19 「つけ込む隙は十分にあると思うぞ」
輝夜はカタリーナからの連絡はないと知らされて、思いきり地団駄を踏んだ。
「まだなの? 本当に使えないわね!」
「姫様、落ちついてください」
「ああ、もういいわ、一人にしてちょうだい」
下がれと命じられて、侍女が恭しく礼をして退出した。一人になった輝夜はイライラと部屋の中を歩き回る。
輝夜はカタリーナと距離を置いたほうがよいと判断されてアランコ家から高級ホテルに移動になった。安全のために最上階フロアを輝夜たちで貸切にしている。
学園も予定より早く留学を終えることになって、もう通学はしていない。今は帰国手続き中だ。
輝夜は公爵家の伝手で南国から仮死状態になる薬を手に入れようとしていた。それが早めの帰国で手に入るかどうか怪しくなった。カタリーナとも連絡が取りにくくなって焦るばかりだ。
暇になった輝夜は雅に誘われて視察にお供していた。魔術学園以外の学舎、淑女養成校である女学院や騎士養成校を訪問したり、他国の大使館内の見学などだ。
帰宅後は視察のまとめでレポート提出があり、出来次第では輝夜の後継問題に関わってくる。
久遠公は娘の無作法を大目に見るつもりはなく、御影家に正式な謝罪と共に今後の方針についてお話し合い中だという。輝夜の当主権限を翡翠に任せて輝夜は社交には出さないか、それとも親戚内から新たに当主候補を選ぶべきかと悩んでいるらしい。
輝夜にしてみれば翡翠に次いで父までも厳しい態度でショックだったが、呆然としている暇はなかった。
雅は学園では琴音と行動を共にしているので、皇家は中立だと示すために輝夜を視察に付き合わせていた。一応、幼馴染の情から輝夜が反省して態度を改めれば久遠公へ取りなす気はあるようで、視察に真面目に付き合うようにと忠告されている。レポート提出を提案したのは雅で、皇帝に認められれば久遠公を説得しやすくなるだろうという配慮だ。
その代わりにこれまでの琴音への態度も注意されて、改めるように言われている。輝夜にしてみれば、幼馴染で親しくしていただけなのにと不満と不遜でいっぱいだった。
「ああ、もう何もかも上手くいかない。あれぐらいのことで・・・」
輝夜が愚痴をこぼしたら、ノックがして翡翠が現れた。
「輝夜、少し休憩しないか」
「まあ、翡翠様。お戻りになられたのね」
輝夜は彼の帰宅に気づかなかったので、バツが悪そうに出迎えた。翡翠は帰国準備に伴う諸々の手続きや久遠公と連絡を取り合って話し合いなどを輝夜の代わりに行なってくれて多忙だった。
輝夜が侍女にお茶の用意をさせると、翡翠は人払いして輝夜の正面で両手を組んだ。
「輝夜、アランコ嬢と連絡を取ろうとしているそうだが、彼女との接触はやめたほうがいい。
彼女の話を鵜呑みにするなと伊織に言われた通りだった。アランコ嬢は自分に都合のよいように話を曲解していたのだ」
「翡翠様、どういうことなの?」
翡翠は難しい顔で事情説明だ。翡翠はカタリーナの話の再調査も行なっていたのだ。
カタリーナからクリスタは伊織の番の立場を笠にきて横暴な真似をしていると聞いていた。
輝夜の転入の少し前にエスコラ男爵家が潰されて、クレモラ家の次男が学園から転校を余儀なくされた件だ。クリスタが彼らを疎んで関わりを拒んだからという話だったが、真相は異なっていた。
「エスコラ男爵令嬢は伊織の番詐称をしたそうだ。我らの法では死罪だが、人族には番に関する法はない。男爵家は自主的に責任をとって爵位返還で身分を平民に落としたそうだ」
「まああ、なんてこと! 伊織の番を名乗るなんて図々しいわ」
「我らの常識ではそうだが、番に詳しくない人族ではそんなに重罪だとは思わなかったのだろう。
そして、クレモラ家の次男は伊織の番に暴力をふるったそうだ。怪我をさせるつもりはなかったらしいが、突然腕を掴んで引き倒したという。兄のとりなしを頼んだのに断られたから引き止めようとしただけというが、そもそも人前で婚約破棄宣言を行なった相手への配慮を被害者に頼むとか。常識知らずとしか思えない。
クレモラ家の対応は当然だろう。むしろ、騎士養成校に放り込んだくらいでは甘い対応だな。次男に騎士の道を残しているのだから。
まあ、女性に怪我を負わせて謝りもしなかった男が騎士になれるかどうか、難しいとは思うが」
「・・・怪我をさせたのに謝らなかった?」
「ああ、学園内の出来事で多数の目撃者がいたそうだ。我らはすっかり公爵令嬢に謀られたな」
