コロラ国王城
カプラス国王宮を出てから五日。
道中何事もなくソレルの街の宿へと到着した。
まあこれを何事もなくと言っていいのかどうか分からないが。
「オリーブ、何か飲み物でももらえないかな?」
「エマ、王子が飲み物だって」
「あなたが頼まれたんでしょう?私はいやよ」
「シグマ、お願い。私は馬車でずっと一緒だったのよ。肺が闇に侵されているの。これで手がふれたりしたら、もう使い物にならないわ」
「俺は戦闘スタイル剣がメインなんだぞ。俺の手が穢されて困るのはお前らだろう」
延々と繰り返される、三人の王子罵り合いに、そっとため息を漏らして、飲み物を手にケイン王子の元へと向かう。
「ケイン王子どうぞ」
コップに入った果実水を手渡すと、ケイン王子は意外そうな顔をした。
「ああ、ありがとう。フィオナさんは本当にいい子だね。それにこの状況で私に飲み物を持ってくるなんてとんだ変わり者だ」
この五日間、三人の護衛以外は基本的に王子に関わろうとしなかった。
どんなにこの三人に王子が罵られ、冷たい態度を取られようと、皆すっと視線を外して我関せずである。
「いえ、王子こそこんな普通の宿でしかも皆と一緒に食事だなんて、変わっていますね。王族ならもっといい宿に泊まるのが普通なんじゃないんですか?」
「いや、いいんだよ。そういう所は息が詰まるからね。なるべく普通の住民と同じように気軽にいたいんだよ」
爽やかにそう微笑むケイン王子は、とても紳士的で見た目もとても格好いいのに、どうして皆こんなに冷たいのだろうか。
リヒトやセオ隊長に聞いても笑ってごまかすばかりで教えてくれない。
悪い人には見えないのにな。
そう思いじっとケイン王子を見ると、後ろからエマにばっと目を塞がれた。
「フィオナさん、目が腐ります」
目を覆われたまま、リヒトとセオ隊長がいるテーブル席へと連行される。
「ちょっとリヒト。この子をちゃんと見てなきゃだめじゃない。あと三秒で、目が腐り落ちるところだったわ」
「はあ、エマさん。それはちょっと言いすぎじゃあ……」
さすがにリヒトがたしなめると、すぐ横からオリーブの声がした。
「これを見てもそう言えますか?」
目を塞がれているので何を見ているのか分からないが、リヒトとセオ隊長が息を呑むのが分かった。
「これって……。いつの間に。うわあ、私もこれはさすがに引きますね。似合っていますけど……」
「っ!こういうのって犯罪にならないのか!?」
口々に言う二人の言葉に気になって仕方ない。
「なんですか?私にも見せてください」
ぐっとエマの手が強くなり、目を更に抑え込まれる。
「だめです。あなたのような純粋で真っ白な人が見たら、精神が崩壊するものです。そして残念ながら王子がやっているので犯罪だとしても取り締まれないのが現状です。私達も散々被害を受けましたが、ボスには我慢しろの一言で済まされてしまいました」
「お可哀想に」
「酷いな」
「もう!一体何の話をしているんですか!」
エマの手で何も見えない中、一人だけ訳が分からずもやもやしていると、すっと手が離れていった。
急にクリアになった視線の先で、リヒト達が憐れむような表情を浮かべている。
「フィオナさん、あんまり王子に近づいてはいけませんよ」
リヒトがやんわりとした声で言うと、隣のセオ隊長もいつもの怖い顔を更にしかめてうなずいている。
この二人にそこまで言わせたものは一体何なのだろうと気になって、二人を問いつめるが、結局だれも頑として教えてはくれなかった。
なんだか釈然としないまま、ソレルでの夜はふけていった。
翌日国境ゲートを抜けて、コロラ王国王都へと向かう。ここからまた二日かけて、王都エルメロへと到着した。
この王都エルメロは、カプラス王国よりずっと南にあるため、思っていたより気温が高く、湿度も含んでいるため、何もしていなくても、じっとりと汗ばむくらいだ。
こんな事なら夏用のローブを着てくれば良かったと、腕をまくり上げ、体温を逃す。
それでもじわじわこもっていく暑さに、弱く冷気の魔法を発動して、身体を冷した。
エルメロの街に付くと、待ち構えていたコロラ王国の騎士達に囲まれて、いやに仰々しい挨拶を受け、王宮まで護衛された。
箒で飛びながら、目の前に見えて来た王宮に目を丸くする。
王宮というか、それは王城であった。荘厳なレンガ作りの立派な城がどーんと小高い丘の上に立っている。
