帰還
それから一週間、リヒト、一番隊と共にオーム山脈中を見回りながら魔獣を討伐して回った。
最後の二日は魔獣の姿は一匹たりとも見つからず、シルフですら見つけられなかったので、さすがにもう残っている魔獣はいないのだろうという結論になった。
「そういうわけで、私達は明日、ソレルの街に戻る事にします」
リヒトと二人、シルフを連れてルティアナの元へと報告に行くと、彼女はピンクのツインテールを揺らして、二人の頭をがしっと掴みぐしゃぐしゃとかき回した。
「ご苦労だったね。こっちも明日には結界が完成しそうだ。まあ、そうは言っても、マメに見に来るつもりだけどね。フィオナ、やっと帰れるな」
「はいっ!」
「そうそう、この前帰ったら、シキの奴ぶっ倒れてたぞ」
「え!?」
「ありゃ睡眠不足だな。早く帰ってやりな」
フィオナはくしゃっと笑うと、強くうなずいた。
ベースキャンプに戻ると、一番隊の面々は食事の準備をしながら二人を待っていた。
ロアルはあれからいつもと変わらず接してきてくれている。
もちろんフィオナも、顔に出さないように、普通に振舞っていた。それでもロアルの気持ちを考えると、ぎゅうっと胸が痛くなってしまう。
でも一番辛いロアルが普通にしているだから、自分もそれに応えなければとなんとか顔に出さないように努めた。
いつか、ロアルが自分の事を忘れて、チエリの思いに応えてくれたら嬉しいなと密かに思いつつ、この長かった野営の最後の夜を過ごすのだった。
翌朝ベースキャンプを撤収し、ソレルの街へと戻ると、すぐに警備隊の詰め所まで行くように言われ、フィオナと一番隊は、そこで今回の魔獣討伐に関する報告書を書かされるはめになった。
一刻も早く帰りたかったのだが、結局報告書作成やら、事後処理などで時間をとられ、やっと王宮に戻って来た時には、討伐要請が出されてからひと月も経っていた。
王宮に到着してからも、すぐにリヒト、ロアルと共に国王の元へ行くように言われてしまい、やっと報告を終え開放されたころには、すっかり夜になっていた。
「やっと終わった……」
国王との謁見室を出てため息混じりにつぶやくと、ロアルが横で苦笑していた。
ちなみにリヒトは個別に話があるとの事で、まだ中に残っている。
「フィオナお疲れさん。長かったな」
「はい、ロアルさんもお疲れさまでした」
「まあ、色々話したい事もあるけど、早くシキさんに会いたいんだろ?こっちの事は気にせずもう帰っていいぞ」
「でも、まだ一番隊のみんなに挨拶もしてないし……」
「そんなの後で大丈夫だ。ほら、早くいけって」
肩をバンと叩かれて、たたらを踏んで振り返る。
ロアルはにっと笑うと、手でしっしと追い払うしぐさをした。
本当にこの人は優しすぎる。
「ロアルさん!ありがとう!」
くしゃっと笑うと、フィオナは全速力で走りだした。
王宮内の通路を駆け抜けて、入り口までつくと、箒を出して飛び乗った。
シキに会える。シキに会える!
会いたかった。
やっと会えるのだ。
今までで最高速度ではないかというくらい箒を吹っ飛ばすと、はやる心を押さえて、管理棟へと降りていく。
外はすっかり真っ暗になっていたが、管理棟の入口にある魔法灯の灯りに照らされて、誰か立っている人影が見えた。
シキ!?
もしかして、帰ってきたと聞いて待っていてくれたのだろうかと、緩みそうになる頬を慌てて引き締めて降り立つと、そこに立っていたのはシキではなかった。
「アルト!?どうしたの?こんなところで!」
「フィオナ、お帰り。今日一番隊が帰ってきたって聞いて待ってた。お疲れ様」
「うん、ありがとう。アルトも遠征お疲れ様」
「俺たちはもう一週間以上前に帰ってきちまってたけどな。魔獣は全部討伐できたのか?」
「うん、シルフが頑張ってくれたから、問題なく片付いたよ。瘴気の穴の方も、ルティがちゃんと結界を張ってくれたから、これ以上は被害はないはず」
「そうか、それなら良かった」
アルトゥールはそう言ってほっとしたように笑った。
「アルト、遠征中は沢山助けてくれてありがとう。本当に感謝してるよ」
「それを言うのはこっちの方だ。フィオナがいなかったら、ワイバーンに全滅させられていただろうな。今回の遠征で俺もまだまだだって身に染みたよ」
「それは私も同じ。お互いまた頑張らなきゃだね」
「そうだな」
話が一区切りした所で、フィオナは身体を管理棟に向けた。
「じゃあ、アルトまたね。おやすみなさい」
シキに早く会いたくて、扉のノブに手をかけると、アルトゥールがその手首を掴んで止めた。
「フィオナ、少しだけいいか。話があるんだ」
振り返ると、アルトゥールがとても真剣な顔をしていたので、仕方なくノブから手を離した。
