混乱
今回はシキ視点です。
頭が重い。
最近ずっとそうだ。
原因は分かっている。
寝不足と極度の精神疲労だ。
フィオナが遠征に行ってしまってから、もうすぐひと月になる。
経験上魔獣の討伐遠征は、長くてもせいぜい二週間程度だ。
それがもうひと月だ。
予想していた二週間を過ぎてフィオナが戻らない日々が続くと、一日毎に精神が大幅に削られていった。
明日には帰ってくるのではないかと思って、やっぱり帰ってこなかった時の絶望感は半端ない。
こんな事ならルティアナにだめだと言われても、やはり自分が遠征に行くべきだった。
このひと月、シキは毎日の様にそう後悔するのであった。
☆
フィオナが遠征に出掛けてから、一週間ほど経った日、ルティアナが二階の研究室から、勢い良く飛び降りて来た。
「よおっおおし!これでもう成功したようなもんだ!」
ルティアナが雷獣を連れ帰った日から取り掛かっている研究が、いよいよ完成に近づいたようだ。
「もう付きっきりじゃなくても大丈夫なの?」
「ああ、あとは一日一回魔力を流し込んでいけば、あとひと月くらいで完成するだろう」
「ふふ、楽しみだね」
「ああ、シキにもだいぶ手伝わせたからね。助かったよ」
「いや、僕もやりたかったから」
「それなら、今日から一日一回の魔力補充を任せてもいいかい?」
「別に構わないけど、ルティがやりたいんじゃなかったの?」
「私はちょっとオーム山脈に行ってくるよ。なんだか嫌な予感がするんだよね。こう、こめかみの辺りがムズムズするんだ」
ルティアナの嫌な予感はよく当たる。フィオナに何かあったのではないかと心配になり、どうしようもない焦燥感に襲われた。
「分かった。魔力補充はやっておく。ルティはすぐにでも行って」
「ああ、万が一フィオナに何かあったら困るからね。悪いけどシルフも連れていくよ」
「うん、急いで行って。そしてフィオナの様子を見て来て。そうじゃないと心配で眠れない」
「どうせフィオナが出掛けてからろくに寝て無いんだろう?」
「そうだけど、嫌な予感とか聞いたら、心配で発狂する」
「わかったよ。じゃあ、後は任せたよ」
そう言って出て行ったルティアナが帰って来たのは五日後だった。
待っている間の五日間は本当に発狂するんじゃないかというくらい気が気じゃなかった。
キノを抱いていなかったら、本当におかしくなっていたと思う。
「よお!帰ったぞ」
「ルティ!お帰り!フィオナは?」
「ああ、ギリギリセーフだった」
その言葉にゾッとする。
心臓が止まるかと思った。
「どういう事……?」
自分の声が恐ろしく冷えていた。
「オーム山脈にでっかい瘴気の穴が空いていて、そこからうじゃうじゃ魔獣が流れて込んで来てたよ。考えていたより、予想を遥かに超えて状況が悪かった。第一級魔獣もゴロゴロ。お前のバカ弟子は仲間を助けようとして、ワイバーン五匹に囮として突っ込んで行ったらしいぞ。帰って来たらちゃんとお仕置きしろよ」
一気に血の気が引いた。立っていられなくて思わずソファに座り込む。手が震えていた。
そういう無茶をフィオナはやりかねない。
やっぱり自分が行くべきだった。
死ぬほど後悔した。
「ルティ、今から僕とフィオナ交代できない?僕がオーム山脈にいくから、フィオナを戻して」
「だめだよ。それじゃああの子の為にならないだろ。最後までちゃんとやらせてやりな」
「交代してくれないと、僕が精神疲労で死ぬ」
「大丈夫だよ。さすがに危険だから、フィオナにはシルフを付けてきた。だからこれ以上あの子が危険になる事はないよ」
「それだって絶対じゃないでしょ」
「だーいじょうぶだって!お前もシルフの強さは分かってるだろ?ワイバーンなんて虫けらみたいに倒しちまうような奴なんだから。それに私もまた瘴気の穴を塞ぎに戻らなきゃなんないからね。何かあれば私がいくさ」
それでも心配で心配で仕方がない。多分フィオナが居なくなったら自分は壊れてしまうと思う。
