25 「予想外だったとは?」
イオリは緊張していた。クリスタの祖父母と正式な顔合わせの日だ。
クリスタの祖父サムエルは息子に爵位を譲って当主の座からは降りたが、学者仲間の交流で各国に伝手がある。息子よりも確かな人脈で何か問題が起こればすぐに他国の権力を頼りにできるのだ。
そのため、息子からクリスタの縁談について全権を任せられている。クリスタの両親は領地経営で忙しく、サムエルから婚約の許可がでなければお目にかかることもできない。
つまり、今日が決戦の日なのである。
妹たちから忠告混じりの激励と応援を受けて訪れたフルスティ家ではオリヴェルも同席しているが、友人としての援護は期待できない。彼は飽くまで妹の味方で、フルスティ家嫡男として振る舞うはずだ。クリスタがイオリとの縁組を了承してくれてもサムエルがお断りしたら、妹を説得する方向に全力投球するだろう。
オリヴェルに全力で抗われるとか、敵う気が全くしない。
イオリがきりっと顔を引き締めて一通りの挨拶を交わしたところで、サムエルがにこやかな笑みで先制攻撃を繰りだしてきた。
「ところで公子様には婚約者がおられたとか。久遠家の公女様で跡取り娘だったそうですね。無事に婚約解消して、公女様は運良く次のお相手と縁組されたと伺っております。
それでも、クリスタに思うところがおありだったようですが・・・」
「この度の久遠家公女の無礼については誠に申し訳ないとお詫びいたします。
すでに本国に連絡をしており、当主の父から久遠家へも正式な抗議をしています。久遠家当主からも正式な謝罪がありました。
その結果、久遠家は公女を重要な公の場以外には参加させない方針です。当主権限は伴侶が担い、公女は領地の郷内で生涯を過ごすことになりました」
「ほう、我ら人族には番の概念がありませんので、理解し難いのですが。
なんでも、番と出会えば、それまでの伴侶や子供がいたとしても、すぐに切り捨てられるとか。なんとも、非情な仕打ちだと人族では感じるのですが、婚約解消は本当に禍根なく行われたのでしょうか?
クリスタが嫁いだ後に何かありましても我々では何もしてやれませんので、とても不安に思っておるのですよ」
サムエルは悲しげに顔をしかめた。
番相手で拒否は無理だとわかっているし、クリスタも嫌がってはいないが、すんなりと認めるつもりはない。妻の事情を打ち明けるにしてももっと相手の人柄を見極めてからだ。
サムエルはわざと煽るような話題を持ちだしてイオリの人となりを確認するつもりだった。
イオリは不安そうに目を伏せた。
「人族に番が受け入れ難いのは承知しております。ですが、番と出会ってしまったからにはもう番と出会う前には戻れないのです。
無理に番と引き離すと心が壊れてしまうので、番との仲を妨害する行為は禁じられて嫌悪されています。
私は番探しを終えていたので、クリスタ嬢と出会えたのは望外の喜びで奇跡だったのです」
「番探し?」
サムエルは首を傾げた。竜人族の国と取引している知人もいて竜人族の文化や慣習に詳しいのだが、『番探し』は初耳だ。
イオリは他国の者は知らなくて当然だろうと前置きした。
先代皇帝の時代に少子化が問題になって番と婚姻したほうが出生率が上がると判明した。
番の年齢差は最大で20歳、大半は数歳差なので成人までに番探しで各郷内を一周するのだ。それで見つからなければ番はいないと判断される。番探し後に家庭を築いたほうが番による離縁問題は起きないと思われたのだ。
「それでも、婚姻後に番と出会うこともあります。番と出会ってそれまでのパートナーと離縁する場合には通常の離縁よりも手厚い補償をすることになっています」
子供がいれば養育費も通常よりも高額になる。
竜人族の国では番補償という公的機関があり、貸付金制度で無利子で借りられる。返金は無理のない長期間計画で相談にのってもらえるし、実入りのよい仕事への斡旋もある。離縁された相手には新たな伴侶を紹介する再婚制度まであると説明されて、フルスティ家では自然と祖母へ視線が集中した。
祖母の知識にはないもので、どうやら祖母の失踪後に定められたようだ。祖母はまあと首を傾げて驚いていた。さすがに他国に渡ってしまえば、祖国の番に関する法までは耳に入らない。
「番と出会ってしまえばそれまでの縁を切り捨てるなんて誤解です。我が国では番も番でなかった相手も心配なく生活を送れるようにする支援体制が整っています。
それでも、心ばかりはどうにもならないものではありますが、もともと公女とは番と出会わなくても婚約解消する可能性はありました」
「どういうことでしょうか?」
クリスタは疑問符を浮かべる兄と祖父に、あっと思った。
カグヤのコトネに対する態度が問題だとイオリから聞いていたが、話していなかったのだ。なぜか学園内の出来事も把握しているオリヴェルもさすがにそこまでは知らなかったようで、イオリが改めて話すとへえと意外そうな顔になる。
