09 「新たな話題提供になりそうな気がするのですけれど」
「お久しぶりね、お元気だったかしら?」
朗らかに微笑むのはお茶会主催者のイーリスだ。フローラも和やかに挨拶を交わし、クリスタは内心では冷や汗ダラダラで笑顔が引き攣りそうだった。
明日から学園が始まるのだが、留守中にイーリスからお誘いのお手紙が溜まっていたとか。急いで返事をだすと、学園開始前に時間がとれないかと急遽決まったお茶会だ。
本当はパーティー後にお茶会をするはずだった。婚約破棄後で、新たな婚約についての情報交換だ。それが、クリスタが番認定された件で領地に向かったので予定通りにできなかった。
クリスタが謝罪しようとしたら、イーリスに止められた。
「わたくしたちの仲ですもの、謝罪は無用だわ」
イーリスは記念パーティーでの宣言通り、見事に婚約を解消している。破棄よりも穏便な解消にしたのは有責な相手に恩を着せることで慰謝料をぶんど・・・、もとい、つりあげるためで実行済みだ。
フローラとユリアナも同様で、クリスタ以外は新たなお相手が決定していた。
本日欠席のユリアナはすでに伯爵家を継いで領地暮らしだ。王都に来るのは来年になるだろう。
一人娘のユリアナは両親の早逝で祖父母が親代わりだった。祖父母は孫の婚姻後に即引退する予定で、婚約者が代わっても変更はない。学園を卒業したユリアナはパーティーでエスコートしてくれた幼馴染と挙式を済ませて新婚生活を送っているという。
幼馴染は子供の頃からユリアナに想いを寄せていたが、男爵家の次男で身分違いだと諦めていたそうだ。今回のことで身分があってもユリアナを幸せにできない男なんぞに渡せるかと奮起したとか。
「王都での式はさすがにキャンセルになりましたから、領地のお式に参加できなくて残念だったわ」
「ええ、本当に」
残念そうなイーリスにフローラが頷く。
フローラは義兄の友人を紹介されて婚約を交わした。侯爵家の三男で近衛騎士だ。
お相手は副隊長に抜擢されて、責任ある立場で独り身だと狙われやすいからと婚約者を探していた。主にハニートラップとか肉食のご令嬢とかに、下手をすると既成事実を迫られて貞操の危機らしい。
フローラとはお試しの顔合わせでお互いに猫好きで意気投合した。婚約期間を一年置いて、来年の挙式だ。
フローラは婚約期間中に騎士の妻たちの集まりにお邪魔したりして、騎士の妻の心得を取得したり人脈を築く予定だ。
尤も、婚約者はいずれ近衛隊トップの総隊長になると期待されているエリート騎士だ。総隊長職を務めれば一代限りの伯爵位と年金を得られるから、最終的にフローラは伯爵夫人になるだろう。
ちなみに、婚姻後はお互いに好きな猫を二匹まで連れて行く約束になっている。
「ふふっ、将来は猫屋敷でも構わないと言ってくれているの。猫の毛が服につくとか気にするどこかの神経質とは雲泥の差だわ」
フローラはうっとりと至福の笑みを浮かべている。どこかの神経質が元婚約者だったから、新婚約者には大いに満足なようだ。
「まあ、お幸せそうでなによりだわ」
ほうとため息をつくイーリスは婚約者の選定中だった。
もともと、ホルソ家は四代前の王弟が興した家で、初代以降に王家と縁づいたことはない。今回、アルトの婿入りで王家の分家の血筋強化をするはずだった。それがご破算になって、女公爵となるイーリスを支える能力の持ち主を婿にとることになった。
只今、父のお勧めする文官とお見合い中だ。候補は三名で、一番相性が合いそうな相手を選ぶために数カ月は三名と公平にお付き合いして見定めなければならない。
「父はわたくしの意見を尊重してくれると言ってくれますの。有難いことですけれど、三人とも良い方で優劣のつけようがなくて」
「気の合う方になさったほうがよろしくてよ?
一生涯を共にするのですから、趣味などが相容れない方だとちょっと・・・」
フローラのアドバイスにイーリスは困った顔になる。
「それが三人とも趣味が合う方なの。
お一人は読書で、もう一人は歌劇鑑賞。お二人とは好みが似ていますのよ。最後の方はピアノがお上手で、わたくしのバイオリンと合奏してくれますの」
「さすが、公爵様の選ばれた方たちですわね。イーリス様とお似合いの方ばかりでは?」
「だから、悩んでしまうのよ。選び難いのですもの」
ほうと悩ましげなため息をついたイーリスがクリスタににこりと笑みを向けた。
「ところで、クリスタ様はスミス様、いえ、ミカゲ家の公子から申し込まれたとか。彼の番だったのでしょう?」
さすが公爵家だ、情報が早い。クリスタは内心でため息を漏らした。
なんだか、もう外堀が埋められていると思うのは気のせいだろーか、いや、気のせいだと思いたい・・・。
ついつい、現実逃避したくなるが、まだまだ足掻く時間は残されている、はず?
