囮
「ん……、ううっ……」
フィオナとチエリがようやく泣きやんだ頃、ロアルが小さくうめき声を上げた。
「ロアルさん!」
「だいぢょー!!」
「ロアル大丈夫か!?」
うっすらと開いた目にはちゃんと意思の気配があった。
「よがっだあああ!だいぢょおおおおお!」
チエリの涙腺が再び崩壊し、ロアルの胸元に覆いかぶさると、えぐえぐと嗚咽を漏らし始める。
「チエリ……、わりぃ、心配かけた……」
「フィオナぢゃんが、助けてくれたんでずう!隊長死んでだんだからああ!!」
「え……」
「ロアル本当だぞ。心臓止まって息してなかった」
「マジ……?」
三人ともこくこくとうなずく。
「おい、お前たち!その男が目覚めたらならもういいだろう!?早く私を安全な場所まで連れていけ!」
感動の瞬間に水をさすように、声を張り上げたのは例によって、ヒュラン王子だった。
完全に存在を忘れていた。
相変わらずむかつく言い方だが、すでに日は暮れて森の中は暗くなっている。確かに早く戻った方が良さそうだ。
「確かにもう暗くなっちゃったし、山頂に戻ってみんなと合流しよう」
「そうだな、おい、ロアル起き上がれるか?」
「いや、全然力入んねーわ」
「傷は治っても体力は戻ってないですからね。ロアルさん、これも飲んで」
ポーチから特級の体力回復ポーションを取り出してロアルに渡す。
「おい、フィオナ、これ特級だろ!?だめだ。飲めないよ。普通の体力ポーションないのか?」
「体力ポーションはもうこれしか無いんですよ。いいから、飲んで下さい。傷は塞がっても、まだ身体は動かせる状態じゃないでしょ?」
「おい、そこの男。飲まないのならそれを私に寄こせ!私もふらふらなんだ!」
ヒュラン王子がまたろくでもない事を言い始めた。
ロアルもこの王子に渡すくらいならと思ったのか、ポーションを受け取ると一気に飲み干した。
「うっわ……。なんだこれ……。すげえ。もう身体が動く……」
ロアルが立ち上がって、手や足を動かして驚いている。驚いたのはロアルだけではなかった。
「おい!今のはなんだ!?何をその男に飲ませたんだ。なぜ死にかけていた奴があんなにぴんぴんしている!?」
「……これは、国でだけ扱っている、特別なポーションなんです。なので普通のポーションより効き目が早いんです」
「早いどろこの話しではないだろう!?おい、それはもうないのか!?お前、そのポーチを寄こせ!」
「出来ません!」
これは、フィオナの為にシキが頑張って作ってくれたポーションなのだ。友好国の王子とはいえ、自分の事しか考えていない、部下を犠牲にするような男には一本たりとも飲ませたくなかった。
「私に逆らうのか?私はコロラ王国の王子だぞ。怪我をしている王子にポーションの一つも差し出せぬとは、友好国とは聞いて呆れるな」
嫌な言い方をする。
確かにここで、ポーションを持っているのに怪我をした王子に与えないとなると、国際問題になりかねない。
「それでは、傷用のポーションを。残念ながら体力のポーションはもうありませんので」
どちらにせよ、ポーチにはもう傷薬と解毒ポーションが数本残っているだけだ。
王子は受け取ったポーションを飲み干すと、その効果に目を丸くする。
「おい!女!このポーションはなんなんだ!あっという間に傷が塞がったぞ!?誰が作っているのだ!?」
魔植物園の事を機密事項だと言われた事はないが、他国の王子にほいほいとしゃべっていい話しではな様な気がして、とっさに考える。
「……それは、私からは申し上げられません。お知りになりたければ、直接国王にお尋ね下さい」
「ふん、秘密と言うわけか。まあ、いい、無事に帰ってからそのポーションの事は調べるとしよう」
王子が獲物を狙う肉食獣のような目つきでじっとポーションの空き瓶を見ているのを見て、やはり話さなくて良かったと胸を撫でおろした。