「そうそう、お前が持たせた笛、あれ役に立ったぞ。あれのおかげでフィオナが死なずに済んだんだからな」
最後にフィオナに会ったときに、首にかけてあげた金属の笛を思い出す。本当に軽い気持ちで渡した物だった。吹けば周りの誰かが援護してくれるかなと。
それにあの笛を見たら自分を思い出して貰えるんじゃないかと。
あの時の笛を渡しておいて本当に良かった。
とにかく、今フィオナが無事でいることが分かってほっとしてしまい、その後倒れるようにソファで眠ってしまった。
ルティアナは翌日にはまた出掛けて行き、五日にまた帰って来た。
寝不足が続き過ぎて、床にぶっ倒れて眠っていた所に帰ってきたので、起きてから思い切り怒られてしまった。
「こんのバカタレが!ぶっ倒れる前にソファに行くくらい出来なかったのかい!」
出来なかったのだ。許してほしい。
ルティアナに魔獣の状況を聞くと、ため息まじりの返事が帰って来た。
「思ったより魔獣の量が多くて遠征は長引きそうだね」
その言葉にがっかりする。
「でもフィオナは元気にやってるよ。そうそう、伝言がある。ちゃんとご飯食べてしっかり寝るようにだってさ」
フィオナのあの可愛い口が説教地味た口調でそう言ったのかと思うと、思わず笑みが浮かんだ。
寝るのは無理だが、最近ちょこちょこアキレオがユアラの作った弁当を持ってやってくるので、まあ、食べるは食べている。
「フィオナに言っておいて。早く帰って来ないと眠れないって」
「それはもう言ってあるよ」
ルティアナはそう言うと、ブツブツつぶやきながら、園内の結界を張りに行ってしまった。
まともに眠れない日々が続き、遠征からもうすぐひと月になろうとしていた。ルティアナは既に結界を張り終えて帰って来ており、フィオナももうすぐ帰って来るはずと言っていた。
だが、ルティアナが帰って来てから、なかなかフィオナは帰ってこず、さすがにこれ以上長引いたら、精神が崩壊するんじゃないかと思った日の夕方、ナック隊長が一番隊の帰還を伝えに来た。
いつもキノを奪っていく、あの憎いおっさんが天使に見えのだから、相当精神を病んでいたと思ってもらいたい。
ただ、帰って来たはいいが、国王に呼ばれ報告と、遠征後の処理をしてから戻ると言う事なので、まだここに来るには時間がかかるとの事だった。
それでも、フィオナが帰って来たと聞いて、安心と嬉しさと、もう何がなんだか分からない感情で、身体中の力が抜けてしまった。
「まったく、さっきからずっとにまにまにまにまして、そんなに会いたいなら王宮まで迎えに行けばいいだろう?」
「だめ、顔見たら絶対に人前だろうがなんだろうが、抱きしめてキスして離せなくなる。多分フィオナはそういうの嫌がるから、帰ってくるまで待ってる」
「そうかい」
やれやれと二階に上がっていくルティアナに、思わず後ろから抱きついた。
「なんだい!?どうした!?」
「ルティ、ずっと頭が心配で埋め尽くされてて、ちゃんと言ってなかった。フィオナを助けてくれてありがとう。フィオナがもし生きて帰って来なかったら、多分僕は壊れてたよ」
「シキ、お前にとってフィオナが特別なのはよくわかってるよ。けどね、私にとっても大事な娘みたいなものなんだ。今回は危ない目にあわせちまったが、死なせたりしないよ」
「うん、ルティ、大好きだよ」
「まったく、この人たらしが。ほらさっさと離れて、フィオナが帰るまでに仕事を終わらせな」
言われた通り、仕事を終わらせて、とっぷり日が暮れた森を抜けて管理棟へと向かった。ナック隊長が知らせに来てから、既に二時間経っている。
もうそろそろ帰ってもいい頃だ。
帰って来てなければ、何かキッチンで美味しい食事でも作りながら待っていよう。フィオナと一緒に食べれると思うと食欲も湧いてくる。
そんな事を考えながら、魔植物園から薬剤室の扉を開けて中に入ると、管理棟の外から話し声が聞こえた。
フィオナが帰ってきているのか?
