第1話 とある魔法少女の決断
とある少女の話をしよう。
彼女はマキータ王国にある小さな村で生まれた。
ホーシ村。
人口が三百人程度の本当に小さな村だ。
彼女の母は冒険者だった。
それも並みの冒険者ではない。エルダータ=サアーズと言えば、ソロで名を知られた美貌の精霊魔法師。『爆炎』の二つ名を持つA級冒険者だった。
魔獣退治の依頼で訪れたこの村で彼女は夫と出会い、二十代半ばで冒険者を引退して結ばれたのである。当時は結構な話題になったものだ。
そうして生まれたのが彼女――ジュリエッタだった。
ジュリエッタ=ホウプス。
愛称はジュリ。
――そう。C級パーティー・輝ける星の精霊魔法師のジュリだ。
精霊魔法師の代名詞のような赤い大きな三角帽子に、袖や裾の短い赤黒のローブ。杖は打撃も可能な黒い竜骨の杖を愛用している。
年齢は十六歳。背中当たりまで伸ばしたボリュームのある赤い髪と、同色の勝気な眼差しが印象的な少女である。美貌も母から譲り受けていた。魔法の才もだ。ただジュリとしては母のスレンダーなスタイルまで受け継いでしまったことは不満ではあるが。
(そこは受け継がなくても良かったのに)
ジュリはそんなふうに思っていた。
幼馴染のララが成長著しいのも影響している。
ララ=テラスタ。
勝気なジュリと違って、栗色の髪のおっとりとした神官の少女だ。
正反対の性格――スタイルも――でありながら、二人の仲は良かった。
村では二大美少女とか呼ばれていたものだ。
そんなジュリたちには幼い頃からの想い人がいた。
同じ村のオレンジ色の髪の少年。
アレス=ハルクだ。
今や竜殺しの勇者と呼ばれるアレスである。
三人は一緒に村を旅立って冒険者になり、パーティーを組んだ。
『俺たちは世界一のパーティーになるんだ!』
パーティー旗揚げの時、アレスは剣を掲げてそんなことを宣言していた。
ララは微笑み、ジュリは呆れたように肩を竦めていた。
ともあれ、三人は旅に出る。
様々な街を巡り、ダンジョンにも何度も潜った。
アレスはよくトラブルを呼び込んでくれたが、その度に切り抜けていた。
そういった時の彼は本当にカッコイイ。
ジュリにしてもララにしても、ときめいたものだ。
そんな中、最初に行動を起こしたのは意外にもララだった。
ララは一人の神官として、アレスを自分の勇者に選んだのである。
神官とは主に精霊を信仰する神聖魔法の使い手のことを示す。
さらに補足すると、その中でも冒険者である者に付けられた職種だった。そうではない者は神父やシスターと呼ばれている。
精霊とは世界における万象の根源たる存在だった。
精霊たちに意志があるのかは不明ではあるが、魔力という多大な恩恵をすべての生き物に与えている。信仰に至るのも自然な流れだった。
余談だが、文献によると、千年以上も前の時代には精霊以外にも『神々』と呼ばれる信仰に値する超越存在たちもいたそうだ。
しかしながら、超越者同士の苛烈な覇権争いの末に、ほとんどの神がこの世界から去っていったと伝えられている。狼人族が信仰する神狼のように、わずかに現存する古き神々も世界の移ろいに対しては静観しており、人々に干渉することはほとんどなかった。
従って、今や精霊信仰は世界最大の宗派だった。
そして勇者とはその精霊たちに愛された者のこと。
そのため、神官は勇者と出会った時、従者になる選択肢が発生するのである。
当然ながら勇者側の意向もあるので、勇者との合意の上で従者になることが出来る。
ララはそれを望み、アレスは受け入れた。
ララを守りたいという強い想いがあったからだ。
こうして、ララは自分の人生をアレスに捧げたのである。
その夜。ララはジュリに言った。
『私は覚悟を決めたよ』
おっとりとした幼馴染は微笑む。
『次はジュリちゃんの番だね』
そう告げた。
親友の台詞にジュリは顔を真っ赤にした。
英雄色を好む。勇者にハーレムは付きものだ。
中には自分以外は全員が女性だけのパーティーを組んで、メンバー全員が自分の嫁だと公言しているS級勇者もいるそうだ。まあ、それを言うのなら、アレスもパーティーメンバーは女性だけになるのだが。
いずれにせよ、遅かれ早かれ二人ともアレスとは結ばれる。
この頃まで、ジュリは――恐らくはララも――そう思っていた。
……そう。ジュリが彼と出会うまでは。
◆
その日の夜。
ジュリは拠点にしている宿の一室で休みを取っていた。
最近、集中力が切れているということで一日の休暇を希望したのだ。
しかし、どうしても気が晴れない。
結局、早々に自室のベッドに突っ伏して夕方になってしまった。
ゴロンと仰向けに転がる。
枕で顔の上半分を覆って、口元のへの字に結ぶ。
調子が悪い理由は分かっている。