この自分勝手で強欲な王子の事だ。
フィオナが金のポーションを作れると知ったら、何をされるか分かったものではない。
「おい、フィオナとか言ったか。早く私を安全な場所に連れて行け」
見下したような言い方に、腹が立ったが、仕方なく箒を出そうとすると、ロアルが来て、フィオナの前に出た。
「私がお連れします。王子どうぞ」
ロアルが箒を出して、自分の後ろに促す。
この馬鹿王子をフィオナの後ろに乗せないように、気を使ってくれたのだろう。
ロアルに感謝である。
フィオナは自分の後ろにアルトゥールを乗せて浮き上がると、ロアルとチエリと共に山頂へと向かったのだった。
上空から山頂に近づくと、開けた草原には、さっきより沢山の人数が見えた。
きっとリヒトが一番隊を連れて戻って来たのだろう。
ふわりと降り立つと、リヒトと一番隊全員が駆け寄って来る。
「隊長!チエリ!大丈夫だったのか!」
「セオ隊長に聞いて心配してたんだぞ!」
口々にそう言って飛び掛かってくる一番隊を見て、ロアルが助かって本当に良かったと思った。
「死にかけた所をフィオナが助けてくれたんだ」
「違うよ!一回死んでたんだから!」
ロアルの言葉にチエリが怒りだす。
ギャーギャー騒ぐ一番隊をリヒトが落ち着いた声でなだめた。
「みなさーん、その辺で。話は帰ってからにしましょう。日が暮れてしまってますからね。一番隊の皆さんはコロラ王国の騎士の方を乗せてベースキャンプに戻って下さーい」
リヒトの声に、皆慌てて動き出す。
開けた草原なのでまだうっすらと周りは見えているが、魔獣に襲われたら面倒だ。
一番隊はそれぞれ箒の後ろに騎士を乗せて、ふわりと浮き上がった。
ベースキャンプに戻ろうと、それぞれ動き出した時、突然大きな咆哮が轟いた。
それと同時に瘴気が一気に濃くなる。
「え……」
草原の向こう側からバサリバサリと羽音が響く。
呆然とそちらを見ると、赤い光が五つ、灯った。
「全員防御!!」
リヒトの怒鳴り声が響いた。
フィオナも全力で防御結界を張る。
ごおおおおお!という轟音と同時に目の前が真っ赤に染まった。
ワイバーンのブレスだ。
間違いなかった。前の三匹のブレスを防いだ時と、全く同じ感覚に身震いが抑えされない。
そしてそのブレスの放たれた先は五つ。
五体のワイバーンがいると言う事だ。
なんでこんなにワイバーンが!?
一生のうち一体ですら出会わない可能性の高い魔獣が、すでにこれで八体。
信じられなかった。
ポーションはもう傷薬と解毒しかない。
「全員低空で森の中に逃げ込め!上空を飛んでいるとブレスに狙われるぞ!」
リヒトが怒鳴った。
全員が猛スピードで森へと向かって逃げる中、後ろに誰も乗せていなかったリヒトだけがその場に残る。一人囮になるつもりなのだ。
「リヒト副隊長!」
「いいからいきなさい!なんとか食い止めます!」
フィオナの後ろにはアルトゥールが乗っていたので、戻る事は出来ない。
一気に森まで速度を上げる。
後ろでは、ものすごい轟音と光が荒れ狂った様に吹きすさぶ。
振り返る事なく、森に突っ込むと、腰に回っているアルトゥールの腕を無理やり引き剥がして、乱暴に箒から落とした。
大した高さではないから怪我はないだろう。
「フィオナ!?」
「ごめんね、アルト。私戻る。走って逃げて」
アルトゥールが必死に止めてくるが、リヒトを見殺しには出来なかった。
箒の向きを反転させ、ぐんと速度を上げる。
全速力で戻ってみると、さすがにリヒトでも五体からの同時攻撃は耐えきれなかったのか、身体中から血を流しいた。それでも反撃をしながら、ギリギリのところで逃げ回っているが、あまりもう持ちそうになかった。
ぼろぼろのリヒトを見たら、もうなりふりなど構っていられなかった。
魔力を練り、広範囲の雷撃魔法を発動させると、空中に明るく眩しい魔法陣が展開する。
