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第6話 その頃のライドは①

 大都市アルハジルにて妖神が出現していた頃。

 ライド=ブルックスが何をしていたかというと。



(……まずいな)


 相当に危機的な状況にあった。

 時刻は夜の十時過ぎ。

 場所は屋根の上。走る汽車の屋根の上だった。

 衣服は灰色の胴衣(ベスト)を着けた紳士服だ。上着は最初から着ていない。右手には愛用の魔剣を抜き身で携えている。

 そして左腕には一人の少年を抱えていた。腰を抱える形だ。

 年齢は十歳ほど。短い黒のズボンに履き、半袖の白いシャツの上に、黒い胴衣(ベスト)を着けている。顔には黒縁メガネを掛けていた。


 ルメルダ神聖帝国の第九王子。シンホルク=ルメルダ殿下だ。

 いや、今も一応偽装を続けているため、シン=ブルックスと呼ぶべきか。

 そんなライドたちの前には一人の女性が背を向けて立っている。

 汽車は今も疾走している。常に強い風に晒されていた。

 その風によって、彼女のスカートが激しくなびいていた。動きやすくするため、自らスリットのようにドレスを切り裂いたから尚更だ。

 年齢は二十代半ば。軽くウェーブのかかった深緑色の短い髪がよく映える。

 抜群のスタイルの上に、若草色のドレスを纏う美貌の騎士。


 セリア=フラメッセだった。

 今の名をセリ=ブルックス。ライドの妻を演じていた。

 彼女は大腿部に装着して隠していた短剣を抜き放ち、構えていた。

 本来の性格は温和なのだが、今の表情は鋭く険しい。

 セリたちの前には、数人の人影があった。

 長剣を手に、黒い外套を羽織った人物たちだ。

 体格からして全員男だろう。男たちは長剣をセリに向けていた。


「……父上!」


 ライドに抱えられたシンが叫ぶ。


「どうか母上を助けてください!」


 今さら偽装は意味を成さないかも知れないが、シンは続けていた。

 相手を困惑させる可能性ぐらいは期待できるからだ。


「……分かっている。シン」


 それを察して、ライドも演技を続けた。


(さて。どうするか)


 一方で改めて状況を確認する。

 現在、線路を走る車輛は先頭車輛を含めて、たった二輌だけだった。

 その後方車輛の屋根の上に、ライドたちは立っている。

 ここより後ろの車輛は連結部を破壊され、置いてけぼりを喰らってしまったのだ。

 すなわち、レオとロゼッタ、タウラスとは分断されたということだった。

 そして、先頭車輛の乗客全員が刺客だったらしい。

 車内で襲われたライドたちは逃げ場を失い、屋根の上まで追い込まれてしまった。

 今はライドがシンを保護し、騎士のセリが盾となっている状況なのである。


 その間も汽車は進む。

 そろそろ草原を抜けて、大きな森が見えてきた。

 広く暗い森だ。夜ということもあってその奥は見通せない。


(あそこなら追っ手をまけるか)


 ライドは表情を鋭くした。

 すると、


「――ライド殿」


 すでに『騎士モード』に入っているセリが振り返らずに言う。


「私が時間を稼ぐ。その間に脱出を。その子を頼む」


 シンを『その子』と呼んだ以上、彼女もまだ演技を続けているようだが、夫役であるライドの名前に『殿』と付けるなど、何ともチグハグな様子だ。


(……やっぱり、あれは……)


 ライドは少し面持ちを険しくした。


(本来の性格とかけ離れた自己暗示なんだろうな)


 彼女には、時折、整合性を失ったような歪さがある。

 ライドはそんなふうに感じていた。

 傭兵や冒険者には、パニック時に精神を強制的に安定させる『マインドセット』と呼ばれる技術がある。ライドにもその心得はあった。

 しかし、全く別の性格を上書きするようなこの自己暗示は、かなり度を越しているような気がする。どうも本人も気付かない内に、大きな負担になっていそうだ。

 今後は騎士モードを使わないように説得すべきかも知れない。


(後で話をしてみよう。だが、今は)