「彼女にはそれとなく示唆していたのですが、理解していなかったようです。今回のことで厳重注意と再教育が久遠家当主から約束されています。
二度とクリスタ嬢にご迷惑をかけることはないと誓います。どうか、私を信頼してもらえませんか?」
イオリが深々と頭を下げて、クリスタにはしょぼくれる子犬の幻影が見える。
そおっと兄と祖父を伺うと二人は目線で会話を交わしていた。クリスタが不安そうに祖母を見やると、宥めるように頷かれた。
「公子様がクリスタを大切にしている様子はこの前のことからもよくわかっておりますわ。前の婚約者からの嫉妬や敵愾心が収まるのならば何も問題はありません。
それにしても、貴国では番に関する法がしっかりと制定されているのですね。獣人族ではそのような話は聞いたことがありませんでしたわ」
祖母が首を傾げると、イオリが沈痛な表情になった。そして、重々しく口を開く。
「実は先代皇帝の時代に番の悲劇が起こりまして。それをきっかけにして、番や番によって離縁する場合の法が整備されたのです」
「「番の悲劇?」」
兄や祖父も揃って声をあげた。何やら物騒な響きに不安そうに顔をしかめている。
「ご家族がクリスタ嬢を案じるお気持ちはよくわかります。私は何があってもクリスタ嬢を守って大切にするつもりですが、この話を知った上で私がクリスタ嬢の伴侶に相応しいか判断していただきたいと思っています」
イオリが決意を秘めた顔をあげて語りだした。
『番の悲劇』とは周囲の無理解によって引き離されたある一組の番の話だった。
先々代の久遠公が婚姻後に番と出会ったが、年の差が離れすぎていた。25歳の青年の番が5歳の幼女だ。
彼にはすでに妻子がいて、番を養女として引き取った。妻とは話し合いで円満離婚が決まっていたし、青年の実子は幼女と義理の姉弟として育てた。実子には義姉には番がいると教えていたから問題はないと思っていた。
将来的には家族となるのだと考えたのが間違いだったと気づいたのは子供たちがお年頃になってからだ。
次男が反発して義姉を貶めた。養母や長男は止められずに、周囲も年が離れすぎていたために番だと認めなかった。義姉は養父をたらし込む悪女扱いされたし、養父も養女に手をだしたと非難された。次男は悪評を流した上に義姉を排除しようとして竜化して暴れ、大問題になった。
番を守ろうとして失敗した先々代の久遠公は番を失い衰弱して亡くなった。
妻と長男は次男の暴挙を防げなかった責任を感じて公の場から退くことにした。長男は久遠公の座を父の従兄弟に譲り、母の実家の籍に移った。
その後、長男の尽力により、番に関する法が制定された。番補償や再婚制度も徐々に整えられていった。
「先々代の久遠公が怪我をおして番を探し求めて衰弱していく様は20歳差の番を認めなかった頑迷な人々の心に深い後悔を残したそうです。
ただでさえ、番と無理に引き離せば心が壊れてしまうと知れ渡っていたというのに、思い込みや偏見で非難してしまったのだから、当時の久遠公の周囲の者は罪悪感が物凄かったとか。
彼らも番の法に尽力して、その後の補償や再婚制度にも積極的に関わったそうです。
この事件をきっかけに番に害を与える相手は排除されて当然という風潮になったと聞きます。番が他国の者で人族だからと貶めることはあり得ない。何事にも万が一ということはありますが、私は全力でクリスタ嬢を守りますし、我が家も全面的に受け入れます。
どうか、クリスタ嬢と添い遂げる許可をいただきたいのです」
話し終えたイオリはフルスティ家の面々の顔色が変化するのに驚いた。
一番、顔色が悪いのは祖母で祖父も青ざめているようだ。オリヴェルとクリスタも顔を見合わせてオロオロとしている。なんだか、想定外の反応で戸惑っていると、祖母が自由になる右手で顔を覆った。
「ああ、ああ、なんてこと。常盤様・・・」
「ときわ・・・、それは先々代の久遠公の名前だが。なぜ、ご存知で?」
イオリが尋ねると、祖母の新緑の瞳から涙が溢れてぎょっとする。あわあわと狼狽えていたら、オリヴェルが立ち上がった。
「おばあ様、休まれたほうがいいでしょう。おじい様、付き添ってください。クリスタ、お前は」
「お兄様、わたくしからイオリ様にお話するわ。おじい様、もう打ち明けてしまっても構わないでしょう?」
「・・・ああ、そうだな。お前の判断に任せよう」
サムエルが頭を振ってから頷いた。祖母の車椅子を押して退出する。オリヴェルも付き添って侍女を呼んでいた。
イオリが訳がわからずに戸惑っていると、クリスタに呼ばれた。
「イオリ様、申し訳ありません。お騒がせしてしまって。
思いがけないお話で祖母は動揺してしまったのです。その、おばあ様には予想外だったので」
「予想外だったとは?」
「ええ、祖母は竜人の血筋ではなく、竜人そのもので。番の悲劇の当事者なのです」
クリスタが思い切って告げると、イオリが青い目を丸くして驚いた。




