10日目:新たな生活
洞窟の中、その寝室となる一画。薄暗い空間に淡い光が入り込んで来た。それが朝日である事を、瞼の毛細血管がオレンジ色に照らされていく中で感じ取った彼は体を起こす。
そして寝床として下に敷いた藁に、微かに残る自身の体温を尻で感じながら、目元にこびり付いたヤニを爪で取り除いていると、横から怒鳴り声のようなイビキが聞こえた。
目の前の鬼、グーガと夜を共にしてもう4日目になる。
その間は以前に殺した人間の装備の剥ぎ取りや、人質兼繁殖用として捕えた人間の女たちが、魔術を使えぬようにと――魔術は媒体となる魔道具や素材がなければ使用できない――装備していた武具とアイテムの没収。そしてグーガの集落跡でまだ使える道具や武器、日常品集めなどをしていった。
また狩りや採取、釣りで得た魚肉や山菜は必要な分を除いて天日干しにし、数日の保存食にもした。
当然、失敗すれば反省会も開いて改善点を探し、次の狩りへの糧にもすし、性欲が溜まればそのはけ口に、彼の持ち分となった女神官を獣のように犯しまくったりもした。
そんな生活を続けていくうちに、徐々にだが生活は安定していった。
しかし彼に日常は一向にやってこなかった。今だ人間の頃のような文化的で安全な暮らしが出来ていないもそうだが、なにより彼に子が出来たのだ。
といってもまだ出産した訳では無く、妊娠が発覚しただけであったが、彼の中には歓喜とも、恐怖とも、後悔とも思えないような複雑な感情が渦巻いていた。
ただ、少なくとも、この日を追うごとに膨らんでいく女神官の腹を見た時には、ただただ困惑しか芽生えなかった。
言葉でゴブリンや鬼が人間の雌を媒体に繁殖している事は分かっていても、やはり実在に自分の手によって子を、それも鬼の子を人間の女に孕ませた事実は彼の心の内に重くのしかかった。
それはゴブリン、そして人間の頃の感情が入り混じった父性的なものであったが、彼が人間であった頃の、甥っ子に抱いていたそれとはまた随分と違った原始的なものであった。
ただ加藤純一に子供が出来たことは変わらない。グーガもそれには両手を上げて喜んでくれた。自分も加藤に負けぬと悔しがるほどに。よくよく思えば彼のその言葉は自分のそれとはまた違った、手ごまが増えるといった利己的なモノではあったが、この世界で初めてできた友人が喜んでくれたのは、彼も嬉しかった。
そしてこの4日間のことを思い返しながら、彼は捕えた女たちが押し込められた、洞窟の小さな一画に作られた牢屋を見つめる。
すると手錠で腕を拘束され、ぐったりと地面に膝をついていた女たちも彼の存在に気が付いた。
その瞳は怒りに満ちていた。しかし視線を少し下にずらせば、二人は小さく息を乱しながら肩を震わせていた。またさらに下に視線をずらせば、今度は透明な体液を垂らし続けるモモイロの秘部があった。
そしてそんな凌辱の限りを尽くされながらも、嬉々として欲情している自分の体を彼にマジマジと見られることに今さながら恥じらいを覚えたのだろう。二人の女は歯を噛みしめながら頬を赤くし、脚を寄せて、先程までだらしなくも全開に見せていた股を閉じた。
しかし、どれだけ股を閉じようとも、そこから漏れ出る自身の体液を隠すことは出来ない。なにせ鬼族の体液には。相手の雌をを興奮させる妙薬成分が含まれているからだ。どれだけ心の中で自分を汚す鬼を恨もうとも、身体は相反してその快楽を受け入れてしまう。鬼のレイプは心も体も徹底的に殺しつくすのだ。並みの女であれば精神を崩壊し、いっそのこと鬼の伴侶として心を狂わすか、自我を消失させるほか存在しなくなる――のだが、今だに反抗的な態度を取る二人の女を彼は鼻で笑った。
「昨日の晩は快楽で悶絶していたくせに…いつまでその態度が続くか見ものだな」
