17 「もう、君にはうんざりだ」
翌日、学園では公爵家のお茶会の話題で賑わっていた。
そんな中、コトネがお休みでミヤビの元気がなかった。コトネの病状がよくないのかと心配になれば、後でと小声で囁かれた。お茶会の詳しい話を聞こうと楽しみにしていたエリサとマリカが怪訝な顔になるが、何かあったのかと察して待つことにした。
他者の耳に入らないランチタイムの個室でようやくミヤビが状況説明だ。
コトネの体調不良は公爵家のお茶会で食物アレルギーになったせいだった。
もちろん、幼馴染のカグヤが知らないわけがない。コトネには原因の食品を使った茶菓子はださないようにと公爵家に申し出ていた。
それが「特別に気をつけるように」と出された指示を『特別(製なものだから歓待)に気をつけねばならない』とメイドが誤解していた。
竜人族のお客様にお出しする『特別製なもの』だと思い込まれてコトネに提供されてしまったのだ。
「まあ、信じられないミスだわ」
「コトネ様のお加減はいかがですの?」
エリサとマリカが心配そうにミヤビに問いかけた。イオリが妹に付き添っていて、ミヤビにはオサフネ姉妹が護衛についている。
コトネの症状は全身に赤黒い斑点がでて強い痒みに襲われるらしい。薬で痒みは治るが、斑点が消えるのには一週間ほどかかるという。
「お薬で症状は落ちついているわ。ただ、斑点が顔にまででているから、完治するまでは人目につきたくないのよ」
「それではお見舞いも負担になりそうですね。お花だけ贈ったほうがいいかしら?」
クリスタが思案げに頬に手をあてた。
公爵家のおもてなしなのに、エリサの言う通りに信じがたい失態だ。コトネたちはあまり騒ぎにしたくなかったから、周囲に気づかれないように早めに辞去したという。公爵家に貸しを作った形である。
「ええ、お気持ちだけで。琴音は元気だから心配なさらないで。
ただ、顔を見られたくないから、侍女たちも遠ざけてしまっている状況なの。伊織様が代わりに面倒を見ているのよ」
「まあ、いくらお兄様でもコトネ様のお世話なんてできますの?」
エリサの問いにミヤビが頷く。
「伊織様は留学の間は使用人をおつけにならなかったから。自分のことはご自分でなさっていたそうよ。
だから、病人の世話くらいできると仰っていたけど、本当は琴音を慰めるためでしょうね。琴音は斑点が消えなかったらどうしようって不安になっているのよ」
「斑点が残ることはあるのですか?」
「あまりに大きな斑点ができると消えづらいようだわ。痕が残るとは聞いたことがないけど、今回は強く反応がでたようで不安になっているみたい」
「まあ、なんてお気の毒な・・・」
「公爵家はなんと?」
「真摯な謝罪があったし、お抱え医師の派遣もあったわ。もし不安なら、アレルギー専門の医師を手配するとも言われたし。
公爵家でも予想外の事態なのでしょうね。勘違いしたメイドは公爵夫人の遠縁だそうよ」
あら、とクリスタは首を傾げた。
「そのメイドには転んだ拍子にワインをかけられてしまったのよ。着替えを提供されて衣装の汚れは綺麗にしてもらえたのだけど」
「まあ、大変だったのね」
「ええ、知人と一緒に被害に遭って、汚れを落とすまで公爵夫人がお茶に誘ってくださったの。庭園の花壇がよく見えるテラス席でゆっくりと鑑賞できたからそう不運でもなかったけど」
クリスタが説明すると、マリカが何かを思いだした顔になった。
「そうだったの・・・。ねえ、テラス席に他の人影はなかった?