「何?どうしたの?」
「フィオナ……」
じっと見つめて口ごもるアルトゥールに、どうしたのだろうと首を傾げる。
「どうしたの?アルト」
「好きだ」
真っすぐ見つめられて伝えられた言葉に、脳が停止する。
魔法灯に照らされて青白く浮かび上がるアルトゥールの顔を見たまま、数度瞬きをして、言われた言葉を理解しようと、頭がぐるぐると回転する。
「好きだ、フィオナ。ずっと好きだった。俺と付き合って欲しい」
「あ……」
心臓がいやにどくどくと音を立てている。じっと見つめられているアルトゥールから目が離せなかった。
ロアルの言葉を思い出す。
自分の事を鈍いと笑って、アルトゥールには他に好きな女がいると言っていた。
おそらくロアルはアルトゥールの気持ちを知っていたのだろう。
本当に呆れるほど鈍かったんだな。
アルトゥールの気持ちを理解した途端、くしゃりと顔が歪んだ。
「フィオナ。何回でも言うぞ。好きだ。本気で好きなんだ。いつもフィオナの事で頭がいっぱいになってしまう。ワイバーンにお前が殺されたかもしれないと思った時は、気が狂うかと思った。だからもう、気持ちを隠しておきたくなかったんだ。好きだ」
アルトゥールの言葉が真っすぐに心に沁み込んでくる。
とても嬉しかった。
思い返せば、アルトゥールは今まで何度もフィオナに話したい事があると言って口ごもっていた。
なんで気が付かなかったのだろうか。
鈍いにもほどがある。
「フィオナ、答えてくれ。お前の気持ちが知りたい」
目を離せないまま泣きそうになっているフィオナの手を掴んで、アルトゥールは一歩距離を縮めてきた。
ゆっくりと口を開く。
「アルト、ごめん。私アルトの気持ちに応えられない。好きな人がいるの」
アルトゥールの気持ちが痛いほど伝わってきて、苦しくなったが、絞り出すように、だけどきちんと自分の気持ちを伝える。
「シキさんか?」
聞き返されたと同時に涙がこぼれた。
ロアルだけではなくてアルトゥールにまで言い当てられて、自分だけがとんでもなく鈍かったのだと思い知らされたようだった。
ぼろぼろ涙をこぼしながらうなずくと、アルトゥールはそうかとつぶやいて、手を離した。
「アルト、ごめんね。私、全然、気が付かなくて、ごめんねっ」
「いや、いいんだ。そういうところも含めて好きになった。だから泣くな」
アルトゥールの大きな手が頭に乗せられる。
「それに、フィオナがシキさんの事を好きなのはうすうす気づいていたからな。それでもやっぱり気持ちを伝えたかった。それだけだ。だから気にするな」
「アルト、気持ちに応えられなくて、ごめんね。好きって言ってくれて、ありがとう」
涙で引きつる声でそう告げると、ぎゅうっと抱きしめられた。
「フィオナ。ごめん。最後に少しだけ……」
そう言われて、押し返すことなどできない。
黙って抱きしめられていると、突然管理棟の扉が開いた。
「フィオナ?帰っているの?」
シキの声に思わず身体が固まった。
抱きしめられたまま、驚いているシキと目が合ってしまい、アルトゥールの背をバンバンと叩いて懇願する。
「アルト!離して!」
「ごめん、取込み中だったみたいだね」
シキはそう言って、扉を閉めて中に入っていってしまった。
一気に頭が焦りだす。こんな所を見られたくなかった。勘違いをされてしまう。
すぐに追いかけて違うといわなきゃ。
「シキっ!」
叫んで身を捩ると、アルトゥールはすぐに腕を離してくれた。
はっと見上げると、真っ黒な瞳がせつなそうに揺らめいて、寂しそうな微笑みを浮かべた。その顔を見たら、なんだか申し訳なくなってしまい、すぐにシキを追おうとした足が思わず止まってしまう。
告白してくれた相手を目の前に、他の男を追おうとしたのだ。
気持ちを伝えてくれたのに、さすがに放ってシキを追う事は出来なかった。
「フィオナ、いいんだ。早くシキさんの所にいってやれ」
「でも……」
「いいから。行かないと変な誤解されるぞ」
アルトゥールの優しさに心臓がぎゅっと苦しくなる。
「ほら、いけって」
バンと背中を叩かれて、涙がこぼれた。
「うんっ、ごめん。ありがとう、アルト!」
叫んで管理棟の扉を開け、もう一度振り向くと、アルトゥールはふっと笑った。
ごめん、ありがとうと心の中でもう一度つぶやいて、管理棟に入ると、辺りを見回して二階に駆けあがった。
「シキ!シキ!?」
真っ暗の中、名前を呼びながらスイッチを入れて明かりをつける。
「シキ!?」
二階に人の気配がないので、急いで三階へと向う。
寝室の扉を開け、明かりをつけるが、どちらの部屋にもシキの姿はなかった。
こんなはずじゃなかったのに。
