ヒュラン
今回はヒュラン視点です。
頭にくる。
あの小娘。
ヒュランは自室に入ると共に、部屋にあるやたら豪奢なテーブルセットを睨みつけた。
テーブルセットに意思があれば思わずびくりと肩を揺らして後ずさりしただろう。
「クソ生意気な女め」
口に出し、ソファにどかっと座り、テーブルに乱暴に足を投げ出す。
とても一国の王子がとる行動ではないのだが、彼にとってはこれが日常。
「おい、ターリア。ちゃんと髪の毛は取れたのか」
扉の横で音もなく佇むメイドに振り返らずに問う。
「はい」
無表情のまま、最低限の発言での返事しかしないメイドだが、これがターリアの通常だ。
ターリアはヒュランが国王の命で三年ほど辺境に飛ばされていた時に、たまたま命を救ってやった女だ。
別に命を救ってやるつもりなどなかったのどが、成り行きで怪我したターリアを屋敷に連れ帰るはめになり、医者にみせてやったのだ。
本人はヒュランを命の恩人と思っているらしく、どんな命令でも嫌な顔一つせずこなしてくれる。
屋敷に来たときから、無口で無表情で、まるで血の通っていない人形のようだが、仕事だけは人一倍出来るので、今ではいつも側に置いて側近のように使っていた。
可愛気のない女だが、無駄に情報が漏れる心配がなくて使いやすい。
テーブルまで、こっそりと入手したフィオナの毛髪の一房を持ってきたターリアを見て、あの生意気な小娘と比べてしまう。
そばかすの浮いた肌に、どこにでも居そうな平凡な顔。肩口で前下がりにバッサリと切られた栗色の髪は、彼女の細い首をさらけ出してはいるが、男かと思えるほどに平な胸と痩せた身体で色気の欠片も感じられない。
それに比べて。
さっき必死に睨みつけてきた小娘を思い出す。
さらさらの絹のようなプラチナブランドに翡翠色の瞳、少し幼さは残るが美しい顔立ち、華奢ではあるが女らしさを漂わせる白くて柔らかそうな肌。
あの強気で芯の強そうな女を屈服させられると思うと、ぞくぞくとしてくる。
テーブルに置かれたプラチナブロンドの毛髪を見て、抑えられず声を上げて大笑いした。
「あははははは!たまらないな!」
ひとしきり満足するまで笑うと、ただ黙って部屋の隅に立っているターリアを下がらせる。
ターリアが部屋から出てしばらくしたころ、王族だと気づかれないような質素な服装に着替えた。
ここからはいくら信頼している側近とは言え、知られる訳にはいかないのだ。
毛髪を紙に丁寧に包んでなくさないようにして、ニヤニヤと押さえられない笑みを浮かべたまま、目的の為に部屋を後にした。
王宮を出ると、フードをかぶって人目に付かないようにする。
自分には分からないがおそらく王の手の者が後をつけて来ているだろう。
いつもの事だ。
つけて来たければくればいい。どうせ徒労に終わるのだから。
繁華街に入り細い路地をいくつもくねくねと曲がって進む。
そろそろか。
目の前の路地を曲がった途端、身体が浮遊感に覆われて目の前が暗くなった。
まるで内臓を素手でぬるりと触れるかのような、気持ちの悪い感覚の後に、急に視界がクリアになる。
「よお、イノス」
目の前には真っ黒なフードをかぶった人物が、これまた黒づくしのこじんまりとした部屋の中で、テーブルいっぱいに広げたよく分からない魔方陣や術式と格闘していた。
「ああ、ヒュラン」
いつも目深にフードをかぶっているせいで、ちゃんと顔を見た事はないが、声と体格からして、二十から三十代くらいの女性だと見当をつけている。
このイノスという怪しげな呪術師と出会ったのは、半年ほど前だ。
三年ほど辺境に追いやられていたヒュランは、王都に一年前に戻って来たのだが、やることなす事、王フェリクスと意見が合わず、挙句の果てには王位継承権を剥奪されそうになっており、なんとか王の座からフェリクスを引きずり降ろせないかと暗躍していた。
そんな時出会ったのがイノスだ。
出会いは偶然だった。
街の外れで占い師をして小銭を稼いでいたイノスに、なんとなく占いをしてもらったのがきっかけだ。