結局、フルスティ家では有力な情報を得ることはできずに時間切れとなった。一月後に祖父が帰国できるので、マルコへの制裁まで新しい婚約の話は保留となっている。
そして、あの場にいたメイドの身元調査をしてみれば、彼女は男爵家の庶子だった。母親は移民の平民で家系を辿るのは難しい。番の可能性がゼロではないと判断された。
メイドはヒルダ・エスコラ男爵令嬢で、クリスタと共にイオリの番候補になった。クリスタは譲る気満々なので、出来ればエスコラ嬢には頑張ってもらいたいところである。
「公子の妹様と皇女様が留学なさるそうで、公子は護衛として学園に滞在することになりました。わたくしとエスコラ嬢は一月ほど公子と交流して、どちらが番かはっきりとさせることになりましたの」
「まあ、公子はクリスタ様をご指名と聞きましたわよ?」
「・・・でも、わたくしには番の感覚がわかりませんし。我が家の後継事情もありますから、困っていますの」
クリスタが頬に手をあてて首を傾げると、イーリスとフローラが顔を見合わせて納得していた。
フルスティ家は嫡男のオリヴェルに婚約者がいない。候補はいるのだが、何年も保留状態になっている。
候補は隣の領地の子爵令嬢でクリスタと同い年の幼馴染だ。
彼女は身体が弱くて12歳の頃に南国で養生することになった。南国の気候が身体にあったようで丈夫になり、学園入学時に戻ってきたのだが、すぐに体調を崩してしまった。どうやら、こちらの気候では体調が悪くなるようで、また南国で養生することになった。
子爵令嬢は南国で暮らす分には人並みの生活が送れると、永住を決めて婚約を辞退してきたのだが、オリヴェルは諦めなかった。
彼女が南国で暮らすならば、自分も移住すると言いだして、南国での勤務がある外交の仕事を希望して第一王子の側近に立候補したのだ。
就労一年目は側近として扱かれるが、二年目以降は南国の勤務地に赴任する気満々だ。
南国は重要な同盟国で、第一王子としても忠誠を誓った側近が赴任して王子の意向に沿うのは有り難い。オリヴェルとは利害の一致で、外交官に押し込む約束を交わしている。
オリヴェルは子爵令嬢とは文通で愛を育んでいた。彼の気が変わらずに本当に南国に赴任してきたら婚姻する約束になっている。
令嬢は丈夫になったとはいえ、健康体とは言い難い。オリヴェルは無理させるつもりはなく、子供ができなくても構わないと公言しているので、フルスティ家はクリスタの子供を養子にして継がせる予定だった。
それなのに、クリスタが竜人族の国に嫁いでしまえば、フルスティ家の跡取り問題が発生する。出来れば、お断りしたい縁組なのだ。
「悩ましいですわね。正式に番と判明したらお断りなんて無理でしょうし。番は無理矢理引き離されたりしたら廃人になると言われていますもの」
「パーティーの様子を見ると、本当のことだとわかりますわね」
フローラの言葉にクリスタは遠くを見る目になる。
自害未遂騒動のことだ。なんでも社交界を賑わせた話題として休暇中に広まったらしい。
明日からの学園が憂鬱だった。婚約破棄騒動と合わせて知らない者はいないくらい有名になってしまった。当事者のうち、クリスタだけまだ学園に通うのだ。
「イーリス様たちが羨ましいですわ。わたくしも飛び級して一緒に卒業してしまえばよかった」
「ああ、まだアランコ様もいますしねえ」
しょげるクリスタにフローラが気遣わしげな顔になる。
一つ下のカタリーナ・アランコ公爵令嬢はアニタへの嫌がらせの首謀者だ。
彼女は第二王子アルトに想いを寄せていた。彼女には侯爵家次男の婚約者がいて、公爵家の分家を興す婚姻で婿取りだった。臣籍降下するアルトの婚約者候補に上がったこともあるから、余計に初恋を拗らせたらしい。
彼女は取り巻きに命じて嫌がらせを行なっていた。卒業記念パーティーで事が発覚し、アニタへ謝罪と慰謝料を支払ったので反省しているとみなされている。まだ学生のうちの失敗は未熟さゆえで挽回の余地があると鷹揚に判断されたのだ。
本来ならばもっと早くに罰せられるはずだったが、アルトたちの解毒放棄のせいで様子見のため静観されていた。
アニタは没落寸前の男爵家の庶子で奨学金をもらって平民向けの高等学院に通っていた。聖女認定されてから魔術学園に編入したが、嫌がらせを受けてもそうとは認識していなかった。
生まれを貶されても事実だし、触れて発動する癒しの術をはしたないと言われても、お貴族様の常識だとそうだよねえ、とあっけらかんとしていた。彼女に疾しいことはなかったから、いずれ誤解はとけると楽観視していた。
聖女認定した教会が悪評を見過ごすはずがなかったからだ。