すごく会いたくて、会ったらもう躊躇せずに抱きついて、気持ちを伝えようと思っていたのに。
管理棟中探してもいないので、一階へと下りて魔植物園に入ると、研究棟に箒を向ける。
夜の森だったが構わず箒で吹っ飛ばした。途中枝に腕を引っかけて擦り傷が出来たがそんなのは構ってはいられなかった。
研究棟横の芝生にいたシルフが、フィオナを見て嬉しそうに立ち上がり、飛びついてくる。
「シルフごめん!後で!」
さっとかわして研究棟の扉を開ける後ろから、寂しげな鳴き声が聞こえたが許して欲しい。
後で思う存分撫でまわしてあげるからね。
中に入り、作業場の扉を勢いよく開けた。
誰もいない。
まっしぐらに地下に駆け下りて、シキの研究室の扉を叩く。
「シキ!シキ!いるんでしょ!?開けてください!」
乱暴にガンガン扉を叩いていると、きぃっと小さく扉が開いてキノが顔を出した。
久しぶりのキノに嬉しさがこみあげてくる。
思わずしゃがみ込んで抱きしめた。
「キノ!ただいま!シキは?」
小さいキノを離して尋ねると、ふるふると首を横に振る。
扉を開けて研究室の中を見てみるが、確かにシキの姿はなかった。
「あれ……いない」
茫然としてつぶやくと、後ろから声が掛かった。
「なんだい。帰って早々騒がしい娘だね!」
「ルティ!シキは!?」
頭に拳骨が降ってきた。
「まずは、ただいまだろうが!」
「ルティ……、ただいま帰りました……」
「まったく。お帰りフィオナ。遠征お疲れ」
ふっと微笑まれて、フィオナは嬉しくてルティアナに飛びついた。
「ルティ!ただいま!」
思い切り抱きついてから離れると、ぽんぽんと頭を軽く撫でられる。
「腕から血が出ているじゃないか。どうしたんだいその傷は」
「あ、さっき森を箒で飛ばしてきて、引っかけちゃったみたい」
「まったく。馬鹿だね」
ルティアナがすぐに治療魔法をかけてくれる。
「ルティ、シキは?」
「シキならとっくに管理棟に戻ったはずだけど、会わなかったのかい?」
「その、会ったは、会ったんだけど……」
口ごもりながら、視線を所在なさげにさまよわせる。
「どうした?はっきり言わなきゃ分からないよ」
「その、管理棟の入口でアルトに抱きつかれちゃって、丁度そこをシキに見られてしまって……」
ルティアナが額を押さえて大きくため息を吐く。
「なんだってお前はそうタイミングが悪いかねえ」
「そんな事言ったってっ!私だってそんな事になるなんて思ってなかったんだもん。シキに早く会いたかったのに。それなのに……」
じんわり涙が滲んでくる。
「あー、泣くな!うざったい!」
「ルティ、シキ、どこ行ったかな……」
「多分園内のどこかだろうねえ」
「私、シキに会いたい」
「向こうもそう思っていただろうよ。あんたが帰ってきたって聞いて、ずっと顔をにたにたさせていたからねえ」
「シキの所に連れて行って」
「連れて行っても逃げられそうだねえ。どうしたもんか。とりあえず私が探してくるから、あんたは管理棟に戻ってな」
「私も行くっ!」
「後ろに荷物乗せて逃げるシキを捕まえるのは面倒だよ。いいから帰って休んでな」
しょんぼり肩を落とすと、ぐしゃっと頭を撫でられた。
「ちゃんと管理棟に行かせるから。その代わりシキが行ったら、言うべきことはちゃんと言うんだよ。もうさすがにお前らの焦れったいのに付き合うのも面倒臭くなってきたからね」
「うん……」
「じゃあ、ちょっと行ってくるから、管理棟に戻りな」
ルティアナはぶつぶつ文句を言いながら出ていくと、あっという間に箒に乗って夜の森へと消えて行ってしまった。
ぽつんと取り残されたフィオナにシルフがすり寄ってくる。
「さっきはごめんね。遠征中はいっぱい助けてくれたのに」
そう言って、ぎゅうっと真っ白のふわふわの首元に抱きつくと、シルフは慰めるようにぎゃう!と鳴いて、フィオナの顔をべろんと舐めた。
シルフを撫でまわしながら、ルティアナがすぐにシキを見つけて戻って来ないかと待ってみたが、森の向こうからその気配はなく、仕方なくトボトボと管理棟へと戻った。
落ち着き無く二階でウロウロしながら待っていたが、一時間経っても誰も来る様子がなく、くったりとソファへと座り込む。
シキが会いたくないって言ってるのかな……。
どんよりとソファにもたれ掛かっていると、さすがに夜も遅い時刻に差し掛かり、遠征疲れも手伝って眠気が襲ってくる。
いかんいかんと、眠気覚ましにシャワーを浴びて、再びソファに座って待つが、なかなかシキは現れない。
待ちくたびれて、そのままソファに身を委ねうつらうつらし始める。
シキに会いたかったな……。
ぼんやりシキの事を考えているうちにフィオナはそのまま寝入ってしまった。