思わず明かりをつけるのも忘れて、正面入り口の扉を開いた。
「フィオナ?帰っているの?」
やっとフィオナに会えると思って、考えるより先に身体が勝手に動いてしまったのだ。
よくよく考えれば、話し声がすると言う事は誰かと話していると言う事なのに。
扉を開けて目に飛び込んできた光景に、目を見開いたまま固まった。
フィオナとアルトゥールが抱き合っていた。いや、アルトゥールにフィオナが抱きしめられていると言うのが正解だ。
フィオナと目が合った瞬間、彼女は目を見開いてアルトゥールの背に手を回した。
一気に頭が混乱した。さっと二人から目を逸らすと、口走っていた。
「ごめん、取込み中だったみたいだね」
とにかく見ていられなくて、バタンと扉を閉めると、そのまま入り口に背を向け、混乱したまま魔植物園内へと戻った。
園内に入ると箒を出して、すぐに飛び立ち一気に速度を上げた。
とにかく混乱していた。
なぜ二人があそこで抱き合っている?
今みたものは現実だったのか。
見た瞬間まるで鈍器で頭を殴られような気分だった。
目の前がぐらぐらして、訳が分からない。
どこをどう飛んだのかよく分からないまま、気がつけば特区奥地のワタユキの木の生えている場所へと来ていた。
おそらく無意識で頭を冷やそうとしていたのかもしれない。
急激な気温の低下と共に、自分の頭も徐々に冷静になっていった。
真っ白な花を枝いっぱいにつけているワタユキの木を見ながら考える。
なぜ二人はあそこで抱き合っていた?
長い遠征期間ずっと一緒にいたアルトゥールに、気持ちが傾いたのか?
遠征前までに、なんどもフィオナに好きだと伝えていた。
キスしても嫌がらなかった。
ベッドにもぐり込んでも、拒否された事はない。むしろフィオナのベッドで眠らない日が続いたときには、酔っていたせいもあるだろうが、寂しかったとまで言われた。
きっとフィオナの気持ちも自分に向かっているのだと思っていた。
好きになってきていると。
だから帰って来たら、思い切り抱きしめて、キスして、好きだと何回でも言おうと思っていた。
フィオナが自分の事を好きだと認めるまで。
そのくらい自惚れていた。
それがなんだ?
ひと月離れてしまったら、気持ちも離れてしまうのか?
そもそも、フィオナは自分の事を大して好きではなかったのか?
キスしても嫌がらなかったのは、いつもポーションを口移しして慣れていたから?
一緒のベッドで寝るのを拒否しないのは、不眠症の自分を憐れんだから?
そう思ってしまったら、本当にそんな気がしてきた。
以前アキレオが言っていた言葉がふと頭に蘇った。
『はー、お前は本当にぼんくらだねえ。フィオナちゃん、そのうちアルト君と付き合ったりしちゃうんだろうなあ』
アキレオの言うとおりだ。
本当にフィオナはアルトゥールと付き合い始めてしまったのかもしれない。
身体が冷え切ってきた。
さすがにこれ以上ここにいると危険だ。
重く長いため息を吐いて、箒の向きを帰ると、遠くからルティアナの声が聞こえてきた。
「シキー!どこだーい!?」
どうやら、自分を探しに来たようだ。
フィオナに頼まれたのか、それとも心配して見に来たのか。
だけど今は、誰にも会いたくない。
そっと気配を消すと、ルティアナに見つからないように、静かにその場を去った。