03 「わたくし、彼らに関わりあいたくないです」
「踊らないのかい?」
まさしく、思いだしていた相手に声をかけられて振り向いたクリスタはぴしっと固まった。
長い焦げ茶の前髪をオールバックに流したジョージがそこにいたから。
竜人族は美形が多いと聞いていたが、なるほど確かに眼福ものだ。片耳にだけアメジストのピアスをしているのがよく似合っている。優美な雰囲気でチャラい印象がないのはさすがである。
「あの、隠されなくてよろしいのですか?」
「ああ、もう卒業で目的は果たしたし、私たちがこうすれば、君たちに好奇な目は向かないだろう?」
「・・・お気遣い、ありがとうございます」
公衆の面前で婚約破棄された令嬢を気遣ってくれたなら、なぜ声をかけた、とクリスタは言いたかった。
せっかく、まだ人気の少ない飲食コーナーにひっこんだのに注目を浴びるだろーが⁉︎ と、心の中でだけつっこむ。
スイーツを堪能しようと吟味していたのだが、一気に食欲がなくなってしまった。
「オリヴェルが戻るまではここにいるよ。婚約破棄の裏側を知らない者に、君が傷物扱いされたりしたら彼が悲しむだろう」
「そういう相手は相応の報いを受けさせるから、どこの誰か把握しておけと言われております」
「へー、さすが妹思いのオリヴェル。彼には散々妹自慢されたんだよね。
まあ、私にも妹がいるから気持ちはわかるけど」
「・・・それはお耳汚しでございました」
クリスタは帰ったら、兄に手刀をかまそうと心に決めた。
兄には内緒と言われたが、フルスティ家の命運に関わる問題だから、ジョージたちの正体は家族会議で報告済みだ。クリスタから父へ、父から兄への伝言ゲームで、クリスタは兄には話していない。
それなのに、『兄よ、普段から何やらかしてるの⁉︎』と全力でつっこみたい。
「今、ジョンが彼を迎えに行ってるから、すぐに来ると思うよ」
「ドウモ、オテスウをオカケしまして」
「いえいえ、どういたしまして。
こうして、恩を売っておけば、私の妹が編入した時に力になってくれるよね? 私たちの卒業と入れ替わりで留学が決まっていてね」
ただの親切心ではなく、見事な打算絡みでしたか、とクリスタは内心で頷いた。
「妹様もワシントン家のお名前をお使いになるのですか?」
ジョージもジョンも、ついでに家名も北国ではごくありふれた名前だ。偽名にちょうどよかったのだろう、とクリスタが問うと、お相手は人の悪い笑みを浮かべた。
「いや、身元詐称は僕らだけ。妹は本名、竜都雅。いや、こちら風に名が先だと、ミヤビ・リュウトか」
「はあ、そうですか? って、リュウ、ト・・・、竜都?」
家名が先か、名が先かなんてどうでもいい。クリスタはついつい竜人族の言語に自動変換してしまった己の頭脳を叩き割りたくなった。
竜人族の国の首都名が家名とか、竜人族を統べる皇族しかいない。妹がそれって、それじゃあ、こいつも皇族か! いや、あの話し合いの場で、高貴な身分とは見当がついたけれども・・・。
「なんだか、顔色悪いけど、大丈夫かい?」
「・・・いえいえ、衝撃が大きすぎて、一介の伯爵令嬢ごときには荷が重うございます。お世話役は他のかたにお願いします」
「君なら雅と気が合いそうだと思ったんだよね。同い年だし、クラスメイトになるんだから、仲良くしてやってくれないかな?」
クリスタは視線を彷徨わせた。
皇族の願いを無下にできないが、頷くわけにはいかないのだ。竜人族と関わるのはマズいのだから。
内心で冷や汗ダラダラになっていると、兄の呼ぶ声がした。
「お兄さ・・・」
天の助けと勢いよく振り返ったクリスタは我が身の不運さを呪いたくなった。
兄は黒髪の美形に案内されてきて物凄く注目を集めている。兄の隣の美形は間違いなく、今横にいらっしゃる皇族様の関係者だ。
話し合いの場にいた護衛、仮の名をジョン・スミスと言ったか。
クリスタはげんなりとなった。
分厚いメガネ越しで表情なんてわからなかったが、嫌悪感いっぱいの声はよく覚えている。迂闊に図々しい願いを口にした己が悪いとわかっているが、苦手意識を抱いた相手と至近距離で顔をあわせたくはない。
目を逸らそうと思ったのに、なぜかクリスタは苦手人物から目を離せなかった。
端正な顔立ちなのに、目つきの鋭さでやたら冷酷そうに見える。深い青の瞳がその印象を助長させていた。観賞用には十分に見目麗しいのだが、四六時中見ていたいとは思わないのに。
クリスタの好みで言えば、性格はともかく温和そうな顔立ちのジョージのほうが好ましいのだが、なぜに兄を素通りしてお隣に視線が固定されるのか。
