好きですよ?
夕方管理棟に戻ったフィオナは、三階の寝室に入り着替えると、ベッドにごろりと横になった。
色々あってなんだか疲れた。
さっき別れたばかりのアルトゥールの事をぼんやりと思い返す。
医療室に連れて行ったアルトゥールは、体力回復ポーションと治療魔法ですぐに良くなったが、南のゲートに帰るまで、ずっと眉間にしわを寄せたまま黙ったままだった。
掛ける言葉が見つからなかったので、フィオナもなにも言わずそのまま一緒に歩いた。
ゲートについて、簡単な挨拶と共に別れようとすると、アルトゥールに引き留められた。
「フィオナ。今日は情けない所を見せてしまったな」
「そんな事ないよ。それに、騎士杯は優勝できたんだもの。すごいじゃない」
「騎士杯だけなら勝てて当然だったからな。……それで、試合前に言った事なんだが」
「うん」
「あれは忘れてくれ」
辛そうにそう告げるアルトゥールに、フィオナは分かったと答えるしかなかった。
勝ったら話すと言っていたので、なんとなく予想はついていたのだ。
結局何を話したかったのだろう……。
考えても分からないのだから仕方ないかと、ごろりと寝がえりを打った。
それにしても……。
シオンのパティへのプロポーズを思い出して、顔がにやけてしまう。思い出しただけで、なんだか胸がいっぱいになって悶えてしまいそうだ。
後でパティの所に行って、今まで散々からかわれたお返しをしなければ。それから、おめでとうと祝福してあげよう。
そうだ、シキとルティアナにもこの事を教えなくちゃ。
時計を見ると、夕方の五時だ。
まだルティアナの手伝いは忙しいのだろうか?
忙しいのだとしたら、今晩も戻って来ないかもしれない。
フィオナはベッドから起き上がると、少し迷ってから、一階に下り、薬剤室の奥の扉から魔植物園へと入っていった。
研究棟まで箒で飛ぶと、いつもの様に、シルフが建物の前の芝生に寝そべっている。
「シルフ!」
叫んで駆け寄ると、シルフも立ち上がって、駆け出してきた。
「あはははっ!こら、くすぐったいよ!」
ベロベロと顔を舐められて、よだれまみれにされてしまう。しばらくそのふわふわな毛並みを撫でまわして堪能すると、離れたがらないシルフをなんとかなだめて、研究棟へと入っていった。
作業場に行くと、そこには誰もおらず、きっとルティアナの研究室に居るのだろうと二階に上がって扉をノックする。
「ルティ、シキ、いますか?」
「おう!フィオナなんだい?シキなら地下だよ」
扉の向こうから声だけ響いてくる。
「ルティ、研究はまだいそがしいんですか」
「ああ、まだちょっと手が離せないんだよ。急ぎの用かい?」
「いいえ、そうじゃないので。また今度にします。ルティ頑張って下さいね」
「おうよ」
ルティにはまた今度話そう。
階段を降り、今度はキッチンの奥から地下への階段を降りて行く。
ノックをして声を掛けた。
「シキ?今忙しいですか?」
扉の前で待っていると、しばらくしてから、ゆっくりとドアが開いた。
ゆらりとシキが現れ、そのままぐったりと体重を預けるように抱きついてくるので、思わずよろめいてしまった。
「シキっ!?」
「疲れた……」
肩口で呟くシキの声がかすれている。
「大丈夫ですか!?」
「だめ、魔力使いすぎた……。倒れそう」
「とりあえずソファで休みましょう」
シキを支えて階段を上がり、ふらふらの身体をソファに横たえる。いつもされる方なので、これはちょっと新鮮だ。
ソファに横になったシキはひどく顔色が悪い。
「シキ、魔力欠乏ですか?ポーション飲みます?」
「うん……、特級のポーション持ってきて。上級だと多分回復しきらない」
特級を飲まないと効かないくらいくらい魔力を消耗するなんて。
この男はどれだけ魔力量が多いのだろうか。そしてそれを使い切るほど無茶な仕事をしていたのかと思うと、呆れてしまう。
棚から特級魔力回復ポーションを取り出して、ソファに戻って膝をつくとシキの顔をのぞき込んだ。
「シキ、持ってきましたよ。ポーション飲んで下さい」
「だめ、もう動けない」
「え!?」
「飲ませて」
「え、私が!?」
かあっと顔が熱くなってしまう。
「他に誰かいる?」
「じゃあ、ストロー!ストローを持ってきます!」
「フィオナ、酷いよ。僕はいつも倒れた君にポーションを飲ませているのに……」
「ぐっ……」
そう言われてしまうと、拒否できない。
仕方なくポーションの金のシールを剥がして、蓋を開ける。
ポーションとシキを交互に見て尻込みしていると、シキに早く、と催促されてしまう。
シキの唇を見てしまって、一気に恥ずかしさがこみあげて来るが、覚悟を決めて、ポーションを口に含んだ。
シキの胸のあたりのシャツを掴んで、おそるおそる唇に自分のそれを合わせる。
これここから先どうしたらいいの!?
