1日目:鬼の子
水を探して早2時間が経過した頃だろうか。
いつもならこんな舗装もされていないような山道、それも植林活動などの人の手が
入った森林などとは違い、無造作に密集した木々の中など来たことのない彼から
してみればこんな簡単に進む事は出来ないはずである。
しかし不思議な事に目が覚めてからは、この、足元に広がった無数の木々の根や、
その間に隠れた鋭利な石も――おそらく今朝雨が降ったのだろう――湿った腐葉土
が足裏の熱を奪おうとも、道なき道を阻まむ巨大な岩石があろうとも、
この「体」を使えば簡単に太陽の光を遮断する薄暗い森の中でも簡単に
進むことが出来た。
脚力、肺活量…身体能力が格段に向上してる…。
まるで俺の体じゃないみたいだ……いや……違う、それも後で良いはずだ。
自分が何者でもあろうと、水を手に入れれなければ生きて家には帰れん…。
去年の、活発で行動力のある幼い甥と共にカブトムシを取るため森に出かけた
記憶を思い出しながら、彼は若干の不安を覚える。
心臓の痛み、気付けば森、身長は縮み体色は緑、獣を簡単に殺せるほどの
身体能力、感情や思考の変化――自分がこれまで「人間」として生きてきたから
こそ生まれた主観を抜きに現状を考えた時、彼の頭の中には一つの「想定されて
いない最悪の事態が」浮かんでいた。
そしてその不安は直ぐに的中した。
遠くの方で微かにだが、流れる水がまるで嵐の様に川辺の岩肌を削る音を、
その鋭い聴覚を有した耳が察知したのだ。
彼も森の中で異様にうるさく鳥のさえずりや、獣の足音が聞こえるといっても、
あの時、唸り声を聞くまで直ぐ近くにいたオオカミの存在に気が付かなかった
事を考えると、その時は今だこの耳に懐疑的であった。
しかし、歩を進めるにつれてその水音は確実に大きくなり、魚の水面を弾く
音が聞こえるほどにまで近づいた時には、既に生茂る木々の隙間から大地を
うならせるほどの水量を下流に落とし込む大河の姿が視界にあった。
目測でも幅は軽く数十キロは超しているだろうか。
そんなゴウゴウと水面を走らせる大河の水面に、微かに映る自分の姿に
彼は絶句した。
「………嘘だ」
揺れる水面に映るその姿は人ではない。
小さく武骨で、鋭い瞳と耳、蛮族のように突き出た顎から生える鋭利な牙。
それは正しく緑の体色を有した小鬼の姿。
いわゆるゴブリンであった。