第7話 代価
その日。
リタの実母であるアニエス=ストーンは迷宮型のダンジョン内にいた。
グラフ王国の王都近くにある地下ダンジョンだ。
全身を覆う白い甲冑に、手には細剣を握りしめている。
『………』
無言で細剣を水平に構える。
アニエスは、いま怪物と対峙していた。
『GYAAAA……』
怪物は唸る。
それはアニエスも見たこともない人型の怪物だった。
赤い四ツ目に裂けた口元。額には一本角を持ち、人よりも関節の一つ多い長い両腕にひしゃげた両脚。硬質な黒い外骨格を纏う姿はまるで昆虫のようだった。
そして異質なのは周囲の景色もだった。
ここは通路の一つなのだが、壁や天井すべてが紫色に染まって発光しているのだ。
――シュバッ!
その時、壁から紫色の蔓が襲い掛かって来た!
アイエスは細剣を振るって切断する。
そして大きく踏み込んで、
――タンッ!
怪物の喉を細剣で貫いた!
そのまま刃に振り上げて頭部を両断する。
怪物は両膝をついて、黒い塵になって消えた。
同時にボロボロと紫色の世界も崩れていく。
数秒後には通常の世界に戻っていた。
(……何なのこいつは?)
仮面の下でアニエスは眉をひそめる。
それなりに冒険者として経験を積んでいるアニエスが初めて見る怪物。
恐らく魔石を喰らう魔物とは違う。
全く別種の怪物だ。
それが続けて三体。このダンジョンに入って遭遇した。
(まるでトラップのように配置されているなんて……)
細剣を鞘に納めて唇を噛む。
現在、このダンジョンにはリタたちもいる。
運よくこれまで遭遇はしていないが、不意打ちを受ければ危険な相手だ。
アニエスは自分の左腕を見やる。
最初の一体。困惑したところをあの蔓で左腕を捕らえられた。
すぐさま切断したが、まるで魔力を消費するような感覚を抱いた。
あの怪物は魔力を吸収する特性を持っているのかもしれない。
(あんな未知の怪物をあの男は用意したというの……?)
かつて一度だけ遭遇した男。
リタたちの命を狙った冒険者のような服装をした男だ。
しかし、とても真っ当な冒険者には見えなかった。
あの男が今回も暗躍しているのだろうか……。
(いずれにせよ)
アニエスは歩き出す。
(この怪物は危険だわ。まだいるのなら可能な限り潰さないと)
そう判断した、その時だった。
「……やれやれじゃな」
不意に背後から声がした。
アニエスは息を呑んで跳躍した。
空中で反転、ズザザと着地しつつ背後を確認する。
そこいたのは、この場には似つかわしくない少女だった。
年の頃は十二歳ほどか。
身に纏うのは黒いフレアスカートのドレス。金色の瞳と純白の長い髪を持ち、少し寒気を覚えるほどに美しい少女だった。
そして何より目につくのは頭部に掲げる王冠のような黄金の二本角。
アニエスも数度しか出会ったことのない種族の特徴だった。
(……竜人族)
六種の人類の中でも最強と呼ばれる種族だった。
(冒険者なの? いえ違うわね)
無造作に近づいてくる目の前の少女は冒険者と呼ぶにはあまりに幼い。
それに軽装すぎる。手荷物はおろか、武器らしきモノさえ携帯していない。
「……まったく」
少女は足を止めると、腰に片手を当てて嘆息した。
「よもやと考え、妾自らが出向いてみれば案の定であったか。西方船団で確保していた虚塵鬼が数体いなくなったとは聞いておったが、このような真似をしていようとは」
少女は独白する。
「リタ=ブルックスは妾にとっては些末な相手。ジュリエッタ=ホウプスもじゃ。むしろ今はサヤ=ケンナギの方が気がかりだというのに。しかし、だからといって放置しておくのは主さまに面目が立たん」
そこで一拍置いて、
「やはりイリシスの仕業か? いや、そうとも限らんな。船長クラスが疑わしいか。いずれにせよ、忠義も度を過ぎると問題よな」
『…………』
少女の呟きにアニエスが双眸を細める。
自然と細剣の柄に手が添えられる。
この少女が何者かは分からない。
だが、ここで娘の名が挙がった以上、絶対に無関係ではない。
リタたちを狙ったあの男の仲間の可能性がある。
重心を沈めて、いつでも踏み込める構えを取る。
すると、
「ふむ?」
少女が初めてアニエスに気付いたように視線を向けてきた。
「ところでそなたは何者じゃ?」
『…………』
細剣の柄を握りしめたまま、アニエスは何も答えない。
愚かで失敗だらけの人生だったが、それでも冒険者としては個人でB級の実績だ。正体不明の相手に情報を与えるような失態は犯さない。
少女は「ふむ」と腕を組んだ。
「リタ=ブルックス。もしくはジュリエッタ=ホウプスの縁者か? あやつらの護衛をしておるようじゃが……」
『…………』
沈黙を続けるアニエスに、少女は呆れるように嘆息した。
そして、
「威嚇ばかりでなく少しは言葉を発せよ。獣でもあるまいて」
そう告げた。
直後、アニエスは地を蹴った!
