第1話 嵐の夜に
今日は騒がしい夜だった。
それもそのはず。
何故なら今宵は嵐だからだ。
彼が寝床にしているこの島も猛威に覆われている。
洞窟の外では雨風が吹き荒れていた。
しかし、彼は気にしない。
騒がしく少々寝苦しい程度だ。朝には納まっているだろう。
仮に暴風でこの洞窟が崩れようが、何の痛痒もない。
寝床を変えればいいだけの話だ。
『―――くああ』
彼は大きく欠伸をした。
と、その時、気付く。
騒がしいのは雨風だけではない。
精霊たちも騒めいていた。
『…………』
双眸を細めて少し興味を抱く。
世界を織りなす現象には精霊たちが必ず関わっている。
そもそも『精霊』という名称自体、古の神々が去った千年ほど前から呼ばれ始めたモノだ。神代では『事象の天魄』と呼ばれていた。
かつての呼び名の通り、すべての事象の根源たる存在なのである。
従って、今宵の嵐もそうだ。
しかし、騒めいているのは風と水の精霊だけではない。
あらゆる精霊が共鳴するように騒めいていた。
漠然とした意志しか持たない精霊にしては珍しいことだ。
『…………』
彼は顔を上げた。
ズシンズシンッと巨躯を動かして洞窟の外へと出る。
雨風が彼の巨躯を打つが気にも掛けない。
ただ鎌首を上げて遠くを見やる。
ここより遥か遠方だ。
彼の双眸には、そこに集っていく精霊たちの姿が視えた。
『……ふん』
不意に彼は鼻を鳴らした。
『……面白い』
人語でそう呟き、青い両翼を広げた。
飛翔する。
風も置き去りにして天へと昇る。
嵐を突き抜けて、月と星だけが輝く雲上へと到達する。
そのまま彼はさらに加速する。
余波で雲海が揺れた。
目指す地は、精霊たちが集う場所だ。
船でならば数日かかる遠方も、彼ならば瞬きを数回繰り返す程度の距離だった。
文字通り、瞬く間に彼は目的の場所に到着した。
その場にて滞空し、眼下の雷を孕む雲海を見下ろした。
この下に莫大な精霊たちが集まっていた。
だが、余計な雑魚ども集まっているようだ。
精霊の力も感じ取れない魔獣どもだ。
『……邪魔だな』
そう呟き、彼はアギトからブレスを吐き出した。
あらゆる動きを止める氷結のブレスだ。
それは雲海を貫き、大海原へと突き刺さった。
海は瞬時に凍り付き、雑魚たちは意識することもなく氷像となって絶命した。
同時に嵐も吹き飛とんで、これで少しは静かになった。
(さて)
彼は雲海の下へと降りていく。
そして、
『グオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ――ッッ!』
自負を込めて咆哮を上げた。
自身が海を凍らせて作った氷の大地を見やる。
そこには一人の人間がいた。
――いや、正確には二人だ。
人間の雄が人間の雌を抱いて宙に浮いている。
だが、彼の瞳には人間の雄の方しか映っていない。
その人間の周囲には莫大な数の精霊たちが集まっていた。
(ほう……)
彼は双眸を細めた。
そして、ゆっくりと氷の大地に降り立つ。
すると同時に一筋の雷が大地に落ちた。
そこから一頭の獣が現れる。
雷を全身に纏う、四足の白い獣だ。
(雷天魄……雷精の化身か)
彼は即座に判断する。
白い獣は牙を剥き出しにして彼を牽制している。
その間に、人間の雄が氷の大地に降りた。
腕に抱いていた雌も地に降ろす。
人間の雌は雄に何かを叫んでいた。
恐らく逃げるべきだとでも言っているのだろう。
人間の雄はかぶりを振って否定している。
まあ、当然だ。
その気になれば、音さえも置き去りにして飛翔できる彼から逃げられるはずもない。
人間たちが生き延びる道は彼と戦い、勝つことだけだ。
人間の雄は雌の肩を叩く。
そして雌をその場に置いて、こちらに向かってくる。
二人で戦わないのは雌の方が無手だからか。
だが、雌の参戦の有無は彼にとってはどうでもよい。
雷精の化身を従えて、剣を抜く雄の圧の前では些事たることだ。
しかも、
(……ふむ)
剣から立ち昇る邪氣に少し驚く。
恐らくは神殺しの魔剣。
それもこれほどの邪氣となると相手は相当なる厄災――名のある悪神か。
『面白いな』
彼は言う。
魔剣を携えた雄は少し驚いた顔をした。
人間の雌の方も唖然とした顔をしていた。
彼が人語を喋るとは思っていなかったのかも知れない。
「……何が面白いんだ?」
人間の雄が問う。
『いやなに』
彼は告げる。
『数多の精霊を従えた悪神殺しとはな。ウヌは今代の万象の王か?』
「……? 何を言っているのかよく分からないが……」
人間の雄は眉根を寄せた。
「言葉が通じるのなら有り難い。オレとしては無用な戦いはしたくないのだが」
『そうもいかぬ』
彼は答える。
『仮に万象の王――いや、人の時代に合わせるのなら「精霊王」と呼ぶべきか。ヌシが精霊王であれば我とて敬意を払うべきだが、ウヌは人でもある。神代より竜は人に試練を与えるものなのだ。こうして出会った以上、我も試練を与えなければならぬ』
「……本当に言っている意味がよく分からない」
ますますもって眉根を寄せる人間の雄に、
『これは竜種の宿業……まあ、習性だとでも思え。何より悪神殺しの英傑が相手では腕試しをせずにはおれんわ』
そう告げて、彼は咆哮を上げた。
そして、
『我が名はグルードゥ。古青竜のグルードゥなり』
名乗りを上げた。
もはや戦いは避けられないと悟ったか、人間の雄も、
「ライド=ブルックスだ。D級冒険者だ」
そう名乗り返した。
「この状況だ。立ち向かうしかないのは分かる。だが」
ライドと名乗った雄は、後方にいる人間の雌に目をやった。
「彼女は見逃してくれないか? 武器さえ持ち併せていないんだ」
『……良かろう』
グルードゥは答える。
『ヌシが精霊王ならばあの娘は寵姫か。いずれにせよ、自分の雌を守りたいと願うのは雄の本能であり矜持よ。それぐらいは配慮しよう』
「……そういった関係ではないんだが、受け入れてくれるのなら有り難い」
ライドと名乗った雄はそう返す。
まあ、多少の認識違いなどグルードゥにとってはどうでもよい些事だ。
いずれにせよ、これで互いの意志は確定した。
『では悪神殺しよ』
牙を剥きだして、グルードゥは竜尾を氷の大地に叩きつける。
大きく広げた両翼は烈風を巻き起こした。
そうして、
『このグルードゥの試練。見事打ち砕いてみせよ!』
青き古竜は雄々しく吠えるのであった――。