ワイバーンも気づいたのか、術の発動者であるフィオナに向かってぐるりと視線を向けてくる。
「なんで戻ってきたんですか!?」
リヒトが怒鳴り声をあげる。
本気で怒ったリヒトの声を初めて聞いた。
「だって、ペア組んでくれるって言ったじゃないですか」
笑みを浮かべてそう言うと、リヒトがくしゃりと顔を歪めた。
「まったく、あなたって人はっ!」
「大丈夫です。私破壊王ですから」
雷撃を発動させるために、五体のワイバーンを引き連れながらリヒトから距離をとる。ブレスが見境なく飛んできて、よけ切れず肩を掠めた。
「くうっ!!」
痛みに思わず声を漏らしながらも、魔力を開放し雷撃を発動させる。リヒトなら避けてくれるだろう。
辺り一面に雷の雨が振り、五体のワイバーンにも降り注いだ。
雷の雨に貫かれながらも、ワイバーン達には致命傷にはならないようで、怒りの咆哮と共にフィオナに向かってきた。
致命傷にならないくらい分かっていた。
時間が稼げればいい。
リヒトも一人で残った時そのつもりだったのだろう。
きっとリヒトはフィオナが同じことをしようとしていると気づいて、ものすごく怒っているに違いない。
もし、生きて帰れたら、ちゃんと謝らなくちゃと思いつつ、残りの魔力を振り絞って、ワイバーンに反撃をする。
反撃をし、攻撃をギリギリでかわしながら山頂から離れるように全力で逃げていくと、ふいに首元でシャラリと音がした。
出かける前にシキがお守りにと持たせてくれた笛だった。
シキの顔が浮かんで泣きそうになってしまう。
どうせならこの笛を吹いてワイバーン達の意識を更にこちらに向けさせよう。
もう魔力はろくに残っていなく、これ以上攻撃して気を引く事はできそうもないのだから。
せめて一体たりとも、仲間の方へ行かせないようにと、大きく息を吸うと、思い切り笛に息を吹き込んだ。
ぴぃいいいいいいっ!と余韻を残して高い音が夜の空に響きわたった。
ワイバーン達がそれを合図とするかのように、一斉にブレスの態勢に入る。
すぐ後ろから赤く灯った口が五つ見えた。
これはいよいよまずいな……。
もう、みんな逃げられたかな。
暗くてよく見えないが、山頂の方角に目を向ける。
みんなが無事ならそれでいい。
残りの魔力を振り絞って、結界を発動するが気休め程度にしか張れなかった。
ブレスが放たれた。
目の前に迫る真っ赤な光に死を覚悟する。
ああ、シキに会いたかったな。
くるっ!そう思った瞬間、ブワッと風が巻き起こり目の前が何やら真っ白なもので塞がれた。
「え!?」
ドゴオオン!という轟音と強い光に、ブレスが掻き消えていた。
目の前に立っている、白いものが振り返る。
大きな身体にふわふわの長い真っ白な体毛、頭から後ろに向けて伸びる一本の角。愛嬌のある金色の目がくるんとフィオナを捉えた。
「シルフ!?」
シルフがここにいるのが信じらず名前を呼ぶと、真っ白のふわふわの魔獣は、ぎゃう!と嬉しそうに一鳴きして、ぱっと消えてしまった。
消えたと思った雷獣は、いつの間にかワイバーンの首元に食らいついていて、雷撃を放つ。またもや地響きかという轟音と共に空が真っ白に光った。
ワイバーンは下に落ちてゆく。
ぽかんとしている間にシルフはあっという間に五体のワイバーンを殲滅してしまった。
それこそ、文献に載っていたいた通り、目に見えないほどの速さで、気がついたら殺されているという記述そのものだった。
シルフはワイバーンをあっけなく倒すと、フィオナの元へと戻って来て、褒めてというように鼻面を押し付けてぐりぐりしてくる。
「シルフ、なんでここにいるの!?ちょ、こら、舐めないでっ!うわっ、あんたさっきワイバーンに齧りついてたよね!?生臭いっ!やっ!こら!」
なんとか引きはがし、はっと気が付いた。
シルフ浮いてない!?
