24 「番だと思ったから」
一難さってまた一難、とはよく言ったものだなあ、とクリスタは友人たちと顔を見合わせて困惑していた。目の前には土下座した男性がいて、ひたすら平謝りしている。
カグヤの短期留学が終わって帰国し、アランコ公爵家から正式な謝罪があった。ルーカスからも留学前の挨拶があって無事に隣国へ旅立って行った。表面上は何事も丸く収まったのである。
クリスタはようやく食堂での騒ぎの後始末がすんで気を抜いていた。
久しぶりに友人たちと図書館に訪れて課題に必要な資料を探していたら、エリサの叫び声がした。私語厳禁の図書館で何事かと駆けつければ、エリサが見知らぬ男性に抱きつかれている。
「痛い痛い離して‼︎」
「ようやく見つけた!」
「え、な、何?」
駆け寄ったマリカも驚いて立ち尽くしていた。
男性の茶髪の頭からぴこんと立っているのは毛に覆われた耳だ。毛がふさふさな尻尾がお尻から生えている。
「え、獣人族、の方? エリサが・・・、クリスタ、どうすればいいの?」
「君はおれの番だ! どうして、拒むんだっ!」
暴れるエリサを男性が怒鳴りつけた。クリスタも我に返って大きく叫んだ。
「番ならエリサを離して! 骨が折れるわ! 番を傷つけるつもりなの?」
はっとして男性が腕を緩めて、エリサがその場に崩れ落ちる。オロオロする男性を押し除けて、マリカとクリスタが駆け寄った。
「エリサ、大丈夫?」
「どこか、痛むところは? 骨が折れたりしていない?」
クリスタはエリサの背中をそっと撫でた。クリスタがイオリの背骨折りに耐えられたのは竜人の祖母の血を引いていたからだ。純粋な人族のエリサが獣人の全力に耐えられるとは思えない。
エリサが青い顔をして涙ぐんでいた。
「あちこちが痛いわ。多分、折れてはいないと思うけど・・・」
「すぐに医務室に行きましょう。お医者様に診てもらったほうがいいわ」
「待て! おれの番をどこに連れていくつもりだ?」
獣人の男性がクリスタたちの前に立ちはだかるが、駆けつけた警備員が割って入った。
「お待ちください、獣人のお方。ここは公の場です。落ちついて話し合いましょう。
まずは会議室を用意しますので、そちらにご案内いたします」
「うるさいっ! 邪魔するなっ!」
警備員が敵意がないことを示すように両手を上にあげたのに、獣人が突き飛ばした。警備員が派手に倒れ込んで、きゃあと周囲から悲鳴があがる。エリサが硬直して、マリカも顔を強張らせた。
クリスタはエリサとマリカと手を繋いでそおっと男性から距離をとった。
「おれの番、どこに行くんだ? 医者ならおれが連れて行くから」
「け、結構です!」
「誰のせいで怪我をしたと思っているの? 番だというなら、大切にしなさいよ」
クリスタが男性を睨みつけると、相手は怯んでしどろもどろになった。
「そ、それは・・・。つい、力が入ってしまって。大切にしないわけじゃ・・・」
「エリサは医務室に連れて行くわ。貴方のせいで怪我をしたのだから、邪魔はしないで」
「邪魔してない! 番なんだから、おれもぐえっ」
「誰が貴様の番だと?」
クリスタたちに追い縋ろうとした男性が急に地べたに這いつくばった。背後からの氷点下の声に押しつぶされたようで、自力では顔も上げられないのかうつ伏せのままだ。
ゆっくりと歩み寄ったのは無表情のイオリだった。またコトネに頼まれた本を返却に来ていた。彼はだんと男性の顔の真横を蹴り付けて睥睨する。
「私の番に言いよるとはいい度胸だ。一族郎党抹殺される覚悟はできているのだろうな?」
「なっ、つ、つがいって、え、なんで、竜人が・・・」
獣人が混乱して驚きの声をあげるが、クリスタはイオリの勘違いに気づいて慌てて止めに入る。
「待ってください、イオリ様。誤解です。その方はエリサを番だと思っているのです。わたくしではありませんから」
ぐりんとクリスタに顔を向けたイオリはもう無ではなかった。目に光が宿り、意外そうに首を傾げた。
「そうなのか。でも、この犬っころのせいでクリスタ嬢が怖い思いをしたのには変わりがないだろう?