 ライドは魔剣を水平に構えた。


「それは聞けないぞ。妻を見捨てては夫失格だからな」


「―――え?」


 セリは振り向かないまま、驚いたような声を零した。


「こいつらが何者かは知らんが、妻のお前にこれ以上、負担をかける気もない」


 そう告げてから、


「――紫電一槍(シクス=オルデア)


 力ある言葉を解き放つ。

 直後、魔剣の切っ先から紫色の雷光が撃ち出された。それは直線状にいた三人の男の体を貫き、即座で意識を刈り取った。神速の一撃だった。

 第五階位相当の六合(シクス)系精霊魔法。ライドの独自魔法である。

 分類するのなら、バチモフと同じ系統の精霊魔法だった。六種の精霊の融合は雷を宿すらしい。雷を伴う精霊魔法はティアでさえ扱えないライドだけの魔法だ。


 流石に、セリもギョッとして振り向いた。

 明らかな隙ではあるが、対峙した男たちに襲撃の気配はない。

 既存にない未知の魔法を警戒しているからだろう。


「セリ! こっちに来るんだ!」


 一方、ライドはセリに向かって呼ぶ。

 セリは一瞬、目を大きく見開くが、


「ダメだ!」


 そう叫び返した。


「脱出するにもすぐに追われるぞ! 誰かがここに残ってこいつらを足止めしなければならないのだ! ならば私が――」


「――セリッ!」


「は、はいっ!」


 ライドに強く名を呼ばれ、セリは思わず返事をした。反射的に短剣を両手で掴んで胸の前で抱えていていた。騎士モードも強制解除される。


(え? な、なんで?)


 セリは困惑した。

 騎士モードは根が臆病な自分を勇ましい騎士へと変える、かなり強力な自己暗示だ。これまで名前を強く呼ばれた程度で解けたことなど一度もなかった。

 どうして、こんな簡単に解けてしまったのか――。


「……セリ」


 すると、ライドは魔剣を鞘に納めて、セリへと手を差し伸べた。


「オレの元に来るんだ」


「……ラ、ライドさん」


「お前だけを残すつもりはない。早く」


 セリは躊躇いつつも、ライドとシンの元へと駆け寄った。

 そしてライドの差し伸べてくれた手を取ろうとするが、


「少し荒っぽくするぞ」


「――ひゃあっ!?」


 思わずセリは悲鳴を上げた。

 いきなりライドに両足を抱きかかえられ、そのまま肩に担がれたのだ。

 まるで山賊に拉致されるかのような恰好だ。

 太股辺りを彼の右腕でしっかりと固められてしまった。


「ラ、ライドさん!?」


「少し我慢してくれ。しっかりオレに掴まっておくんだ」


 ライドは左腕で抱えるシンにも目をやった。


「シン。逃げるぞ」


「はい。父上」


 聡明な少年は怯えることなく頷いた。

 それに対して、男たちは静かに様子を窺っている。

 脱出時にこそ最大の隙が生まれる。その瞬間に仕掛けてくるつもりだ。

 だが、その企みは無駄だった。


「これ以上、私の大切な妻と息子を危険に晒す気はない」


 ライドは淡々とした声で男たちにそう告げた。

 そして、


「そろそろお暇することにしよう」


 ライドはダンっと強く屋根を蹴った。

 男たちも同時に仕掛けるが、ギョッとする。

 ライドが人間とは思えない凄まじい跳躍したからだ。セリが男たちを牽制していてくれていた内に空歩(エア=リス)を発動させていた効果だ。

 ――ダンッ!

