科学の犠牲
コハクたちの戦いが始まった。二人は各々の魔力を球体に変え、それを眼前の追手に向かって乱射する。轟音のこだます路地裏は、嵐のような砂煙に包まれる。凄まじい喧騒の中、メノウは怪訝な表情をしていた。
「……この人、全然魔法を使ってこないでしょ? この人はさっきからずっとボクのことを追い掛け回しているんだけど、一度も手の内を見せてこないの。本当の本当だよ」
数多の魔力の球体が飛び交う中、敵の生み出したものと思しき球体は一つたりとも飛んでこない。
コハクは青白い魔力を放ちつつ、己の知っている事柄を語り始める。
「それはコイツが『キメラ』だからだ。白い翼には陽、黒い翼には陰の魔力が宿るんだが、これらの魔力は互いを打ち消し合う性質を持つ。よって、キメラであるコイツに、魔法を使うことは出来ねぇんだよ」
彼女には教養がある。それが守護神の依り代として保護されてきた彼女の学識であれば、信用に足るものであると言える。
メノウは赤黒い魔力を放ちつつ、更に質問を続けていく。
「それは、生まれつきなの……?」
「いや、基本的には後天的な手術によるものだ。言うならば、アイツはキメラ計画の被害者に過ぎねぇ」
「その……キメラ計画っていうのは、結局なんなの?」
「陰と陽――――二つの魔力が互いを打ち消し合う時、そこには膨大なエネルギーが発生する。だがその現象は、かつての学者たちの間では、魔力の相乗効果によるものだと誤解されてきたんだ。そのせいで、たくさんのキメラが作られた」
それがキメラたちの辿ってきた歴史らしい。
やがて二人の乱射する魔力は交じり合い、大きな爆発を起こした。強風に風をなびかせつつ、コハクたちは前方を睨みつける。
「これで……終わりか?」
「本当の本当に……大丈夫?」
巻き上がる砂煙は宙に溶け込み、彼女たちの視界を徐々に晴らしていく。そして路地裏に光が差した時、二人の目の前では追手の男が二本足で直立していた。
男は一度咳き込み、羽織っていたジャケットの裾を軽く叩いた。彼はにやりと笑い、コハクたちを称賛する。
「ヒュー! 初めてにしちゃ良いコンビネーションだ! 痺れるネェ」
あの猛攻撃を受けてなお、彼はまだ立っていられるらしい。
予想外の事態を前にして、コハクは少し取り乱した。
「何故だ……何故オレたちの攻撃が通用しねぇんだ! キメラのはずのアンタが、一体どんな魔法を使ったって言うんだ!」
ここでは彼女の常識は通用しない。彼女の眼前の男は紛れもなくキメラだが、一筋縄でいく相手ではないようだ。
「確かに俺はキメラだよ。だけど、ただのキメラじゃない」
「アンタは……一体……⁉」
「自己紹介が遅れたな。俺はハザマ。アストラムの一員だ」
ハザマ――――それが男の名だ。しかし彼の名前以上に、コハクはある一言が気になった。
「アストラム⁉ 今、アストラムと言ったのか⁉」
「今更かよ。俺がメノウを追い掛け回していた理由なんて、それくらいしか思い当たらねぇだろうよォ」
「……そうとわかれば、なおさらアンタを生かしておくわけにはいかねぇな」
彼女はすぐに前方へと駆け出し、ハザマの胸倉を掴んだ。
「おっと!」
ハザマは両手でコハクの手首をひねり、彼女の身を地面に叩きつける。そんな彼のすぐ真横から、メノウの蹴りが飛んでくる。ハザマはそれを片手で受け流しながら相手の背後に立ち、そのまま後頭部に肘打ちを食らわせる。彼は魔法を使わない分、体術を駆使した戦いに慣れているようだ。
ハザマは言う。
「とりあえず、今日のところはこれくらいにしておいてやるよ。一対二じゃ分が悪いからな」
彼の表情は余裕に満ちているが、それでも魔法を使わずに二人を相手にするのは厳しいのだろう。ハザマは翼を大きく広げ、その場から飛び去った。