鈍感
ベースキャンプに戻ると、フィオナとリヒトは一番隊にわっと取り囲まれた。
「ふだりども、ぶじれよがっだああああー」
チエリが涙と鼻水を垂れ流しながらしがみついてくる。
「本当にっ、良かったっ!」
ロアルまで目に涙をためて、フィオナとリヒトを同時に力任せに抱き寄せた。
「ロアル、やめてくださいー。私、そういうの柄じゃないんですよー」
そそくさと距離をとるリヒトに、一番隊は気が緩んだのかどっと笑い声を上げた。
ひとしきりもみくちゃにされたあと、人込みをかき分けて殺気の塊が近づいてきた。
「あ、アルトっ!?」
「フィオナ……」
「ごめんっ、あ、謝る!箒から無理やり落としたのは、酷いと思ったけど、アルトなら大丈夫かなーって……。ホント、ごめん!」
「そんな事を言っているんじゃない!」
まるで雷が落ちたかのような声に、思わず首をすくめる。ルティアナに怒られたばかりなのに散々だ。
これはまた大人しくお説教を聞くしかないと、覚悟を決めていると、骨が折れるかというくらい強く抱きしめられた。
「い、いたたたたっ!アルト!痛いって」
「どれだけ心配したと思っているんだ!死んでしまったかと思ったっ……」
大勢の前でぎゅうぎゅう抱きしめられてしまい、一瞬焦ってしまうが、アルトのとてつもなく悲痛な声に振りほどけず、ごめんと言って彼の大きな背中をそっと叩く。
抱きつかれたまま、周りをみると、誰もが冷やかすでもなく、アルトと同じような悲痛と喜びが入り混じった顔をしているのを見て、とんでもなく心配をかけてしまったのだとさすがに反省した。
反省はしているが、また同じ状況になっても、きっと自分は同じことをしてしまうだろうなという自覚があるので、このアルトの骨が折れるかというような締め付けにも甘んじて耐える。
やっと離して貰ったあと、ルティアナと同じ場所を思い切り叩かれて、涙目になった。
本当に散々である。
「フィオナ、ところで、その後ろの大きな犬?はなんだ?ていうか犬なのか?」
ロアルが怪訝そうな顔でシルフを見ている。シルフはぱたぱたと尻尾を振って、ロアルにぐりぐりしてもいいか?という顔をフィオナに向けてきた。もちろん首を横にふる。なるべく大人しくしていてもらわないと。
雷獣だとは気づかないまでも、不自然に頭にほっかむりさせられた大きな獣に、皆不審げな視線を送っていた。
「実はルティに会ったの。この子はルティのペットのシルフ」
「え!?ルティアナ様が来ているのか!?」
驚く面々に事情を説明した。もちろんシルフが雷獣という事を除いて。
大きな瘴気の穴と、大量にこちらに流れ込んでしまっている魔獣の話をすると、皆顔を曇らせたが、瘴気の穴はルティアナの結界で塞がれて、これ以上魔獣が流れ込んでくることはないと知ると、ほっとしたようだった。
「でも、オーム山脈の奥の方にはまだまだ第一級魔獣がうじゃうじゃいるかもしれないって事だよね?」
アイビーがげっそりとした声を出す。
「うん、ルティに会いに行くまでにも、ワイバーンに遭遇したし、山脈の奥に行けば行くほど危険度は上がると思う。だから、オーム山脈の奥は私とシルフで討伐に行こうかと思ってて」
「は!?何言ってんの?」
ロアルがあんぐりと口を開けて聞き返す。リヒト以外の全員が同じ反応だ。唯一シルフの正体を知っているリヒトが助け船を出してくれる。
「ロアル、大丈夫だよ。この大きなわんちゃん、ルティアナ様のペットだけあって、ワイバーン五体を瞬殺したんだよー。私達が行っても足手まといになるし、オーム山脈の奥はフィオナさんとこの子に任せよう」
皆からの視線を受けて、シルフは嬉しそうにぎゃう!と鳴いた。
シルフの可愛らしい外見に、皆半信半疑だったが、ルティアナのペットという事で、何とか納得してもらえた。
「ところで、ヒュラン王子は?」
姿が見えなくて気になっていたので尋ねると、皆、露骨に嫌な顔をした。
「あの王子、全然大した事なさそうなのに、疲れたからって、さっき届いた金の体力ポーションをよこせって奪っていって、挙句に食事を持ってこいとか、酒はないのかとか言って、テントを丸々一個占領して今はぐーすか寝てるわ」
チエリが腹立ちを押さえられないと言った様子で話す。
「明日にでも騎士の誰かにゲートに送って行ってもらって、さっさとお帰り願いましょう」
リヒトがうんざりした顔でそう言うと、全員が強くうなずいたのだった。
☆
翌日からひたすら討伐の日々が続いた。
もちろんヒュラン王子には早々にお帰り頂いて、シルフの存在はバレずに済んだ。
フィオナはシルフと共にオーム山脈の奥へ、残りの者は手前の山脈で魔獣を狩る。
正直シルフがいれば、フィオナはいらないのではないかというくらい、雷獣は強かった。一度ワイバーンが十匹程群れで襲ってきたが、シルフは十秒かからずに殲滅しフィオナは箒の上から見ていただけだった。
これじゃあ、シルフのお散歩をしているだけみたいじゃないか。
