08 「家族だった人たちを不幸にしなかったのに」
おばあ様の過去、シリアスです。
祖母は郷外の貧困な集落の生まれだった。
郷外の住人は罪人で郷から追放された者たちだ。冤罪をかけられて逃げてきた者や身分違いの恋人同士が駆け落ちしてきたこともあるが、郷外は力が全ての弱肉強食の世界だった。
祖母が生まれたのは一番貧しく一番治安が悪い集落だったという。
祖母は両親の顔も知らないし、自分の年や名前もわからなかった。ただ、空腹を抱えて残飯の中から食べられるものを探す日々を送っていた。おそらく、番と出会わなければそう遠くない内に餓死していたと断言できる環境だった。
番はもう成人男性で公務を行なっていた。祖母は幼な子で死にかけたところを拾われた。
祖母は金色に変化する縦長の瞳孔に見惚れた。
キラキラとキレイなものに手を伸ばして、触れる前に力尽きてしまった。触れなかったけど、お星さまみたいにキレイなものを一瞬でも独占できたのだ。空腹なままだが心は満たされて、未練などなく黄泉路へ旅立つはずだった。
それなのに、目覚めれば病室で看病されていた。
番は久遠公だと名乗った。
名前がない祖母のために、彼女の空色の髪から天音と名付けてくれた。
久遠公はすでに婚姻して二人の子供もいた。
ちょうど、父から公家当主の座を継いだばかりで集落の解体を目指していたところだった。各集落は孤立していたが、もし結託して一大勢力となっては郷と対立する危険がある。彼は視察で集落を訪れていた。
久遠公は25歳の青年で、天音は3歳くらいの体格だったが、医師の見立てでは栄養失調で発育が不十分だから本当はもう少し年が上かもしれないと言われた。久遠公は天音を5歳として必要な手続きをとった。
久遠公には4歳と3歳の息子がいて、天音は彼らの義姉として引き取られた。天音は久遠公夫人を養母として公女の教育を受けることになった。
最初は十分に栄養をとってやつれてボロボロな外見を治すところから始めた。拙い幼児言葉から普通に話せるように指導されて、読み書きやマナーも少しずつ教わっていった。
公女として表にだせるようになったのは10歳を過ぎた頃だ。
天音は少しずつ外の世界にも馴染んで13歳になり、高等学舎に通うことになった。高等学舎は下級貴族以上が所属できる。数年間は学舎で学び、他家と交流を持って就労先や嫁ぎ先を探すものだ。未成年の社交界と呼ばれ、各郷間での交流も盛んに行われていた。
皇族が都から出られるようになるのはこの時で、将来の臣下たちと顔合わせして交流するのだ。
天音は学舎で友人ができて親しくなるうちに番の話を耳にした。
番の概念は教わっていたものの、竜瞳が顕現して金色になるとは初耳だった。詳しくは知らなかったのだ。
天音は養父と慕う久遠公に拾われた時を思い出した。綺麗な金色の瞳に見惚れて、すごく安心したのを覚えている。温かいものに覆われて庇護されていると、生まれて始めて警戒心が解かれていた。
だが、養父の瞳は夕暮れのような橙色だ。光の加減で金に見えるものだろうか?
