現地に到着した救出班と討伐者達の報告によると、ドラゴンの姿は近くにはなかった。その場に残されていたのは多くの魔物の死体と、巻き込まれて亡くなった討伐者の遺体だった。近くにキャンプを張っていた回収班のテントも全て燃え尽きていた。


 一言で言うと「地獄」だったという。調査班の見解では、魔物同士の争いに討伐者が巻き込まれた形だったようだ。彼らは逃げる間もなくドラゴンの炎に焼かれたと思われる。幸い、近くの漁師町の被害は建物や船に集中し、死者は出なかった。


 討伐者達は一旦戻って作戦を立て直すことになり、救出班は遺体を葬って帰還することになった。



 調査班の報告書を読んだ私は、頭がぼんやりとして何も考えられなくなっていた。ドラゴンの事件が起こってからもう六日が経っている。未だにダンケルさんの安否は分からない。

 母は私を心配していた。ダンケルさんのことは母に何も話していなかったけど、事件があった日につい彼のことを話してしまった。母は悲しそうな目で私の話を聞き、黙って私の手を握ってくれた。きっと母は、私がダンケルさんに恋をしていたことに気づいたのだろう。


 こんな形で彼とお別れをすることになるのなら、もっと素直に気持ちを伝えておくんだった。私は日々を平凡に生きていたから、討伐者の彼らが死と隣り合わせだという事実に慣れ過ぎていたのかもしれない。どこかでダンケルさんは何があっても生きていると、勝手に思い込んでいたのだ。


「そんなわけ、ないのに……」


 ギルドの廊下で、私は床を見ながら呟いた。これから仕事だ。とても笑顔を作る気になれないけど、夜が明けるとまた同じような一日が始まる。私はここから逃げるつもりはない。父が命を懸けた討伐者という存在を、私は手助けする為ここにいるのだから。


♢♢♢


 それから数日後。


 ギルドでいつものように働いていた私は、急に入り口の辺りが騒がしくなったことに気づいて目線を扉に向けた。


「戻って来た!」

「ダンケル! 無事だったのか!」


 私は見間違いかと思い、カウンターから慌てて外に飛び出した。扉の所に人だかりができている。その中心に立っていたのは、間違いなくダンケルさんだ。


「ダンケルさん!」


 私は思わず彼に向かって叫ぶ。ダンケルさんは私に気づくと、人波をかき分けて私の前に立った。ダンケルさんは焼け焦げてボロボロの防具を身に着け、髭が随分伸びていた。でも確かに彼は私の前に立っている。

 しかも帰って来たのは彼だけではなかった。ダンケルさんと一緒に五人の仲間が帰ってきていた。彼らは全員回収班のメンバーだった。みんな服がボロボロだけど、しっかり立っていて元気そうだ。


「ダンケルさん、お帰りなさい……」


 私は今にも泣きそうになりながら、必死に笑顔を作った。ダンケルさんは、今まで見たこともない優しい目をしていた。


「ただいま」


 もう涙を抑えられなかった。周囲に人が沢山いたけど、我慢できずにボロボロと涙をこぼした。ダンケルさんはきっと困っていたと思う。私をなだめるように、大きな手で私の頭を優しく撫でた。




 それからギルドは大騒ぎだった。死んだと思われていたダンケルさんが、回収班の仲間を連れて戻って来たのだ。


 ダンケルさんは最初の攻撃でなんとか炎の直撃を逃れ、討伐者の中で一人生き残った。ドラゴンの炎は二発目まで少し時間に猶予がある。その間にダンケルさんは離れた所にある回収班のキャンプへ走り、彼らを誘導して海に飛び込んだ。二発目の攻撃を逃れた彼らは近くの無人島まで泳いだ。ドラゴンがいなくなるまでそこで隠れて過ごし、いかだを作って陸に戻ったのだ。荷物をすべて失い、緊急事態を知らせる信号弾もなかったため、連絡を取れなかったのだという。