ふっと、ジョンが目を見開いたかと思うと、その瞳が変化した。
縦に瞳孔が開き、青が薄れて金色に染まる。まるで、爬虫類のような眼だ。
爬虫類は嫌いなクリスタなのに、不思議と嫌悪感はなかった。金の瞳が近づくに連れて、「綺麗だなあ、琥珀みたい」と呑気な感想が勝手にこぼれでた。
「・・・え、まさか、マジで?」
高貴な身分にふさわしくない驚嘆の声が隣からしたが、クリスタには関心がなかった。目の前の琥珀に意識は釘付けにされる。
「なんて、大きな・・・。キレイ」
「見つけた。・・・私の、だ」
「いっだあああああ!」
クリスタは夢見心地から覚めて、淑女らしからぬ悲鳴をあげた。
急に視界が塞がれたと思ったら、ジョンに抱きしめられていた。驚くよりも早く背骨が軋みをあげる。
乙女にいきなり背骨折りを仕掛けるとか、この男、この前の発言を根に持っていたのか。執念深い男はモテない、などと抗議できる余裕もない、マジで死ぬ。
「ちょっ、伊織、待て! お前の全力とか、人族には耐えられないから!」
「クリスタ!」
皇族様と兄の二人がかりで救出されたクリスタは兄の背に隠された。しかし、すぐに防波堤が排除される。
「退け、邪魔」
「お兄様!」
ハエを払うように、成人男性のオリヴェルが簡単に払い除けられた。ごんと鈍い音がして、壁とご対面だ。いくら、丈夫な兄でも意識が飛んだのか、クッタリと床に崩れ落ちた。
「お兄様!」
兄に駆けよろうとしたクリスタは再びジョンの腕の中に囚われた。今度は苦しくない。壊れ物を扱うような慎重な手つきだ。
「離して! さわらないで」
「他の男なんか、放っておけ。君は私だけ見ていればいい」
「はあああっ?」
独占欲丸だしの宣言にクリスタがキレた。
「暴力男なんて、お断りよ! だいっきらいっ‼︎」
「だい、きら、い?」
呆然となった男の腕から飛びだしたクリスタは兄に駆けよった。膝まづいて、ガックガックゆっさゆっさと兄を豪快に揺さぶる。
「お兄様、大丈夫? ねえ、生きてる? 返事してってば」
「あ、あの、お嬢様。あまり、揺すらないほうが・・・」
見かねたのか、給仕役のメイドが声をかけてきた。
「大丈夫よ、お兄様は案外丈夫なの」
「そういう問題では・・・」
クリスタとメイドで押し問答していると、オリヴェルが身動きした。
「う、つっ。・・・クリスタ。もう少し、優しく起こせないのかい」
「だって、お兄様が吹っ飛ばされるなんて・・・」
「いや、私はインドア派だから」
「お兄様は文官だけど、第一王子に鍛えられてるでしょ」
「護身技だけだよ。護衛がいるけど、もしもの場合は王子優先だから、自分の身くらいは自分で守れって・・・」
兄妹でわいわいしていると、別方向でもけたたましい悲鳴があがって大いに賑やかだ。
「まさか、ーーに嫌われるなんて・・・、もうダメだ・・・。止めないでくれ」
「伊織、落ちつけって!」
「奏、父や母に先立つ不幸をお許しくださいと伝えてくれ。琴音を頼むぞ」
「だあああっ、止めろって。留学先で自害とか、争いを起こすつもりか!」
何やら、物騒な会話だ。思わず、兄妹が視線をやると、思いきり目のあった皇族様に呼ばれた。
「フルスティ嬢! お願いだから、嘘でもいいから、さっきの撤回して!」
「・・・耳当たりのいい嘘なんて、聞きたくない」
「いいから、お前は落ちつけって! その手のナイフ、おろせよ!」
カトラリーナイフで果たして自害が可能かは謎だが、黒髪の冷酷美形を皇族様が取り押さえているというカオスな状況だ。周りは皆唖然呆然状態で遠巻きにされている。誰もがこの状況に反応し損ねていた。
「・・・お兄様。わたくし、彼らに関わりあいたくないです」
「奇遇だな、私もだよ」
兄妹は顔を見合わせて、はははと虚な笑みを浮かべた。厄介事間違いなしなのに、避けようがなさそうだ。
「私のなのに、他の男と仲良くしてる・・・」
「他の男って。おい、兄妹だろう?」
「兄相手でも、イヤだ」
謎の会話の竜人族たちにクリスタはため息混じりに告げた。
「暴力男は嫌いだと申しました。
ナイフをかざすとか取り押さえるとか。そのような粗雑で乱暴な真似、祝いの場で信じられないのですけれど?」
「スミマセンでしたあっ」
「・・・もうしない」
一介の伯爵令嬢の言葉に高貴なる皇族様とその関係者が勢いよく謝罪した。
この日、四組の婚約破棄騒動から始まった卒業記念パーティーは留学生の自害未遂騒動で終わり、魔術学園史上最大の珍事として語り継がれることとなった。