迷いを抱いているからだ。
(いまパーティーは順調にある)
幼生体とはいえ、ドラゴンを討伐し、C級にランクアップした。
新しい仲間も増えた。
魔法剣士のシンシアに、武闘家のバンだ。
シンシアは二歳年上の女性。バンは二十代前半の青年。二人ともC級の冒険者だ。
パーティーメンバーも充実し、まさにこれからだった。
自分たちの活躍はこれからのはずだった。
だが、ジュリの心は、すでにここにはなかった。
別の場所へと行ってしまったのだ。
……ぎゅうっと。
強く枕で顔を抑えつける。
思い出すのはあの日のことだ。
彼と初めて出会った日のことだった。
あの日。ジュリは、ダンジョン内でアレスたちとはぐれてしまっていた。
ランクこそE級だったが、その遺跡型のダンジョンは広大でとても複雑だった。低ランクでもまだ見つかっていない部屋などがある。
ジュリはうっかり壁に手を触れた時に、隠し扉を開いてしまった。
その先はまるで滑り台だった。
悲鳴を上げる間もなく、滑り落ちていった。
『痛ったあ!』
ようやく部屋の底にまで到着したジュリは腰を強く打ち付けた。
十数秒ほどは呻いていたが、すぐに気付く。
うっすらと、部屋が紫色に輝いていることに。
どうやら壁そのものが紫色であり、それが光っているようだった。初めて見る現象で薄気味悪いが、おかげで視界は開けている。ジュリは警戒した。
ここは小さな部屋だった。五人も入れば一杯になる広さだ。滑り落ちた場所以外は石造りの壁。脱出口はなさそうだ。
幸いにも魔獣の姿はない。だが、ずっと薄気味悪い気配が漂っていた。
『……何なのよ、ここは?』
緊張と共に杖を強く握りしめたその時だった。
――シュバッ!
突如、壁の四方から触手のような紫色の蔓が襲い掛かってきたのである。
『―――な!?』
全く予期していなかった攻撃だった。
蔓は一瞬でジュリの首や四肢。胴体にも絡みついた。
ジュリはパニックを起こしかけつつも、風系の魔法で蔓の切断を試みるが、
(……え?)
ガクン、と膝が崩れた。
全身から力が抜けていく。ジュリは愕然と目を見開いた。
(な、なんなのこれ!?)
麻痺とは違う。
初めて味わう感覚だった。
ガランガランッ、と杖も落としてしまう。
(た、助けて! ララ! アレス! アレス!)
幼馴染たちに助けを願うが、それは声にすることも出来なかった。
紫色の蔓はジュリの両腕を引っ張り上げて十字に吊るした。
そうして一時間後。
ハシュー、ハシュー……。
ジュリの荒い声だけが部屋に響く。
ジュリはずっと十字に吊るされたまま拘束されていた。
彼女の口元からは唾液も垂れている。
ジュリは初めて経験することだったが、これは重度の魔力の枯渇症状だった。
精霊の加護により、すべての命には魔力が常に供給される。だが、魔法の使い過ぎや、もしくは何らかの理由で精霊が不在の場所の場合、魔力の枯渇状態になるのだ。
この症状を長く放置するほど、命にも関わってくる危険な状態だった。
(……ア、レス。たすけて……)
今にも消えそうな意識でジュリは愛しい少年に願う。
――と、その時だった。
不意に、紫色に妖しく輝く壁に黒い染みが浮き上がったのである。
それは浮き上がって人の形になる。だが、人間ではない。外骨格のような黒い硬質の肌に耳辺りまで裂けた口にびっしりと生えた牙。瞳は四つで真紅一色、額には一本角。両腕は長く関節が一つ多い。足も少しひしゃげている。まるで昆虫人間のようだった。
それは見たこともない人型の生物だった。
(な、なに? こいつ……)
ジュリは動けない状態で恐怖した。
そうして、不気味な化け物はジュリのあごを指先で上げた。拘束されて完全に脱力しているジュリはされるがままだ。
『GYAAA……』
化け物はジュリの帽子を掴んで捨てると、その胸元に鉤爪のような指を差しこんだ。そのままローブを切り裂いて腹部まで露出する。
ジュリが絶句していると、顔を寄せて匂いを嗅ぐような真似をする。
『GYAAAAAA!』
そして嬉しそうに、ギャリギャリと牙を鳴らした。
体つきと匂いからジュリが女性であると判断したようだ。股間の外骨格が開き、そこからぬめりと光る陰部を彷彿させる太い針のようなモノが現れた。
(―――ひ)
ジュリの全身に悍ましい感覚が奔る。
最悪の結末が脳裏によぎった。
瞳だけで『やめて!?』と訴えかけるが、化け物が聞いてくれるはずもない。
ジュリを拘束していた蔓が緩み、化け物はジュリの体を掴むと、片腕でジュリの顔を地面に抑えつけた。次いで、彼女の腹部を抱えて強引に腰を浮かせる。脱力したジュリは抵抗も出来ずただ呻いた。
(うそッ!? やめてやめてやめてッ!? やだあッ! こんなのやだよッ! 助けて! アレス! アレスッ!)