 仲間を救って帰還したダンケルさんを、ギルドは敬意を持って出迎えた。普段誰とも口を聞かない彼が、その日はあらゆる人々に話しかけられ、ダンケルさんは困惑しながら会話に応じていた。


 ようやく解放されたダンケルさんは、受付にいた私の前にやってきた。


「……少し、話せるか?」


 ダンケルさんにそう言われ、私は驚いたけどすぐに他の受付嬢に持ち場を変わってもらい、外に出て裏手に回った。ダンケルさんは大きな木の下に立っていて、ぼんやりと街の光景を見ていた。


「……悪いな、仕事中に」

「いえ。私もダンケルさんとお話したかったので」


 遠慮がちに彼の隣に立つと、ダンケルさんは私を見て目を細めた。


「ここは綺麗な街だな」

「……ええ、そうですね」


 私の大好きな街だ。ここで生まれ育った私は外の世界を知らないけど、ぎっしりと並ぶ家々も、綺麗な石畳も、全てが好きだ。


「魔物に俺達の居場所を壊されたくない。そう思って俺は討伐者になった」


 ダンケルさんが話す横顔を、私はじっと見上げる。


「前のギルドでは仲間もいた。俺達はいつもパーティを組んでいた。あいつらがどう思っていたか分からないが、少なくとも俺にとっては大切な仲間だった」


 息を飲み、私は彼の話に耳を傾ける。


「ある時、依頼とは違う魔物が乱入してきて、仲間達は全員死んだ。生き残ったのは俺一人。ギルドに戻った俺を他の連中は『お前は仲間を見捨てた』と責めた。奴らの言う通りだよ、俺は仲間達を助けることもできず、ただ運よく生き残っただけなんだから。それから俺は今のギルドに移った。もう仲間を作るのは……やめた」


 ダンケルさんは仲間を見捨てたわけじゃない。彼は仲間を裏切るような人間じゃない。命がけで回収班を助けたんだから。


「アドレア海岸にドラゴンが現れた時、俺は無我夢中で生きている連中を連れて海に飛び込んだ。無人島へ流れ着いた時、俺はようやく……仲間を救うことができたんだと思った」


 ダンケルさんは話し終わると、私に向き直るとじっと私を見た。


「俺の命など、いつ投げ出しても構わないと思っていた。だが……海に飛び込んだ時、絶対にこの街へ戻ってくると強く思った。あの時、あなたの……ライラの存在が俺の生きる力になったんだ」


 私はダンケルさんの言葉が信じられなくて、すぐには言葉が出てこない。初めて名前を呼ばれた喜びと、私を見つめる真っすぐな眼差しに私の心は混乱状態だ。胸に手を当て、深呼吸をしてから私は口を開く。


「ダンケルさん、私……アドレア海岸で壊滅状態だって聞いて……ずっと後悔していたんです。討伐者はいつ命を失うか分からないから、だから自分の気持ちを我慢せずに伝えるべきだったって」


 ダンケルさんは私の言葉を聞いて驚いた顔をしていた。


「まさか……これは俺だけの気持ちのつもりだった」

「どうやら、私達はお互い同じ気持ちかもしれませんね」


 私はダンケルさんに微笑む。


「ライラ。これからも今回のようなことが起こって、あなたを悲しませるかもしれない。それでも、俺はライラと一緒にいたい」


 ダンケルさんの硬い表情から、彼の緊張が伝わってくる。


「私も、ダンケルさんと一緒にいたいです」


 私の返答を聞いたダンケルさんはホッと表情を緩めると、そっと私を抱き寄せた。彼の身体からは、生きている匂いがした。




 いつもと同じ朝、いつもと同じ道。今日も私はギルドの受付嬢として働く。

 だけど私の日常にダンケルさんが加わり、私の人生に大きな変化が生まれたのだった。

最後まで読んでいただきありがとうございました。このお話が気に入っていただけましたらぜひ評価をお願いします。

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