傘と看板
レナードがレバーを二回押すとすぐに透明な水のようなものが、本来であれば火のつく箇所から垂直に伸び一瞬で傘の形を成した。
「これは……なんて便利な……。」
「この新作は数量限定なんだそうですよ。」
「は、はぁ……。」
レナードは突然の出来事に絶句したが恐る恐るその透明な何かが出ている所に手をかざしてみると確かに何かが当たる感触があった。
傘の部分からは雨水は滴り落ちてこないため、一応透明ではあるが傘としての役割は十二分に果たしている様だった。
まさかこんなにいとも簡単に魔法を目の当たりにするとは思っていなかったレナードは高揚したが、その女性が行きましょうと一声かけた後に歩き始めようとしていたのを見てすぐにその女性の隣を歩き始める。
レナードは自分の今の置かれている状況がとても奇妙なものであることをひしひしと感じていた。
あの髭面の男に謎の光のドーム、その中で見た人々の光景や声、渡された指輪や木製のワンド、今まで見たことなかったローブ姿の人々、そしてこの透明な傘。
これまでの魔法とは無縁だった人生がまるで嘘だったかのように当たり前に魔法のようなものの一端と触れ合っていることがレナードにはとても不思議に思えた。
そこから5分ほど通りを歩いたが、幸いであったかローブをきていない普通の人と会うことはなく、この傘を見られたら絶対にいけないとそう感じていたレナードにとってはありがたかった。
少し考えに耽っていたが、居心地の悪い沈黙が二人を包んでいるように思ったレナードは当たり障りのない質問をその女性に尋ねた。
「あの、二日酔いってここから近いんですか? 」
「そうですね、もうすぐですよ。」
黄土色の煉瓦造りの建物の間を進んでいく女性の後ろを追うように歩くレナード。
道幅はどんどんと狭くなっていくが、こんなところにバーなりパブなりがあるんだろうかとレナードは少し不安に思った。
特別汚いというわけではないがこのような人気のないような場所に建てる店など、ましてやこんなスペースに立つ店などどれほどのものなのかと疑い深くなる。
そう思いながら狭い通りを進むと何故か行き止まりに着いた。
そして何故かこの行き止まりのはずの高いレンガの塀には汚い看板がかかっている。
【うまい! 安い!『二日酔い』へようこそ! 】
レナードには全く意味が分からなかった。
看板だけで入口もない、あったとしても店を置ける幅なんて一ミリもないような場所だ。
こんなところに仮に店があったとしても誰も近寄りたくないだろうとさえ思う場所なのに、さらにその意欲をそぐような薄汚れた看板が特にひどい。
「ここ……だよな……。」
「えぇそうですよ、さぁ入りましょう。 」
そんなレナードの様子を見た女性が気を利かせたのかは分からないが、先へ進むように催促した。
そして女性はそのままレンガの塀の方に歩いていき、消えた。
「—————!? どこにいったんだ!? 」
余りにも自然に起きたことであったためレナードも一瞬普通にレンガの塀に吸い込まれていく女性をさも当然であるかのように見つめてしまっていたが、明らかな異常に認識が遅れてやってきた。
傘にしろこの出来事にしろ、女性が魔法使いかもしくはそれに関係する人であることは分かってはいたが、さらにこの魔法的な出来事によって再確認させられた気分にレナードはなった。
レナードは自分がどうすればいいのか分からずその場にとどまっていたが、一分もすると女性がこんどは顔だけを出してレナードにこう呼びかけた。
「もしかして、その幼児というのは二日酔いの外でしたか? 」
「うわっ!? —————ちょっと、驚かさないで……。」
人の顔が突然壁から生えてきたことに腰を抜かしてしまいそうになるほど驚いたレナードだったが、一度謝りそのまま顔の生えているレンガの塀に恐る恐る近づく。
「ほんとに、なんて日だよ全く……。」
そして強く目を瞑ったレナードは大きく息を吸うと共に、一気にレンガの塀の中に入った。