実はね、パーティー会場から離れたテラスで密会している男女がいたと噂になっているのよ。抱き合っていて顔は見えなかったらしいわ。クリスタは誰かとすれ違ったりはしなかった?」
「まあ、そんな噂があるの? わたくしと知人は公爵夫人とご一緒していたけど、他の方は見かけなかったわ」
「それじゃあ、別のテラスだったのかもしれないわね」
「ええ、公爵家は広いもの。庭から踏み込んでしまったカップルがいたのかもしれないわね」
クリスタは噂が自分のことだとは思わなかった。アーロンとは適切な距離をとっていたし、何も疾しいことはない。
まさか、この噂がさらに大袈裟になって、後日に騒動のもとになるとは完全に想定外だった。
「貴女、どういうつもりよ! 伊織の番のくせに、他の殿方と逢引きするなんて恥知らずだわ!」
「はあっ?」
クリスタは驚きで目を瞬かせた。友人たちもいきなりの罵声に固まっている。
大勢の生徒で賑わう昼時の食堂が一気にしんと静まり返った。
幸いにもコトネは翌週には完治して久しぶりに顔を合わせた。すっかり元気になっていて、今日は快気祝いでカタリーナからランチにお招きされた。公爵家の不手際のお詫びらしい。
これまでカタリーナはミヤビたちのように個室を確保していたが、カグヤが留学してからは食堂を利用していた。カグヤが周囲に馴染むために一般生徒とやりとりするためだ。
カグヤは天真爛漫な振る舞いと気取りのない笑顔で周囲からは気さくで馴染みやすいと好印象だ。イーリスが思った通り、聖女アニタを彷彿とさせて特に男子生徒からの人気が高い。尤も、ヒスイの鉄壁な守護でお近づきになれてはいないようだが。
食堂はオシャレなカフェのような内装で、テラス席もパラソル付きで用意されていて、日焼けが気になる淑女も利用可能だ。
せっかくだからとテラス席がリザーブされた。そのテラス席にたどり着く前に合流したカグヤが目をつり上げてクリスタを睨んできたのだ。
「輝夜、口を慎め。何を根拠にそのような暴言を吐く? 事と次第によっては久遠家嫡子でも容赦はしないぞ」
特大級のブリザードを発生させたのはイオリだ。普段は護衛らしく妹たちの背後に備えているのに、今はクリスタを庇うように最前列にでている。
いつの間に? とクリスタは目を見張った。背後な分冷気はマシなのだが、彼の前ではとばっちりで氷の彫像がいくつもできていそうだ。
「伊織、今学園内で囁かれている噂を知らないのか? この前の公爵家のお茶会で恥知らずにも密会している男女がいたという噂だ。
どうやら、公爵令嬢の知人のようでな、それを聞いて輝夜はお前を案じていたのだぞ?」
ヒスイもまたカグヤを守るように前にでてきて、イオリと全面対決の構えだ。カグヤは彼の背後で悲しみに憂える顔をしている。
「テラス席は開放されていなかったのに、とカタリーナ様が不審に思われて家内で聞き込み調査を行ったのですって。それで、貴方の番が元婚約者とお茶会をしていた証言があったそうなの。
テラス席では男女が抱き合っている場面があったそうよ。それを聞いて、わたくし、貴方がお気の毒で・・・」
「ええ、わたくしも驚いたわ。我が家のメイドの粗相で衣装を汚してしまったお客様がいたと聞いてはいたけど、まさかお詫びの席でそんな破廉恥な・・・」
カタリーナが嫌悪で顔を歪めるのを扇子で覆い隠す。彼女の参戦で一気に非難の視線がクリスタに集中する。
「ああ、あの噂、本当だったんだ」
「僕もこの前聞いたよ」
「ええー、まさかと思っていたけど・・・」
名指しされてはいないが、この流れだとクリスタのことで完全に悪女認定されている。呆けている場合ではなかった。沈黙は肯定とみなされる。
気を取り直したクリスタが反論するよりも先に口を開いたのはイオリだ。彼は思いきり怪訝そうな声をあげた。
「彼女は元婚約者とは完全に縁がない。何かの間違いだろう。
元婚約者は騎士団の寮生活で休日返上でしご・・・、いや、非常に懇切丁寧に指導されているそうだ。だっそ・・・、ゴホン、外出は厳しい状況でお茶会に出向く余裕はないぞ」
ところどころツッコミどころがあるし、なぜにマルコの現況に詳しいのかと、クリスタは首を捻ったが、こうして庇われているのはなんだか面映い。家族以外で悪意から守ってくれる存在は初めてだ。
