栞
『二〇〇一年十月十日。
新たに孤児として施設に引き取られた少年は、伏真明と名付けられた。親に捨てられた彼は、最初はこちらを警戒していたものの、次第に慣れていった。
彼はすくすくと育っている。このままなら、社会に出ることも難しくはなさそうだ。
しかし、彼にはどこか自分の力を卑下しているような節がある。その劣等感によって、彼が社会に不服を抱くようなことが無ければ良いのだが』
自身に関するレポートを盗み見ていた伏真は、大きくため息をついた。
自分の過去に興味を持ったのは十歳のときだった。この施設には特殊な事情があるようで、子供達の過去は本人達にすら言えないそうだ。だからこそ、彼は気になってならなかった。
そんなとき、偶然廊下で院長室の鍵を拾ったのだ。最初は返そうとも思ったが、自分の過去への探求心が圧倒してしまった。
結局、得られたのはシビアな現実だけだった。両親のことだ、何か特殊な事情で預けられているだけだと今まで言い聞かせてきた。しかし、時を経るにつれて、それが幻想に過ぎないことを理解してしまった。だからこそ、知らずにはいられなかったのだ。
しかしそこには、捨てられたとはっきり書かれていた。分かってはいたものの、やはりショックだった。
「はぁ……クソ、性に合わねぇ」
とにかく院長に見つかる前にと、急いでレポートを元の場所へしまう。
「伏真」
突然名前を呼ばれ、院長かと思い振り返った。しかし、そこにいたのは院長ではなく、短い黒髪の少女だった。
「なんだ、滝柴か。驚かせるなよ……」
滝柴幽恋、彼と同じように施設に引き取られた少女である。同年代が彼女だけということもあってか、施設の中での会話のほとんどが滝柴とのものだ。
レポートを片付け終わると、滝柴の手を引いて院長室を出た。
「んで、何の用だ?」
「用がなきゃ話しかけちゃダメなの?」
滝柴は不満げに首をかしげてそう言った。
「いいや、ご自由に」
「ま、今日は用があるんだけどね」
そう言うと、滝柴は赤い表紙の本を差し出した。
「この前あなたに借りたもの。面白かったよ。特にラストでヒロインが主人公を刺し殺すところとかね」
「喜んでもらえたなら結構」
伏真はそっけなく返事をすると、その本を受け取った。
「じゃあね、また何か面白い本があったら薦めてね」
そう言うと、滝柴は去っていった。
ふと、ページをパラパラとめくっていると、最後の見開きのページに栞が挟まれているのに気がついた。表には赤い薔薇が一輪たたずんでいて、裏には直筆だろうか、『ありがとう』と書かれていた。
「几帳面なやつ。まぁ、誠意はありがたく受け取るけどな」
伏真は本を閉じ、自室へ戻った。
* * * * *
自室で寝ていたが、ふと目が覚めた。何やら施設はいつになく慌ただしい。
突然、勢いよく扉が開くと、息を切らせた滝柴がいた。
「遊んでいた男の子が一人、どこか行っちゃったの!伏真も探して!」
伏真は急いでベッドから起き上がると、外へ出た。
「どこか行ったってのは、施設の外へ出るところを見たってことか?」
「分かんないの!ただ姿だけが見えないらしくて。もしかしたらってこともあるから、私たちは外を探そう!院長の許可は出てるから」
普段は落ち着いている滝柴がここまで焦っているとなると、ただ事ではないことを再認識させられた。
「分かった。見つけたらすぐ連れ帰ってくれ。もし日が暮れても見つからなかったら、一度合流しよう」
「うん、よろしくね。それと、〝森〟にだけは絶対近づかないように」
伏真は『あぁ』と返事をすると、辺りを探し始めた。
彼女が森へ行くことを止めるのは、紛れもない〝彼女達〟を恐れてのことだろう。
秘女。それこそがその存在。秘力という魔法の力を使い、争いを起こしてきた者達。
「もしあの子が森に入ってたら……クソ、考えすぎだ。先に探さなきゃならねぇのは街の中だ」
伏真は夕焼けに照らされた街を走る。日が沈むにつれて、不安が肥大化していくのを感じていた。
狭い路地裏、付近の公園、人通りの多い商店街など、あちこちを探し回った。しかし、見つかる気配はない。もしかすると、こちらの方面にはいないのかもしれない。
街を照らしていた光は月光へと変わり、家々には明かりが灯っていた。
滝柴達の方で見つかっていれば良いが、と伏真は一度施設を目指した。
* * * * *
「見つからなかった⁉」
「ごめん、私達も全力で探したんだけどね……」
滝柴達の方でも、少年は見つかっていなかった。
日が沈んでも見つからなかったとなると、何かあった可能性が高い。
伏真は考え込むが、付近で探していない所となると、森以外思い浮かばなかった。
「私、森の方を見てくる」
滝柴はそう言いながら駆け出した。そのときの表情は、普段の滝柴からは想像できないほどに勇ましかった。
「待てよ!もし秘女と出会ったらどうするんだよ!」
「大丈夫だよ。危ないことになる前に、あの子を見つけて帰ってくるから」
危険だとは思ったが、走り去る彼女の後ろ姿をただ眺めるだけというわけにもいかなかった。
伏真は彼女を追いかけ、森へ入っていった。