3日目:お前とする狩り重いよ
今さらですが週一投稿です!
この世界に来て3日が経った。
既に心中はゴブリンの身体に対する恐怖や違和感は消えつつある。
寧ろ故郷に帰れたときの話しのネタにもなるとすら思えて来た。
いっそこのまま新たな自分を受け入れて、束の間の楽しみを享受しようとさえも
思い始めていたが、なぜだが心の痛みは消えなかった。
知らなかった、仕方なかった、そんな事を考えても、生きるためにこの棘の道を
歩き出したことを、今さながら少し後悔もしてきた。
結局自分はこの化け物の姿のまま、故郷にも帰れずに死んでいくのかもしれない。
そんな考えがふと浮かんでは、かすかな希望を忘れまいと拳を握り、
しかし心は重たいままであった。
そしてそれもあってか、彼は次第に同族であるゴブリンが他に生息していないか、
食糧調達のついでにだが森の中を探したりもしている。
今はとにかく仲間が欲しかった。
それが人間でなくとも言葉を交わし、心を通わせてくれる何かが居てほしかった。
だが中々成果は芽生えなかった。
アレはなんだろうか。
大河の水を飲みに来た大鹿の群れは、東より来訪した一匹の魔物と接触した。
その見た目は自分たちより小柄で、体色は濃い褐色、手には石を持っている。
口から生える小さな牙は、自分たちの毛皮を貫通するとは思えない。
呼吸も胸が微かに動く程度で、興奮している様子はない。
ゴブリンという種族を見たことのなかった大鹿たちは水を飲むのを止め、
こちらを見続けたまま微動だにしない彼を観察したのち、彼が自分たちの脅威に
ならないと判断すると、興味を失ったのか直ぐに頭を水辺に戻した。
ゴクゴクと水を飲む大鹿を見て、彼も少し安堵した様子で大鹿の群れを
通り過ぎていった。
今日の飯はコレにするか…。
俺を見ても威嚇をするどころか警戒心の欠片もなかった。
恐らく、この地域にはゴブリンは生息していない、若しくはゴブリンの
捕食対象ではないんだろうか。
狩る上で反撃を食らおうが、オオカミよりは草食動物の方が危険度は低い。
それにオオカミの肉は臭いし飽きた。
空腹のときはなんでも食えるが、やっぱ腹が満たされると贅沢の一つや二つは
欲しくなる。
だから今日は鹿肉パーティーにしよっかなー?
キャキャキャッ――猿のような甲高い、気味の悪い笑い声が彼の口から漏れ出る。
あの時、無警戒な大鹿を見ている時にふと浮かんだ妙案の為に、彼は森の中を
キョロキョロと見渡しながら探索していく。
そして見つけた。大鹿の群れからそう遠くない距離。川辺と森の境辺りに
生えていた雑草の一種に何者かに食べられた痕跡があったのだ。
かなり大きな葉肉を一噛みで食いちぎった跡を見るに、小型の草食動物ではなく
大鹿が食べた物だと彼は判断した。
そしてその雑草と同じ種類のまだ食べられていないものを数束千切ると、
彼は戒されない様にゆっくりと自然体に、大鹿から数メートル離れた位置に
腰を下ろした。
すると大鹿たちが一瞬だけ彼の方を見る。
しかし先程のゴブリンが水を飲みに来ていただけであったため、大鹿達は
すぐさま視線を彼から離した。
彼が大鹿の群れの横に座って20分は経過しただろうか、水を飲み、
川で汚れを落とし、家族と戯れる大鹿達を眺めながら彼は小さく口笛を吹いた。
その音に大鹿達は一瞬だけ体を大きく震わした。そして何事かとすぐさま音の
なる方へ視線を向ける。
するとそこに居たのはやはり一匹の小さなゴブリンであった。
「これ食うか?うまいぞ?」
一瞬にして大鹿達の警戒がほぐれる。そしてそれと同時に大鹿達の視線は
次第にゴブリンの手の内でひらひらと揺らす――自分たちが良く食べる葉っぱを
生やした小枝に移って行った。
「ほら食えよ…うまいぜ……」
ゴブリンが何を言っているかは大鹿達には理解できなかった。
しかし、川辺で仲間たちとじゃれ合っていたせいで小腹でもすいたのだろうか。
その巨体を維持しなくて行けないため、一日の大半を食事に費やす大鹿にとって
見れば、そのゴブリンが握る雑草は飴玉のように甘く美味しそうに映るだろう。
実際、その大鹿達の中でも特に好奇心が旺盛で、警戒心が薄く、良く動き、
成長期でたくさん栄養を摂取する必要のある若い個体が一匹、それでも
よくよく見知らぬ魔物であるゴブリンの動きを観察しながらゆっくりと
彼の方に向かって来た。
――来た!!自分の策略に嵌った小さめの大鹿を見つめながら、彼は心の内で
悟られぬ様に叫んだ。
彼が心の中でこの間抜けな大鹿を馬鹿にしているのもつゆ知らず、
当の大鹿の子供は段々と増してくる食欲のせいで先程まで抱いていた微かな
警戒心ですら消え、彼のもとにまでたどり着く。
そしてそのゴブリンの倍はあろう大きな口を開けて、目の前で揺れる
好物の葉を食べようとしたところで――。
大鹿の子供は自身の頭上にこの短い生の中で今まで感じた事もないような
衝撃と痛みが走る感覚を最後に、短い断末魔を残して意識を手放した。
「ウォオン!!」
今しがた死んだ大鹿の子供のてんまつを見ていたのだろう、群れの長が
鳴き声を上げながら森の中へと逃げ出して行った。
その悲鳴に周りの大鹿たちも遅れて四方八方に逃げ出していく。
しかしそんな中、最後まで森とゴブリンの間を逝ったり来たりしている大鹿がいた。
恐らくは彼が殺した子供の母親だろうか。
彼の心に一寸ばかりの、さして気にしない、されど簡単には抜けそうにない
細長い棘が刺さる。
そしてその痛みを打ち消さんとばかりに、彼は勝利と親鹿に対する警告を
含めた雄叫びを上げながら、川辺を大きな石で叩きつけた。
その石は先ほど我が子を殺した石であった。
横でぐったりと倒れる我が子の血が塗られた石と石がぶつかり、地しぶきが
舞い上がるのを一匹の大鹿は見つめる。
そして結局、これまで生きてきた中でまともに外敵から襲われたことのなかった
母鹿は、我が子を殺した怒りよりも恐怖が打ち勝ってしまった。
自分に背を向け、森の中へと逃げ出した大鹿を見つめながら、
彼はもう一度雄叫びを上げた。
自分に残った微かな心の痛みを消すために。
彼は何度も何度も勝利の雄叫びを上げた。