強張っていた身体から力が抜けるのと同時にそっと背を撫でられた。マリカとエリサが心配そうに寄り添ってくれている。その背後ではミヤビとコトネが鋭い眼差しをカグヤたちに向けながらも、後ろ手で合図をする。オサフネ姉妹と無言のやりとりで、フブキがそっとその場を離れた。
「一人目の元婚約者ではないわ、二人目の方よ。その人には伊織の番でなければ婚約するはずだった方がいたのよ」
「ええ、婚約者のルーカスから聞きましたわ。フルスティ様はクレモラ様の次に婚約する文官の方と文通していたのでしょう? なんでも、婚約解消前からで長いなが〜いお付き合いだったとか」
ざわりと周囲が騒ぎだす。
まるで、前々から不貞行為を行なっていたかの言い方だ。カグヤの言葉の『一人目、二人目』というのも男好きな印象を与えて侮蔑と不躾な視線が注がれる。
カタリーナが悠然と周囲を見渡し、勝利を確信したかのように微かに口角をあげた。扇子で隠しながらも嘲っているのが感じられる。
クリスタは苦々しい思いでいっぱいだったが、顔にだすわけにはいかない。なんとか、淑女の笑みをキープして反論しようとしたら、過去最高記録に不機嫌なイオリの声がした。
「卑劣な言いがかりはやめてもらおうか。文通していたのは兄のオリヴェル殿だ。
クレモラ家との縁がなくなる可能性が高いから、オリヴェル殿は妹を心配して文通相手に次の婚約を打診したと言っていたぞ。
クリスタ嬢の元婚約者が婚約破棄宣言をしたのは有名な話だ。
カグヤたちは知らないだろうが、この学園内で起こった事件で、学生で知らない者はいない。カグヤの言うことは全くのデタラメで事実無根だ。
クリスタ嬢への非礼を詫びることを要求する」
イオリは突き刺すような鋭い目で同族を睨みつけた。ヒスイは不審そうに顔をしかめて、その背後に庇われながらもカグヤはびくりと身を震わせる。
クリスタはそっと息を吐いた。
オリヴェルとアーロンの文通は本当のことで、実はそこにクリスタも混じっていた。次のお相手と良好な関係を築くためで、内容はお互いの趣味や好き嫌いな物などについてだ。当たり障りのない事柄で不貞行為と咎められるようなものではない。それでも、曲解する者がいるので黙っておくことにする。
「ええ、イオリ様の言う通りですわ。
特に事件のことはアランコ様がとてもよおくご存じでしょう?
ねえ、アランコ様。聖女アニタ様とのお話し合いには貴女も同席しましたもの。
一番詳しいアランコ様から何も知らない留学生や新入生の方に説明していただかないと困りますわ。おかしな噂を流布されては公爵家とて問題になりましょう?
もともとは公爵家のメイドの粗相が原因ですのに」
「そういえば、聖女様に嫌がらせしたって誤解して婚約破棄宣言したんだよなあ?」
「嫌がらせの首謀者には黒幕がいたって・・・」
「確か、何人かの女子生徒が謹慎処分を受けてたよな」
「・・・公爵令嬢も、よ?」
口々に思い出した人々は今度はカタリーナに非難の視線を向けた。反省したとみなされて、暗黙の了解になっているが、聖女アニタへの嫌がらせの黒幕はカタリーナだと知られているのだ。
「それに、粗相のお詫びにと公爵夫人にお誘いされたお茶の席でしたのよ? 密会にはなりませんし、公爵夫人の目の前で抱き合うわけないでしょう。
公爵家に正式に問い合わせすればすぐにわかることです。我が家は当主が領地におりますので、当主代理として第一王子の側近である兄が出向くことになりますけれど、ご都合はよろしいでしょうか?」
クリスタがダメ押しとばかりににこりと淑女の笑みを浮かべると、ざわめきが大きくなる。
「第一王子の側近って!」
「えー、あのフルスティ先輩だろ?」
「ああ、はらぐ・・・、いやいや、深謀遠慮の貴公子だよな」
「絶対、敵に回してはいけないお方だ」
「・・・ちょっと所用を思いだした」
「あっ、忘れ物があったはず」
「ほほほ、ごめん遊ばせ。急用で少々席を外しますわ」
「わたくしもですわ」
「お、おれ、御不浄に」
「あ、ずりぃ。おれも」
ガタガタと席を立つ第三者が続出中である。皆、一気に顔色を悪くして関わり合いを避けようとしている。
なんだか、兄の聞きなれない二つ名があった気がするのだが、気のせいだろーか?
