第5話 その男、後に
そうして。
一週間ほどが経過した。
場所は、やや王都の郊外にある古い屋敷。
そこに一人の少年がいた。
黒髪の狼人族の少年だ。かなり危機的な状況にあった彼だが、今は顔色がよい。
服装もそうだ。一新されていた。
襤褸切れのような奴隷服ではない。清潔な白いシャツに黒い胴衣。丈の短い黒いズボンを履いた姿だ。子供用の執事服である。
少年の名前はクロ。
彼はパスタの乗った大皿を両手で抱えて廊下を急いでいた。
ややあってクロは食堂にまで到着した。
食堂の扉は開かれている。
「追加、です」
クロはそう告げて食堂に入った。
「あ! ありがとう! クロちゃん!」
と、感謝を告げられる。
クロの命の恩人であるらしい少女だ。
名前をリタと聞いている。冒険者らしい。
食堂には他にも彼女の仲間がいた。
全員名前は知っている。
テーブルの右側に座るリタ。その隣はジュリエッタ。カリン。
迎い側にはジョセフという少年と、クロと同じく隷属の首輪を着けたライラ。
ただライラは奴隷ではなく偽装らしい。
そしてこの食堂にはもう一人いる。
この屋敷の家主だ。とても不機嫌のように見える。
今は朝食中だった。
クロは追加のパスタの大皿をテーブルの上に置いた。
瞬く間に小皿に分けられていく。
冒険者は食べられる時に食べるのが基本だそうだが、もの凄い勢いだった。
普段はここまで凄くはない。
今日はダンジョンに潜ると言っていたので、その備えのためなのかもしれない。
男性のジョセフや大柄なライラはもちろん、リタやジュリエッタ。一番小柄なカリンさえも凄い量を食べている。
「……この育ち盛りのガキどもが」
家主も食事をしているのだが、呆れるようにそう呻いた。
「つ、追加をすぐに用意します」
クロはおずおずと家主――今の自分の主人にそう告げて厨房に戻ろうとするが、
「ああ~待て待て。クロ」
主人はクロを引き止めた。そうして立ち上がると、クロの傍まで来て、ひょいっと彼の襟首を掴んで持ち上げた。
主人はそのままクロをテーブルの一席に座らせた。
「こいつらに付き合っていたら、お前の分までなくなるだろ」
「い、いえ、ぼくは後で残った物を……」
「うっせ。家主の俺が食えって言ってんだ。おいガキども!」
主人はリタたちを一喝した。
「こんなチビにみっともねえ姿を見せんな! ちゃんとクロの分を分けろ!」
すると、リタたちはコクコクと頷いた。
みるみる内にクロの前に小皿が置かれていった。
「ちゃんと食え。いいな」
言って、主人はコツンとクロの頭を軽く叩いた。
クロは困惑しつつも「はい」と頷いた。
そうして、
「やれやれ、この家もいきなり騒がしくなっちまったな」
クロの新たな主人。
この屋敷の家主であるワンズ=ダワーズは深々と嘆息した。
◆
「それじゃあ行ってくるわ! ワンズおじさん!」
そう言って大きく手を振るリタに、
「ああ~気を付けてな」
と、屋敷の門前でワンズがプラプラと手を振った。
隣にはクロの姿もある。
「クロちゃんも。行ってくるね」
と、カリンがクロに手を振った。
クロは、静かに頷いた。
警戒している訳ではないが、まだぎこちなさがある。
他のメンバーもそれぞれ声を掛けて、リタたちはダンジョンへと向かった。
「ったく。騒々しい奴らだな」
と、ワンズが朝から疲れ切った顔を見せていた。
この一週間。
ワンズとクロの生活は著しく変化していた。
まず死にかけたクロを伴い、リタたちはワンズの家に向かうことになった。
そこで医師を呼び、処置を行った。
獣人族は生命力が高いため、クロは大事に至ることはなかった。
本来ならば、そこでクロは詰め所に連れていかれるはずだったのだが、それはリタたちが渋ったらしい。
かなり言い争った結果、妥協案としてクロはワンズが買い取ることになったのだ。