唇を合わせただけで固まってしまうと、シキの手がいつの間にか後頭部をぐっと抑え込んできて合わせた唇が深くなり、シキの舌が歯の間を割って入ってくる。それと同時にポーションが流れ込んでいき、シキの唇が液をこぼさないようにと強く抑え込んでくる。
口の中のポーションがなくなって、離れようとするが、シキの腕が頭を抑え付けているので、唇を離せず、思わず抗議の声を上げた。
「んんんんんんっ!」
声を上げると同時に、腕の力が緩み、開放される。
「シキ!動けるじゃないですか!」
「動けないよ。腕だけしか」
「腕が動くならポーション飲めるでしょう!」
「飲めないよ。起き上がれないから。フィオナ僕にポーション飲ませるの嫌?」
なんでそんな事を聞くの!?
いたずらっ子の様な目で尋ねてくるシキは絶対楽しんでいる。
「嫌じゃないけど……」
「じゃあ早く」
じっと見つめられて残りのポーションを求められる。もうこうなってはやるしかない。
結局フィオナは残り二回、シキにポーションを口移しして飲ませるはめになってしまったのだ。
☆
最近シキは意地悪だと思う。
さっきも研究棟で、自分でポーションを飲めるのに、口移しを要求してきたし、それ以外でも嫌だと言っても、膝に抱きかかえたり、抱きしめたりしてくる。
こっちの身にもなって欲しい。
これじゃあ心臓がいくつあっても持ちそうにないし、期待してしまう。
管理棟に戻って二人で食事をとりながら、そんなことを考えてつい唇を尖らせてしまう。
「フィオナ、美味しくない?」
「え?美味しいですっ」
「ならいいけど」
くすりと笑ってワインのグラスを傾けるシキは、すっかり具合も良くなったようだ。
「ルティの研究はまだ忙しいんですか?」
「いや、手が離せない作業はもう終わって、だいぶ落ち着いたよ。だから今日はこっちで寝るよ」
それはどこで寝るつもりなのだろうか。
考えると顔が赤くなってしまいそうなので、すかさず話題を変えた。
「そうだ!シキ!王宮騎士杯で凄い事があったんですよ!」
そういえば、パティとシオンの事を話しに行ったのに、シキが意地悪するからすっかり忘れていた。
思い出してまたあのプロポーズの場面が蘇ってきて、興奮に思わず身を乗りだしてしまう。
「なに?面白い事でもあった」
「聞いたらびっくりしますよ!」
「なんだろう?じらさないで教えて」
にこりと微笑みながらねだられて、うっかり胸がきゅんとしてしまった。
「王宮騎士杯はアルトが優勝したんですけど、アルトとシオン副隊長がその後試合をしたんですよ!あ、シキ、シオン副隊長は知っていますか?」
「うん、よく知っているよ」
「それでですね、なんとシオン副隊長がアルトを一瞬で倒しちゃったんです!」
「ああ……。それはお気の毒に」
何故かシキは全く驚かず、アルトゥールに憐みの言葉をこぼした。
「驚くのはここからです!」
ガタンと勢いよく立ち上がると、その勢いにシキが驚いて、ワインの入ったグラスをテーブルに置いた。
「なんと、勝ったシオン副隊長が拡声器を使って、その場でパティさんにプロポーズしたんですよ!!」
「へえ」
「シキ反応薄いですね……」
盛り上がって解説をしているというのに、シキはあまり関心がなさそうな相槌を打つだけだ。絶対驚くと思ったのに、なんだか拍子抜けしてしまう。
「それで?」
シキが先を促すので、フィオナは話を続ける事にする。
なんだかあまり驚いてはくれなかったが、それでもフィオナはあのプロポーズの光景を思い出してうっとりと話し始める。
「それでですね、シオン副隊長がパティさんにひざまついて、指輪を差し出したんですよ。『もう待てない。結婚して欲しい』って!もう私ドキドキしちゃいました!パティさん顔を赤くして、少し泣きそうになって指輪を受け取ったんですよ!そのあと、シオン副隊長がパティさんに、キスして、お姫様抱っこして帰って行ったんです!もう、思い出すだけで、こう胸がきゅんってなります」