クリスタが遠くを見る目になっていると、ルーカスが息急き切って現れた。その後にはフブキが従っている。ルーカスを呼んできたようだ。
「カタリーナ! 何をしているんだ」
「ルーカスには関係ないわ。黙っていてよ」
「関係なくないだろう? 君の婚約者なんだし、密会の噂を流されているのは僕の従兄で迷惑をかけられているんだから。
公爵夫妻がお留守の間に騒ぎを起こすなんてどういうつもりだ。公爵夫人のお加減が悪くて領地で静養しているのに」
カタリーナは目に見えて狼狽していた。
どうやら、両親が留守だから行動を起こしたようだ。公爵夫人の証言が得られなければクリスタの言い分は認められないと思っていたのだろう。
ルーカスは大きなため息をついて肩を落とした。
アーロンは彼の母方の従兄で子供の頃はよく遊んでもらった。彼も祖父と一緒にフルスティ領の遺跡見物に出かけてはフルスティ兄妹とも交流していた。従兄に幼馴染と親しい者たちがカタリーナに不当に貶められたとなっては憤りしかない。
「もう、君にはうんざりだ。
第二王子殿下のことは一時の気の迷いだと。十分反省していると言っていたのに、形だけだったのだな。
本当は反省なんかしていないから、こんな真似ができるんだろう」
「な、何よ、どういうこと?」
「わからないのか?
君は殿下の誤解をいいことに、彼らの婚約者を隠れ蓑にしてやりたい放題だった。君のせいで冤罪をかけられた相手に対して、悪意ある噂を流すなんて全然反省していない証拠じゃないか。
ああ、何も驚くことはないさ。入学前の出来事でもものすごく有名であちらこちらで噂されている。わざわざ情報収集をしなくても、僕の耳にも入ってくるくらい、ね」
ルーカスは肩をすくめて目だけは笑んでいない微笑みを浮かべた。
「今日のこともこれだけの人の目があるんだ。噂になるのは必然だろう。両親の耳にだって入る。ああ、もちろん領地に出かけている君のご両親、公爵夫妻もね。
・・・そういえば、君の誕生日が近かったな。君が今一番望んでいるものを贈るよ、楽しみにしていてくれ」
カタリーナは言葉通りには受け取れなかった。ルーカスの視線はこれまで見た中でも最高の冷ややかさだ。
「い、一体、何をする、つもりよ・・・」
カタリーナは青い顔をして口ごもった。
彼女はアニタへの嫌がらせの件でイーリスたちが誤解されていい気味だと思っていた。それがカタリーナのせいだとバレて両親から失望されて肩身の狭い思いをした。カグヤのお披露目を成功させて挽回するはずだったのに、密会の男女の噂のせいで華々しい成功にケチがつけられた。
噂の男女を見つけて制裁してやろうとしたら、イーリスの取り巻き(と思い込んでいる)のクリスタだった。つまづいたクリスタをアーロンが抱きとめただけとわかっている。無責任な噂なんて放置しておいても問題なかった。不快ならば公爵家の力で消せばよかったが、噂の片方がクリスタとわかって苦い思いになった。
カタリーナはアルトを諦めなければいけないのに、婚約破棄された傷物のクリスタが公子の番で幸せになるなんて不公平だ。
イーリスへのやっかみも込めて鬱憤ばらししてやろうとしただけだったのに、こんなことになるとは・・・。
まずは前半、後半は次回です。長くなったので二つに分けました。