 ライドはそのまま空中を蹴りつけて、さらに汽車から距離を離した。

 向かう先は森の奥だ。

 男たちも汽車から跳び下りているようだが、追いつける距離ではない。

 それでも油断せず、ライドはシンとセリを抱えて跳躍を続ける。


(さて。どうにか逃走はできたが)


 ライドは思う。奴らは一体何者なのか。


(とりあえず、殺すことだけは避けておいたが……)


 先程の雷光も死なない程度に加減をした。

 あの男たちは、流石にルメルダの騎士などではないとは思っているが、万が一にでも騎士だった場合、後で厄介なことになるかも知れないからだ。

 そもそも、真っ当な冒険者は人を殺すことをあまり良しとはしない。やむを得ない場合もあるが、それは相手が盗賊や海賊、または賞金首であるケースが前提だった。

 他にも正当防衛のケースもあるが、それも可能ならば相手の無力化を推奨されていた。

 冒険者ギルドが定めたルールである。

 戦闘を本業にする傭兵ならばいざ知らず、無法者ではないのだから当然のルールだ。

 ライドも、基本的にはそのルールに従っていた。


 ただ、過去には例外もあった。


(……今回も暗殺者か。そういえば……)


 セリたちを抱えながら、ライドは不意に思い出した。


 かつて一人だけ。

 ライドが殺すべきだと判断した男がいた。


 それは、もう十年……いや十二年近くも前のこと。

 冒険者を引退して、故郷のホルターへと帰還する旅の途中でのことだ。

 何の因果か対峙することになった男。ゾッとするほどに危険な男だった。

 その思想も。その行いにおいてもだ。

 一対一の死闘の末、二度と戦えないほどの深手は負わせたが、生死は不明だった。

 仮に生き延びたとしても、暗殺者としては確実に殺したはずだ。

 ――そう。その両眼から光を奪ったのだから。


(……だが、それでもあの男なら……)


 速度は落とさずに、ライドは表情を消した。

 同時に森の中へと突入した。

 木々が乱立する深い森だ。流石に空歩(エア=リス)を解いてズザザと着地する。地面との衝撃に「きゃあっ!?」「うわっ!?」とセリたちが声を上げるが、まだここは安全圏ではない。二人を抱えたまま、ライドは走り出す。

 かつての難敵のことを回想しつつも、不意にライドは微かな笑みも零した。あの男と対峙する切っ掛けとなった、とある奇妙な巡り合いのことも思い出したからだ。

 思い出とは、別に悪いモノばかりではないのだ。


 あの日――。


『……なあ、ウェザー。あんた、もう引退するんだろ?』


 今のシンよりも幼かったあの少年は、ライドにこんなことを言った。


『引退する理由は聞かねえよ。けど、あんたが引退するのなら、俺が代わりに冒険者になるよ。あんたらに助けてもらったこの命に意味を見出してやる。他の奴らの分までだ。だから俺がウェザーの二つ名を受け継ぐよ』


 若き日のライドに向けて、少年は拳を突き出して宣言する。


『俺が二代目「天象(てんしょう)(けん)」だ。俺がその二つ名を世界に轟かせてやる』


『いやいや。なに言っとんねん。悪童(ラスカル)の分際で』


 と、同じくその頃に出会った悪友に、少年は頭を叩かれていた。


 ――ライドと、少年と、悪友。

 それぞれの呼び名は『天象剣(ウェザー)』『悪童(ラスカル)』『破戒鎚(ハンマー)』。

 ライドと悪友はそれぞれの二つ名から。少年は太々しいその態度から、悪友が勝手に付けた呼び名だった。結局、最後までそれで通してしまったので、全員が一度も本名を名乗らなかった奇妙な間柄だった。

 果たして、あれも『仲間』と呼ぶのだろうか?


(……はは、懐かしい)


 ライドは微苦笑を浮かべて瞳を細めた。

 が、すぐに面持ちを鋭くする。

 少し気が緩んでいた。

 今は懐かしさに浸ってもいいような時ではない。

 どうにか、タウラスたちと合流しなければならない。

 ダグたちのいるバラトス王国に向かわなければならない。

 そして、セリとシンを絶対に守り抜かねばならない。


(油断は出来ないな)


 守るべき者たちを両腕に抱き、ライドは疾走する。

 深い、とても深い森の中を――。


 ライド=ブルックスの冒険は続く。







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