安心してくれ、もう大丈夫だ。
二度とお目にかかれないように重しをつけて海溝に沈めておくから、気にしないでくれ」
「気にしますよ! というか、一族郎党抹殺って本気ですか?」
クリスタが思いきりツッコむとイオリが不思議そうな顔になった。
「番を害そうなどという輩はまとめてポイ捨てされても当然なのだが?」
「え、竜人の法ではそうなるのですか? さすがに過激すぎませんか?」
「法ではなく、常識だ。番がいる獣人でも同じはずだぞ、そうだよな?」
同意を求められた男性は涙目になった。頷けば海底に沈められるし、否定すれば番至上主義の一族からは爪弾きにされる。どちらとも答えようのない質問だった。
ちなみに男性はまだ地べたに這いつくばったままだ。イオリの圧にひれ伏して身動きできないのである。
「イオリ様、エリサを医務室に連れて行きますから、くれぐれも乱暴な真似は控えてくださいね」
「・・・善処する」
クリスタが圧をかけてにこりと微笑むと、イオリが残念そうに獣人を見下ろしてから頷いた。
エリサは骨折はしていなかったが、掴まれた痕がアザになっていて手当てを受けた。そして、何よりも精神的なショックが強く、念の為に一晩入院して様子見をしたほうがいいと病院に運ばれた。
事情聴取でクリスタとマリカが学園長立ち合いのもとで獣人と顔を合わせる。常駐の護衛騎士が見張る中、イオリも当事者だと言い張って参加していた。
男性は犬の獣人でオスカー・ベルゲンと名乗った。南国の獣人地区の出身で番を求めて旅をしていると語った。
「すごく甘くて強い香りがして、番をようやく見つけたと思った。つい、感激して抱きしめたら、嫌がって暴れるからムキになってしまって・・・」
「突然、見ず知らずの相手から抱きしめられるとか。お年頃の女性にとってはただの痴漢行為ですな。嫌がられるのは当然でしょう」
学園長がジロリと睨むと、オスカーが決まり悪そうに身動きした。クリスタとマリカが頷き合って、女性の護衛騎士も侮蔑の視線を向けてくるから雰囲気がものすっごおく冷ややかだ。
「・・・ちかん、こうい。い、いや、見ず知らずじゃなかったから」
イオリが小声で何やら呟いている。ふるふるとしていて、何気にダメージを受けているようだ。
「我が学園の図書館の蔵書は国内でもトップクラスでしてな、本来なら幅広く利用者に提供したいのだが、貴重な書籍も多数あるせいか、くすねて売り払おうとする不届き者が後をたたない。そのため、それなりの身分保証されている人物しか入館できないはずだが?」
外部の利用者は入館時に身分証提示を求められるから、それなりの身分のはずだ。学園長から言外に不審者扱いされて、オスカーはむすりと顔をしかめた。
「おれの身元なら確かだ。犬氏族長の三男だ、南国大使館に問い合わせすればすぐに返答が来るぞ」
獣人族は数十の氏族から構成されていて、それぞれの氏族は長が統率している。獣人族の王は各氏族の長の中から十年単位で選ばれており、今期の王は犬氏と友好関係の狼氏の出身だったはずだ。
オスカーの実家ベルゲン家は獣人の王と近しいと思われる相手なのだが、学園長は忖度しなかった。
「ほうほう、身元が確かだと仰るか。ならば、当然我ら人族の文化や習慣にも通じておりましょう?
いきなり、我が学園の淑女に無礼を働くとは、いやはや獣人のお国は我が国を取るに足りない格下だと軽んじておられるようだ」
「なっ、そんなことはない! 番だと思ったから」
「番ならば何をしても許されると言うのか?
我が国に入国したからには我が国の法に従うのが道理でありましょうに、獣人のお方はずいぶんと傲慢なのだな。仲裁に入った警備員も怪我を負わされて、立派な傷害事件になっておりますぞ」
「そ、それは・・・」
「耳が痛い、心に突き刺さる・・・」
言葉に詰まるオスカーと一緒にイオリも死んだ魚の目になって、しょぼぼぼんとうなだれている。彼も同じくやらかしているから身につまされているようだ。クリスタはそっとイオリの袖をひっぱった。
「イオリ様、わたくしと兄はもう気にしていませんから、立ち直ってくださいませ。そちらの方と一緒に面倒くさくなられては困ります」
「私は面倒くさいのか・・・」
「ええ、ネガティブになると面倒くさいと言いましたよね?」
オスカーがクリスタとイオリのやりとりにぎょっと目を見開いて慄いた。
「り、竜人相手に面倒くさいとか。え、何者? あんた、勇者か?」
「彼女は唯一無二の最愛、私の番だが?」
イオリがドヤ顔で自慢している。オスカーはかっくんと顎が外れそうなほど大口を開けた間抜けヅラになった。
「・・・た、ただの人間が竜人の番、だとお⁉︎」
「人族だからどうした、私の番を侮辱する気か?
