4日目:待ちわびた、あー待ちわびた
加藤純一がこの不思議な世界で目を覚まして4日目になった。
あの時の心の痛みは今だ癒えず、体には昨日歩き続けた疲労がまだ残っていた。
葉っぱの隙間からサンサンと視界に差し込む朝日を睨みつけながら、
彼は額の前に手を向けて光を遮ると、ため息とも取れるような深呼吸をした。
あの時の、大鹿の子供を右手に握る石で叩き殺した時の映像が
何回も夢の中で流れてたからだ。
これまで見た夢の大半は起きたと同時に忘れてしまったのにもかかわらず、
奇しくも異様なほどに鮮明で耳に残る大鹿の断末魔と、子を亡くし、怒りと恐怖で
狼狽える母鹿の姿は、今だ彼の脳裏に焼き付いたままであった。
しかし生きるためにやった事、仕方なかったことだと言い訳をする気はもうない。
昨日の夜、さんざん自分に言い聞かせたのにも関わらず、結局あの殺した子鹿を
食べることが出来なかったのだから。
食べれなかった、食べたくなかった。
だからその場を後にして、午後は何も食べずに夜を過ごしたのだから、
自分の行いを正当化できないことぐらい彼も分かっていた。
結局彼がきのう手に入れたものは、ゴブリンの体が空腹と渇きに敏感である事。
そして母親の前で子を殺した事に対する後悔と、それを知らなかったとはいえ、
狩りをチャレンジゲームかの様に楽しんでいた自身への嫌悪感だけであった。
「このままじゃ駄目だな……目的を見失うんじゃねぇぞ俺」
彼は空に向かって手を伸ばした。
するとじわじわと手のひらの毛細血管から血が流れるのが分かった。
白色の太陽光に手のひらをかざし、先から少しずつ力が戻ってくるような感覚を
覚えながら彼はもう一度深く息を吸った。
今度は力強く、より深く。
すると胃袋が鳴った。
そして彼は思わず苦笑いとも取れる笑みをこぼした。
なにせ自分の苦労も知らずに、日の光を浴びて活動を再開し始めた
このゴブリンの体はせかせかとこの身に栄養を送る様に催促してくるのだから。
「ああ…そうだよな……生きねぇと…また生き物殺して生きねば……」
そしてまた腹が鳴った。
早く動けと、生きろと、殺せと、戦えと――体が自分に訴えかけてくる。
結局、自分を最後まで鼓舞してくれたのはこのゴブリンの体であった。
「だからさっさと身体起こせよ!このゴミ野郎がよ!!」
そう叫んで、彼は体を起こすと同時に木の枝から飛び降りた。
そして地面に沈んだ、いつもより重たく感じた足を無理やり前に
進ませながら、彼はケツから大河へと飛び込んだ。
浅瀬に群がっていた小魚が一目散に散っていくのを、水の中で歪んだ視界を
通して見届けた彼は、ため込んだ息を吹き出すように水中から顔を出した。
「わあ!!気持ちぃ!!」
彼は力を振り絞る様に叫んぶと、今度は目ヤニを擦り取るかのように
川の水を顔面に叩きつける。
そして微かな爽やかさを感じながら彼は川から這い上がり、最後には熱々に
照らされた川辺に寝っ転がると、四肢を大文字のように広げて太陽光を
一杯にその体に浴びていく。
「……子供だとか母親とか知るかよ……そんなもん全部ぶっ殺して俺が
食い殺してやるわ」
そう呟いて、照り輝く太陽を鷲づかむように手を伸ばし、拳を作った。
そして彼はまた森の中を歩き始める。
空っぽの何かを握りしめながら。