「うわあ!凄い、なんかカプラス王国とは全然違いますね」
思わず声を出して見上げていると、リヒトが箒をよせてくる。
「フィオナさんはそういえば初めてですか。びっくりしたでしょう」
「はい、なんだか、物語に出てくるようなお城みたいで、ちょっと感動です」
「カプラスの王宮は、実務的な建物ですからねえ」
「これを見れただけでも来たかいはあったかもしれません」
「そうですね。それに、コロラ王国は温暖な気候故に、果物や農作物の種類が豊富ですから、見た事ない物も食べれると思いますよ」
「本当ですか!?それは楽しみになってきました!」
はしゃいだ声を出すと、リヒトが更にぐっと箒を寄せて声を落とした。
「けど、気を付けて下さいね。フェリクス王の前で迂闊な事はしてこないと思いますが、あの王子から直接手渡された食べ物や飲み物には手を付けないのが懸命です」
毒を盛られるかもしれないという事だろうか。
すうっと血の気が引いていき顔がこわばる。
「ああ、でもそんなに緊張しないでください。私かセオ隊長が出来る限り側に付いていますから。それに今回も持ってきているんでしょう?ポーション」
腰についているポーチをリヒトがちらりと見る。
「はい、シキが持っていけって。ポーチを付けれない時もポケットに忍ばせておくようにって」
「実は出発前に私の所にもシキ君が来てポーションを大量に置いていったんですよ。あなたの事を頼むって言われました。いやあ愛されてますねえ」
いつの間にそんな事を。
だけどそれより、あのシキがそんな事をしたというのが信じられなく、たまらなく嬉しかった。
「まあ、使わずに済むのが一番なんですけどね。なのでポーションの数は気にせずに何かあればためらわずに使ってくださいね」
リヒトはこれ以上こそこそ話しているとまずいと思ったのか、目配せだけしてすっと離れて行った。
王宮に着くとケイン王子は、国王に挨拶をするため護衛三人とコロラの騎士数人と共に城の奥へと消えていった。
フィオナはオリーブとエマと共同の部屋を準備されたが、二人は今ケインについているので、広い豪華な客室に一人きりだった。
荷物を整理しようかと思ったが、大した荷物もないので、無駄に豪華な部屋の中を、あれこれ見て回っていた。
部屋の物色もすぐに飽きて、ぽすんときらびやかなベッドに仰向けに転がって、ぼうっと天井を見る。
天井まで無駄に豪華だ。
軽く目を閉じると、無性にシキに会いたくなった。あの暖かい体温と匂いに抱きしめられたい。
首から下げてある金属の笛を手に絡めて、ぼんやりしていると、扉をノックする音が聞こえた。
おそらくリヒトかセオ隊長だろう。
彼らもそれぞれ部屋に案内されているのだが、別れ際に部屋に一人になるフィオナを心配して、後からすぐに来てくれると言っていたのだ。
扉の前で『はい』と返事をすると、意外な事に女性の声が響いてきた。
「お茶をお持ちしました」
どうやら王宮の侍女かメイドが飲み物を運んできたようだった。
女性の声だった事に安心して、扉を開けると、お茶の用意の整ったワゴンを押したメイド服を来た女性と、その横ににやりと獰猛な笑みを浮べたヒュラン王子が立っていた。
思わぬ人物に息を呑んで一歩後ずさると、王子は笑みを深くして、部屋に強引に入って来た。
「あっ」
うっかり要注意人物を部屋に入れてしまった事に焦り、なんとか出て行って貰おうと口を開く。
「ヒュラン王子、なんのご用でしょうか?」
毅然とした態度で王子の前に立ちはだかり、これ以上部屋に入るなと無言の圧力をかける。
「フィオナ・マーメル。お前は相変わらず私が誰なのか分かっていないようだな。式典への招待者である王族に対して、無礼だとは思わないのか?」
コロラ王国王城という、自分のテリトリー内だからだろうか、不遜な態度は以前のままだが、余裕のある口ぶりだ。
「これは失礼いたしました。この度はお招き頂きありがとうございます。招待状の内容では、オーム山脈で王子を助けた礼をと言う事でしたが、女性一人の部屋に入り込むというのは、礼に欠けていると思うのですが?」
「ふん、口のよく回る。気の強い女は嫌いではないが、お前は私の神経を逆なでるのが上手いな」
すっとヒュラン王子の顔から余裕の笑みが消え、何かされるかもしれないと、一気に警戒心が高まった。