流石に少女を斬る気はない。
細剣の鞘を強く握り、柄の先端を少女の腹部に叩きつけようとする。
気絶させて少女を確保するのが目的だった。
しかし、
「蛮勇よな」
少女は冷淡に微笑んだ。
そして、すうっと。
片腕を前に伸ばすと、細剣の柄が彼女に叩きつけられる前に、少女はアニエスの兜を人差し指で触れた。
『―――なッ!?』
アニエスは目を剥いた。
少女は指先で兜に触れただけだ。
だが、それだけでアニエスは大きく仰け反ることになった。
ゴロゴロと後方に転がり、どうにか立ち上がる。
まるで至近距離から眉間を矢で射抜かれたような衝撃だった。
かろうじて細剣は離さずに済んだが、両膝が震えていた。
そして、
「不敬であるぞ」
妖艶な笑みを湛えて、少女は言う。
「まずはその無粋な仮面を外せ」
そう命じた途端、アニエスの兜に大きな亀裂が奔った。
そして一瞬で砕け散った。
短い金の髪が揺れ、アニエスの誰にも見せない覚悟だった素顔が露になった。
しかもそれだけではない。
脚部のみを残して甲冑まで砕け散り、上半身は黒いアンダーウェアだけの姿になった。
あんな細い指先だけで防具が完全に壊されてしまったのである。
そうして露見したアニエスの姿を少女は見やり、
「ほう。女であったか。しかも相当に見目麗しい」
そう呟く。続けて、
「だが、まだ不敬よな。膝をつけ」
そう命じた。
アニエスは両膝をそのタイミングでつくことになった。
「―――な」
未だ細剣を手にしつつも、アニエスは唖然とした。
体が全く動かなかった。
だが、これは何かしらの魔法ではない。
ドラゴンと対峙した時、一般人では全く動けなくなるように。
生物の本能からアニエスの体は硬直してしまったのだ。
ただの一手で、互いの存在の格を思い知ってしまったのである。
「……ふむ」
一方、少女は散策のような足取りで近づいてくる。
それから硬直したアニエスのあごを指先で掴む。
そして、
「そなたの顔。リタ=ブルックスに随分と似ておるな」
そう指摘する。アニエスは唇を強く噛んだ。
声も出せない。
だから、せめて少女を睨み据える。
少女は「ほう」と興味深そうに眉根を寄せた。
「この状況でなお抗うか。その気骨やよし。しかし、そなたの顔はまるで姉妹よな。はて、リタ=ブルックスに姉はおらぬはずなのじゃが」
少女は「ああ。なるほど」と呟き、
「そなた。アリス=ホルターか」
アニエスにとっての最初の名を告げた。
アイエスは目を見張る。
少女は「ふふん」と鼻を鳴らした。
「当たりのようじゃな。よい。そなたに興味が湧いた」
そこで一拍おいて、
「そなたには回収するつもりであった虚塵鬼をほとんど潰されたようじゃ。それはそれで損失なのでな。そなたには代価を払ってもらうか」
「……だい、か?」
どうにか唇を動かすアニエス。少女は「うむ」と頷いた。
「そなたからは様々なことが聞けそうであるからな。知識とは宝よ。妾はそれを誰よりも理解しておる」
少し皮肉気に笑う。
そうして、
「では、代価としてそなたを持ち帰ることにしようか」
双眸を細めて、少女はそう告げるのであった。




