守りたいモノ
少年を探して森を歩む。伏真には少年がこの森にいるという確信があった。
「(グロッカの野郎、『同じ人間なら、あのガキみたいに大人しくしてろ』って言ってた。ここまで来たら、グロッカに会って、直接話を聞くしかねぇ)」
周囲を見渡し、猟銃を構えながら進む。いつどこから狙われるか分からない状況でありながら、恐怖は感じていなかった。
手に入る情報の全てを掴まんと、五感を研ぎ澄ませる。
虫の音、顔に風があたる感覚、微かに差し込む月光。
自然という絶対の力に掌握された空間に、反旗を翻す者が一人。
目に写ったのは青い光。伏真がそれに気づくと同時に、その閃光は直線をなぞって打ち出される。
辺りの茂みに飛び込んで姿を隠すと、襲撃者の姿を確認した。艶やかに輝く銀色の髪、間違いない。グロッカだ。
先ほど与えた傷は完全に止血されており、残っていたのは傷痕だけだった。
「(クソ、平和的に解決するなんて不可能ってことかよ!)」
「ぎゃはっ!どこに隠れたのかなぁ?出ぇておいでぇ‼」
さらに数発、光線が打ち出される。
ここら一帯を全て更地に変えるつもりらしい。その攻撃が止むことは無く、身を隠す盾は次第に失われていく。
このまま隠れていても、いずれ場所を割られ、あとは肉塊になるのみだろう。何か手を打たなければ勝機はない。
グロッカは辺りを見回しながら光線を打ち出す。
伏真はグロッカが背後を見せた瞬間、茂みから飛び出した。グロッカが気づいたときには、伏真は彼女の背に銃口を押し当てていた。
「さぁ、俺の目的は明快だ。お前の言った少年の場所を知ること、ただそれだけだ」
引き金に指を置き、いつでも発砲できる準備はしている。この距離ならば、恐らく光線は使えない。あれは強力だが、自分すら巻き込みかねないという危険性も持つ。伏真は今までの戦いを鑑みて、そう判断した。
「私の言うことを信用できるのか?仮に真実を語ったとしても、お前の行動を黙ってみてると思う?」
「俺を殺したいなら勝手にしろ。あの子と滝柴を安全な場所に逃がしてからならな。もし条件を呑むなら、お前の命も保証する」
グロッカはため息をつくと、首を縦に振った。
安堵した伏真が銃口を離したときだった。
「んなわけねぇだろぉ‼バァカ‼」
グロッカは猟銃を弾き飛ばすと、伏真の上に馬乗りになった。冷たい手が首元に延び、強い力が加わる。
「秘力は使えなくとも、お前一人殺すのに苦労なんてしねぇっつの‼もしかして勝てるとか思っちゃった⁉ほら、頭が高いって言っただろぉがよぉ‼」
苦しい。しかし、ここでくたばるわけにはいかない。
伏真はポケットからナイフを取り出すと、グロッカの脇腹に押し当て、力を込めた。
「がぁぁっ⁉」
伏真は力が弱まった一瞬の隙をつき、肘打ちをすると共に、拘束を逃れた。
伏真は落ちていた猟銃を拾い上げると、胸に照準を合わせ、重い引き金を引いた。
この距離ならまだ光線は撃てない。そう確信し、同時に一方的に攻撃するチャンスだとも思った。
しかし、それは叶わなかった。弾丸が放たれなかったのだ。
「まさか弾切れ……⁉」
「ついてねぇなぁ!人間!」
焦る伏真の脇腹に、グロッカの脚線が叩き込まれる。
伏真は悶えながら地面に倒れた。
「クソ……ここで死ぬわけには……っ‼」
伏真は落としたナイフに手を伸ばす。しかしグロッカはその手を踏みつけ、不気味に口角を上げた。
「ぎゃはっ‼形勢逆転だねぇ‼」
グロッカはひたすらに伏真の腹を蹴る。靴の先が腹部に食い込み、内臓がグチャグチャになるような痛みが伏真を襲った。
悲鳴をあげることすら許されないまま、鈍い音と共に強烈な痛みに侵される。
「あっはははははっ‼じわじわ痛め付けてやるよぉ‼お前には散々泣き喚いてから肉片になってもらおうかなぁ‼そうでもしないと、帳尻合わないからねぇ‼」
高笑いと共に、何度も何度も、腹部をえぐられる。意識が遠のき、死を覚悟したときだった。
グロッカの背後から突然人影が現れ、グロッカを蹴り飛ばした。突然の出来事に困惑するグロッカを無視して、人影は伏真に駆け寄った。
「お前は…滝柴……⁉バカ野郎、なんでここにいる⁉」
「伏真こそ、なんでこんなにも傷ついて……!」
滝柴は涙目になりながらも、グロッカを睨み付けた。
「あなたは私の大切な友人を傷つけた。あなたには、ここで贖罪として死んでもらう」
滝柴は拳を握り、グロッカの方へ駆け出す。その速度は人間とは比にならないほどで、一瞬で間合いを詰めた。