イノスは自分が王子だという事や、王を蹴落としたいと思っている事をズバリと言い当てた。
危険な匂いのするこの女を殺してしまおうかと思ったが、女はそんな考えすら言い当てた。
「私を殺してもあなたには何の得もない。それより私ならあなたの役に立てる」
そう言って目深にかぶったフードの口元をニヤリと持ち上げたイノスを最初は気味が悪かった。
それがたった半年で心底頼りにしている人間へと変わってしまった。
最初呪術師と聞いた時は、魔導士のようなものかと思ったのだが、彼女に言わせると、呪術師と魔道士とではまるで違うらしい。
一言で言うと呪術師というのは、対象となる物や人物の一部を使って、その対象に術式を用いて呪いをかけていくというものだった。
なんだかまどろっこしいというのが、第一印象だった。
魔法と違って、破壊力のある攻撃が出来るわけでもでもなく、時間や準備がやたら必要でその結果呪いをかけるだなんて馬鹿馬鹿しい。
そんな暇があるのなら、こちらの戦力をもっと集め、クーデターを起こす方が手っ取り早い。
そうイノスに言ったのを覚えている。
「だからあなたは馬鹿なのよ」
そう言ったイノスをカッとなって殴ろうとして、身体が動かなかった。
文字通りピクリとも身体が動けなくなってしまったのだ。
「どう?これが呪術。この部屋の中で私に危害を加えようとするものは動けなくなる。そういう呪いをこの部屋に掛けてある。この意味が分かる?呪術というのは時間と手間さえかければ、自分の思う通りに世界を作り替える事が出来る。例えば、王に衰弱という呪いを掛けたら?無駄な争いをしなくたって、この国を手に入れる事が出来る。何の証拠も残さずに。もちろんそれには色々準備が必要だけど。でもあなたなら王に怪しまれず接触が出来て準備を整える事ができる。これでも呪術を馬鹿にする?」
そう。呪術は思った以上に王を引きずり降ろすのに効果的だと気が付いた。
そしてイノスは自分の片腕となったのだ。
もはや運命共同体。
イノスへの接触の仕方は、実の所どうなっているのか自分でもよく分かっていない。
彼女に会いたい時は、このあたりの繁華街の裏通りをウロウロ歩けと言われている。
言われた通りにすると、いつも違う場所で、急に目の前が暗転し、気づけばこの黒一色の部屋に飛ばされているのだ。
「また後をつけられていたかもしれないが、本当に大丈夫なんだろうな?」
「大丈夫。今頃いきなりあなたがいなくなって、あたふたしているはず」
「未だにどういう仕組みなのかよくわからんな」
「説明してもどうせ理解できないでしょう?」
「まあ、そうだがな」
「それで、どう?国王の様子は」
「ああ、数日前にやっと倒れた。意外と時間がかかったな」
フードの奥からイノスがニヤリと笑ったのが見えた。
「そう……。でもまだ完全じゃないわ。ほら見て、この魔方陣。まだ術式の模様が完全に黒に染まっていない。まだフェリクスの精神が反発しているからよ。魔法と違って呪術は時間がかかる。倒れて意識がなくなってきていても、まだ心が反発している」
「あとどのくらいかかる?」
「さあ、それは個人の心の強さによるからなんとも。フェリクスの心が折れればあっという間に衰弱は加速してすぐに死ぬ。とは言ってもそれもフェリクスの心次第。明日かもしれないし一月後かもしれない。でも普通ならとっくに折れてもいい頃。きっとさほど長くはない。別にもう起き上がれはしないだろうし、強引に王位を奪っても構わないのでは?」
「まだだめだ。完全にあいつが死ぬまでは。あいつの部下達はやたら優秀だ。あいつが生きている限り俺に王位を明け渡したりしないだろう」
「いっそのこと、その部下達を人形にしてしまう?時間はかかるけど毛髪を持って来れば、絶対服従の呪いを掛けれる」
「そんな事もできるのか?」
「できる。絶対服従の呪いは相手を完全に自分の人形にしてしまうから、相手は自我のなくなった人形になる。生きているだけの言いなりの人形」