「ねえ、シルフ。私も少し戦いたいな」
白い毛並みを撫でながらそう頼んでみると、ぎゃう!と尻尾を振ってべろんと頬を撫でられた。
魔獣に噛みついたあとに舐めるのやめて欲しい。
次に第一級魔獣の群れに遭遇すると、シルフは器用に数体逃がし、ほらそっちに行ったよ、みたいな顔をする。そうして、フィオナが悪戦苦闘しながら倒し終わるのを、尻尾を振りながら楽しそうに見ているので、なんだかどっちが飼い主なのか分からなくなって、地味にへこんだ。
「ルティ!聞いてくださいー」
討伐の帰りに、大岩の場所にいるルティアナに会いに行って、泣きついた。
「なんだい、本当にお前は騒がしいねえ」
「シルフが強すぎて、私の存在価値が皆無なんですー。ありがたいんだけど、情けなくて、へこみそうです」
「そりゃしょうがないだろうが。せいぜいシルフのおこぼれを狩って頑張って鍛えな」
「ルティまでー」
「そもそもシルフがいなきゃオーム山脈の奥に来ることすらできないだろうが」
「その通りなんですけど!とっても助かっているんですけど!けど自分がシルフに子供扱いされてるみたいな気になるんですっ」
「あはは!実際そうなのかもな!それで魔獣の数はどうだい?だいぶ減ったのかい?」
「くうっ……。ここ数日見つけ次第シルフが殲滅していくので、かなり減ってるはずなんですけど、それでも翌日見回ると、そこそこ魔獣がいるので、まだ結構いそうですね」
「そうかい。まあ地道に狩っていくしかないねえ。こっちはだいぶ結界の強化が進んで、とりあえず五日くらいは大丈夫な結界を張ったから、明日一度王都に戻るよ」
「分かりました。リヒト隊長にも言っておきます」
「おう、頼んだよ。こっちもお前が元気にしてるってシキに言っておくからね」
ルティアナの言葉にフィオナは笑ってうなずいた。
シルフと討伐を始めて一週間が経った。
オーム山脈の手間の山付近の魔獣はもうすっかり討伐されて、騎士団は王都に撤収することが決まった。
「フィオナ、先に帰る事になってしまったけど、絶対に無理はするなよ」
出発前にアルトが念を押してくる。
「大丈夫だよ。シルフがいるから。でもちゃんと気を付ける。ありがとうアルト」
「ああ、じゃあ、先に王宮に戻って待っているからな。早く終わらせて返って来いよ」
「うん。アルトも気を付けて帰ってね」
騎士団が帰ってしまうと、一気にベースキャンプは静かになった。
残っているのは一番隊とリヒト副隊長だけだ。
オーム山脈の奥もほとんど魔獣の姿を見なくなってきているので、明日からは残った全員で、狩り残しがないかを見回ることになっている。
遠征もまもなく終わる。
王都を出てから、半月が経っていた。
その夜、フィオナはキャンプ地から少しだけ離れた場所でシルフを護衛に、一人空を見上げていた。
雲一つない夜空には、一面の星が広がっていて、まるで星空に飲み込まれてしまいそうなほどだ。ごろりと寝転がって、満天の星空を堪能していると、じゃりっと地面を踏む足音が聞こえてきて、身を起こした。
「フィオナ」
やってきたのはロアルだった。手には暖かい飲み物が入ったカップを二つ持っていて、一つを差し出してくる。
「ロアルさん、ありがとう」
「すごい星空だな。一緒にいいか?」
「もちろん」
カップに口を付けると、甘いココアの味に頬が緩む。
横に座ってしばらくじっと横に座っていたロアルが、おもむろに口を開いた。
「フィオナ、助けてくれてありがとうな」
死にかけたロアルを助けた事を言っているのだとすぐに分かった。でもそれはもう、何度も礼を言われていた。
「ロアルさん、もうそれ何度も聞きましたよ。それに、ロアルさんが生きたいって思ったから戻ってこれたんだと思いますよ。あと、お礼ならチエリちゃんに。チエリちゃんが意識のないロアルさんを必死に魔獣から守ってくれて、蘇生中も必死に呼びかけていたからだと思います」
「うん、それも分かっている。チエリには本当に頭上がんねーわ」
ロアルがくすりと笑う気配がした。
「俺さ、あの時、意識が戻って最初に聞こえたのがチエリの声だった。好きだから死ぬなって」
「聞こえてたの!?」
「ああ」
「チエリに言うなよ」
「……はい」
ほんの少しの沈黙の後ロアルが続けた。
「俺さ、チエリの気持ち今まで全然気が付かなかった。もうチエリとは結構長い付き合いで、あいつが一番隊に入ってきた時から、ずっと妹みたいに可愛がってきた。だからまさか自分の事をそんな風に見ているなんて思いもよらなかったんだよ。俺さ、フィオナの事すっげえ鈍い奴って思ってたけど、自分も大概だなって思った」
「なにそれ!私の悪口!?」
「いや事実」
「酷い。私そんなに鈍いかな?」
「ああ、鈍い。それも相当。だって、俺がフィオナの事好きだって全然気が付いていないだろ?」
「……え?」
一瞬何を言われたのか分からなくなった。
ロアルが誰が好きだって?