「そんな・・・」
翡翠は輝夜に同情の視線を向けた。
「君は彼女と親しくして友人と思っていたから、受け入れ難いだろうが事実だ。辛いとは思うが、我らはいいように使われたとしか思えない。公爵令嬢は伊織の番の友人と不仲だったそうだ。我らは諍いに巻き込まれた形だが、情報収集の甘さは否定できない」
輝夜は青い顔をして片手で口を覆った。翡翠にはショックを受けているように見えているが、彼女の内心では腑が煮えくりかえって怒りを抑えるので精一杯だ。
伊織の番詐称だなんて、平民落ちぐらいでは手ぬるい。もし、知っていたら相手を徹底的に破滅させてやったのに。
暴力をふるった次男の話だって、知っていたらもっと他にやりようがあった。
カタリーナだってクリスタを貶めるつもりだったなら、教えてくれれば最初から手を組んで上手くやれたのに。本当に使えない駒だと腹立たしかった。
輝夜は全然反省なんかしていなかった。クリスタを貶めるなら、もっと上手くやれたはずと後悔するばかりだ。
とりあえず、輝夜は弱々しげに首を横に振った。
「翡翠様。カタリーナ様のお話が正確ではなかったのは残念だけれど、彼女によくしてもらったのは事実だわ。着物ドレスのお披露目は成功して取引は増えたもの。留学中にお世話になりましたし、お礼はしたいわ。帰国前に彼女とお会いするのはダメでしょうか?」
「・・・確かに、帰国前に一度は会っておいたほうがいいな」
「ええ、カタリーナ様のお話を鵜呑みにすることはもうしませんから、彼女と連絡をとらせてくださいまし。彼女は幼馴染以外で初めてできたお友達だったのよ? このまま、お別れなんて寂しいわ」
輝夜が伏目がちにしょんぼりとなると、翡翠が絆されてカタリーナと会うのを許可してくれた。
輝夜はカタリーナが婚約解消となったと雅から知らされていたから、慰める名目で手紙を送れば大丈夫と思っていた。薬の催促をしてなんとしても帰国前に手に入れるのだ。
クリスタが帰宅すると祖父母が来ていると知らされた。大急ぎで着替えてサロンに向かうと久しぶりに会う祖父が両手を広げて迎えてくれる。
「おお、クリスタ! 久しぶりだな、元気だったか?」
「おじい様!」
クリスタは子供のように祖父に飛びついた。祖父は学者だが、遺跡発掘作業に従事しているので身体は鍛えられている。大柄でよく日焼けしたがっしりとした体格だ。難なく孫娘を抱きとめてくれる。
「おじいさま、ごめんなさい。せっかくの発掘中に呼び戻してしまって」
「なあに、今回で引退するつもりだったからな。予定が少し早まっただけだ。気にするな」
祖父は孫娘の頭を撫でて慰めた。祖父は年齢的に力仕事である発掘作業に関わるのは今回で最後と決めていたのだ。
「おじい様、おばあ様も一緒に来られたと聞いたわ。領地に寄ってきたの?」
「ああ、土砂崩れで迂回路を通ったからな。ちょうど、王都へ向かうルート上に領地があったのだ。アンネたちから話を聞いたが、今後の話し合いにはアンネの知識があったほうが方針を決めやすい」
アンネは祖母の名前だ。元の名と似ていて馴染みやすかろうと養子先の老夫婦が名付けてくれた。
クリスタは心配そうに眉を下げた。
「おばあ様の体調は大丈夫なの? ご負担になっていなければよいのだけど」
「案ずるな。無理のないような旅程にしたからな。今は休息しているが、夕食の席は一緒だ。オリヴェルも久しぶりに顔を合わせられる。楽しみだ」
オリヴェルは研修期間後はタウンハウスからの通勤になっている。たまに帰りが遅くなる時は事前に連絡が来るが、執事からは何も聞いていないから今日はそんなに遅くならないだろう。
「そうそう、ヨハンネスの孫には制裁しておいた。お前を傷つけた責任はきっちりはっきりしっかりとらせたから、もう何も憂いはないぞ」
ヨハンネスはクレモラ家の先代で、祖父の友人だ。マルコに制裁済みと聞いて仕事の早さにクリスタが目を丸くする。
祖父はすでにマルコに一発入れて、クレモラ家で怒涛の抗議声明をあげてきた。
マルコはヨハンネスの友人の地方領主の元へ修行にだされるそうだ。
一兵士として下っ端からの扱いだ。今後の働き次第では王都に戻って騎士団の途中編入試験に挑戦できる、・・・かもしれない。それは弟のサウルも同じで騎士養成校に通ってはいるが、最初の任地は地方都市からになるとか。
クレモラ家の後継問題は彼らの今後の努力次第だと、祖父はニヤリと人の悪そうな笑みだ。