「それはそれで面倒だな。いちいち命令しないと何もできないのでは困る。俺は細かい政治は面倒だからな。その辺はちゃんとやってもらわないと」
「確かにヒュランが政治をまともにできるわけがないな」
ムカつく言い方だが、イノスにだけはそう言われても最近腹が立たなくなってきた。
事実なのだから仕方がない。
実際今現在ろくに国政に関わっていない自分が、一人でこの国を治めるのは無理だ。
だがフェリクスの今の腑抜けたやり方には全くもって納得できない。
元々このコロラ王国は軍事国家で、若かりし頃のフェリクスは絶えずどこかの国と戦争をして勝っていた。幼いながらにその姿を見て憧れたものだ。
いつか自分も強い王に、誰もから恐れらる気高い王になると。
それがカプラス王国に戦争で負けてからフェリクス王は変わってしまった。
まるで牙を抜かれたように大人しくなってしまい、隣国とは友好条約を結ぶ始末。
全く腑抜けたものだ。
だから自分が王になり、また昔みたいに強いコロラ王国を取り戻すのだ。
この毛髪もその為に役に立つだろう。
「イノス、いいものが手に入ったんだ」
「なに?見せて」
ポケットから取り出した包みを渡すとイノスはそれを広げじっと見つめた。
「綺麗な髪……」
フードからこぼれて見えるイノスの髪は真っ黒のくせ毛でお世辞にも綺麗とは言えない。
この女でも一人前に綺麗な髪にあこがれたりするのだろうか。
「髪だけではなく見た目もかなり上等な女だ。クソ生意気だがな」
「へえ。誰?」
「前に話しただろう。カプラス王国の女魔導士だ。オーム山脈でワイバーンを倒した女」
「ああ、ヒュランを雷撃で脅したっていう」
ちっ、くだらない事はしっかり覚えていやがる。
「今、式典に出席するために、王宮に来ている。まあ俺が呼んだんだがな。それでその女の事を色々と調べたら、カプラスに潜入させている者から面白い報告が入ってきたんだ」
「聞かせて」
「名前はフィオナ・マーメル。王宮魔導士に今年主席で合格したらしい。魔植物園?というところの所属だ。前にここにポーションを持って来ただろう。金のシールが貼ってあるやつ。あれを作っているのが魔植物園だそうだ。その魔植物園の所長というのが、あの伝説の大魔導士ルティアナらしい」
「!」
顔は全く見えないが、イノスがびくりと反応した。
「なんだ?何か気になったか?」
「いえ、続けて」
「その魔植物園というのはかなり特殊な場所らしくてな。ルティアナと、フィオナ、それから名前は忘れたが、副所長の男の三人しかいないそうだ。つまりあのポーションを作れるのはその三人だけという事だ。これがどういう事かわかるか!?フィオナ・マーメルを手に入れれば、あのとんでもなく効果の高いポーションの作り方が手に入るんだぞ!」
「そんな事は考えればすぐわかる」
全く可愛げのない女だな。
「それにもう一つ。オーム山脈でカプラスの討伐部隊に密偵を送り込んでおいたのだが、面白い話を持って帰ってきた。聞きたいか?」
「もったいぶらないで」
「聞いたら驚くぞ。オーム山脈でフィオナ・マーメルが大きな白い魔獣を従えていたらしい。どうやらそれが少し前にソレルの街近くで見つかった雷獣じゃないかって噂だ。まあ、雷獣でないにしてもやたら強い魔獣を従えているようだ。フィオナを服従させれば、あいつ自身の戦闘力に加えて、ポーションと協力な魔獣もついてくる。笑いがとまらないさ!」
本当に笑いが止まらない。声を上げて笑っていると、横でイノスがくすくすと笑い声を上げているのに気づいた。この女が声を出して笑うのを初めてみた。
「なんだイノス。お前も笑うんだな」
「だって、こんな偶然が……。まさかルティアナのね……。ヒュラン、そのフィオナって女の事もっと調べて。どんな些細な事でも」
「それはいいが、それより式典は明日だ。それが終われば奴は帰ってしまう。その前にあの女を俺の物になる呪術を掛けて欲しい」
「何?惚れさせたいの?」
惚れさせたいのか?