「え、ちょっと待って、だって、ロアルさんは……」
「アルトを好きだとか馬鹿な事言うなよ。それマジキモイから」
「え!?あれ!違うの!?」
「違うし、アルトも俺の事好きじゃないから。あいつ他に好きな女いるし」
自分の思い違いにフィオナは唖然としてしまった。混乱して、言葉を失っていると、ロアルが念を押すように繰り返す。
「俺が好きなの、アルトじゃなくてフィオナだから。気づいてなかったろ?この鈍感」
「……ごめんなさい。全然気づかなかった」
「謝るな。それから今から俺が何を言っても謝るな。いいか?」
「は、はい」
「本当はさ、言うつもりなかったんだよ。フィオナがシキさんの事好きなのは知ってたから」
思わずくしゃりと顔が歪む。そんなに自分がシキが好きなのはダダ洩れなのだろうか。
「なあ、フィオナ。シキさんの事が好きなんだよな?正直に言って」
「……はい。私、シキが好きなんです。すごく……」
「はあああー。だよなあー。分かってた!分かってたんだけど、やっぱ、結構きついなあ」
ごめんなさいと言いそうになって、開きかけた口を閉じた。
「俺さ、昔すっげえ好きだった人がいたんだけどさ、その人は他に好きな人がいたんだ。それでも猛アタックして、結局振られてさ、その彼女は好きだった男と結婚しちゃった。立ち直るまでに結構時間かかったよ。それで、やっと気持ちの整理がついて、そんな時フィオナに出会って、すぐに好きになった。でも、フィオナはいっつもシキさんのこと考えてて、シキさんのこと見てて、ああ、またかって思った。だから本当は言わないで、好きって気持ちも押し殺していたらそのうち自然に消えるかなって、どこかで諦めてた。でもさ……」
ふっとロアルが笑う。
「チエリさ、俺がフィオナの事を好きなの知ってたんだぜ。それなのに、俺の事好きだから死ぬなって馬鹿だよな?それ聞いたら、俺もちゃんと言わなきゃだめだって思った。振られるって分かっていても、ちゃんと言わなきゃ気持ちに踏ん切りなんてつかねえよなあ」
いつの間にか自分の頬に涙が伝っていた。
ロアルもフィオナが泣いているのに気づいたのか、気まずそうに頭に手を乗せてくる。
知らなかった。
本当に自分はなんて鈍感なのだろう。
多分知らないうちに、ロアルもチエリも沢山傷つけていた。
「俺さ、多分すぐに気持ちが切り替えられないと思う。でもフィオナとはいい関係で居たいんだ。こんな話をしておいてなんだけど、俺のこと避けないでいてくれると嬉しい。もちろんこれ以上迫るつもりもないし、今日でちゃんと諦めるつもりでいる。だから、これからもいい友人でいて欲しい。だめか?」
「だめじゃないし、嬉しいです。けど、ロアルさんはいいの?辛くないの?私はもしシキに振られたら、しばらく顔見れないかもしれない……」
「俺も前はそうだった。けどさ、今は俺の事好きで好きでたまんないって言ってくれる一番隊の奴らがいるからさ。だから大丈夫。チエリの事もちゃんと考えて返事する。結局そうやって、ちょっとずつでも前に進むしかねーんだよな」
あっけらかんとして言うロアルに、きゅうっと胸が締め付けられた。
この人は本当になんて素敵な人なのだろうと。
きっとロアルを好きになっていたら、とても幸せになれたのだろうなと思った。
けれど、それでも自分の心の中はシキでいっぱいだ。
「ロアルさん。ありがとう、ロアルさんみたいにすごく素敵な人に好きだって言ってもらえて、本当に嬉しかった。だから、ありがとう」
泣きながらむりやり笑うと、ぐしゃっと頭を撫でられた。
「フィオナ。俺もありがとう。じゃあな、お休み」
ロアルはそう言い残して、帰って行った。
フィオナは再びごろんと寝ころんで星空を見た。
胸の奥が熱くて、苦しくて、どうしようもなかった。
シキに会いたい。シキが好きだ。
帰ったら、ちゃんと伝えよう。