『くそう。俺の三ヶ月分の給料が一瞬で……』
そんなふうにワンズは呻いたそうだ。
ここまで来ると、リタたちもワンズが口は悪くても善人なのだと理解した。
そして流石に申し訳ないと思ったリタがこう提案したのである。
『ねえ、おじさん。この国にいる間、あたしたちにこの家の部屋を貸してくれない?』
その間のワンズとクロの食費も含めて宿泊料は出すとの提案だ。
これはワンズにとっても有難い申し出だった。
臨時収入としても嬉しいが、正直、買い取ったもののクロの扱いに困っていたのだ。
気ままな男の一人暮らしに中に、いきなり子供を放り込まれたのである。
何をどうすればいいのか全く分からない。
いっそクロを森に逃がすという選択肢もあるが、奴隷の解放は殺害と同等の厳罰が下される。温情で奴隷を逃がして復讐されるというケースがあるからだ。
まだ子供のクロに復讐など出来ないだろうが、この法律に年齢は関係ない。
とにかく、クロに対するスタンスが確立するまでリタたちの滞在は有り難かった。
まあ、流石にここまで毎日が騒々しくなるとは思っていなかったが。
「なあ、クロ」
ワンズはクロに目をやった。
「首や腕は痛くねえか?」
ワンズの本心としては子供にこんなモノを付けたくはないのだが、クロの首には隷属の首輪、両腕には強制人化の手錠が装着されていた。
どちらも本物だった。ライラのような異邦人ならばともかく、この国に住む人間が偽装するにはリスクがあるためだった。
「……大丈夫です」
クロが言う。
「もう慣れていますから。それに手錠の方に負担はほとんどないです」
「……? どういう意味だ?」
ワンズが眉をひそめた。クロは「はい」と言って、
「ぼくたちは元々両腕の人化ができるんです。この手錠はその状態が自分では解けないようにしているだけですから。人の手の方が器用に動かせるから、むしろ集落では人の手のままでいる人の方が多いぐらいなんです」
「そうだったのか……」
ワンズは目を瞬かせた。
「なるほどな。元々の能力をただ解けないようにしていただけだったのか……」
一拍おいて、
「俺はマジで獣人族のことなんて何も知ろうともしてなかったんだな……」
そう呟く。
「……旦那さま?」
クロが顔を上げた。
「どうしましたか?」
「……いや」
ワンズは双眸を細めた。
そして、
「いつか、お前みたいなガキがこの国でも笑えるようになったらなって思ってな」
くしゃりとクロの頭を撫でた。
頭の上の獣耳も一緒にだ。
「え? あ……」
クロが大きく目を見開いた。
そして間を空けず、顔がカアアっと赤くなる。
「だ、旦那さま……」
パクパクと口を開ける。
しかし、ワンズはクロの挙動にも気付かず遠い目をして、
「まあ、こんなのは夢みたいな話なんだろうけどな」
クロの頭から手を離して、そう呟く。
一方、クロはまだ動揺している。
自分の獣耳を両手で抑えて、
「み、耳を撫でられた。ぼく……ゆ、油断したァ……」
真っ赤な顔でそう呟いている。
ここから先は完全な余談だった。
今日より十年後の未来。
この国に一つの行政組織が生まれる。
その名は十二席議会。
奴隷制度と旧き王制を廃し、民衆から選ばれた十二席による合議制の議会だった。
その一席には兎人族の女性を伴侶に迎えた元中級貴族と。
美しい黒髪を持つ狼人族の女性を妻に持つ議長がいた。
後に『獣王の盟友』とも呼ばれるその人物の名は――。
「そんじゃあ、そろそろ俺も出勤の用意をすっか」
ワンズはニカっと笑って、
「……あうゥ。分かりましたァ……」
クロは未だ赤い顔のまま頷いた。
今はまだその名は誰にも知られていない。
――そう。
それは十年後の話なのである。
読者のみなさま!
ブクマや『★』評価で応援していただけると、とても嬉しいです!
執筆の励みになります!
よろしくお願いいたします!m(__)m