「マルコは反省しているようだったが、弟のやらかしがあったからな。あやつら兄弟揃って我が家を見下しおってからに。お灸はきちんと据えさせてもらったわ」
「申し訳ありません、おじい様。わたくしが毅然と対応しなかったから」
「いいや、クリスタのせいではない。弟なんぞ、愛人志願者を連れてきたのだろう? 未成年でもタチが悪すぎるわ」
クリスタがいるのにヘルミはイオリの番発言をしていたから、確かに愛人志願者と思われても仕方がなかった。死罪でないだけマシだろう、という祖父の言葉には頷くしかない。
「それでだな、クリスタ。お前は番の若造をどう思っているのだ? 好意はあるようだとアンネから聞いたが」
「えーと、お友達くらいには思っています。その、誠実な方でわたくしを思いやってくれますし。
どうせ、番からは逃れようがないのですから、少しずつ打ち解けて良好な関係を築けたらな、と思います。その上で、わたくしの都合が良い方向に誘導できたら、と」
「そうか。オリヴェルからの連絡ではお邪魔虫作戦は控えめにするそうだな」
あれで控えめだったのか〜、とクリスタは遠くを見る目になった。
オリヴェルはどこから学園内の情報を得ているのか、カグヤとのやり取りも全て承知している。なぜか、イオリにハグされたのも知っていて、あの日は帰宅次第お説教された。
(兄よ、まさか第一王子から影の存在、王家の諜報員でも借りてるの⁉︎)
さすがにクリスタも戦慄を覚えたが、情報源はまさかのイオリだった。
イオリは留学中の報告を毎日王宮にあげていて何か問題があれば速やかに対処してもらうそうだ。道理でヘルミやサウルの処遇が素早く決まったものである。
オリヴェルはイオリと毎日顔を合わせていて、先日はやけにイオリが浮かれていたからクリスタとの仲を揶揄ったら『ようやくハグできた』とうっかり溢したらしい。オリヴェルは妹に接近禁止令をだして、イオリをシメたとか。
そして、妹には懇々と諭すようなお説教だ。
『いくら、仔犬のような雰囲気で性的なものは含まれていなくても、男はみんな狼なのだから気を許しすぎだ、仔犬風情に騙されてはいけない』と言っていた。そう言う兄だってイオリのしょぼくれた視線を正視できていないのだから、仔犬風情に十分に絆されていると思うのだが。
とりあえず、ナデナデまでは可となった。ただし、オリヴェル付きの交流で絶対に二人きりで会うのはダメだ。
ナデナデは兄がまたぐしゃぐしゃわしゃわしゃとして、イオリとじゃれあっていた。
ちょっとだけ、兄はずるいなあと思ったが、クリスタはランチタイムの個室でナデナデをねだられるので、おあいこかもしれない。
クリスタがむうと唇を尖らせていると祖父に頭を撫でられた。
「クリスタがイヤでないなら、婚約しても構わん。ただ、懸念事項に対してわしに妙案があるが、オリヴェルの意見も聞きたいのでな。夕食後に話そう」
祖父の朗らかな笑みにクリスタは肩の荷が降りた気分だ。クリスタはほっとして頷いた。
「え、イオリを巻き込むのですか?」
珍しく、オリヴェルが目を丸くして表情を崩している。
夕食の席ではお互いの近況報告で和やかな雰囲気だった。食後のお茶をサロンでいただこうとなって、人払いして作戦会議だ。祖父はイオリに祖母の事情を打ち明けて巻き込むべきだと主張した。
祖母は硬い顔をして、視線を伏せた。
「確かにおじい様の言うとおり、竜人族側に協力者がいたほうがこちらの意を通しやすいわ。公子以上の適任者はいないでしょう。でも、わたくしは不安だわ。
もし、わたくしの血縁だと気付かれたら、公子様では古老たちを抑えるのは難しいのではなくて?」
「だが、久遠家の跡継ぎがやらかしたおかげで今後の久遠家は御影家には頭があがらんだろう。つけ込む隙は十分にあると思うぞ」
祖母の元家族は久遠家の縁者だ。もし、騒ぐようなことがあれば久遠家本家に抑えさせればよい、と祖父が提案する。オリヴェルがなるほどと呟いた。
「本家の意向に逆らえないでしょうからね。大胆な案だと思いましたが、納得ですね。私は賛成します」
「・・・クリスはどう思うの?」
祖母に心配そうに尋ねられて、クリスタはしばし考えこんだ。
彼女の脳裏には番騒動のあれこれが思い浮かんだ。
いきなり抱きすくめられて、マジで死ぬかと思った。幸いにも竜人族の血を引くクリスタも兄も普通の人よりも少々頑丈だ。でなければ、背骨折りは本当に骨折しかねかったほどの勢いだった。