悲鳴も出せない。
絶望で心が折れてしまいそうだった。
だが、その時だった。
不意に背後から、ズザザッと何かが滑り降りてくる音がしたのだ。
『……やはり虚塵鬼だったのか』
そして声が聞こえた。
男性の声である。そこに現れたのは黒いアーマーコートを纏う青年だった。
『獲物の魔力を枯渇させるのはお前たちの常套手段だが、まさか魔王領以外でお前たちと遭遇するとは思わなかったぞ』
青年はそんなことを告げた。
直後、ジュリの時と同じく四方の壁から蔓が伸びて青年に絡みつくが、
――パァンッ!
紫色の蔓は一瞬で膨れ上がって破裂した。
『GYAッ!?』
化け物は驚愕の叫びを上げた。
その瞬間に青年は一歩踏み出して、
――ザンッ!
銀閃が煌めき、化け物の首は一瞬で刎ねられた。
『運がなかったな』
長剣を払い、青年は言う。
『蔓の結界はオレには通じない。魔力を吸い切れずキャパオーバーになるそうだぞ』
ドサリ、と首のなくなった化け物の体が倒れた。
化け物の体は崩れて黒い塵になっていった。
すると、紫色の壁に亀裂が入った。その亀裂からボロボロと世界が崩れていき、表面が剥がれるように岩土色の同じ壁が現れた。
だが、紫の光も失ったため、部屋はすぐに闇に閉ざされる。
『この部屋だけだったのか。随分と規模の小さい虚塵圏だったな』
青年は剣を鞘に納めると、照明代わりに光弾を生み出す。光球は上空で留まり、室内が照らされる。そして青年はすぐに倒れた状態のジュリに駆け寄った。
『大丈夫か?』
片膝をつき、彼はジュリを仰向けに起こして様子を見やる。
しかし、横たわるジュリはどうにか視線を動かすことしか出来なかった。
『……重度の魔力枯渇状態だな』
青年は双眸を細めた。
『ここまで酷いと自然回復を待っていられないか。オレの魔力を分けよう』
言って、青年はジュリの首筋に指先を当てた。
精霊魔法か神聖魔法を使える者同士なら可能な魔力の譲渡だ。
指先から魔力が注がれる。と、
(――ふあッ!?)