いいや、違うな。
それではつまらない。
「惚れされるのは飽きてからだ。惚れていないのに、俺から逃げられなくなるようにしたい」
「うーん……。じゃあ王宮から出られなくする呪いか?」
「そういう事じゃない。そうだな、俺の命令に逆らえなくなる呪いとかできないか?」
「出来なくはないが酷く難しい。それは絶対服従の呪いから自我を失わせないようにするという事だ。何段階にも呪術が複雑になる上に、精神干渉の呪いは相手の心の強さによって効き具合が左右される。取り敢えず呪術を掛けても、簡単な命令しか聞かないだろうな」
「明後日にはおそらく奴らは帰ってしまうんだぞ。なんとか出来ないのか?」
「無理なものは無理。呪術を掛け始めたとしても、最初は効果が弱い。フェリクスの件でそれは分かっているだろう」
そう言えばそうだ。
フェリクスも呪いをかけはじめた頃はなんとなくだるそうな素振りを見せるだけだった。
「それに命令に逆らえないようにという事は、呪術がしっかりとかかるまでは、出来るだけ側にいて命令し続けないと効果が出ない。常に一緒に居るのは無理だろう?とりあえず王宮に引き留める呪いが先だが、あからさまに変な事をすれば、怪しむ人間も出てくるだろう。一先ず体調でも悪くさせるか。具合が悪いのに無理に帰ったりはできないだろう?」
「そうだな……。帰られてしまっては元も子もないからな」
「ああ、効果の出やすい頭痛やめまいなどの呪いをかけよう。それと同時に自我を失わない服従の呪いも掛ける。ヒュラン、出来るだけそのフィオナという女の近くで軽い命令をし続けるんだ。その方が呪術の効きが良くなる」
「わ、分かった。常に命令か」
「それも周りに怪しまれないように」
周りに怪しまれないように常に命令。
どうしようか。
じっと眉間に皺を寄せて考えているとイノスが口元をくっと上げた。
「こういうのはどう?ひたすらフィオナ・マーメルを口説く。命令口調にしなくても構わないから、側にいて欲しいとか、一緒に話したいとか言い続ける。それなら周りも無下にできないし、その程度の軽い命令なら彼女もおかしいとは思っていても逆らえない。ただあまり彼女が拒絶するような事を命令してはだめだ。呪術のかかり始めにはそういうのは効かない。死ねと命令しても彼女はそれに逆らう。だから、断りにくいような事を命令してなんとか呪術が本格的にかかるまでは側で命令し続けて。そう……、まずは三日。明日の朝呪術を開始する。そこから三日引き留められたらまた会いに来て」
「分かった。三日だな」
口説く……か。
そうだな。それも面白い。
嫌だと思っているのに、段々逆らえなくなっていく気持ちはどんなだろうな。
そうして屈服させられていくあの生意気な女を思い浮かべる。
楽しみだ。
思わず口が勝手に凶悪な笑みを浮かべていた。