黙ったまま、じっと冷たい目を向けていると、ヒュラン王子は廊下に立ったままの、無表情なメイドに目配せし、顎をくいっと部屋の方に向ける。
「メイドが一緒なのだ。そんなに警戒する事もないだろう。少し茶に付き合え」
「喉は渇いておりませんので」
「別に何かしようと思っているわけではない。少し話がしたい」
ヒュラン王子はズカズカと部屋に入ると、どかっとソファに腰を降ろしてしまった。
メイドはカラカラと音を立てて台車を押して、ソファの横でお茶の準備をし始めてしまう。
ふわっと良い茶葉の香りが漂って、仕方なく王子の向かいに腰を降ろした。
「それでお話とは?」
「式典の前に直接言っておこうと思ってな。オーム山脈では世話になった。フィオナのおかげで生きて戻る事が出来た。礼を言う」
いきなり呼び捨てで名を呼ばれた事に、少しばかりムカッとしたが、改めてきちんと礼を言ってきたので、少しばかり意表をつかれた。
「なんだその顔は。招待状にも書いただろう。礼をしたいと」
「え、ああ、その……。私はあの場で出来る事をしただけです。ですので、どうかお気になさらないで下さい」
目の前にメイドが紅茶の入ったカップを置く。湯気と共に良い香りが立ち上がった。
じっとそれを見つめて、それでも紅茶に手を付けないのを、ヒュラン王子は目ざとく指摘する。
「それはコロラ王国特産の高級茶葉を使った紅茶だ。紅茶は苦手か?それなら別の飲み物を準備させるが」
「いえ……、そういう訳では」
「毒など入っていないぞ」
薄ら笑いを浮べ、ヒュラン王子は同じポットから注がれた紅茶を口に付ける。
ここまでされては口を付けないわけにもいかない。こちら側のティーカップにだけ何か毒を塗られている可能性も考えたが、魔植物園で色々な毒に毎日のように晒されているのだ。王子が退出してすぐポーションを飲めば問題ないだろう。
一口紅茶を口に含むと、ふわっと上品な香りが鼻を抜けてゆく。
「おいしい」
「そうだろう。ここに居ればいくらでも飲ませてやる」
言っている意味が分からず、少しばかり首を傾げると、ヒュラン王子がすっと目を細めて、立ち上がった。
そのまま、フィオナの横に腰を降ろして、片手で手首を掴み、もう片方の手を後頭部に回して、顔を引き寄せようとしてくる。
「ちょっ、何を!?」
掴まれている手を振り払うと、さっとソファから立ち上って、王子から距離をとった。
「ふん、このくらいの事でいちいち大げさな反応だな。まあいい、そのうちじっくりさせて貰うからな」
「はあ!?」
「フィオナ・マーメル、お前は俺の物になるんだ。オーム山脈で恥をかかされた分もたっぷり可愛がってやる」
「私はあなたの物になるつもりなんてありません!」
この王子は一体何を言っているのか。
思い切り睨みつけて怒鳴ると、飢えた肉食獣のようなギラギラした目で見返される。
「ははは!お前に選択権はないんだよ」
「おっしゃる意味が分かりません。そんな話をしたくてこちらに来たのであれば、どうぞもうお取り引き下さい!」
ジトリとなめ回すような王子の視線に、フィオナは全身に鳥肌が立つ。
早くこの王子を追い出さなければ。
メイドが居るとはいえ、やはりなんとしても部屋に入れるべきじゃなかったのだ。
メイドはお茶を入れ終わると、ソファの横に立ったまま、目を伏せて人形のように立っているだけだ。
王子が何をしても見て見ぬふりを決め込むのだろう。
こうなったら自分がこの部屋から出ていこうと扉に向かって歩き出すと、その扉が外からノックされ、心臓が跳ね上がった。
「フィオナさん、私です。リヒトです」
外から掛けられた声にこれほど安堵した事はない。すぐに手をかけてバンと扉を開く。
あまりに勢いよく開いた扉に驚いているリヒトの後に回り込んで、背中にしがみついた。
「フィオナさん?どうしたん……」
フィオナの奇行に目を白黒させたリヒトは、部屋の中にいるヒュラン王子に気づいて、すぐに察したようだ。
「邪魔が入ったか。まあいい、今は引くとしよう」
ヒュラン王子はそう言うと、あっさりと部屋を出ていった。
その後をワゴンをカラカラと押して、何事もなかったかのように無表情で出ていくメイドが、ことさら恐ろしく感じられた。
ここは、ヒュラン王子のテリトリーなのだと思い知らされたようだった。