ジュリは脊髄反射だけで大きく仰け反ってしまった。
あまりにも高濃度かつ莫大な魔力に体が勝手に反応したのだ。
そして浮かび上がった分、背中を強く地面に打ち付けてしまう。
『っ!? す、すまない!』
青年も驚いたようだ。慌ててジュリの上半身を抱きかかえる。
背中と腰の痛みに、ジュリは涙目になっていた。
『本当にすまない。一気に流し過ぎたのか? 魔力譲渡はティア以外にはやったことがなかったからな……』
謝罪しつつ、青年はそんなことを呟いた。
一方、ジュリは涙目のまま、『あうゥ……』と呻いていた。
けれど、今のおかげで少しだけ体が動くようになっていた。
ジュリはキュッと唇を噛んで、
『……怖いし、痛かった……』
『……すまない。オレが悪かった』
青年は少し考えて、
『だが、今のではあまり譲渡できなかったようだ。もう少し回復させた方がいい』
そう告げる青年にジュリは少し躊躇うが、
『……分かった』
こくんと頷く。ただ続けて、こう願う。
『けど、また、仰け反ると痛い。体、支えて』
『ああ。そうだな……』
青年は少し考えてから、脱力したジュリを自分の正面にペタンと座らせた。
それから彼女の腰に片腕を回して、今度は仰け反らないように抱きかかえる。魔力を注げるように片手をうなじに添えた。
『これでいいか?』
青年がそう尋ねると、ジュリは首肯した。
彼女自身も震える手で青年の背中にしがみついた。
『……今度は少しずつ魔力を流すぞ』
『……ん』
青年の声に、ジュリは小さく頷いた。
そして再び魔力が身体に注がれ始める。
先程よりも少量だが、高濃度なのは変わらない。
ジュリは唇を強く噛み、青年の体に必死にしがみついて堪えた。
その間、青年は彼女を支えつつ、『大丈夫だ』と優しく声を掛けてくれていた。
ややあって、ジュリは熱い吐息を零して全身の力を抜いた。
ゆっくりと青年から体を離す。
肌は汗ばみ、まだ痺れたような感覚はあるが、体は動くようになっていた。
ただ疲労した体の奥から魔力以外の熱い何かを感じていた。
(……なにこれ?)
鼓動が何故かずっと高鳴っている。
『……どうやら安定したようだな』
一方、青年は安堵の息を吐いていた。
ジュリは、呆けた眼差しで彼の顔を見つめていた。
『ああ。折角の綺麗な顔が台無しになっていたな』
青年はそう告げるとハンカチを取り出した。
そして地面に抑えつけられて汚れていたジュリの頬を拭いてくれた。それからローブが引き裂かれていたジュリに、自分のアーマーコートをかけてくれた。
『もうじきここにも救援が来る。君の仲間たちもだ』
そう言って、青年は微笑む。
後から知ったことだが、アレスたちがダンジョン内にいた他の冒険者たちにジュリの捜索応援を頼んだらしい。この青年はその一人だった。
彼は、まさに土壇場でジュリの命と貞操を守ってくれたのである。
(…………あ)
そこでジュリの脳裏に先程までの恐怖の記憶が蘇ってくる。
悍ましい人間擬きに迫られる恐怖が。
カチカチと歯が鳴り出して、
『……うあぁ……』
勝気なジュリも大粒の涙を流した。
そうして、再び名前も知らない青年に強くしがみついてしまった。
青年は少し驚くが、怯えるジュリの頭を撫でて優しく宥めてくれた。
救出される一時間後まで、ジュリは彼の腕の中でずっと泣き続けていた。
(……全部、あの時からだわ)
回想から現実に戻る。
枕で顔を覆ったまま、ジュリはベッドの上で首筋辺りを真っ赤にしていた。
あの日以降、彼とは何度も仕事で顔を合わせる機会があった。
そうして、いつしかジュリは彼から精霊魔法を習うようになった。
基礎的な魔法から初めて見るような特殊な魔法。
さらには様々な知識。冒険者としての心構えもだ。
あの日、ダンジョンに現れた化け物のことについても聞いた。
あまりにも突拍子もない話に、この人は一体何者なのだろうと思ったものだ。
いずれにせよ、自分は彼の弟子であると自信を持って言える。
そして、ジュリは自分の気持ちにも気付いていた。
自分の恋心はすでに上書きされているのだと。
二人だけの時は『先生』。アレスたちの前では照れ隠しに『おじさん』と呼んでいる彼に心奪われていることに気付いていた。
アレスへの気持ちがなくなった訳ではない。
アレスは今でも大切な幼馴染であり、親しい友人だ。
ただ、以前のようにときめくようなことはなくなっていた。
(このままじゃあダメだわ)
別に恋心だけが原動力ではない。
その想いだけでアレスの旅に同行していた訳ではない。
アレスもララも。新たに加わったシンシアとバンも大切な仲間だ。
彼らを守りたいと思う気持ちは今もある。
力になりたいという想いもある。
けれど、何度も何度も思い出してしまうのだ。
あの別れの日。
彼が少しだけ見せた寂しそうな顔が。
(もう決めないといけないのね)
ジュリはそう思った。
そして翌日。
宿の食堂に集まった仲間たちの前でジュリはその決意を告げた。
「ごめん。私パーティーを抜けるわ」
――と。
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