「へえ、フィオナはそういうプロポーズのされ方がいいの?」
「え?そういうわけじゃないですけど、女の子はみんなああいうのに憧れるんですよ。実際自分だった恥ずかしくて困っちゃいそうですけど」
「ふうん」
「なんかシキ、全然驚いてくれないですね。ビッグニュースだと思ったんですけど」
身振り手振りを加えて、どうにかあの興奮を伝えようと一生懸命に話したのに、最後まで反応の薄いシキに思わず頬を膨らませる。
「だってあの二人が付き合っているのは知っていたし、シオンが結婚したがっているのをパティがのらりくらりと逃げているのも知ってたからね。逃がさないようにわざとそんな大げさな事をしたんだろうね」
あっさりと告げられたシキの言葉に、あんぐりと口を開く。
驚かされたのはフィオナの方だった。
「え!?シキ知っていたんですか!?いつから!?」
「もう結構前。あーあ、これでパティの弱みが一つ減っちゃったなあ。いい脅しのネタだったのに」
とんでもなく腹黒い事を言ってのけるシキにまたもや開いた口が塞がらない。
「でも、シオンがそこまでやるとは思ってなかったから、ちょっと驚いたよ。ふふっ、それに頑張って話しているフィオナは可愛かったし」
「シキは、意外と腹黒かったんですね……」
「え?そんなのとっくにフィオナは知っていると思ったけど。僕は結構わがままだし、腹黒いし、人に冷たいし、強欲だよ?」
「自分でそこまで言いますか?」
「だって本当の事だし、隠すつもりもないから。そんな僕だと嫌いになる?」
そう言ってシキはふわりと微笑む。
絶対に嫌いと言われないと自信があるように見えて、ちょっと癪だ。
だからちょっと意地悪を言ってみる。
「嫌いです」
あっさりそう言ってやると、思いのほか動揺したようで、あっという間に顔から笑みが剥がれ落ちた。
「まさか嫌いと言われると思わなかった。どこが嫌い?直すように努力はする」
かなりうろたえた様子のシキが可愛くて、くすりと笑ってしまう。
「直さなくていいです。だってそれを上回るくらいには、シキは優しくて、頼りがいがあって、その、好きですから」
好きというのが恥ずかしくて、ぷいっと視線をそらすと、手首を掴まれた。
「フィオナ、こっち見て」
「嫌です」
「こっち向かないと、キスするよ」
すぐに顔を戻してシキを見た。なんて事を言うのだ、この男は。
「もう一回言って」
「へ?」
「今言ったこともう一回」
「えっと、シキは優しいので、悪い所は直さなくていいですよ?」
「その後」
「ああ、頼りがいがあります」
「その後」
「……何か他に言いましたか?」
恥ずかしくて、もう口に出来ないと思い、知らんぷりをしてはぐらかす。
「さ、シキ、食器片付けましょうか」
掴まれている腕から逃れようと、立ち上がって手を引き抜こうとすると、更にぎゅっと力を込められてしまった。
「言うまで離さない」
「忘れちゃいました!ほら、早く片付けしましょう?」
そう言って立ち上がり、キッチンに向かおうとすると、掴んだ腕を引っ張られてシキの膝の上に抱き込まれてしまう。
「シキっ!」
「じゃあ、顔は見ないからもう一回言って」
これは言うまで離して貰えないパターンだ。
確かにシキは自分で言うように、わがままで強欲な気がする。
それでも好きで好きで逆らえない自分も大概だ。
仕方なく小さい声でつぶやいた。
「す、好きですよ?」
「疑問系?」
「言ったからもういいでしょう!」
「うーん」
「シキっ!」
「僕も好きだよ」
最後にぎゅうっときつく抱きしめられると、シキの腕が緩んでいく。
すかさずぱっと膝から降りると、キッチンに駆け出した。
心臓がばくばくしすぎて破裂してしまいそうだ。
まずい。本当にこれは期待しちゃうじゃない!
フィオナはなんとか心を落ち着かせようと、猛烈な勢いで食器を洗い始めるのだった。