貴様、本当に命知らずだな。そんなに海溝に沈められたいのか、望みはどこの海だ? 叶えてやるから遠慮なく言ってみろ」
「イオリ様、落ちついてください。お顔が怖いですよ?」
「すまない、クリスタ嬢。君を怖がらせるなんて、私もまだまだ未熟者だな」
怒気と共に凍てつく波動を撒き散らしたイオリはクリスタ相手にはすぐに気配を霧散させて微笑さえ浮かべている。実に素早い変わり身である。
思いきり脅されたオスカーはぺたりと耳を伏せて、尻尾を足の間に挟んで震えている始末だ。子犬が怯えている様に見えるが、クリスタは絆されることはなかった。却って、怪我を負わされたエリサの敵討だくらいに思っている。
マリカも呆れた視線を向けていて、学園長もごほんと咳払いした。
「その、話を戻させていただきますぞ。ベルゲン殿、こちらのご令嬢方と公子様の証言からハーバラ伯爵令嬢と警備員に怪我を負わせたのは確かなのですな?」
オスカーはぶるぶると震えながら頷いた。まだ、イオリに威圧されたショックから立ち直っていないようで青い顔をしている。
そんなに怖かったのかしら? とクリスタが首を傾げていると、マリカから小声で注釈が入った。
獣人族は能力が高い者ほど尊ばれる一族で、特に力が強く魔力が高い相手を敬う傾向にある。獣人は気配に敏感だが竜人の能力には及ばないせいか、竜人族に憧れて恐れているのだとか。
コッコラ家御用達の商会が南国の獣人地区と取引していて聞いたことがあるのだとマリカが教えてくれた。
「だから、人族の貴女が竜人の番で驚いていたと思うわ」
「そうだったの」
二人がひそひそ話をしている間に学園長がオスカーの処遇を述べていた。
「では、ベルゲン殿に選んでいただきましょうか。
傷害事件で加害者として治安部隊につきだされるか、真摯な謝罪と慰謝料で被害者と和解を目指すか。もしも、和解をお望みでしたら、弁護人を紹介しますがいかがなさいますか?」
「わ、和解で頼む。悪気はなかったが、怪我をさせて申し訳なく思う」
オスカーはイオリのほうを見ないように顔をあげて答えた。だいぶ、怖がられているようだ。
「それでは、調書だけ治安部隊に報告しておきましょう。ただ、和解が成立しなければ牢行きもあり得るとご理解ください」
「牢行きだと! そこまで重犯罪ではないだろう?」
「え、痴漢行為に傷害罪に恫喝につきまといのストーカー行為。少なくとも、これだけの罪状があるのに、自覚はないのかしら?」
クリスタが呆れたように指折り数えると、オスカーが目を剥いた。
「ストーカーなわけええええ、ふぎゃん!」
オスカーはまたもや地べたに這いつくばって伏せの体勢になった。イオリがゆらりと彼の前に立ち塞がる。
「物覚えがよくないようだな? 私の番に汚い唾を飛ばすとはいい度胸だ。一度、死んでみるか?」
「つ、唾なんて飛ばしてない! ストーカー扱いに抗議しようとしただけだっ」
「えーと、イオリ様。イオリ様が庇ってくださっているから、わたくしに被害はありません。落ちつかれてくださいな」
威圧されてぶるぶると震えているオスカーがさすがにうっとうし・・・、もとい、気の毒になってクリスタが再びイオリの袖を引いた。
イオリはぱあっと笑みを浮かべて振り向く。ぶんぶんと尻尾を振っているかの幻が見えるようだ。
「クリスタ嬢、私を頼りにしてくれているのだな!」
「ええ、ですから、冷静にお話し合いをいたしましょうね。わたくし、そちらの方にお尋ねしたいことがありますの」
ご機嫌のイオリを抑えて、クリスタがオスカーに問いかけた。
「貴方はエリサが番だと言うけれど、獣人は番の匂いに惹かれるのでしょう?