まさか、と悩んだものの、養母に恐る恐る尋ねると、天音は久遠公の番だと肯定されてしまった。
固まる天音に養母は困ったように微笑んだ。
「貴女が成人したら伝えようと思っていたのよ。引き取った当時の貴女は死にかけた幼女だったから、健やかに育てることがまず重要だった。
お医者様のお話ではね、貴女は幼児期の栄養不足で竜形になる器官が未発達らしいの。順調に成長するうちに治るかもしれないと言われて、まだ経過観察中よ。もしかしたら、貴女は竜形になれないかもしれない」
確かに天音は今まで一度も竜形になったことはない。
焦らずともよい、成人までにはなれるだろうと慰められていたが、成人の祝いの場では竜形を披露する習わしだ。竜形になれないなんて、未熟者や落ちこぼれの烙印を押されてしまう。
天音はショックを受けた。番のことも理解できなくて混乱した。
「お、とう様の番だなんて、何かの間違いではないの? おかあ様はわたくしを引き取って育ててもよかったの?」
養母はそっとあやすように天音を抱きしめて苦笑いした。
「番が見つかったのですもの。いくら家庭を築いていても、心が離れた相手と添い遂げるのはキツイわ。わたくしは離縁されて、また新たな縁を紡ぐはずでした。
でも、見つかった貴女はまだまだ幼くて、しかも死にかけていて。
困惑する気持ちが大きかったわね。貴女を失えば、旦那様が廃人になってしまうし。
尤も、旦那様のほうが困惑して大混乱なさっていたから、わたくしは逆に冷静になれたのかしら。貴女が無事成人して旦那様と婚姻できるようになるまで、娘として育てると申し出たのはわたくしよ。
離縁して息子たちと離れたくなかったし、旦那様が廃人になるのも見過ごせなかった。
旦那様はね、貴女が見つかると、青くなってオロオロとして誰よりも憔悴して倒れてしまいそうだった。『幼女趣味はないのに、何故番が幼女なのだ⁉︎』と苦悩なさっていたわ。
そんな旦那様を見て、わたくしは悟ったのよ。
旦那様は番の貴女を失ったらダメになってしまうけど、わたくしは旦那様を失ってもそうはならない、と」
養母は養父とは政略結婚で良好な関係を築いていた。お互いに恋愛感情を育てていたと思うが、夫が亡くなったら生きていけないほどではなかった。
養母は天音を久遠公夫人に相応しく育てる代わりに夫と約束していた。天音が成人するまでに誰か思う相手を見つけてもよいか、と。見つかったら、離縁後にその相手と添い遂げたいと申し出て了承された。
養父は天音の成人と同時に養母とは離縁する予定だ。その後に天音と婚約して、数年間は息子を次期当主に鍛えるのに充てる。息子に当主の座を譲ったら、引退して天音と家庭を築くつもりなのだ。
「・・・初めて聞きました」
「そうねえ、旦那様はいまだに貴女とどう接していいのかお迷いですもの。将来の話など、まだまだ口にできる段階ではないわね」
養母がふうとため息をついた。
養父は付かず離れずといった具合で天音に接していた。やはり、親子ほど年が離れた番で対応に困っているのだろう。
養父は悩んでいる通り、幼女趣味はない。いくら、番でも幼女に恋愛感情は持てない。せいぜい、我が子に対するような気持ち、のはずだ。
天音が成長しても、まだ悩みは継続している。幼児から見守っていた少女で愛おしさはあるが、伴侶と思えるのか、懊悩しているらしい。
「旦那様は背徳感や罪悪感がものすごいとお悩みになっていたわ。それでも、貴女に年がつり合う相手を当てがおうとは思わないのよ、番の本能でしょうねえ。
貴女が成人する頃には気持ちの折り合いをつけられると思うのよ。それまで、待っていてもらえるかしら?」
こういうことは本人が言うべきなのでしょうけど、と養母は苦笑する。
天音も大混乱してしばし時間が欲しいとお願いした。しばらく、養父と会うのを避けていたら、養父の落ちこみようがものすごかったらしい。
天音にしてみても、養父は命の恩人で庇護者で家族で大好きな相手には違いない。違いないのだが、伴侶の愛と親子の愛は似て非なるものだろう。
これまで、親子の愛情を抱いてきた相手を伴侶と思えるのか? いや、家族には違いないのだから、家族愛で括れば同じでは? などなど、ぐるぐると考えすぎて目が回りそうだった。
ただ一つわかっているのは、伴侶であれ、親子であれ、どう関係性が変わっても嫌うことだけはないという想いだけだ。
養母はそれで構わない、いつか貴女にもわかる時が来るから、と少しだけ寂しそうに微笑んだ。