誤解をしたまま、というか、解く気がなかったのは公爵令嬢と取り巻きだけだ。
アニタは王家から嫌がらせを静観してほしいと頼まれた。王家から物理攻撃は防ぐし、損害は補填する、嫌がらせの度に寄付金を積むからと申し込まれて頷いた。王家からの頼みだし、何か政治的な思惑があるのだろうと教会側でも忖度していた。
アニタはもともとうっかりさんで、よく私物を失くしたり落としたりしていた。嫌がらせで私物が失くなっても、『またどこかで落としたかなあ』と気にしていなかった。アルトたちが大騒ぎして、初めて『嫌がらせかなあ?』と思ったくらいだ。
アルトもアニタも卒業しているので、カタリーナもこれ以上の問題を起こすはずがないとは思うのだが、どうにも気が重い。
「クリスタ様は留学生のお世話役を任せられたのでしょう? 彼女たちと行動すれば、どんなゴシップ好きでも遠慮するのではなくて?」
「・・・新たな話題提供になりそうな気がするのですけれど」
「公子が護衛ではそうなりそうだわ。ねえ、クリスタ様は彼のことをどう思って?」
フローラがワクワクした目で見てきて、クリスタはうっと言葉に詰まった。恋バナを期待されても困ってしまう。
「どうと言われましても・・・。私は皆様と違って、公子の人となりなどはわかりませんし。
王城での話し合いとパーティーと王姉殿下立ち合いの元でと、まだ三回しか会ったことがありませんから」
クリスタはエスコラ男爵令嬢と共に番候補だと王姉から説明を受けた。イオリは妹たち留学生の付き添いで手続きやら方々への根回しなどで忙しいらしく、顔を合わせていない。
「あら、わたくしたちも詳しくはないわよ。公子たちは見事に猫を被っていらしたから、元クラスメイトでも見知らぬ相手と同じだわ。
番でもお相手はヘタ・・・、いえ、奥手なようだし。交流を持つうちに少しずつ慣れていけばいいのではなくて?
少なくとも、後継問題は相談してもよいと思うのよ。家格が上だからと遠慮することないわ。だって、番は運命のお相手なのでしょう? 一方的な関係ではうまくいかないわよ。ただ・・・」
イーリスが渋い顔になった。
解毒薬を竜人族から融通してもらって、アルトたちは今度こそしっかりと服用した。
一度、解毒には失敗して、一年間も禁断の実の後遺症を患っているので、一月ほどは様子見をするそうだ。令息たちは騎士団に入れられて、一番下っ端の雑用係から扱かれることになった。彼らの働き次第でその後の進退が決まるという。
「解毒薬を再び譲ってもらって、かの国に借りを作ってしまったでしょう。
貴女が不利益になることを申し込まれても、国としては手助けはできないそうよ。わたくしたちもその旨、手助けは無用と釘を刺されてしまったわ」
「ええ、忌々しいことに。あの愚者どものせいで」
フローラが手にした扇をぎしりと軋ませた。
半年前に、クリスタたちが王城へ招かれたのと同時に令息たちの親にも連絡が行っていた。令息の親はなんとか息子を正気に戻すから学園卒業まで時間が欲しいと懇願してきた。令息がまともになって、卒業記念パーティーのエスコートを務めれば、婚約は継続という話だったのだが、結果はご覧の通りだ。
令息たちは矯正しようとすればするほど反発して逆効果だった。
彼らは狡猾なことに手紙やプレゼントなどを婚約者に贈ったと見せかけて、実はアニタに貢いでいた。アニタの奉仕活動に付き纏い、親へ抗議の手紙を送られると、親の目に触れる前に処分したりなど悪知恵だけは働かせていたのだ。令息の親は見事に欺かれていた。
パーティーでの醜聞で令息の親たちは激怒して息子を廃嫡や除籍にしようとしたが、解毒が済んでいないのに勝手に野放しにされては困る。様子見が終わるまでは現状維持だ。
「ケトラ伯爵令息なんて、ユリアナ様の婚姻後に手紙をだしてきたそうよ。なんでも、復縁を求める内容だったとか。
厚顔無恥にもほどがあるわ。
そんな恥晒しな真似をしたから、解毒後に様子見することになったのよ。
さっさと除籍して追放になれば、彼らに煩わされることはなかったのに」
「騎士団では監視付きで性根を叩き直されるそうだから、彼らと関わることは二度とないと思うけれど」
イーリスがにこりと淑女の笑みを浮かべた。
「もし、万が一にでも、彼らと再びお目にかかることがあれば、それなりの対応をしても構わないと言質はとってありますわ。我が公爵家のお墨付きですから、安心なさってね」
副音声で『いかような制裁も可ですわ』と聞こえた気がする。
フローラとクリスタも顔を見合わせてから、淑女の笑みでほほほと応じたのである。
令息たちは再教育という名のしごき中。愚行のツケはまだこれからです。