番の持ち物をたまたま別人が持っていて勘違いされた事例も多数あると言うわ。謝罪は当然のこととして、エリサが番なのかきちんと調べてください。エリサの家系には獣人族と関係の深い南国の方と婚姻した例はないはずよ」
「もちろん、獣人族がご先祖にいたという話も聞いたことがないわ。
もしも、勘違いの結果、エリサに怪我を負わせたのだとしたら最低ね」
マリカが冷ややかに吐き捨てて、周囲の視線も厳しいものとなる。エリサには三歳上の婚約者がいて良好な関係なのは有名だった。横恋慕した挙句、人違いで怪我を負わせるとか、冗談ではない。
オスカーだけが不満そうに顔をあげた。
「番の香りを間違えるわけがない。あの黒髪の娘がおれの番だ」
「それなら、まずは持ち物を調べてみればいいだろう。ハーバラ嬢が番ならば彼女の持ち物全てに反応するはずだ。どれか一つだけならば、それを手にしたことのある別人の可能性が高い」
イオリの提案で急遽番調べを行うことになった。入院したエリサにショックを与えるのはよくないので、ハーバラ家に事情説明して協力を仰いだ。
その結果、オスカーはエリサのハンカチだけに反応を示し、勘違い説が濃厚になった。
「あのハンカチはエリサご贔屓の刺繍職人に刺繍してもらったものだわ。刺繍職人かその周囲の者が番なのではなくて?」
マリカの呆れた声にオスカーの顔から冷や汗がダラダラと流れる。
彼は潔く土下座して平謝りするが、被害者のエリサはこの場にはいないのだ。クリスタとマリカが困惑して顔を見合わせると、学園長からため息まじりのお説教だ。
「自己憐憫の謝罪をされましても困りますなあ。もっと、真摯にハーバラ嬢に詫びていただきたい。
番探しはきちんと謝罪を済ませて諸々の後始末をしてからなさるのですな」
「そ、それはもちろん。だが、番の手がかりがあるのに後回しにするだなんて、なんの苦行なんだ」
オスカーが悲痛な声をあげるが、誰も同情はしなかった。ハーバラ家からベルゲン家に正式な抗議表明がだされて、下手をすれば国際問題に発展しそうな勢いなのだ。
オスカーはすぐに大使館の職員に連行されていった。多額の慰謝料の支払いや問題を起こした責任を問われるまで身柄確保されるらしい。
クリスタはイオリがどよよよんと暗い顔をしていて、不思議そうに見上げた。
「イオリ様、どうしたのですか? お顔の色が優れませんけれど」
「クリスタ嬢、我が身を顧みて反省していたのだ。私も下手をすれば、彼と同じ道を歩んでいたかもしれないと思うと、とても他人事には思えなくて」
「そうですわねえ、似たようなことをしていましたけど、イオリ様はあんなに粗暴ではありませんでしたよ?」
「は?」
「ええ、最初の背骨折りはともかく、次は痛くありませんでしたし。お兄様が吹っ飛ばされたのも障害物と思われて、人間相手だと認識していなかったのでしょう? イオリ様はちょっと視野狭窄に陥っていただけです。
でも、あの獣人の方は違います。
悪気はなかったと言ってましたけど、番と思うエリサを怒鳴りつけたり、彼女を医務室に連れて行こうとするのを妨害しようとしたり。ずいぶんと独りよがりな行動をとられて自分勝手な方でエリサたちも怖がっていました。
でも、わたくし、イオリ様を怖いと思ったことはなかったのですよ? イオリ様には相手を傷つける意思はなかったから。
イオリ様が傷つけようとしたのはご自分だけでしたもの」
イオリは自害未遂騒動を持ちだされてバツが悪そうだ。クリスタはくすりと微笑んで紺の頭をナデナデする。
「え、クリスタ嬢?」
きょとんとなるイオリがかわいいなと、クリスタの笑みがさらに広がってナデナデもわしゃわしゃにパワーアップだ。
「わたくしの番がイオリ様でよかったと思います。大切にされているのがよくわかりますもの」
「番を大切にするのは当たり前のことだが?」
「ええ、イオリ様ならそうですよね」
イオリが不思議そうに瞬きして、クリスタは愛しさが込みあげてくるのを感じた。
犬の獣人で本物の耳や尻尾があるオスカーがどんなにしょぼくれても絆されるものは感じなかった。イオリには絆されそうなのを堪える必要があったのに。
今から思えば、すでに絆されていたのかもしれない。あの金の竜瞳を綺麗だと感じた時から好意はあったのだろう。
ただ、その後の騒動が衝撃的すぎて認識する暇がなかった。
クリスタは自分でも気づかないうちに恋に落ちていたのかもしれなかった。