紆余曲折はあれど、養母も望み通りに添い遂げたいお相手を見つけていたので、養父と養母と天音の関係は時間が解決する問題だと落ちついた。落ちつかなかったのが、義弟たちだ。
もともと、義弟たちは天音は養女で番がいるから嫁ぐ身だと教えられていた。番が高位の者だから、天音は養女になったと政略的なものを悟っていたらしい。それが、父の番だったなんて、理解するより先に嫌悪感を覚えたようだ。
お年頃で多感な時期に知らされたのだ。彼らのほうが天音よりも動揺が激しかっただろう。
天音と義弟たちの間で溝ができて、仲の良かった家族間がギクシャクするようになった。
天音はしばらく養母の実家で上級貴族の家にお世話になることにした。成人後は別荘で養父が引退するのを待ちつつ、公家夫人の振る舞いに慣れる暮らしになる予定だった。
天音がいなくなって久遠家は平穏に戻るかと思ったが、次男が兄以外の家族を寄せ付けなくなった。
天音が貧困集落の出と知って蔑んだのだ。
天音の両親は罪人の可能性が高かったから、敬愛する父の伴侶に相応しくない、と激高した。年も親子ほど離れすぎている、番を騙っているだけだと偏見を抱いてしまった。
養父母は親の罪は子供には関係ない、番に年齢差も問題ないと天音を庇った。長男が次男の味方になって、久遠家は家庭内闘争の勃発だ。
次男が友人に愚痴り始めて天音の事情が外に漏れだすと、養女のくせに養い親を誘惑する悪女だとか、番詐称で公家乗っ取りを企んでいるなど悪評が流れだした。
番の話は年が離れすぎていると大半に本気にされなかった。
稀に本人に突撃してくる強者もいたが、久遠公も天音も口を濁した。二人とも番としてお互いに向き合う気持ちの整理ができておらず、他者に語りたくなかったのだ。
番と明言しなかったせいで、久遠公にも悪評がついた。幼女趣味だとか、養女に手をだした色好みだとか、根も葉もない中傷だ。
そんな中で、天音が成人になり、祝いの儀を行うことになった。そこで事件が起こってしまったのだ。
「わたくしは竜形になれなかったの。庶民でもお披露目を失敗することは稀だったのに。
前代未聞の珍事だと大騒ぎになったわ・・・」
祖母は悲しそうに目を伏せた。
竜人族では成人の義で皇族より祝い酒が下賜される。特別なお神酒をいただくのだが、お神酒は神の実から作られていた。神の実の効果を薄めて一度だけ効能がでるようにしてあった。
過去には緊張から竜化に失敗したり時間がかかりすぎた者もいたので、神の実で竜化への気持ちを後押しし、スムーズに儀式を済ませるのだ。
天音は本番まで一度も竜形になったことはなかった。
医師からは竜化器官がなんとか育ったようだと診断されたが、悪評のストレスで心身に負担がかかっていた。お神酒の力を得れば本能が優ってできるはずだと言われていた。それが失敗したのだ。
天音の評価は地に落ちたし、久遠家の名にも泥がついた。
次男から、恥晒しだ、面汚しだと罵倒されても、天音には何も言い返せなかった。それでも、養父母は彼女を庇って慰めてくれて、それでまた義弟たちから嫌われてと悪循環に陥りかけた。それが、後日になってから、実はお神酒がただの酒と入れ替えられていたと判明した。次男が天音排除で企んだのだ。
これには長男も怒り狂った。
天音の名声だけでなく、家名だって貶められたのだから。
感情的に罵り合い、気持ちが高ぶって次男が竜化した。長男もつられて竜形になり、二人を止めようと養父もだ。
養母は屋根をぶち破った三人から屋敷の人々を避難させようと動きだしたが、天音は恐ろしさのあまり固まったままだ。怯えてうずくまるしかできなかった。
崩れ落ちた瓦礫がぶつかり、天音の意識が朦朧としたところでいきなり衝撃がやってきた。竜形の養父が天音を咥えて飛びだしたのだ。次男が攻撃してきて、長男がやめさせようとしてとカオスな状況になった。
養父は天音を強く噛んではいない。だが、いくら頑丈な竜人族でも人形は竜形よりも脆い。
次男の攻撃を避けながらの飛行で、甘噛みしたはずの左半身の骨が折れる嫌な音がして、内臓に刺さって傷ついた。養父は焦ったのか咥える力が緩み、天音は渓谷に落ちてしまった。
「わたくしは虫の息でおじい様に助けられたの。お医者様に診てもらう直前で心の臓が止まったそうよ。
救命措置でなんとか息を吹き返したけど、目覚めたわたくしは意識が混濁していて・・・」