イオリはクリスタが拒絶すると、自害騒動を起こしたりと人騒がせな御仁だが、人柄は誠実で生真面目だ。クリスタの言動に一喜一憂する様は仔犬感満載でまあ可愛いかなと絆され気味である。
イオリはクリスタに無様な姿を晒していると苦笑していたが、素の姿をさらけだしてくれていると思うと、ほんわかとした気持ちになる。ヘタレであっても、軽侮したり見下す気にはなれない。きっと、何があっても嫌うことはできそうにないなと感じている。
「イオリ様ならば信じられると思います。打ち明けても大丈夫じゃないかな、と。彼はわたくしの不利になることはしないでしょうから」
「・・・そう、クリスは公子様と信頼関係を築けているのね。それなら、わたくしが反対する理由はないわね」
祖母は少し寂しそうに微笑んだ。祖父がそんな妻の肩に手を置く。
「まあ、少し様子を見てみよう。やらかした跡継ぎはもうすぐ帰国なのだろう? その後始末が片付いてからにしたほうがいい」
「そうですね、公家の付き合いがどうなるか、私の方でも探りを入れてみますよ」
オリヴェルの言葉に祖父母が頷いた。クリスタも祖母の様子が気にはなるが、祖父の案には乗り気だ。今度の休日にはイオリと祖父の顔合わせの予定を組むことになった。
「アンネ、お茶でも淹れるか? あまり顔色がよくないぞ」
心配げな夫にアンネはふふっと微笑んだ。発掘作業中は従者がおらず、自分のことは自分でしているので、夫はお茶を淹れるのは上手だ。
「そうねえ、少し疲れたかしら? お茶を淹れてくださるなら、貴方が秘蔵するブランデー入りにして欲しいわ」
「ブ、ブランデー入り? いやあ、それは・・・」
「貴方のことだから、持参していらっしゃるでしょう? ほんの数滴でいいのよ」
「うっ、お見通しか」
仕方ないと夫は肩を落としてお茶の用意をしに行った。秘蔵酒を大事にちびちびといただくつもりだったのがバレバレで気まずげだ。
夫を見送ったアンネ--天音はそっと左腕に嵌めたバングルに触れた。夫のサムエルが竜人族の国でわざわざ手に入れてくれたアミュレットだ。
瀕死状態から回復しても天音の情緒は不安定で体調も引きずられがちだった。天音のためにサムエルは人族の治療よりも竜人族の治療のほうが効果があるだろうと、治癒効果のあるアミュレットを贈ってくれた。アミュレットを身につけると身体が温かくなり、いつでもふわふわと何かに包まれるような感覚がする。そのおかげで天音の体調はみるみるよくなった。精神的にも安定して、世話をしてくれた老夫婦が涙ながらに喜んだ。
天音がサムエルの求婚を受け入れたのは同じ境遇で共感を得ただけではない。命を救った義務感もあるのだろうが、何かと気にかけてくれる彼の優しさに絆されたせいでもあった。それでも、サムエルに抱くのは恋情ではない。家族愛はあるが、愛おしく恋しく想う相手ではなかった。
天音は袖をめくってバングルを見つめた。
大きめの石が嵌っている幅広のバングルだ。この石は治癒効果のある魔法石らしいが、天音の知識にはないものだ。久遠公の郷以外で開発されたものかもしれない。
「ふふっ、皮肉なものだわ。あの方を思わせるこの石がわたくしを救ってくれたなんて」
若草色の石を見つめる天音の瞳は切なげだった。
竜化に悩む天音のために養父は竜形を見せてくれたことがあった。この魔法石と同じ若草色の体に夕焼け色の瞳で、綺麗で優雅な姿だった。
あんなふうになりたいと願ったのに、天音は一度も竜化できなかった。怪我の回復後もだ。
サムエルは心の傷が塞がっていないからだと言った。無理はしないほうがいいと気遣ってくれたが、もう二度と故国に戻れないとわかっていたから、竜化できなくても構わなかった。
それでも、この石を見るたびに養父の、番の姿を思い出すのだ。
とても愛おしくて恋しくて、そして・・・憎い。なぜ、逝ってしまったのだ、置いていくなんてひどいと詰りたくなる。
サムエルはそれを肯定してくれた。同じように思う時がある、と。でも、心からは憎めない、絶対に嫌いにはなれないんだよね、といつも苦笑いする。それに天音も黙って頷くのだ。
どうか、孫娘にはこんな想いをしてほしくない、と天音は願った。自分たちのように引き裂かれることはなく、添い遂げて欲しい、と。
そっと若草色の石に触れると、温かさが増して慰められたような気がした。
おじい様登場!
竜人族の言葉に精通しているのでおじい様のセリフで竜人族の名前は漢字表記です。