ぱっとシルフの足元を見ると、大きな足の先から魔力と風圧を感じ、どうやら風魔法で浮いているのだと分かる。飛べるなんて知らなかった。
「もう、なんだか笑っちゃいそうだよ」
圧倒的なシルフの強さにほっとして、たちまち身体から力が抜けてしまった。
涙がこみ上げてくる。死ぬかと思った……。
ぎゅむうっと強くシルフを抱きしめると、その尻尾が嬉しそうにぶんぶんと揺れ動く。
「えー、これは……、一体、どういう状況でしょうかねー?」
突然かけられた、のんびりとした声に、白いもふもふの首筋に埋めていた顔をぱっと起こす。目の前には箒に乗って困った顔をしているリヒトがいた。
「あ、えーっと……」
これはどうすればいいのだろうか。
「それは雷獣ですよねー。随分あなたに懐いているように見えるのは気のせいでしょうか」
気のせいではありません。懐いています。
ここは正直に言ってしまうしかないかと、口を開きかけると、シルフがリヒトに興味をしめして近寄っていく。
さすがのリヒトも雷獣を目の前に固まって動けないようだった。
シルフはリヒトに近づくと、くんくんと匂いを嗅いでから、ベロリと頬を舐め上げ、そのままぐりぐりと鼻面を彼の腹に擦り付ける。
「えーと……フィオナさん、どうしたらいいんでしょう……」
どうやら、リヒトもシルフに気に入られてしまったようだ。本当に人懐っこい雷獣だ。
「シルフ、もうだめよ。リヒト副隊長怪我しているんだから」
そう言うとぐりぐりをやめて、だめなの?というような顔でリヒトと見上げた。
なんかあざといっ!
「これ、雷獣なんですよね?フィオナさん、さわってもこの子怒ったりしないですか?」
「大丈夫ですけど、撫で過ぎて興奮させると、雷撃をくらって即死するかもしれないので、ちょっとだけにした方が良いと思います」
リヒトはおそるおそる雷獣の首筋を優しく撫でる。シルフは嬉しいのか尻尾をぶんぶんと振っていた。
「フィオナさん、聞いてもいいですか?この雷獣ってもしかして、少し前にこの山脈に出没してルティアナ様が討伐にいった雷獣ですか?」
「えーと、その、……はい。そうです」
「なんで懐いているんです?というか名前つけてましたよね?」
「ルティがあまりに人懐っこいからって魔植物に連れて帰ってきて、その、飼ってるんです……」
「飼ってる!?いや、ルティアナ様ならやりかねないですね。それで、その雷獣がどうしてここにいるんですか?」
聞かれて、はっとなる。
そうだ、シルフがここにいると言う事は、ルティアナかシキが連れて来たと考えられる。おそらくルティアナだろう。
「シルフ!ルティが来てるの!?」
「ぎゃう!」
「どこ!?案内して!」
「ぎゃう!!」
シルフはリヒトから離れると、ついて来いと言うように、尻尾を振ってオーム山脈の奥へ向かって空を駆けていく。
「リヒト副隊長、私ルティに会ってきます!」
「私も行きます」
だめと言っても無駄そうなので、フィオナはうなずくとリヒトと二人、真っ白の雷獣を追いかけて山脈の奥へと飛んでいった。