祖母は番に噛み殺されそうになったと思いこんだ。
身体の傷が癒やされても心の中はズタボロで精神も不安定だった。突然、泣きだしたり笑いだしたりと感情の幅が大きく、とても人前にはでられなかった。
祖父は知人の老夫婦に祖母を預けた。
老夫婦は一人娘を病気で失って、仕事にかまけておざなりにしたのを後悔していた。祖母に亡き娘の面影を重ねたようで親身になって世話をしてくれた。
祖父も心理学者の知人に治療を依頼したりと祖母の心のケアに努めて、祖母が落ちついたのは数年後だ。その頃には祖父の伝手で竜人族国内の情報を得て、真相がわかっていた。
祖母の番は襲ったのではなく、おそらく守ろうとして失敗したのだ、と。
竜人族では感情の高ぶりで竜化するのは珍しくないが、大概は幼児期や貧民層で起こるものだ。まともに教育されている高位の子息がなるとは心の病気を疑われる。
久遠家は次男による竜化の暴走で被害甚大だった。家人に死傷者がでて、次男は郷外の僻地に幽閉になった。公家は従兄弟の家系にひきつがれ、前公主は暴走時の怪我の悪化で亡くなり、前夫人と長男は夫人の実家の籍に入ったという。
番の死を聞いて、祖母は悲嘆に暮れた。
噛み殺されそうになったと怯えていても、心のどこかでは思慕の念が消えていなかった。恐怖を克服して番への想いでなんとか回復したのに、相手はもうどこにもいないのだ。
ぽかりと穴が空いた心を抱えた祖母に寄り添ったのは祖父だった。
祖父も最愛の婚約者を亡くしていたから、誰よりも祖母に共感できた。祖父は祖母を預けた老夫婦に祖母を養子にしてもらった。祖母を他国の貴族令嬢にして体裁を整えてから祖母と婚姻した。
「わたくしたちはね、似た者同士だったのよ。お互い、欠けた心の穴は埋められないけど、空ろな心に寄り添うことはできる。
最愛の人への想いを抱えていても共に生きていける相手は他には見つからないわ。だから、一緒になったの。
ふ、ふふ、番を失っても生きていけるわたくしが本当にあの方を愛していたかは不明だけれど・・・」
「そんな! おばあ様は何も悪くないわ。
生まれも年だって、自分ではどうしようもないもの。たまたま不運が重なったというか、その、タイミングが悪かったのよ」
クリスタは震える手で祖母の手をそっと握った。
口元は笑みの形だが、祖母の新緑の瞳には感情がなかった。どこかに心を置いてきているようで、クリスタは怖くなった。思わず、ひんやりとした祖母の手をさする。
「だってねえ、わたくしが貧困集落の出身でなければ、あの方と親子ほど年が離れていなければ・・・。
久遠家を、家族だった人たちを不幸にしなかったのに。
わたくしがあの方に相応しい番だったならば、何も問題は起きなかったのよ」
「で、でも、おばあ様の養父母の方はそんなことは気にしなかったのでしょう?
おばあ様のお披露目が上手くいっていれば、それこそ問題にはならなかったはずだわ」
クリスタには次男こそが全ての元凶だと思ったが、義理でも姉弟として育った相手が父の番だと知った次男の困惑や嫌悪感もわからなくはない。
だが、番同士の問題だ。いくら肉親でも、余計な手出しをするべきではなかった。ましてや、悪評を流した上に貶めるなど、卑劣で悪辣だろう。
祖母の手が温まってくると、ようやく祖母は現実に戻ったように孫娘を目に映した。
「ごめんなさいね、クリス。
我が故国でわたくしの血縁と知られたら、竜形にもなれなかった悪女の末裔と謗られるわ。貴女を不幸にしてしまう。
せっかく、番と出会えたのに、御影家の跡取りでは添い遂げるのは難しいわ」
「おばあ様のせいではないもの。それに、番と言われても、わたくしにはその感覚はわからないし」
戸惑うクリスタは祖母から視線を逸らした。
変化する金の瞳に見惚れたのは確かだ。温かなものとか、庇護される感覚とはわからない。ただ、ずっと見ていたいと感じただけだ。
「クリスは竜人族の血は四分の一だけだもの。純血の竜人族と同じ感覚にならないかもしれないわね。
でも、綺麗だと感じたのでしょう? わたくしもそう思ったのよ、最期までずうっと見ていたいな、と思ったの」
「・・・おばあ様」
祖母は繋ぐ手に力を込めた。
「もし、クリスが番は関係なく、お相手を愛おしく思えたなら・・・。
必ず、わたくしたちに相談してちょうだい。御影家に嫁ぐ形でなくても、添い遂げられる方法があると思うの。決して、貴女を不幸にはさせないわ」
クリスタは祖母の言葉に曖昧に頷いた。