そう彼女たちを侮辱するような言葉を言い残して、彼は刺さる様な異臭を鼻に残しながら洞窟の外に出た。
洞窟内の循環の悪い空気をため込んだ肺から吐き出すと、涼しい風を肌に感じながら自然の空気を吸こむ。そして今度は地平線の先から、木々の間を伝って差し込んでくる太陽光を命一杯に浴びていく。
「はあ…!!」
吐き出た空気と一緒に肩から力が抜けた。
そしてリラックスした状態で彼は屈伸をし始める。
そのどこか懐かしい足を曲げる動作をしたのち、今度は両手を揺らしながら肺に空気を入れていく。
少し時間が経った後、ふくらはぎを伸ばしていた彼の耳が揺れた。そして少しずつ大きくなる足音にグーガが目覚めたことを知った彼は体操を止め、洞窟の方へと振りむく。さすれば目の前には眠たそうにあくびをしながら、ノソノソと歩いて近づいて来る一匹の鬼がいた。
「早朝からご苦労なことだ。まだ空は紫かかっていると言うのに…」
「この明るさなら殆ど太陽は出てるよ。いいからグーガも」
「まあ…気分が晴れるからするがな」
「だろ?朝は体操とキャッチボール、これに限るって相場決まってんだ」
簡便で他愛ない会話をしながら二人が体操と、キャッチボールを終えたのは太陽が丁度地平線を昇りきった後であった。
彼はボールとして使っていたゴブリンの拳よりも一回り大きいクルミのような見た目をしたクワの実を適当に洞窟の中に放り投げると、グーガが宝物庫として扱っている一画から持ってきた、人間から剥ぎ取った片手用のサーベルを受け取り、それを背中に背負う。
そして左の腰には短剣を装備して、右の腰には朝食と狩りに必要な道具が入った、彼からすると少し大き目なポーチをベルトに巻く。
準備が出来たことを互いに確認し軽く頷いた二人は、武器を手にしながら森の中へと入って行った。
「綺麗な満月だ」
空には薄細い淡藤色の雲々がゆったりと流れ、そこに満月の光が差し込んでゆく頃、二人の鬼は洞窟の入り口近くに置かれた小さな焚火を囲んで空を見上げた。
「まさに吉兆。天が此度の豊作を祝っているかのようだ」
「ああ…少し前に見た時は何て寂しい夜空かと思ったが……これもまた良いな」
どこか嬉しそうに寂しそうに表情をコロコロと変えながら、灰と化していく焚火に木の枝を追懐していく加藤を、鬼はしみじみと見つめる。
「それはお主が一人ではないからだ。天を見上げれば我らを照らす月が、そして横には我がいる」
「そう…だな。あのころと比べたら随分とマシになったもんだ」
今の言葉は彼が自分の知らない、この世界よりも優れた人の世で暮らしていたからこそのだろうか。鬼は若干の温度差を感じながらも、既に冷たくなりつつあった大蜥蜴の脚にかぶりついた。
「こうして安全な寝床で上手い飯を食う、これ以上我は望まん」
「女が抱けなくてもか?」
彼の予想外の反撃に鬼は目を皿のようにまん丸にしながら面食らう。未練がましい彼に一つでもあてつけてやろうとしたのが――確かに、なるほど、それがなくては鬼は生きてはいけぬだろう。
「ふむ、これは一本取られたか」
「隙だらけだ」
そんな彼の言葉に鬼は嬉しそうに鼻で笑う。
「良い事ではないか。信頼たる仲間にしかオメオメと隙など見せれんわ」
そんな鬼の言葉に彼も笑う。確かにそうであると。思えば先程の自分がまさにそうではなかったか。小さなことでも新たにできた盟友との、小さな友情に気付けた彼はまた夜空を見た。
「少しだけ…良かったって思えるようになってきた」
「ふむ。それは良い事だ」
「ああ、この世界に来なければお前に…この綺麗な夜空にも出会えなかった」
腹は満たされ、友にも出会い、女を、そして子も得た。
これ以上何を望むのか、先程食べた大蜥蜴の肉の香りを口に残しながら、彼は女神官のいる一画へ進み始めた。
真っ暗な森の中で、そんな彼らの、新しい日常が壊される足音が近づいて来るのにも気づかずに。