グロッカの顔面を狙い、拳を振り抜く。伏真には目にも止まらぬ一撃だったが、グロッカはそれを回避していた。同時に、グロッカは滝柴の胸ぐらを掴み、みぞおちに膝蹴りを叩き込む。さらにグロッカは、滝柴を放り投げると、横たわった彼女の顔を踏みつけた。
「たしかあんたの秘力は、相手の背後にテレポートするってやつだったよね?また随分とお粗末な力授かっちゃって……そんな格下の分際で私と戦おうって、身の程知らずだと思わなかったの?」
伏真はちゃんとした声にならないほど小さく『やめろ』と呟いた。しかしそれがグロッカに届くことはなく、ただ非情なリアルだけが目の前にあった。
「勝てるだなんて始めから思ってない……これは私達の問題。だから、私が死ねば収まりがつく……!だったら私はどうなっても構わないから!だから、あの人だけでも見逃して…お願いだから……!」
「(滝柴……!)」
この状況になってなお、彼女は自分を助けようとしているのだ。無力で、平凡で、どうしようもない自分のために、自らの身さえ差し出そうとしているのだ。
『本当に強くなりたいと思うなら、特別でも何でもないその手で、何かを変えてみせな』と、ふいに少女の言葉が甦った。
伏真が彼女のために出来ることは、ただ一つだった。
伏真は足に力を込め、僅かに残った力を振り絞って立ち上がった。
「そいつから、滝柴から離れろ……!」
「へー、よくやるねぇ。でも、死に損ないのお前に何が出来るの?」
「策はない。希望もない。でも、それが諦めていい理由になんてならないんだよ」
伏真は涙を流す滝柴の方へ目をやった。
「お願い…逃げて……!」
「すまねぇな、滝柴。それは出来ない。今まで散々嘆いてばっかりだったけど、ようやく気付けたんだよ。日常ってものの価値に。俺は絶対に生きて帰る。お前と一緒に!だから、自分がどうなってもいいなんて、言わないでくれよ……‼」
溢れんばかりの大粒の涙を流す滝柴を見て、覚悟を決めてよかったと思うことが出来た。
伏真はグロッカを睨み付けると、強く拳を握った。
「感動的だねぇ。まぁ、さっきも言ったように、あんたにはデカい礼がある。きっちり返してあげないとねぇ‼」
伏真はグロッカの方へ駆け出し、拳を振るう。しかしそれが当たることはなく、圧倒的な力の差によって、首を絞められた状態で木に叩きつけられた。
「はぁい、残念。これが現実だよ。所詮人間なんてこんなもんだ。何も守れはしないんだよ」
首を絞める力は徐々に強くなっていく。
『何も守れはしない。』はたしてそうだろうか。伏真はこの絶望的な力の差を見せつけられてもなお、諦めていなかった。
伏真はパーカーのポケットに手を突っ込み、中身を探り当てる。取り出したのは、緑色の髪の秘女の残したハサミだった。
伏真はそれを首を絞めていた右腕に振り下ろす。真っ赤な血が飛び散ると共に、伏真はグロッカを蹴り飛ばした。その腕はハサミが貫通しており、血液が溢れ出ている。
「なんで足掻くんだよ‼お前は‼」
至近距離にも関わらず、グロッカは光線を打ち出した。しかし、伏真はそれを回避した。反射神経と偶然起こった照準のブレによる結果過ぎないが、伏真にとってこの上ないチャンスだった。
咄嗟にナイフを拾い上げると、グロッカの腹部にそれを突き立てる。さらにナイフを握りしめたまま体当たりをし、グロッカを木の幹に叩きつけた。
「人間の格下の分際で、私に歯向かいやがって‼死ねつってんだろぉが‼」
伏真はナイフを刺したままグロッカと密着し、身動きを奪う。ナイフは少しずつ深く肉をえぐり、それにつれて伏真の手は赤く染まっていく。
「やめろやめろやめろぉぉぉぉぉぉ‼」
グロッカはハサミを右腕に貫通させたまま、それを伏真の横腹めがけて振りかぶった。
「ッ‼」
ハサミは伏真の腹部を赤く染め、血の色は次第に濃くなっていく。
「くたばれ!格下ぁ‼」
伏真はそれに怯むことなく、さらに深くナイフを刺し込んでいく。
「格下が‼死ねぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ‼」
「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ‼」
血が飛び交い、二人の咆哮にも似た叫びが森に木霊した。
生きるか死ぬかの攻防の末、最後まで立っていたのは伏真だった。腹部からは血を流し、何度も蹴られた箇所には痛々しく痣が残っていた。
「滝柴。俺、勝ったよ。ちゃんとお前を守れたよ……」
しかし滝柴は意識を失い、伏真も怪我により、命さえ危うい状態だった。
伏真はその場に倒れている滝柴を抱えると、再び深い森の中を歩き始めた。